10億年前の地球の生命に起きたこと

 きょうは、2020年(令和2年)2月22日。私の誕生日だ。
 67歳になった。ここまで生きてこられたことはありがたい。すべてのことに感謝!
 これからゆっくりしたいなと思う一方で、残された長くない時間を走りきりたいという焦る気持ちが同時にわいてくる。しかし、この二つは矛盾しないのかもしれない。今が考えどきか。

 きょうは「玉川上水 46億年を歩く」のプレウォークに参加してきた。
 これは玉川上水の自然を守る活動をしているアーティストのリー智子さんが立ちあげたプロジェクトだ。以下、ウエブサイトより―
 《今年の夏に開催される東京ビエンナーレ2020に「玉川上水 46億年を歩く」というアートプロジェクトとして参加することになりました。これは玉川上水の全流域、羽村から江戸城までの46kmを地球の歴史46億年と見立て、一日かけて歩くプロジェクトです。》https://tamagawajosui46.jimdosite.com/

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10時、三鷹駅前の梅の木の前で集合

 《私たち人間の感覚では、「億」という単位は感じにくいものです。この果てしない営みと変化を感じるために、きっかけとなる体験が必要だと考えました。そこで私たちが挑戦するのが、「地球史46億年=46kmとして時間を距離に変換する」という試みです。玉川上水の起点となる羽村取水堰から四谷大木戸までの43km、そこに江戸城までの3kmを足すと、なんとちょうど46kmになります。
 ヒトの歴史は20万年ですが、ゴールからどのくらい手前と換算されるでしょうか?更に、社会構造が急激に変化した産業革命は300年前なので……驚きの結果となります。46kmという距離を生き物の歴史と照らし合わせることで、生物100万種が絶滅してゆくスピードをインパクトをもって体験することにもなります。
 4月25日「玉川上水46億年を歩く」の当日は、玉川上水に架かるたくさんの橋を年代の目盛りとしながら、年表マップを手に46kmを1日かけて歩きます。ゴール手前にはヒトの歴史を表すアート作品を設置して、ヒト出現からの地球環境の変化も体感できるようにする予定です。》

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このあたりで太宰治の遺体があがったという。当時はもっと流れが速かった

 そのプレウォークとして46キロを5分割してきょうはその4回目、三鷹駅から笹塚駅までのおよそ12キロを歩いた。
 陽射しが暖かく、都心に向かって景色がどんどん変わっていくのを楽しんだ。

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自作の弁当で昼ごはん

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遠くからでも目立つミモザ

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ボケの花

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ロウバイが陽に映えて美しい

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都心に近付くと暗渠が多くなるが、住民が暗渠化に反対して運動したところはこんな風景が見られる。(渋谷区笹塚)

 きょう歩く区間は、地球史でいえば今からざっと10億年前くらいの時期にあたる。
 私は「サングラハ教育・心理研究所」(https://www.smgrh.gr.jp/)で、宇宙138億年史を勉強している。そのことを主催者のリーさんに言ったら、私がみんなに説明することになった。参加者25~26人の前でこんな話をした。

 この時期より前の20億年前ごろに起きた、進化を劇的に促進した一つの重要な出来事がある。性が分化した生命体が現れたことだ。
 それまで自己増殖していた生物が、オスとメスに分かれ、つながりあうことで命をつなぐ。すると、互いの遺伝情報の組み合わせのバリエーションが一気に増え、生命は爆発的に多様で複雑な進化をとげるようになった。
 その進化の結果、1生命は大きく菌類などの微生物と植物と動物の三つに分化する。植物が光合成で自ら栄養を作り、それを動物が摂取し、動物が死ねば微生物が分解するという一つのエコシステムを形成した。
 一つだった生命は分化したが、それはバラバラになったのではなく、多様でもっと良い「一つ」のシステムになっていった。
 そう考えると、この世に男と女が存在することは、地球の歴史からみてすばらしいことではないか・・・

 

 以上は、サングラハで教わったことの受け売りで、私のオリジナルではないのだが、参加した皆さんにはおもしろいと言ってもらった。
 次のプレウォークは3月 7日(土)で、笹塚駅から皇居までの9.2キロを歩く。地球史では、いよいよ生命が陸地に上陸して、大進化を迎えることになる。関心ある方はどうぞ。

 きょうは歩き終わった午後3時ごろ、突風が吹いたが、あれが春一番だったらしい。いよいよ春である。

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歩き終って餃子の王将でビールで乾杯。誕生日を祝っていただきました

 

健康保険でPCR検査を

 九段下に用事があったついでに北の丸公園へ。
 清水門展望広場のマンサクが満開だった。和名「シナマンサク」。マンサクにもいくつか種類があるらしい。数少ない寒咲きの花木である。

