2007-10-01から1ヶ月間の記事一覧

「ビルマ軍政と日本」集会その2

いま多くのビルマ人の心に刻まれている二人の日本人の名前があるという。 一人は長井健司さんで、もう一人が山口洋一氏だ。山口氏が先週のサンプロに出たことは21日の日記に紹介したが、95年から3年間、日本のミャンマー大使を務めた人物だ。週刊新潮に…

安明進の嘆願書について

土曜日、特定失踪者問題調査会のメルマガに、荒木和博さんが、安明進さんの弁護士と嘆願書を出す経緯について書いていた。第一審で実刑判決が出たあと、安明進さんの弁護士が交代し、控訴審を担当した二人目の弁護士が以下に出てくる金尚哲という人だ。 《金…

「ビルマ軍政と日本」集会その1

きのう午後からサンプロ特集打ち合わせ。最後のプレビューをし検討会を経て、テロップなどを修正し、夜、音楽・効果音・ナレーションを入れる作業(これをまとめてMA=マルチ・オーディオという)に立ち会う。朝方3時間ほど寝てテレ朝へ。今朝は台風一過…

報道と誤解―「どっこいしょ」3

山形東高校出身の著名人に作曲家の服部公一さんがいる。 服部さんは1933年生まれで、48年に新制高校制度がはじまる直前の「山形中学校」に入学した。服部さんには、そのころの思い出を書いたエッセイがあり、松木先生が登場する。題はなんと「やっこら…

報道と誤解―「どっこいしょ」2

事故機の機長が発した奇妙な掛け声。あれはいったい何だったのか。 「山形東高同窓会報」の59号(今年3月23日付)に渡邉季子さんという方が、「『山東に松木あり』永遠に語り継がれる熱血教師」というエッセイを寄せている。渡邉さんは去年から母校で教…

沈黙のミャンマー大使館

きょう、「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」に寄せられた署名を届けにミャンマー大使館に行ってきた。 署名は10月2日から始めて、ほぼ1万筆集った。7割以上はインターネットで寄せられたもので、事務局が配慮して住所を消してプリントアウ…

報道と誤解―「どっこいしょ」1

報道は事実を伝えるものだという。しかし、事実を伝えるだけでは十分ではない。とくにその事実が「背景」を欠いていると、大きな誤解が生まれることがある。以下、私に個人的に縁のある事例を紹介したい。1985年、520人という単独事故としては最大の…

安明進謝罪会見「証言は真実」

安明進がきょう午前、ソウルで記者会見をした。報道によれば、安明進はまず、「私を信じてくれた横田夫妻ら拉致被害者家族、日本の皆さんに謝罪します」と謝った。TBSなどテレビニュースでは、一審の実刑判決が控訴審で執行猶予付きの判決になったのは、…

ミャンマーの僧侶は偽者?

サンプロで、ミャンマー事情の討論コーナーを見る。 出演は、山口洋一(元ミャンマー大使)、タンゼン・ウー(国民民主連盟[解放地域]日本支部議長)、田辺寿夫(フリージャーナリスト)。 ウー氏は、自宅軟禁中のティン・ウーNLD副議長の息子さんだと…

報道の自由度ランキングに異変!

ゆうべ夜中12時から「紙打ち」で、きょうの昼12時までかかった。紙打ちとは、編集前の原稿の打ち合わせのことで、ここでナレーションの文章を練りあげる。ディレクターはこの原稿をもとに、これから1週間ほど、連日半徹夜で編集作業に入ることになる。 …

安明進に執行猶予付き判決

安明進に控訴審で執行猶予付き判決が出て、彼は午後釈放された。以下、アサヒコムより;「北朝鮮製覚せい剤の韓国への密輸や売り渡し、使用などの罪に問われた北朝鮮の亡命元工作員、安明進(アン・ミョンジン)被告(39)に対し、ソウル高等裁判所は19…

フィリピン今昔紀行―希望をスクープした男

フィリピンから帰国の日。 空港に向かう途中、ダイヤモンドホテルという最高級ホテルにあるAP通信社のオフィスに立ち寄った。もう何年も会っていなかった旧知のAPのカメラマン、ブリット・マルケスに挨拶したかったのだ。 ブリットは通信社に属している…

フィリピン今昔紀行―幸せですか 

おととい、ミンダナオ島のジェネラルサントス市に一泊して、きのうマニラに戻ってきた。 ジェネラルサントスでは、現地で知り合った人から「フィエスタ」に招待された。フィエスタとは、バランガイ(最小の自治単位=集落)の守護聖人のお祭りだ。 まずは、…

フィリピン今昔紀行―スラムで撃たれたカメラマン 

ゆうべは、たまたまマニラにいたジャーナリストの近藤晶一さんと夕食を取り、彼の行きつけの日本人向けカラオケクラブに行った。そろいのドレスのホステスたちが「いらっしゃいませー」という声で迎えてくれた。 韓国歌謡をメドレーで歌いまくっている人がい…

