「ふるさと津島」100年後の子孫に遺す映像

 大震災10年で、メディアで組まれるニュース特集やドキュメンタリーに今さらながら被害と傷跡の大きさを感じている。

 被災地では、巨大堤防ができ、道路や港の再建、災害公営住宅の建設や高台への住宅移転など、基盤づくりは終わりつつある。しかし、復興はこれでいいのかと言えば、問題の大きさの方に目が向いてしまう。

 東日本大震災復興基本法の「基本理念」にはすばらしい言葉が並ぶ。
 「災害復旧にとどまらない活力ある日本の再生を視野に」「二十一世紀半ばにおける日本のあるべき姿を目指して」「行政の内外の知見が集約され」・・

 しかしそうはなっていない。
 「都市基盤は整ったものの空き地だらけ。人口は3割減。ぴかぴかの過疎の町だ」(8日の朝日新聞朝刊「大槌町民のため息」東野真和編集委員・釜石支局長の記事)
 “ぴかぴかの過疎の町”か・・。被災地は高齢化や過疎化をふくめ、日本の縮図ともいわれる。大槌町民のため息を私たちも受けとめて、被災地への支援のありようを見直すととともに自らの住むところをどんな地域にすべきか考えたい。

 その一方で、復興どころか、10年経つのに帰宅さえかなわない「帰還困難区域」の人びとがいる。

 福島県浪江町津島は、阿武隈の山々に囲まれた山村で、放射線量が高いとして「帰還困難区域」に指定され、住民はいまだ帰ることができない。総面積のわずか1.6%が「特定復興再生拠点区域」に指定され地域再生を目的に除染作業や家屋の解体がはじまったが、98.4%は手つかずのまま、帰還のめどは立っていない

 津島の人々は、消えゆくふるさとの最後の姿を100年後の子孫たちに遺そうと、映像の製作を決めた
 津島の約520戸すべての家屋、建物をドローンで空撮するという徹底したプロジェクトで、その一部が『ふるさと津島』という70分の作品になった。

 先日、江古田映画祭でこの作品を観た。すばらしいドキュメンタリー映画で、感動した。貴重な記録としてながく伝えられていくだろう。

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「ふるさと津島」のオープニング

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HPより

 ♪津島山中 カラスも鳴かぬ 今じゃ開けて バス通る・・津島小唄にのってドローンが住み慣れた地域の風景を映していく。
 「ああ、津島、ふるさとを思い出すだけで気づけば数時間過ぎてるない・・」。土地の言葉でナレーションを語るのは津島住民だ。

 一軒一軒、住民の名前入りで家屋が映し出される。
 魚を捕って遊んだ山や渓流、学校、寺、工場、なじみの商店・・すべての思い出をすくうようにドローンがなめていく。その撮影高度、移動速度がナレーションにちょうどよく合って、ドローンとは、こういう映像を撮るためにあったのかと思わせるほど、心に染みる。

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テレビ番組で知られたDASH村はここ津島にあった

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中学校の黒板。卒業式当日のままだ

 この作品の核は、7人の住民が語るふるさとへの思いだ。

 その一人、三瓶春江さんは父親が満州からの引揚者だ。津島には満蒙開拓団だった人々が多く入植し、クワ一本で山林や原野を農地にかえ、今日の津島を作ってきたという。

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三瓶春江さんは涙ながらに語り続けた

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春江さんのお父さんが建てた家。朽ち始めている

 春江さんは、4世代10人家族。父親は孫との暮らしを楽しんでいた。
 冬は孫にかまくらを作って甘酒を飲ませ、夏はホタルをたくさんとってきて家の中に放したりと、自然のなかで一緒にのびのびと遊んでいた。それが原発事故で家族はばらばらになり、もうあの暮らしは戻ってこない。

 春江さんは語る。
 満州から引き揚げてきた父は、大変な思いをしてこの家を建てた。開拓者のまとめ役をやって認められ、役場の職員として定年まで働いて家を建てることができた。その苦労を思えば、家は父の生きた証(あかし)。それが原発事故以来放置されて朽ちていく。父は去年6月に亡くなるまで、津島の家に帰りたいと言いつづけた。解体したくなんかないけど住めないのだから解体せざるをえない。どれだけの思いで解体を決意したのか、分かってほしい。私たちが生きてきた歴史が、家を解体することでなくなってしまう。だから家が解体して無くなってしまう前に、私たちの思いを子どもたち、孫たちにも伝えたい。また、原発事故がどんなものかを伝えていくのも私たちの義務だと思う。
 