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 新型肺炎。ついに日本で3人目の死者が出た。
 きのうの段階で、日本の患者数は増え続けて705人。このうち、37000人が乗船していたダイヤモンド・プリンセス号で19日までにのべ3011人が検査を受けて621人の感染が確認されている。
 中国本土の7万4185人以外は、中国との人の行き来がさかんな香港が63人、韓国が51人、台湾24人、タイ35人だから、日本は中国本土以外では感染がもっとも拡大している国ということになる。中国では初動こそ政治的な理由でつまづいたが、4億人を「封鎖」するなど他国では真似できない手法で、湖北省以外のほぼ全土で感染者の増加数が減少に転じた。
 日本はこれから感染が拡大する気配だ。
 中国からは「接触感染」、「飛沫感染」のほかに「エアロゾル感染」の可能性が指摘された。飛沫ならくしゃみなどで2m程度の範囲に飛び散りすぐに地面に落ちるが、もっと小さな粒のエアロゾル状だと空気中に漂う範囲が広く、時間も長い。満員電車などの密閉空間は危険ということになる。

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 クルーズ船をのぞく70人の国内感染者のうち感染源が不明な人が33人。これが増えている。どこで感染しても不思議ではないという段階に入ったと見られる。
 新型肺炎は、病気としては致死率からいえば「インフルエンザより少し怖い」程度だが、ワクチン、治療薬がないうえ、日本では検査してもらいたい人が検査できないというおかしな事態になっている。

 また、これから感染が拡大すると医療体制がパンクするのは確実だ。

 テレ朝のモーニングショーが連日新型肺炎の特集を放送している。
 テレビ、ラジオなどの放送がもっとも存在意義を発揮できるのは、地震、台風、大事故などの災害報道だから本来あるべき姿だ。
 3.11のとき、テレビでアナウンサーが「ぜったいに海岸には近づかないでください」と繰り返し真剣な顔で言い続けたことが、数えきれない人の命を救ったのである。
 いま、情報が錯綜し、政府の対策も不信の目で見られているなか、放送でしっかり情報を伝えることはパニックを防ぐためにも必要である。

 今朝のモーニングショーでは「感染爆発にどう備えればいいのか」の第2弾を特集し、具体的な提言をしていた。全面的に賛成できる提言だったので、紹介したい。

 まず、いまの日本の検査体制はきわめて理不尽で不十分だ。
 上(かみ)昌広医師(医療ガバナンス研究所理事長)は、政府は認めないが「かなり流行していると思っている」という。「外来をやっているとよくわからない風邪の患者さんを散見する」からだ。
 問題は、厚労省が作った基準を満たした人でないと検査できないという、とんでもシステムになっているという点だ。
 上医師は、民間企業による検査を促進し、PCR検査をどこでもできるようにすべきだという。

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上医師

 大手製薬会社は、すでに国内用に数万検体分の検査薬を確保していることが分かっている。
 しかし、一日最大3830件しか検査できないと17日に発表されている。民間の検査会社はキャパシティはあるのに、クリニックからの検査の注文を受けない。
 国内大手の臨床検査会社では、国からの(新型コロナウイルスの)PCR検査を受託しはじめたが、民間の医療機関からの検体は受け付けていない。
 これはなぜなのか?
 自分たちの基準を満たしたものだけ検査する、かつ検査会社は民間のクリニックから注文を受けてはならないというのは、感染者数を隠蔽していると思われても仕方ない。

 上医師も「理解に苦しむ。むしろパニックを誘発することにもなりかねない」という。
 検査体制をクリニックでもできるようにするためには、PCR検査を健康保険に入れるのが一番いい。そうすれはどこのクリニックも検査会社にオーダーできるようになる。

 保険適用すれば、不安解消にもなるし、研究も進む。

 そのための国からの出費は、仮に検査費が1人1万円として100万人受けても100億円。これで保険財政はびくともしない。医療費全体(42兆6000億円)からすればわずかである。このお金は今年の流行だけで100億円で、来年も再来年もすっと積んでいくわけではない。1回こっきりの100億円の可能性がきわめて高い。
 政府は14日、緊急対策のために153億円の予算を投入することを決めたが、それを検査の医療費に回す検討をすべきだ。

 さらに今後の対策として中国から学ぶこともあると上医師。
 武漢市では10日間で1000床の病院を建設した。症状の重い患者、がん患者や心臓病の患者にうつさないために別の病院に入れたのである。医療設備を建てたことよりも、感染症だから、患者を分けたことに意味がある。


 いま日本の地方には稼働していない病床がたくさんある。去年10月の経済財政諮問会議では、官民合わせて13万床が余っているという。それを利用して隔離病棟をつくる方法もある。
 また、中国では、空いているビルやマンションを政府が借り上げて簡易病院にしているようだ。重症化した人は別だが、病気を他人にうつさないためにはこういうことも考えなければいけない。

 今後、感染拡大で大きな負荷がかかってくると見込まれる。
 毎年インフルエンザで1万人くらい亡くなる。今回は死亡率がより高いので、かりに2~3万人亡くなるとすると、その10倍くらいが「重症」になる。1シーズンで20万人くらいの重症の患者さんが出るとする。
 重症でも自宅でケアできる人もいれば、感染を注意して一般病棟の個室でケアする人もいて、どういうコンビネーションにするかは国が一律に決めたらいけない。
 地域ごとのリソースを使って病院長や地元の医師が連携しながら考えていかなければならない。
 国が全部を決めるのではなく、地域ごとの窮状を聞いて国がサポートする。医者や看護師を急に増やすのは無理なので、実情に合わせた規制緩和も必要になろう。最前線は医療現場になる。国の役割は指示ではなく、ロジスティックス(後方支援)になる。
 重症者が万の単位で出るというのは未経験の事態。地域ごとに対応するしかない。
 2011年の東日本大震災では津波で多くの重傷者が出た。地域では当初の予想と全然違ったことが起きていた。地域をもっともよく知る区長さんや地元の病院長が動いた。
 上医師は当時、仮設住宅などを訪れて被災者の診断に当たった経験があり、ほんとうに地域を知っている人が必要だという。