フィリピン今昔紀行―腎移植スキャンダル2

日本では臓器移植が非常に少ない。脳死も認めて死体からの臓器移植を進めましょうということになったのだが、それもなかなか進まない。 腎臓については、足りない分を死体腎をアメリカから空輸して対応していたのだが、アメリカでも足りなくなって日本に回せ…

フィリピン今昔紀行―腎移植スキャンダル1

エルミタには外国人観光客用の両替店がたくさんある。ある店に入ると、日本語で書かれたリーフレットが積まれてある。「あなたはずっと人工透析を続けるつもりですか」と書いてある。腎臓移植の勧誘である。 長田さんの死をきっかけに、取材の危険についてあ…

フィリピン今昔紀行―ジャパゆきさんを歌った歌手

マニラ市エルミタ地区には「マビニ通り」というネオン街があって、私がいた80年代後半にはゴーゴーバーや日本人クラブが集中していた。当時、「マビニ通り」はバンコクの「パッポン通り」と並んで東南アジアを代表する歓楽街であった。 90年ごろエルミタ…

フィリピン今昔紀行―最悪のスラム 

きょうは、港のそばのスラムに行った。 マニラには以前からスラムが多い。スラムは、地方で食い詰め、仕事を求めて都市部にやってきた人々が、国有地などに不法に住み着いてできた。港湾、河川、鉄道線路のそばにびっしりと掘っ立て小屋が建つ光景がいたると…

フィリピン今昔紀行―懐かしのマニラ

きょうから私を含め3人のスタッフでフィリピンに出張。 例によって、取材内容は放送まで明かせないので、昔話を取り混ぜて旅日記を書こう。 私は1986年初めから2年半ほどフィリピンに住んでいた。6年以上いたタイに次いで長く滞在した国で、だいぶ人生観…

ビデオカメラは持ち去られていた

すごい映像がきのうの「報道ステーション」で放送された。これにより、行方不明になっていた長井さんのビデオカメラが、治安部隊によって持ち去られたことがほぼ証明された。映像は毎日新聞が入手したものだという。(写真は毎日新聞より、白丸が持ち去られ…

長井健司さんの葬儀にて

きょう午前11時から長井健司さんの盛大な葬儀があった。 10時45分ごろ会場の青山斎場近くで、大勢のミャンマー人たちが、そろいの柿色の上着とロンジー姿で歩いていた。写真は会場の待合所で撮ったもの。「私たちミャンマー国民は長井さんのことを一生忘れま…

長井さんが観光客だったら

サンプロの放送に立会う。 朝から東京は良く晴れた。 空が晴れると、テレビ関係者は一様に渋い顔で、「きょうは、あいにくのいい天気ですね」という変な挨拶をする。外出する人が多くなって視聴率が下がるからだ。この業界にもう長くいるのに、私はまだこの…

人権のドンキホーテ

ミャンマ軍政に抗議する署名はきょう中に1500名に達するもようですが、さらに勢いをつけるために、ご協力をお願いします。ブログにアクセスしてネットで署名できます。http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927 きのう紹介した、アメリカABCのスチュアー…

長井健司さんの死によせて―独裁を倒した記者の死

7日の「サンプロ」特集「南北首脳会談」の準備で徹夜だった。 ゆうべ夜11時にディレクターが取材テープとともにソウルから帰国、彼と私はそのまま今朝7時半まで番組の特集責任者と打ち合わせ。一方、テープは待機していたAD、通訳により書き起こしと翻訳…

長井健司さんの死によせて―科学と人権

きのう3日夜、明治大学で日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)主催の「ミャンマー(ビルマ)情勢緊急集会」があった。フォトジャーナリストの山本宗補さんが話をするのでぜひ行きたかったが、2日から南北首脳会談が始まっており、残念ながら時…

長井健司さんの死によせて―中国からの連帯

おととい1日、『中国の危ない食品−中国食品安全現状調査』(草思社)の著者、周勍(しゅうけい)さんの出版記念会見に出た。(写真は、FRchina.netに載っていたもの) 新聞、雑誌などの30人ほどの記者を前に、周さんは、まず長井健司さんの話からはじめた…

長井健司さんの死によせて―北朝鮮も忘れずに

ミャンマー軍政への抗議が高まっている。 テレビである教授が、国際社会による制裁と援助停止は、ミャンマー国内で闘う民衆に、世界が支援しているんだ、孤立していないぞとのメッセージを送り、励ますことになるという意味の発言をしていた。賛成。まったく…

長井健司さんの死によせて―ITの威力2

長井さんが殺される現場を撮影したビデオ、写真は複数あり、何人かの撮影者が、隣接する建物のいくつかの部屋または屋上にいたことが分かる。カメラアングルから撮影場所が特定されるのではないかと心配していたが、やはり治安当局はすでに現場建物の捜索を…