 春江さんのほかに、伝統芸能の世話役である庭元、震災の混乱のなか夫と息子を病気で亡くした主婦、都会から嫁にきて戸惑いながら土地になじんできた婦人とさまざまな角度からの語りによって、津島というコミュニティの姿が立体的に立ち上がってくる。
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 この7人それぞれが、津島がいかにかけがえのない大事なふるさとであるかを、ありったけの思いをこめて語っていく。
 目に涙を浮かべながら語る思い入れの深さに圧倒された。これだけ熱くふるさとを語るれることに尊敬の念がわく。失ったものの大きさはいかばかりか。映画を作ったのは、かけがえのないふるさとの姿をなんとか後世に遺したいとの執念だ。

 撮影・監督は、報道写真家・映画監督の野田雅也さん
 住民から密度の高い、心にしみる語りを引き出しているのがすばらしい。住民との強い信頼関係のたまものだろう。

 この作品を観ながら、ひるがえって自分にとっていま住んでいる地域はどんな意味を持つのかと考えさせられた。私は生まれは田舎だが、人生の大半を都会で暮らし、費用対効果や利便性で住む場所を選んできた。津島の現状は酷いものだが、人としてのあり方には教えられるものを感じた。

 この作品は「ふるさと津島を映像で残す会」製作で、DVDが1000円で販売されている。多くの人に観てほしいと安価で提供しているそうだ。

www.furusato-tsushima.com


 今後原発事故関係の映画を観る会などあれば、ぜひこの『ふるさと津島』を上映作品に加えてほしいと思う。

 津島の住民は、国と東電に除染による原状回復と古里を奪われたことへの精神的慰謝料など計約265億円の支払いを求めて裁判を起こした。今年1月7日、福島地裁郡山支部で結審し、判決は7月30日に予定されている。

《原告側は最終の意見陳述で、津島地区では住民互助の「結い」が営まれ、田植え踊りの伝承などを通じて地域が家族のように暮らしていたと説明。除染や家屋解体のスケジュールが国から示されず、先祖代々の自宅が朽ちていくことへの苦しみも訴えた。
 今野秀則原告団長は「東電が主張するような単なる郷愁ではない。地域に根差した生活を失うことは人生を奪われるに等しい」と強調した。
 被告側は、中間指針に準じた慰謝料を既に支払っているなどと主張。2002年公表の地震予測「長期評価」は科学的根拠がないとして、原発の安全基準に採用しなかった判断過程に著しい過誤はなく、津波は予見できなかったと反論している。
 15年9月提訴。1地区の住民がまとまって主に原状回復を求めた訴訟は初めてで、原告は地区住民の約半数の218世帯643人。訴えによると、古里を奪われた精神的苦痛への慰謝料を月10万円から35万円に増額し、地区の放射線量を毎時0.23マイクロシーベルト以下まで低減することなどを求めた。原状回復が認められない場合の慰謝料として1人3000万円も求めている。
https://kahoku.news/articles/20210107khn000040.html

 津島住民がいかにふるさとへの強い思いをもって団結しているかがわかる。
 この裁判にも注目したい。

総務省贈収賄疑惑にフタをする菅内閣

 6日、畑に出て草むしり。
 すごい勢いで雑草が生えてくる。そこに春を感じる。

 ブロッコリーがたくさん採れた。

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 食べる丸っこいところは花のつぼみ「花蕾」(からい)だそうだ。小さい方がやわらかくてうまいので、早めに収穫するが、次々に新しいのが出てくる。植物の生命力はすごい。
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 ミャンマー情勢に、元外交官の田中均(アジア大洋州局長時代、北朝鮮との水面下交渉を重ねて2002年9月の小泉訪朝へとつなげた)がツイッターでこう発言している。

「外交は主体的に動いて初めて結果がつくれる。日本は国際社会と協調しミャンマー軍事政権包囲網を率先してつくり、その上で軍事政権との対話を進めるべき。」

「在ミャンマーの丸山大使は、20年近く前、私が当時軟禁されていたスーチーさんと軍事政権の仲立ちをしようとしたとき、未だ若き外交官として、両者との会談を 実現してくれた。彼ほどミャンマーに根をはり信頼されている外交官はどこの国にもいない。」
https://twitter.com/TanakaDiplomat/status/1368351025111830531

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 丸山市郎大使は2月20日民主化への支援を求めて大使館にやってきた市民に対し、大使館の外に出て直接、流ちょうなビルマ語で語りかけている。この姿をニュースで見て、普通の外交官ではないなと驚いた。