 一度に何千人もの患者が急に発生して、通常ならパンクだが、そこを乗り越えてきた。
 医療現場は国があって県があって基礎自治体というピラミッドにはなっていない。現場は足りない時は、足りないなりの管理をする。ピラミッドではなくネットワークだ。
 目の前の患者さんをどう助けるかだけでみんなでサポートする。

 

 まとめとして、自治体主体の医療体制」と「民間企業による検査体制の拡充」が番組で提言された。

 

 番組が宮城県のある民間のウイルス検査会社に聞くと、そこでは1日最大200件程度のPCR検査が可能だという。
 2012年1月時点で民間の臨床検査会社は678社ある。単純に各社200件として1日13万件以上になる。民間は万の単位で検査ができると推定できる。

 民間は技術が低いのではという誤解があるが、民間検査会社の担当者は以下のように答えたという。
・国立の研究所と同じような機械を使い同じような精度・速さで検査できると思う。
・国立の研究所と比べてレベルが低いとは思わない。
・大学や研究所で勉強したスタッフがいる。
・民間は他社との競争の中でやっているので、クオリティを保たないと倒産する。

 

 民間の企業にキャパはあるのに、それを使っていない。
 これから感染者が増えていくと、コールセンターに電話などせずにかかりつけの医者やクリニックに殺到するのが目に見えている。
 提言のようにPCR検査をどのクリニックもできるようにし、同時に今から地域で今後の医療体制の分担を決めるなどすぐに手を打ってほしい。

新型肺炎対策に後手後手の安部内閣

 きのう昼、たまたまテレビをつけたら「中江有里のブックレビュー」だった。中江有里さんは才色兼備で、いつも見とれ、コメントになるほど!と感心する。
 どうやって本を探すのか、との質問に、

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 本との出会いは、人との出会いと同じ。こういう人に会いたいなと思っていると、出会いがあるように、本が向こうから目に飛び込んでくる。
 また、この本が読みたいと思ったとき、なぜそう思うのかと自分のことを考える。それが大事ではないか・・・・

 

 正確ではないが、そんな意味のことを語っていた。こういうことを、さらりと言えるのがすごい。
 本が読みたくなってくる。
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 新型コロナウイルスの日本での感染拡大が止まらない。
 政府のこれまでの対策については、後手後手に回ったと言わざるをえない。15,16日の世論調査でも、政府の対応に「評価しない」と答えたのが50%で、「評価する」が34%だった(朝日新聞調査)。
 地方自治体で対応が違ったり、中国帰りで熱がある人でも「湖北省縛り」で検査ができないなど、不可解でちぐはぐな規制があり、混乱を印象づけた。

 
 友人が「これがもし民主党政権だったら、3.11のときのようにさんざん叩かれたんだろうな」という。
 今回の事態もある程度、政府があたふたしても仕方ないとは思う。しかし、人の動きが以前とは比較できないほどグローバルになっている今日、感染症への対応は国家戦略として確立しておくべきだと思う。
 韓国には、米国のCDC(疾病管理予防センター)にあたる疾病管理本部(KCDC)という感染症行政を一元的にコントロールする専門時間があり、そこが担当している。こうした機関は日本でも必要だろう。

 
 ただし、今、安倍首相以下、内閣がどれほど真剣に取り組んでいるのかが見えてこない。
 2月14日、日本国内で初めての死者がでた翌日というのに、首相は新型コロナ対策会議はわずか8分で済ませて、3時間の宴会をやってそのまま帰宅したことがツイッターで非難されていた。

首相動静(2月14日)(時事通信
 午前7時31分、東京・富ケ谷の私邸発。
 午前7時41分、官邸着。(略)
 午後4時37分から同5時15分まで、国家安全保障会議高市早苗総務相萩生田光一文部科学相梶山弘志経済産業相竹本直一科学技術担当相同席。同26分から同34分まで、新型コロナウイルス感染症対策本部
 午後6時32分、官邸発。
 午後6時39分、東京・内幸町の帝国ホテル着。同ホテル内の宴会場「桃の間」で日本経済新聞社の喜多恒雄会長、岡田直敏社長らと会食
 午後9時27分、同ホテル発。
 午後9時44分、私邸着。

 たしかに対策本部にいたのは8分だ。

 そもそも政治家よりも、まずは専門家の知見を最大に使うべきだろうに、「専門家会議」の開催を決めたのが、なんと2月14日になってからという遅さだ。
https://www.cas.go.jp/jp/influenza/senmonka_konkyo.pdf

 さらにきょう、小泉環境相、森法務省、萩生田文科相が16日の対策本部の会議を欠席して私的な会合に出ていたことが発覚。

 不要不急の外出や人混みを控えましょうと呼びかけておいて、閣僚自らが後援会の新年会を優先して、一緒に酒飲んでるとは。

 政府はまじめにやっているのか。

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「危機管理上は問題ない」と聞かれてもいないことを答えるのは安部首相の答弁スタイルが伝染しているのか

