フィリピン今昔紀行―懐かしのマニラ

 きょうから私を含め3人のスタッフでフィリピンに出張。
 例によって、取材内容は放送まで明かせないので、昔話を取り混ぜて旅日記を書こう。

 私は1986年初めから2年半ほどフィリピンに住んでいた。6年以上いたタイに次いで長く滞在した国で、だいぶ人生観も変えてくれ、特別の思い入れがある。

 日本人は、欧米に住むのに比べてアジアに住む方がより大きな文化ショックを受けると私は思う。
 欧米ははじめから違う文化圏だと覚悟して行くのに対し、アジアは知っているつもりで訪れる。その分、理解不能なことがらにぶつかったときのショックが大きい。
 そのうえ、日本人の多くはアジア諸国に対して優越感を持っているから、アジアで非常に優れたものに出会ったときに戸惑いを覚えるはずだ。「この人にはとてもかなわないな」と自分が感じる人が、アメリカ人であった場合と、フィリピン人であった場合を想像してみたら分かってもらえるだろうか。

 人は、こうしたショックと戸惑いのなかで、自分を考え直したり反省したりするものである。若いうちに機会があれば、欧米よりもアジアに暮らすことを私は薦めたい。

 さて、6年ぶりのフィリピンはどうなっているのか。
 マニラの空港に着くと韓国企業の宣伝がやけに目に付く。リビアへのトランジットで立ち寄ったイタリアの空港でも、先月行ったアメリカの空港でも、サムスン、LG、ヒュンダイの巨大な看板ばかり並んでいる。搭乗ゲートにある液晶テレビは、サムスンとLGが独占している。80年代、90年代、少なくともアジアでは、日本企業の存在感が他を圧倒していたから、隔世の感がある。

 私の乗ったフィリプン航空が着いたのは、専用の新しいターミナルだった。建物の柱にフィリピン国旗と日の丸の付いたプレートがあり、「1999年に日本のODAで建設された」と書いてあった。新空港は清潔で安全な感じだ。ことさらに「安全」という言葉を使うのは、かつては空港でいろんなトラブルが起きていたからだ。

 税関の係官に「チプ、チプ」とチップをせびられる。うるさいから無視すると、スーツケースを開けられる。知人に買ってきたお土産でもあろうものなら、係官に、これをくれと要求される。税関から出口のホールに出ると、「スズキさーん」と自分の名前を呼びながら近づいてくるフィリピン人がいる。知り合いが迎えをよこしたのかと思って付いていくと、実は悪質なタクシーで、法外な料金をふっかけられる・・・。そんなことが日常茶飯事だった。ちなみに、スーツケースにローマ字読みで自分の名前を大きくつけていると「スズキさーん」と悪用されるのでやめたほうがよい。

 もっとすごいこんなケースもある。旅行代理店で働く知り合いが、日本からの40人ほどの団体観光客を空港に迎えに行った。いくら待っても出てこないので、念のためにホテルに電話するとすでに着いているという。空港職員とつるんだ男が税関の中まで入り、旅行代理店より先に観光客グループに接触し、用意したバスで連れて行ったのだった。ツアーグループが団体ごとそっくり「盗まれて」しまったのだ。その男はホテルに着くと各人から100ドルづつ徴収して消えた。旅行代理店はその100ドルを弁償するはめになり、大損をしたという。
 当時、ツーリストへのアンケートで、「フィリピンのどこに悪い印象を持ちましたか」という質問があり、ダントツの一位がマニラ国際空港だった。80年代からフィリピンへの観光客がどんどん減っていったが、玄関口の悪印象も原因の一つだったろう。

 空港も安全になり、ちょっとはマニラも変わったのかな、とうれしくなった。
 飛行機の中でフィリピンの新聞をみたら、一面トップが、フィリピンの通貨ペソが、ここ7年で最も高くなったという記事だった。ペソがそんなに上がっているとは知らなかった。フィリピン経済が好調なのだろうか?

 空港から車でエルミタというホテルが集中している地区へ向う。途中、海岸道路のロハス通りを左手にマニラ湾を見ながら進む。相変わらず渋滞がひどい。
 ロハス通りと言えば、直木賞作家、笹倉明さんの「報復コネクション」(集英社)という小説があって、特派員の黒田潤一が、このロハス通りを車で走るシーンから始まる。黒田というのは、この私のことで、実際の事件を題材にしている。笹倉さんがフィリピン取材をはじめたころ、私も多少お手伝いをした関係で、主人公にされたのだ。黒田ははじめ善意の人間として登場するのだが、実は裏に大きな秘密を隠していて、最後はフィリピン人の愛人とひそかにニューヨークに高飛びする。こうして小説は「実像」とどんどん離れていく。

 そのロハス通りで、信号待ちしていると、いろんな物売りが車に寄ってくる。また、小さな子どもや老女の物乞いが車の窓をコンコンと叩いて小銭をねだる。何をするともなく歩道にたむろする人がとても多い。これは昔と同じで、定職についていない人が多いのだ。

 マニラ湾の夕暮れのなかに、あいも変わらぬロハス通りの悲しい風景があった。