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NHKBS1「国際報道」より

 宮城県出身。中央大卒で1978年に外務省に入省。ノンキャリアと呼ばれる外務省特別専門官として2018年3月に異例の大使抜擢となったという。ビルマ語専門職として初めての大使で、ミャンマー勤務は語学研修時を含めて5回目。ミャンマーとは40年の付き合いでスー・チー氏側と国軍の双方に人脈を築いているという。
https://www.youtube.com/watch?v=U3NtMfzNKuw参照)

 政府はこういうすばらしい人材が十二分に活躍できるようバックアップしてもらいたい。

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 首都圏の緊急事態宣言が2週間延長された。「見極めの期間」だとさ。

《政府は5日、新型コロナウイルス対策として東京・千葉・神奈川・埼玉の首都圏4都県に出している緊急事態宣言について、7日までとされていた期間を2週間延長し、21日までとすることを決めた。菅義偉(よしひで)首相は記者会見し、「2週間は感染拡大を抑え込むと同時に、状況をさらに慎重に見極めるために必要な期間」と述べた。(略)

 また、「諸外国のような厳しい宣言を行わずとも、ひとえにみなさま方の踏ん張りと心を一つにして懸命に取り組んでいただいた結果だ。医療介護などの関係者のご尽力、国民のみなさんのご協力について心より感謝いたします」とも述べた。》

 菅首相は1月に緊急事態宣言を出したときも、会見で、マスクをする、外食を控える、テレワークを推進するなど、すでにみんながやっていることを「お願い」して国民をあぜんとさせたが、今回の延長にあたっても、感染を抑えるために新たにこういう方策でのぞみます、という大きなデザインをまったく打ち出していない。
 PCR検査の拡充は、ある意味これまでの方針の遅まきながらの転換だが、1年前から指摘されていて、すでに各自治体や医療機関などが自主的に行なってきた当たり前のこと。国が検査を絞る中、国民は各自、自費で検査を受けてきたのだ。どうせなら無料の検査を大幅に増やす態勢をとってほしい。

 その検査をどう使って対策に活かすかも不明だ。

 要するに、国民の「みなさま方」がひきつづき気を緩めずに「自助」で感染を減らしてくださいよ、政府はその「状況を慎重に見極め」ますからと言っているわけだ。
 傍観者内閣。 
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 総務省の接待問題。『週刊文春』が連続して菅内閣に見事なパンチを食らわせている。
 
 まず『週刊文春』が、菅義偉首相の長男が勤める「東北新社」による総務省幹部の接待を暴露した。

 これに関しては、秋本芳徳情報流通行政局長が2月17日の予算委で、長男との会食に関し「放送業界全般の話題が出た記憶はない」と、また武田総務相も「事業にかかわる話は一切ない」と答弁。

 すると『週刊文春』がこんどは店内で録音したとされる、長男と秋本氏とが衛星放送について会話している音声を出してきて、先の答弁をひっくり返した。

 さらに「東北新社以外の衛星放送各社、民放やNHK、あるいは通信会社の社長から接待を受けたことはありますか」(3月1日・衆院予算委)と問われた谷脇康彦・総務審議官、「公務員倫理法に違反する接待を受けたということはございません」と、また山田真貴子・内閣広報官は「ルールにのっとって」きたと答弁した。

 ここで『週刊文春』は、谷脇氏や山田氏が通信業界最大手のNTTから高額接待を受けていたとのスクープを放つ。NTTはNTT法に基づき総務省から事業計画などで許認可を受ける。NTTが利害団体でないわけがなく、金額から言っても文句なく違法接待だ。

 次々に政府のウソ答弁がばれてしまい、修正、訂正に追い込まれ、弥縫策が破綻する。『週刊文春』は情報を一度に全部出さず、政府側の答弁にカウンターを食らわせながら暴露を重ねている。見事だ。がんばれ!と応援したくなる。

 この総務省接待問題は、接待した企業に総務省が利益提供を行なっている可能性が出てきて、新たな段階に入っている。

 まず、「東北新社」が高精細の「BS4K」放送の認定を受けた後、同社が放送法外資規制に違反していたにもかかわらず、総務省が認定を取り消していなかったことだ。しかもその決裁をしたのは山田喜美子氏だったのだ。
 
 《放送法は、地上波やBS放送などを行う事業者に外資規制を定めている。外国の個人・法人などが株式の20%以上を持つ事業者は放送を行えない。社会的影響力が大きく、公共性の高い電波の利用は国民の利益が優先されるためだ。認定後でも20%以上となれば、認定を取り消さなければならない。
 BS4Kの申請の受付は2016年9~10月にあり、同社は翌17年1月に認定を受けた。同社の有価証券報告書によると、外資比率は17年3月末時点で21・23%だった。だが、認定は取り消されていない。
 総務省は「違反を当時認識していなかった」と答弁。同社が違反を認識していたかどうかは「確認中」とした。申請時の16年9月末時点の外資比率は19・96%だったという。
 東北新社は認定を受けた地位について、17年10月、100%子会社の「東北新社メディアサービス」に承継した。この日の政府答弁によると、直前の同9月末時点の東北新社外資比率は22・21%。しかし、同省は承継を認めた。決裁者のトップは当時、同省情報流通行政局長だった山田真貴子・前内閣広報官だった。》
https://www.asahi.com/articles/ASP353TMPP35UTIL00H.html