 ちなみに16日の首相動静は;
 午後2時53分、官邸着。
 午後3時から同21分まで、加藤勝信厚生労働相菅義偉官房長官西村明宏岡田直樹杉田和博官房副長官、沖田芳樹内閣危機管理監、北村滋国家安全保障局長、古谷一之官房副長官補、長谷川栄一、今井尚哉両首相補佐官、佐々木聖子出入国在留管理庁長官、秋葉剛男外務事務次官、鈴木康裕厚労省医務技監。同4時3分から同14分まで、新型コロナウイルス感染症対策本部。
 午後5時1分から同4分まで、新型コロナウイルス感染症専門家会議
 午後5時24分、官邸発。
 午後5時38分、私邸着。

 首相は対策本部の会議に11分、「専門家会議」に3分出ている。いくら会議は短時間で効率的にやりましょうと言っても、これでいったいどんな議論をしているのか?

 いま新型肺炎の拡大は正念場に差し掛かっている。今後、重症者が増えて日本の医療態勢がパンクする可能性がある。
 専門家の意見とこれまでの教訓を十分に生かして、実践的かつ実効的な対策を立ててほしい。

みかんを作る周防大島の出版人

 19日から節気は「雨水」(うすい)。雪が雨に変り、雪が解けだす時期だ。
 初候、19日から23日が「土脉潤起」(つちのしょう、うるおいおこる)。次候「霞始靆」(かすみ、はじめてたなびく)が24日から28日まで。末候「草木萠動」(そうもく、めばえいずる)。新芽が出てきて、少しづつ若い緑を目にするようになる。

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 まんさくの花が咲いていた。まんさくの名前の由来は不明だそうだ。春早く「まず咲く」から来たとも。昔の人は、よく花が咲くと豊作になると、稲の作柄を占ったという。
・・・・・・・・・
 毎日ミカンを食べている。

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 民俗学者宮本常一の故郷の山口県周防大島から通販で取り寄せた晩生温州みかんで、とても味が濃く、おいしい。
 作っているのは宮本常一の作品を数多く出版する「みずのわ出版」代表の柳原一徳さんで、《荒廃農地の増加により病害虫の多発する実情に鑑みてミカンの無農薬栽培は限りなく不可能に近いのですが、小社では可能なかぎりの減農薬栽培を追求して》いるそうだ。http://mizunowa.com/

 みずのわ出版が出す本は、とても採算に合わないだろうと思うようなラインナップ。  実際、6年前の2014年、「限りなく閉店に近い経営縮小のお知らせ」を出していた。

《・・古典として残すべき人文社会書しか作らんと言い出した日には、このご時世、もはや首都圏に本拠地を置く版元でなければやっていけません。何を出しても売れない。売ってくれる書店が次々と消えていく。気がつけば、地方小扱いではジュンク堂しか残っていない。たまに都会に仕事に出ると、電車もバスも、何処もかしこも、スマホいぢってる人ばっかりで、本を読んでる人が殆どいない。商売柄Facebookは「やらない」よりは「やっておいた」ほうがよいので、ウチのペイジも作ってはいますが、本の実売には全くつながっていない。ネットに依拠する人の生理は、読書人とはまったくの別ものです。ここまで、日本人は本を読まなくなってしまった。推敲に推敲を重ねた書籍を読む力を維持し続けなければ馬鹿になりまっせというても届かない。もう無理とみました。本を出せば出すほど印刷所に迷惑をかける。家族には、それ以上に迷惑をかける。そうしてまで続けるわけにはいきません。
 閉店といっても出版業から完全に撤退するわけではなく、瀬戸内海、宮本常一という、断じて譲るわけにはいかない2つの柱に絞って、予算が確保できたときに限って新刊制作発行を継続していく考えです。・・》

 しかし、その2年後2016年、出版事業継続の宣言を出す。
《過日、出版界の良心とされてきた某版元と業務上の交渉をした折、あまりの堕落ぶりと志の低さに怒りを通り越して呆れ果て、こんな奴らに任せてはおけぬと思い直しました・・》(以前、ブログで紹介した https://takase.hatenablog.jp/entry/20170307

 もう意地でも出版を続けるという。こうした地方の志の高い出版社には頭が下がる。
 例えば、福岡県の「石風(せきふう)社」は中村哲先生の御用達で、『医者、用水路を拓く』はじめ中村さんの関連本10冊を出している。代表の福元満治さんはペシャワール会の事務局長を務め、自身、『石牟礼道子の世界』などの著作がある。
 また、私も何冊か買っている弦(げん)書房。同じ福岡の出版社で、石牟礼道子渡辺京二などの著作を精力的に出版してきた。いい本が多い。

 良きものが淘汰されていくご時世にあって、よくがんばっていると感心する。何とか続けていってほしいものだ。

有本恵子さん拉致の全貌 6

 2002年9月17日、小泉純一郎首相が訪朝した。拉致問題が進展を見せることが確実視され、被害者家族は大きな期待を寄せた。
 小泉首相は、金正日国防委員長と「日朝平壌宣言」に署名した。このとき金正日は、これまで一切認めなかった拉致を一転、“特殊機関の一部が妄動主義・英雄主義に走って”行ったとして認め、謝罪した。

