「ビルマ軍政と日本」集会その2

takase222007-10-31

いま多くのビルマ人の心に刻まれている二人の日本人の名前があるという。
一人は長井健司さんで、もう一人が山口洋一氏だ。山口氏が先週のサンプロに出たことは21日の日記に紹介したが、95年から3年間、日本のミャンマー大使を務めた人物だ。週刊新潮に載った彼の記事が、ビルマの国営紙に転載されている。「外国人も軍政を評価しているんですよ」という例証に使われたわけだ。
朝日新聞によれば;
ミャンマービルマ)の国営紙は22日、「国際社会はミャンマーに余計な口出しをせず、援助や貿易、投資、技術移転などで側面的な支援を行うべき」だなどとする山口洋一・元ミャンマー大使が書いた記事を翻訳し、転載した。
 記事は10月11日付の日本の週刊誌に掲載されたもので、3紙ある国営紙のうち英語版を除く2紙に記事全文が掲載された。軍政の民主化努力を肯定する国際社会の声として国民に示された形。
 記事では、一連のデモについて「軍政が一般市民や外国人ジャーナリストに無差別に発砲を命じることはありえず、不幸な偶然が重なった結果」「デモを行っているのは一般市民ではなく無頼漢や与太者、失業者」「ミャンマーの一般国民は現状を(中略)容認している」などとする山口氏の見方を伝えている。》
集会で山本宗輔さんが、「これはビルマ人への侮辱であり、日本人にとっては恥です」と言ったがその通りだ。
こういう大使がいるのだから、日本外交がいかにひどいかがわかる。21日の日記で、山口氏の立場と日本政府のそれとは違うと書いたが、ここに訂正する。今回の事件まで日本政府はビルマ軍政にきちんとした批判を行ってこなかった。政府は長井さんが殺されてから多少批判めいたことを言っているが、大きく見れば山口氏との差は程度問題だ。
主催の「ビルマ市民フォーラム」から永井浩さんが挨拶した。日本は、現首相の父親、福田赳夫氏が提唱した「福田ドクトリン」という立派な原則を持っている。これを発展させようと訴えた。なるほど「福田ドクトリン」というのは日本がアジアに向けて発した民主国家宣言と言ってもよい原則だ。これをリバイバルさせるというのは説得力があった。ちなみに永井さんには、80年代前半、毎日新聞バンコク特派員時代に私も現地に滞在しており、お世話になった。20年以上もご無沙汰していたが、こんなところでご挨拶できてうれしかった。
(写真は、1988年の民主化闘争の後に捕まったポンミントゥンさんが、軍に拷問される様子を再現している。ずっと爪先立ちしていなくてはならない)