フィリピン今昔紀行―腎移植スキャンダル2

日本では臓器移植が非常に少ない。脳死も認めて死体からの臓器移植を進めましょうということになったのだが、それもなかなか進まない。
腎臓については、足りない分を死体腎をアメリカから空輸して対応していたのだが、アメリカでも足りなくなって日本に回せなくなった。そこでフィリピンで生体腎を移植するという「ビジネス」がはじまった。
腎臓は他の臓器と違って、二つあるというのがミソである。一つを移植で譲っても、もう一つの腎臓で提供者は生きていけるのだ。そこに生体腎を取引する「ビジネス」が成り立つ。
フィリピンにはかなり高度の腎臓移植技術がある。
その背景には、かつての独裁者マルコス大統領の存在があった。マルコスは長年、腎臓疾患に苦しみ、秘密裏に3度移植手術を受けたと噂される。それはみな失敗したというが、その過程で、フィリピンの腎臓移植の基盤整備ができたという。

国立腎臓研究所や腎臓センターなどの専門施設は、日本のODAの対象にもなり、優れた設備を備えている。

一方、ドナーについては、一つの秘密プロジェクトがあった。長期刑囚人用のモンテンルパ刑務所をそっくりドナーバンクにしていたのだ。刑務所には、定期的に(たしか月に2回だったと思う)腎臓センターから血液検査の車がやってきて囚人の血液検査をしていた。
腎臓移植にあたっては、血液のABO型、HLA型などのいくつかの要素を考慮して組織適合性を高くしなくてはならない。数千人の囚人を検査して巨大なドナー登録者のプールを作れば、ある任意のレシピアントに対して、組織適合性の高いドナーをかなりの確立で見つけることができ、「注文」に応じられる。噂では、マルコスも一度囚人のドナーからの提供を受けたという。そしてマルコスが86年にフィリピンから追い出された後、主要なレシピアントは金持ちと外国人となった。
つまり、フィリピン腎臓あっせん事業は、マルコス独裁政権の置き土産でもあるのだ。
私たちが批判したあっせん団体は、いまも活動している。そして、あの後、60件以上の移植を行っているという。

アジア諸国の中でも腎臓移植実施件数および治療実績が突出しているフィリピン。
私共は、この国を代表する最も経験豊富な腎臓内科医および移植外科医と緊密な連携関係を構築し、1987年に「海外移植事情研究協会」としてスタートを切り、翌年1988年には最初の患者様の腎移植手術を実現させました。
その後、名称を「灯火を守る会」と改称し、今日までに、患者様の立場に立ったコーディネーターとして、60数名の日本人および日本在住の韓国籍を有する腎不全患者様の移植手術のお手伝いをしてまいりました。》(ホームページより)
フィリピンは今年、ついに外国人向けに腎臓移植を合法化する法律を作った。生きたドナー(提供者)からの移植である。しかも、手術費以外に、ドナーの「生活支援」などの「料金」が決められている。移植システムは政府が管理し、民間団体の「腎臓財団」を通じてドナーが「生活支援」というお金を受けるという。
こうなると囚人だけでなく、お金の欲しい人や貧乏人は誰でも、外国人に腎臓を提供することでお金を得ることができる。そして、上に挙げた以外にいくつもの団体がフィリピンでの腎移植の勧誘をどうどうと行っている。例えばhttp://www.phktn.com/faq.htm
かつての「事実上の臓器売買」は、いまや「政府公認の臓器売買」へと変化したようである。