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 だが、首相一行が持ち帰ったのは、拉致被害者5人が生存し、11人が死亡または「不明」という残酷な結果だった。有本恵子さんとその夫とされた石岡亨さん、そして北朝鮮で生まれた子どもも死亡したとされた。
 これは北朝鮮側が言っただけで未確認情報であったにもかかわらず、政府は確認された「事実」として家族たちに通知していたことが後に分かった。
 

 「死亡」とされた家族たちの悲嘆は大きかった。
 有本さん夫妻は、同じく「死亡」とされた横田めぐみさんの両親ともども、記者会見で悲痛な思いをコメントした。あの時は、取材していた私を含む多くの記者たちもみな「死亡」は「事実」と信じ、涙を流していた。

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 有本嘉代子さんは『恵子は必ず生きています』にこう書いている。
《「有本さんは亡くなっていました」
 福田官房長官から、あまりに短い、断定的な報告を受けた後、東京のホテルでは本当に一睡もできませんでした。恵子の死に際のことを考えたくないのに、想像してしまう。「見せしめの死」という言葉が、頭を離れませんでした。》(P131-132)

 国民から憤激の声があがり、政府は外務省の調査団を9月28日に派遣、北朝鮮からの説明を受けた。北朝鮮側が伝えてきた恵子さんに関する情報は―

 

有本恵子さん
朝鮮名:キム・ヒョンスク 女 1960年1月12日生

入国の経緯:
 1982年留学のため英国に出国。特殊機関メンバーの一人が接触、工作の過程で共和国に行ってみないかと言うと、一度行ってみたいと言ったことから、特殊機関が日本語教育に引き入れる目的で1983年7月15日平壌へ連れて行った。

入国後の生活:
 資本主義社会とは異なる制度の中で暮らしてみたいと言ったため、特殊機関は、彼女の意向に従い、入国後1年後から、石岡亨さんとともに特殊機関の学校で日本語を教えさせた。
 1985年12月27日、一緒に仕事をしていた石岡亨さんと本人の自由意思で結婚し、翌年娘を生んだ。娘の名はリ・ヨンファ。招待所で幸せな家庭生活を送っていた。

死亡経緯:
 1988年11月4日の夜、チャガン(慈江)道ヒチョン(熙川)市内の招待所にて寝ている途中、暖房用の石炭ガス中毒で子どもを含む家族全員が死亡。
遺骨:家族と共にヒチョン(熙川)市ピョンウォン(平院)洞に葬られたが、1995年8月17日から18日の大洪水による土砂崩れで流出。現在引き続き探しているものの発見に至っていない。

 死亡が1988年11月4日となっている。石岡亨さんが密かに書いた手紙が札幌の実家に届いたのが同年の9月6日。嘉代子さんは、石岡さんが禁を破って、外部と通信したために殺されたのかとはじめは思ったという。
 しかし、届けられた「死亡確認書」は、恵子さんの生年月日を石岡亨さんのものと取り違えて記入してあるなど、いい加減なもので、北朝鮮は後に、書類は捏造したものであったことを認めたのだった。

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死亡確認書

 さらに石岡さんと一緒に拉致された松木薫さんのものとされる遺骨を調査団は持ち帰ったが、その骨を鑑定した日本の専門家は「60歳くらいの女性の骨」との見立てを明らかにした。北朝鮮の「死亡」説明には他にも多くの矛盾点が見付かり、「死亡」の根拠はないと言わざるをえない。事実、未だに一件も死亡の証拠を北朝鮮側は示せていない。

 有本嘉代子さんが、帰国した拉致被害者から聞いた恵子さんの目撃情報が一つだけある。


 曽我ひとみさんが、ジェンキンスさんと平壌の外貨ショップ「楽園百貨店」に買い物に行った。同行したのがジェンキンスさんと同じく元米兵のパリッシュさんとレバノンから拉致されて彼と夫婦になった女性シハームさん。(写真後列右の女性)

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 二組のカップルが電化製品売り場に来たとき、ラジカセを見ている一人の女性がいた。するとシハームさんが彼女に話しかけ、親しげに英語で会話しはじめた。
 
 別れた後、ひとみさんが「あの人、誰?」とシハームさんに聞くと、「ロンドンから連れてこられた日本人だ」という。なぜ彼女を知っているのかと聞くと、シハームさんが「平壌産院」で男子を出産したとき、その女性も同じ産院で出産のため入院しており、知り合ったのだという。
 曽我さんは帰国後、有本恵子さんの写真を見て、この時のことを思い出したそうだ。シハームさんが出産したのが87年4月で、外貨ショップでの遭遇は6月だったという。
 88年の手紙に同封されていた写真の赤ちゃんは1歳前後に見えるが、この出産時期とは整合する。
 また、曽我ひとみさんによると、その女性はメガネをかけていたが、嘉代子さんによると、恵子さんは近視で、コンタクトをしていたとのことで矛盾しない。
 その女性は男性と一緒だったが、ひとみさんはその男性が石岡さんだったかどうかは分からないという。

 この目撃証言は、時期からいって北朝鮮の「88年死亡」説を覆すものではないが、娘の北朝鮮でのリアルな姿をひとみさんが話してくれて、心が和らぎ、希望をもつことができたと明弘さんは言う。

