フィリピン今昔紀行―希望をスクープした男

フィリピンから帰国の日。
空港に向かう途中、ダイヤモンドホテルという最高級ホテルにあるAP通信社のオフィスに立ち寄った。もう何年も会っていなかった旧知のAPのカメラマン、ブリット・マルケスに挨拶したかったのだ。
ブリットは通信社に属しているから、速報にも対応する報道一本のカメラマンである。報道写真では、被写体にワッとカメラが群がる修羅場もあって、身長が低いのは不利である。ブリットは160センチととても小さいが、いつもいいタイミングを切り取って、群を抜いてうまかった。1986年のフィリピン革命時には、すでにAPのエースだった。今でも、マニラのメディア関係者に聞けば「フィリピンのナンバーワン報道カメラマン」という答えが返ってくるはずだ。

彼は、私に報道とは何かを教えてくれた一人で、強烈な思い出がある。
あれはたしか90年ごろのこと。バングラデシュに洪水の取材で行き、ニュースステーションに映像を電送し、久米裕さんと電話でつないでリポートしたことがある。
バングラデシュアは国土の多くがガンジス川ブラマプトラ川メグナ川が運んできた土砂でできたデルタであり、標高ゼロメートルだ。洪水にはきわめて脆弱な国土で、毎年のように大量の犠牲者が出る。万単位の死者になることもある。
被災地ではまだ水が引いておらず、田んぼや村は水に没して、大きな木だけが水面から突き出していた。家畜の死骸はもちろん、まだ回収されていない人間の死体が浮かんでいるのを時々見かけた。道路は土を盛り上げて作ってあるので、水に没していない。家も家畜も流された人々が、着の身着のまま、行き場を失って道路上に避難している。道端に木切れヤビニール布で雨よけを作り、力なく座っていた。被害の大きさに救援が追いつかず、飲み水も食糧も何もかもが不足していた。伝染病が蔓延するのは必至だった。
あるホテルに各国からのメディアが集まっていた。朝、現地紙やNGOからの情報を得て、最もひどい被害を受けていそうな場所に向う。夜、戻るとホテルの食堂で他の記者たちと情報交換をして明日の取材対象を考えた。
取材対象としては、遺体の回収と葬儀、避難民のキャンプ、医療・防疫プログラム、食糧配布活動、日本人ボランティアなどなど。いくら大惨事でも、2日も回ればネタが尽きてくる。
そんなとき、一枚の写真がいくつかの朝刊のトップを飾った。
私の記憶では明かりはランプがあるだけの、非常に暗い写真だった。一時しのぎの雨よけしかない避難場所らしい。写真中央に生まれたばかりの赤ん坊が母親に抱かれていて、そこにわずかな光が当たっている。被災者の掘っ立て小屋に、新たな命が生まれたのだった。母親と赤ん坊を取り巻いて、何人かが見守っている。そして彼らの顔には、微笑みが浮かんでいる。何かキリストの生誕を思わせる荘厳な雰囲気さえある。

愕然とした。
私たちは、より悲惨な、より絶望的な現場を求めて汗だくで走り回っていたのである。ところが、この写真に写し出されていたのは「希望」だった。家族を失い、財産を失い、病気の危険が迫るどん底の状況の中でも、人は静かに立ち上がって生きていくのだ・・・そんなメッセージを感じた。
「希望」は、背景の「絶望」があってこそ輝いている。つまりその写真には、「絶望」も充分に描きこまれているのである。

すでに数日間、いやというほど悲惨さは報じられていた。いくつもの新聞がその写真を使ったのは、人々の何か明るい話を求める気分を背景にしていたのだろう。タイミングも絶妙だった。
ジャーナリストたちはみな「負けた」と思ったはずだ。食堂にその写真を撮ったカメラマン、ブリットが入ってきた。何人かがブリットに近づき、「おめでとう」と言いながら握手をもとめた。まさに「小さな巨人」であった。

スクープの定義についてはいつか別に書くが、あの時、みんながこれをスクープと見なしたことは間違いない。報道とはいったい何なのか、あらためて考えさせられたものだ。
ずいぶんご無沙汰だが、ブリットは変わったかな。
APのオフィス入り口で彼の姿を探していたら、奥から「オー、しばらくだな!」と声があがった。ブリットが両手を挙げて笑っている。顔の皺が少し増えたくらいで、陽気な笑顔は変わっていない。50歳は過ぎていると思うが、現役のバリバリで、先日ミャンマーから帰ったばかりだという。ちょうど長井さんが殺された日にヤンゴンに入ったそうだ。
ヤンゴンはほんとに危ない。いつも車の中に身を隠して、スモークのかかった窓からこっそり撮影するしかなかったよ」。
百戦錬磨の彼でさえ、隠れてばかりで、いい写真がなかなか撮れなかったそうだ
別れ際、ブリットに、バングラデシュのあの赤ん坊の写真を見たいなあと言ったら、オフィスの引っ越しなどで見当たらなくなったという。ブリットにとっても思い出の一枚だそうで、残念がっていた。でもAPのファイルには必ずあるはずで、いつか探してやろうと思っている。