フィリピン今昔紀行―ジャパゆきさんを歌った歌手

takase222007-10-12

マニラ市エルミタ地区には「マビニ通り」というネオン街があって、私がいた80年代後半にはゴーゴーバーや日本人クラブが集中していた。当時、「マビニ通り」はバンコクの「パッポン通り」と並んで東南アジアを代表する歓楽街であった。
90年ごろエルミタから風俗産業を一掃する「浄化」作戦があってマビニは廃れ、その後風俗営業が解禁になったが、まだ当時のにぎやかさには到底及ばない。
泊まっているエルミタのホテルから、夕食のため外に出たら、すぐに何人もから「オンナ」「大麻」と声をかけられた。中には100メートルもずっとついてくるポン引きもいる。通りは暗く、暗がりからたくさんの目に見られている感じがする。歩道にはたくさんの人がたむろし、私が歩く足元にホームレスが何人も寝転がっている。治安が悪そうだなと感じて歩道はやめて車道を歩く。
子どもが3〜4人、金をねだって近づいてきた。手を出して体に触ってくる。彼らは物乞いというよりはかっぱらいで、このままだと、右左から子どもに迫られ、いつのまにかポケットに手を突っ込まれるという展開になるに違いない。危険を感じて手を振り払い、走って逃げた。
昔、数え切れないほどエルミタの夜を歩いて、こんなに危険を感じたことはない。職がなく、食い詰めた人が増えているのではないだろうか。レストランはそれほど遠くではなかったのだが、大事をとって帰りはタクシーに乗った。
泊った中級ホテルのそばに「ホビットハウス」を見つけて驚いた。有名なライブハウスで私はよく通ったものだが、当時は別の場所にあった。地上げで追い出され、移転してきたという。フレディ・アギラの出演日を聞くと、週に一回で、ちょうどきょう金曜日の夜だという。懐かしくて行ってみた。
フレディ・アギラは、日本では彼の「アナック(息子よ)」を加藤登紀子が歌って知られるようになった、フィリピンを代表するミュージシャンの一人だ。マルコス時代から反体制的な姿勢で知られ、貧しい虐げられた人の立場で歌ってきた。日本の反体制フォークなどとは違い、テレビやラジオにも出るメジャーな存在だ。麻薬使用などのスキャンダルもあって何かと話題になる人である。
彼については、以下のホームページに紹介がある。http://park.org/Japan/128KTTH/tky111/j_view_6.htm
(写真はフレディ・アギラ(C)KUMUSTA-MAGAZINEより)
私は彼の「マグダレーナ」という歌が好きだった。聖書のマグダラのマリアをモチーフにしており、売春をしているたくさんのフィリピン女性に捧げた歌である。当時「ジャパゆき」さんが、こちらフィリピンでも社会問題になっていて、そのテーマソングのようになった。フレディもそれを意識して作ったに違いない。キリストの最期と復活に立ち会い、深い信頼を受けたマグダラのマリアのように、身は汚れても、心はあくまで美しいのだと。
彼の歌は旋律が美しく覚えやすい。他のアジア諸国の歌謡曲に比べて、日本人は親しみを感じると思う。「ジャパゆき」さんの番組の最後にこの歌を流し、彼女たちの姿をフラッシュバックしたりすると、感動的なエンディングになる。
ホビットハウスの「ホビット」とは小人という意味で、「世界で唯一、ホビットが経営し、ホビットが給仕するライブハウス」というのがこの店の触れ込みである。身長100センチほどの男女がビールや料理を持って店内をちょこちょこと歩き回っている。日本でこんな店を開いたら「差別だ」と非難されるだろうか。
今夜はフレディ目当ての外人客でいっぱいだ。
フレディが現れた。つば付きの帽子、背中までの長い髪、白いスーツの痩せた体型も当時のままだ。マイクの前で、ギターの弦を調整しながら、フィリピンの通貨ペソが高くなった話を始めた。
「ペソが高いね。1ドル55ペソだったのが、今は44ペソだってさ。いいことなんだろうね。でも、貧乏人は増えているよ。どうしてペソが上がるのか、不思議だねえ」。
一曲目は「マグダレーナ」。続いて「アナック」。そして、86年の2月革命の主題歌となった「バヤンコ」(わが祖国)と歌っていく。歌の節目に、感極まったように天井を仰ぐしぐさも昔のままだった。