 きょう14日、被害者家族会の飯塚繁雄代表(81)や有本明弘さんらが安倍首相と面会して、拉致問題の一日も早い解決を訴えた。
 政府認定の拉致被害者の親7人が、子どもと再会を果たさぬまま亡くなってしまった。いま存命なのは91歳の明弘さんと横田滋さん(87)と早紀江さん(84)の3人だけだ。

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娘との再会を願って嘉代子さんは30年以上運動してきた

 有本嘉代子さんが逝去され、拉致問題の報道に関わった一人として、まだ解決できていないことを申し訳ないとの思いを抱く。ご冥福を祈るとともに、あらためて拉致問題の早期解決に微力を尽くしたいと思う。

緊急院内集会 「報ステ」を問う

 テレビ朝日の「報道ステーション」で大問題が起きている。
 きょう13日13時から衆院第一議員会館で緊急院内集会「『報ステ』を問う」が開かれ、参加してきた。

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 長く番組を支えてきた手練れの社外スタッフ(派遣労働者)約10人に3月末の契約終了を通知したのだ。大量の一斉雇い止めである。
 定刻に行ったのだが、会場の第一会議室が満杯で廊下まで人があふれて、関心の高さを物語っていた。東京新聞の望月記者はじめ知られた記者やジャーナリストも多く参加していた。

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 この問題の背景についてはlite-ra記事を引用する。
 《『報ステ』では前MC・古舘伊知郎の降板以降、徐々に政権批判色が薄れているが、とりわけ、2018年7月に早河洋会長の“子飼い”と言われる桐永洋氏がチーフプロデューサーに就くと、政権批判や原発報道などを極端に減らし、スポーツなどをメインに据えた“ワイドショー路線”に舵を切る。小川彩佳アナウンサーは番組から追放され、早河会長お気に入りの徳永有美アナがMCに抜擢。金曜日にいたっては安倍応援団の野村修也氏をコメンテーターに起用するなど、『報ステ』は骨抜きにされてしまった。

 ところが昨年8月、その桐永CPが女性アナウンサーやスタッフへセクハラを繰り返していたことが表沙汰になる。結果的に桐永氏はCP解任となるが、このときテレ朝が下した処分自体は、出勤を3日間停止する「謹慎」という大甘なものだった。
 このセクハラ問題の後、後任CPには鈴木大介氏が就くのだが、昨年12月、今度は番組内の「桜を見る会」問題を伝えるニュースのなかで、自民党世耕弘成参院幹事長がコメントを「印象操作」されたなどとし、Twitter上で『報ステ』を恫喝するという事件が発生。当時、本サイトでも検証したように(https://lite-ra.com/2019/12/post-5140.html)、これは明らかなイチャモンとしか言いようがない報道圧力だったが、テレ朝上層部は完全に屈服。報道局長が自民党の幹事長質を訪れて謝罪、番組放送内でも世耕氏に「お詫び」をする事態になる。
 そうしたなかで昨年12月、前述のベテラン社外スタッフたちの契約打ち切りが、テレ朝側から告知されたのだ。
 院内集会での説明によれば、12月20日の『報ステ』本番終了後の反省会で、佐々木毅・報道番組センター長が「体制刷新」を説明。今年3月いっぱいでの鈴木CPの交代と。正社員スタッフ6名を1月1日付で異動することを発表した。CPが就任わずか7カ月で替わるというのは事実上の“更迭”で、1月の社員異動も異例のことだが、さらに番組側は前述のとおり、社外のベテランスタッフ約10人との契約終了を宣告したのである。》
https://lite-ra.com/2020/02/post-5255.html

経過は以下;
2019年8月30日
 桐永洋チーフプロデューサー、セクハラ問題で解任
(処分は3日間出勤停止の「謹慎」止まり)
12月10日
 世耕弘成自民党参院幹事長が、自身の発言に関するニュース編集をめぐり報道直後からツイッターで批判
12月11日
 宮川晶報道局長が幹事長室を来訪して謝罪。「報ステ」でも謝罪。
12月16日の週
 各プロダクションに在籍スタッフの契約終了に関する通告がなされる
12月20日
 本番後の反省会で佐々木毅・報道番組センター長が「体制刷新」を説明
 ○正社員スタッフ6名を1月1日付異動
 ○20年3月末でチーフプロデューサーが交代
 ○同3月末で外部のベテランスタッフの契約終了(10~12人程度)

 テレ朝では一昨年、女性社員が取材対象の福田淳一財務事務次官からセクハラを受けていたことを上司が取り合ってくれなかったため、会話の録音データを『週刊新潮』に提供し、大きな社会問題になった。
 ここから日本でもMeToo運動やフラワーデモが始まったといってもよい大きな事件で、テレ朝は深く反省して適切に対応することを約束したはずだった。
 ところが、今度は報ステのチーフプロデューサーがセクハラをしたのに、極端に軽い処分で済ませた上、これを告発したのが社外スタッフだとして報復に出たと言われている。

