「秘書や事務員を雇うのは大変だろうけど、統一教会が無給で提供してくれるから何人でも申請しなさい」
新人の自民党議員を集めた派閥の勉強会でこう教わったという。証言するのは元衆院議員の佐藤謙一郎氏だ。
1947年生まれ。NHK記者、県議を経て87年の参院補選で初当選。衆院に転じて5期。07年に政界を引退し、有機野菜の生産・販売など「食と農」の活動に取り組んでいる。父は自民党国会議員だった佐藤一郎氏。
佐藤氏が初めて国会議員になったのが1987年だから、統一教会と自民党の深い関係は早くから始まっていたことがわかる。そして多くの国会議員が、韓国の教祖に絶対忠誠を誓う統一教会員を秘書や事務員としていわば身内に入れてしまったのだ。きわめて危険なズブズブの腐れ縁である。そして、この問題を高市内閣は完全に無視しようとしている。

朝日新聞のインタビュー「理想に燃えて 元国会議員・佐藤謙一郎さん」(16日朝刊)という記事が実に興味深かったので紹介したい。
父親と同じ清話会(後の安倍派)に入った佐藤氏。当時の領袖は安倍晋太郎氏だった。新人議員の勉強会で三つのことを教わったという。冒頭の統一教会に頼ることのほかに「出席した会合に有名人が来ていたら、体を寄せて秘書に写真を撮らせなさい」そして「届いたお中元やお歳暮は、中身を確認したら包み直して選挙民に配りなさい」だった。その講師は、「後に首相になった有力政治家」だったそうだ。きっと森喜朗氏だろうと推測する。
公のために、と高い理想を持って国会議員の活動をしようと思っていた佐藤氏は、とんでもない話だと部屋を飛び出したという。
当選2回のとき、小泉純一郎氏から、お前のような青臭いやつは国対でもまれてこいと、国会対策副委員長に就いた。そこで佐藤氏は日本政治の「裏」を見たという。
「野党の社会党とは鋭く対立しているように国民に見せかけて、実は仲良くがっちり握っている。各省庁からは毎晩のように料亭で接待されました。『今度の国会には○○法案を出します。うちのエースの○○課長が担当ですからよしなに』『地元の陳情は全部引き受けますから何なりと』。そんなことを一年もこなすと、次は好きなポストを得ることができる。自民党は機会平等。当選回数に応じたルートが確立していたんです」
まるで漫画の政界裏話みたいなことが実態だと当事者がいう。いやはや。
そこで佐藤氏は「政官財がもたれあい、政治腐敗の温床になっている。これを何としても壊さねばならず、小選挙区制はダイナマイトとして使える」と思った。
91年、自民党の当選1~3回議員が『政治改革を実現する若手議員の会』を結成し、佐藤氏が事務局長、石破茂氏が代表世話人になった。金がかかる政治を変えようと衆院の中選挙区を廃止し小選挙区比例代表制を導入せよと活動した。
しかし選挙制度を変えても政治が良くなっていない。佐藤氏は改革が中途半端だったという。
「国民ひとりあたり年250円を原資とする総額300億円以上の政党交付金制度は本来、企業・団体献金の廃止とセットだったはずです。なのに高市早苗首相は国会で『廃止とセットだったとの約束があったとは認識していない』。開いた口がふさがりません。結局、政治改革は『政争の具』に使われてしまったんです」
佐藤氏は自民党を離党し、新党さきがけに参加するが自民、社会両党と連立を組むのは筋が通らないと離党。その後入った旧民主党も根っこは自民党と大きく変わらないことに幻滅し、民主党政権誕生を前に、60歳で政界を引退した。
佐藤氏は今の自民党を厳しく批判すると同時に、自分にも反省の目を向ける。
安倍第二次政権で「自分に従わない、気に入らない政治家や官僚は排除し、干し上げる。結果、自分の頭でものを考えないイエスマンや『安倍チルドレン』ばかりになってしまった。小選挙区制によって、公認権を握る総裁の力が絶大になってしまった。そうなることを予測できなかった僕は不覚でした」
そして、今の政治のあり方をこう語っている。
「僕は『敗者』であり続けました。たぶん石破さんも。政権交代が『失敗』に終った民主党の議員も。『敗者』は往々にして、情熱的に理想を語ったり、大きな社会構想を示したりすることをためらうというか、足がすくんでなかなか思うように動けなくなる。その間隙をついて、デマでも差別でも手段を選ばない扇動政治家が『勝者』になっている。日本政治は泥沼にはまり込んでいるのでは」
このインタビュー記事は、12月16日(火)の大竹まことゴールデンラジオ(文化放送)でも詳しく紹介された。https://news.livedoor.com/article/detail/30213967/
アメリカを筆頭にポピュリズムの嵐が吹き荒れ、自民党内からリベラリズムの最後の残り火が消え、扇動政治家が跋扈しているようにも見える今、佐藤氏の言葉には深く頷かされるものがある。