報道と誤解―「どっこいしょ」2

takase222007-10-26

事故機の機長が発した奇妙な掛け声。あれはいったい何だったのか。
「山形東高同窓会報」の59号(今年3月23日付)に渡邉季子さんという方が、「『山東松木あり』永遠に語り継がれる熱血教師」というエッセイを寄せている。渡邉さんは去年から母校で教鞭を取っている方で、「松木」とはわが高校で伝説として語り継がれる英語のスパルタ教師、松木清先生である。
(写真は授業中の松木清先生―同窓会報より)

《先生の授業は、すでに足音から始まっていた。(略)暗くて長い廊下に、カツカツと先生の足音が響く。
「きた、きた、きた。」私たちは一斉にささやき合い、それは緊張のさざなみとなって教室に広がった。しかし次の瞬間、教室はしんと静まり返り、息を詰めてその時を待つのだった。
 がらりと戸が開く。「でありますから、でありますから。」先生の第一声は独特だった。「でありますから」は接続詞のはずだが、何がどうつながるかわからぬまま、私たちは夢中で机に這いつくばり、低い姿勢から亀のように顔だけきっと上げて、ノートをとる構えをとる。するとその時、頭上で、
「どっこいしょ」
と先生の怒声が炸裂する。生徒の方をじいっと見据えた半身の姿勢で、教壇をどんと踏み鳴らす。建築現場で地固めをする時に、重い槌を引き落とすヨイトマケそっくりだ。そうやって気合を入れて踏み固めた教壇に、先生はすっくと立つ。教壇は神聖な土俵であり、「どっこいしょ」はまるで土俵入りの儀式だった。(略)
昭和四十年代、航空機事故が起こり、多数の死者を出す大惨事となった。たび重なる事故に、世間は厳しかった。ボイスレコーダーには、離陸時の機長の声が残されていた。その「どっこいしょ」という言葉の軽さに、非難の火がついた。機長は先生の教え子であった。たちまち、同窓生から機長擁護の声があがった。
「どっこいしょ」は、先生と私たち教え子を結ぶ特別な言葉だ。授業で開口一番に先生が発するこの言葉が、私たちにとって軽いはずがない。それどころか、気持ちを引き締める効果絶大なる言葉。たった一言であの緊張感が蘇る言霊を持った言葉なのだ。(略)
離陸時にはいつも、機長は安全を願い気合を入れて、この言葉を発していたに違いない。

機長が「どっこいしょ」という言葉を発したのは、「職務怠慢」どころか、むしろ気合を入れて職務に励んだ証拠だというのだ。そのことを渡邉さんは、師弟愛あふれる文章に書き記している。
この誤解により、機長の家族までが激しい非難にさらされたという。こうした誤解は、速報の段階では避けがたい。そして世間の関心は次々と新たな話題へと移り、はじめの誤解はしばしば正されないままに人々の記憶に残っていく。事件からしばらく時間が経ってから真相を掘り起こす検証報道の重要性がここにもある。
「どっこいしょ」にはこれで決着がついた。そう思っていたら、実はそれは、松木先生に由来するものではないとの別の情報があることを知った。
(続く)