 同時に、政権批判を控えるために、「根性のある」ベテランの社外スタッフを切ることで番組の「色」を変えようとしたという二重の狙いがあると見られる。

 じっさい、報ステの政権批判にからむ報道がすでに大きく減っており、テレ朝の「変質」はどんどん進んでいると危惧されている。
 これは派遣労働者の権利の問題にとどまらず、報道の自由、ひいては国民の知る権利を脅かす問題だとして、多くのメディア関係者が注視しているのだ。
 政権に都合の悪い報道をしたら自分の身分が危うくなるとなれば、誰も政権批判をしなくなる。

 「報ステ」、「朝まで生テレビ」、「サンデープロジェクト」などテレ朝の報道系番組に関わってきた朝日新聞の山田厚さんが、きょうの集会に駆けつけ、テレビ界の暗部を語っていたので紹介したい。

 《私は朝日新聞に入る前に、大阪のテレビの準キー局に就職した。そのとき番組を作っているのは「下請けさん」と言われる人たちだと知り、私がずっとテレビで報道をやりたいなら、下請けの会社に入りなおさないといけないのかなと思った。
 というのは、正社員として報道に配属されても、3~4年で人事に行ったりCMに行ったりする。正社員とは、ゼネラルマネジャー、管理職要員みたいなもので、実際には報道の現場は、きわめて献身的で、労働環境が悪く、使い捨てされるような人たちで支えられている。
 入社直後、編成という部署に仮配属されて、夜遅くまで仕事をしていた。私は入ったばかりの22~23歳のガキだったが、終ったあと、椅子を片付けようとすると、「社員さん、そういうこと、なさらないでください」と言われた。みな同じような茶色っぽい上っ張りを着ているが、袖のところにブルーの線が入っているのが正社員で、茶色の線が入っているのが下請けとはっきり分かる。
 終わった後いっしょに酒を飲んだりして給料などを聞くと、下請けで報道の仕事をやるのはつらいなと思えるような待遇だった。
 
 そのテレビ局では報道を希望したが、配属される見込みがなさそうなので辞めて、朝日新聞に入った。
 その後、テレビ朝日に出入りして番組を作ることになったが、「こういう企画でやろう」という場合、一緒に組んで仕事をするのは、管理職のチーフディレクター、プロデューサーではなく、関連会社のVIVIA(テレ朝の子会社、テレビ朝日映像)とかフリーでやっている人たち、ベテランの非常にモノゴトを知ってらっしゃる、けれど決しておもてには出ない、そういう人たちだ。
 もちろん社員は、大きな番組の流れとか、方向性とか、リスク管理とか、経費計算とか大事な仕事があるのだろうが、実際に何をどう訴えてどんな番組を作っていくのかというのは、全部下請けの方だ。
 私がある報道番組でお世話になった、優秀な女性の社外スタッフがいた。この方は一人でやっていた方だが、「山田さん、酷いのよ、結局リストラが全部私たちに回って来る。これも削られて、これも安くなって・・・それに対して抗弁する余地もなくて、ただ受け入れるしかない」という。結局、彼女は体を壊して疲れきって自死された。テレビ局に対する恨みつらみがこういう形になったのかと思った。
 このように、実際に現場でやっている人たちが使い捨てされているのが現状だ。そんななかでも、精神的には高い方がいて、好きだから何とかやりたいし、現場にいる手ごたえを感じてて喜びもあるから、みんなで励まし合いながら良い番組をつくろうと努力している。
 そういう人たちが、上層部の風向きが変わったりすると、その都合で、あの人はもういらないと取り換えられていく。人びとが「スペア」として使われると同時に、論調さえ人の入れ替えでころころ変えていくことができる。
 このシステムはほとんど知られていないし、私も中に入ってはじめて「えー、こういうことだったのか」と思った。
 きょうは「かたき討ち」みたいな形でここに来た。できるだけ多くの人たちにこういう現状を知っていただきたいと思う。》

 先に挙げたlite-ra記事はこう結んでいる。
 《いま、『報ステ』で起きている社外スタッフ切りの問題は、決して、ひとつの報道番組だけの問題ではない。こんな暴挙が見逃されれば、視聴者の知る権利はどんどん奪われ、安倍政権を礼賛する官製報道か、芸能人の不倫や一般人の炎上・ご近所トラブルのような卑近な話題しかテレビで流れなくなってしまうだろう。このままではテレビ朝日は完全に死んでしまう。次はTBSなど他の民放だ。座視している場合ではない。》

 ぜひ関心を持って「報ステ」問題を見守っていただきたいと思う。

有本恵子さん拉致の全貌 5

 有本恵子さんを北朝鮮に拉致したという、2002年3月の八尾恵証言の衝撃は大きかった。
 他ならぬ実行者本人が、偽証罪に問われかねない法廷の証人という立場で告白したのである。

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留学中の恵子さん(右)。妹さん(左)と

 その前の年、2001年には、金正男の不正入国事件(「ディズニーランドに遊びに来た」と説明)、朝銀信用組合(不正融資で次々に破綻し公的資金1兆円超がつぎ込まれた)の幹部の逮捕、朝鮮総連本部の捜索そして年末の奄美工作船沈没事件と北朝鮮がらみの騒動が続き、北朝鮮に対する世論は厳しさを増していた。

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2001年12月22日

 八尾が証言したその夜、小泉純一郎首相はこうコメントした。
 「ご家族の気持ちを思うと実にひどい事件だ。この拉致問題をいいかげんにして北朝鮮との国交正常化はありえない」。
 4月11日、衆議院が、12日は参議院がともに全会一致で「日本人拉致疑惑の早期解決を求める決議」を採択している。
 私たちが横田めぐみさんの拉致疑惑を報じ、家族会が作られてすでに5年も経っていた。今からは意外に思えるが、国会が拉致問題に関する決議を上げたのは、これが初めてだった。
 
 「(略)最近、我が国の裁判所において証言がなされ、疑惑の詳細が明らかになりつつある。我々は、最愛の子や親・兄弟の消息を求めるご家族の方々の悲痛な叫びに、今あらためて心耳を傾け、この疑惑解決に真剣に取り組まなければならない。(略)
 拉致疑惑は、国家主権ならびに基本的人権・人道にも関わる極めて重大な問題である。(略)政府は、我が国と北朝鮮との国交正常化に向けた話し合いの中で、国民の生命・財産を守ることが国家としての基本的な義務であることに思いを致し、毅然たる態度により拉致疑惑の早期解決に取り組むべきである」(衆議院

 拉致問題の解決なくして日朝関係の正常化なし、という「毅然たる態度」で北朝鮮にのぞむ立場が、ここで確立したのである。
 その意味で、八尾証言は大きな画期となった。
・・・・・・・・・・・
 北朝鮮工作員にして「よど号」グループの指導員、キム・ユーチョルとコペンハーゲンから平壌に向かった有本恵子さんは、その後どうなったのか。

 これまで書いてきたように、恵子さんは、拉致された経緯ははっきりと判明している。しかし、北朝鮮に入ってからの消息はほとんど分かっていない。

 八尾は恵子さんとはコペンハーゲンの空港で別れたきり、北朝鮮では一度も会っていないという。彼女が知り得たのは、よど号グループから聞いたごく断片的な情報だった。以下は『謝罪します』より。

 《有本恵子さんは北朝鮮に来てから招待所に入れられ、水谷協子さん(注:よど号犯、田中義三の妻)が教育係としてそこに行っていました。
 有本さんは、しばらくして森さんがスペインから連れて帰った二人の男性達と会わせられ一緒に住むことになりました。田宮は、有本さんを男性のどちらかと“結婚”させようと思っていましたが思惑通りにはいかなかったようです。
「うまくいかへんのや」と彼はぼやいていました。
「三人で楽しくやっているみたいやぜ」と田宮は言いました。有本さんは、二人とは仲良しになったのですが、どちらかを選ぶことができないということのようでした。組織のルールで、私の方から組織の情報を聞くことは禁止されていたので、男性達の方から有本さんのことを喋ってくれない限り、その消息を知るすべがありませんでした。
 85年に赤木(注、よど号犯)が彼女と会ったと話したことがありました。
 私が、
「元気にしてる?」と聞くと彼は、
「ものすごく素直でいい子だ」と言いました。
 その後有本さんの消息は聞いていません。》(p286-288)

 おそらく確かなのは、恵子さんは石岡亨さんと結婚し、子どもをもうけただろうということだ。1988年に札幌の実家に届いた石岡さんの手紙には、腹這いで微笑む赤ちゃんの写真が同封されていたが、二人の子どもだと思われる。


 横田めぐみさんは曽我ひとみさんや田口八重子さんと同居していた時期があったし、蓮池さん、地村さんらの家族と同じ「村」に暮らしていたこともあり、日本から拉致された被害者たちはきわめて特殊な環境ではありながら互いに「交流」があったのに比べ、恵子さんたち欧州で拉致された3人は彼らとの接点がない。
 また韓国に亡命した元工作員などが、横田めぐみさんたちは工作員養成所で日本人化の教官をさせられていたと証言しているが、3人に関してはその種の証言がない。

 これは拉致した工作機関の「系統」が違っているからかもしれない。
 横田めぐみさん、蓮池さん、地村さん、曽我さんなど工作船で運ばれた人たちの拉致は、労働党の工作機関のなかでも「調査部」と「作戦部」のチームで行なわれた。一方、恵子さんたちは、よど号グループを管轄していた労働党「連絡部」が拉致を実行したと見られる。
 同じ工作機関ではあっても、基本は縦割りの組織なので、拉致被害者も組織ごとに別々に管理されたのではないか。そして、連絡部所属のよど号グループが3人の「教育」の一部を担当していたようだ。

 有本嘉代子さんは1990年ごろ、北朝鮮にいるはずの恵子さんに宛てた家族の寄せ書きの手紙を、「仲介者」を自称するある人物に託している。(嘉代子さん著『恵子は必ず生きています』神戸新聞総合出版センター2004年)

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 その手紙は、当時よど号グループと交流のあった高沢皓司氏らによって、やや遅れて92年か93年に北朝鮮の田宮に手渡された。
 田宮はこう言ったという。
 「ここには、ようけ日本人がいるんや・・・。どこに誰がいるのか、われわれでは連絡もつかない・・」(高沢著『宿命』P223)
 よど号グループが連れて来た日本人たちは、途中から田宮たちからも切り離されたというニュアンスだったと高沢氏は言う。
・・・・・・・・
 2002年9月、小泉訪朝が電撃的に発表された。
 有本嘉代子さんは、いよいよ恵子さんが帰国できると大きな期待を寄せた。
(つづく)