 そして通信業界では近年、NTTによるドコモの完全子会社化や携帯料金の値下げなど、目まぐるしい動きがみられた。利益供与があったのではないか、大きな疑惑がもたれて当然だ。

 ところが菅内閣は、この期に及んで幕引きをはかるためにムチャクチャな理屈を出してきた。辞めた人(山田真貴子氏)は「一般の方」なので調査しないというのだ。おいおい。

菅義偉首相の長男らから高額接待を受けて辞職した山田真貴子前内閣広報官が、NTT社長らとも会食をしていたと週刊文春で報じられたことについて、政府は4日の参院予算委員会山田氏に事実確認をしない考えを示した共産党の田村智子氏の質問に答えた。
 菅首相は、山田氏が3月1日に辞職した際にNTT社長らとの会食を知らなかったのかと尋ねられ「承知していませんでした」と答えた。田村氏が「(会食を報じた)週刊文春は内閣広報室や総務省を通じて事実確認の質問をしたが、回答を得られなかったとしている。東北新社による接待が大問題の最中に総理の耳に入っていなかったのか」と確認すると、菅首相は「承知していませんでした」と繰り返した。
 さらに田村氏が「山田氏への事実確認は当然行いますね」と尋ねると、加藤勝信官房長官は「既に退任されているので、当方から事実確認する立場にはないと思っている」と答弁。田村氏が「なぜ事実確認されないのか 」と質問すると、加藤官房長官は「既に退任されて一般の方になっているわけですから、政府側が確認する立場にはない」と説明した。
 田村氏が「それでは菅政権は接待問題を究明する立場にないことになる」と追及すると、菅首相は「そこはルールに基づいてしっかり対応している」と主張した。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/89504

 菅首相の長男の参考人招致も、自民党は「民間人である」として拒んでいる。
 
 森友学園問題では、「一般の方」であり「民間人」の籠池泰典理事長が国会の証人喚問に呼ばれているではないか。

 贈収賄罪という重大な犯罪が行われた可能性があるというのに、その最大の当事者を調べないとは・・・。
 この内閣は能力から言っても、倫理からみても最低レベルだ。

無視される原発事故被災者の「心」

 きのうは啓蟄(けいちつ)。よく知られた春の節気だ。

 「蟄」の字は「蟄居」などと用いられ「虫が地中にとじこもる」の意。「啓」は「啓(ひら)く」という意味で、巣ごもりをしていた虫が、穴を啓いて外に出てくる時節が「啓蟄」だ。

 私はフキノトウの天ぷらで春を味わった。
 初候は「蟄虫啓戸(すごもりのむし、とをひらく)。
 10日からは次候「桃始笑(もも、はじめてさく)。
 15日からが末候「菜虫化蝶(なむし、ちょうとなる)。
 次候の「笑」と「咲」は字源が共通だそうで、口扁に笑と書いて(口+笑)「咲」になったという。花が咲くように娘さんが笑う・・いいですね。

 「桃」といわれても、私のように植物に不案内だと、桜、桃、梅、いったいどれなんだと迷うことがあるが、それぞれはっきり違うという。以下、ネットにのっていた豆知識。
 まず花弁の形は―
桜:先が割れている(たしかに桜のマークは先割れの花びらだな)
桃:尖っている
梅:小さく丸い

 つぎに花柄(かへい、花を支える茎の部分)は―
桜:花柄が長い
桃:花柄が非常に短い
梅:花柄がない(枝に直接咲く)

 さらに花芽は―
桜:花芽は1節に複数個
桃:花芽は1節に2個
梅:花芽は1節に1個

 なるほど、これで迷わずにすむ。

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これは梅

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 4日のミャンマー関連ニュース。
 日本在住のミャンマー人およそ300人が、外務省に対してアウン・サン・スー・チー国家顧問らの解放などを訴えたほか、代表者が外務省の担当者に要請書を提出した。

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外務省前(NHKより)

 茂木外務大臣に宛てた要請書では「武器を持たないデモ隊を攻撃したり殺害したりすることは、人道に対する犯罪行為だ」、「日本政府には、さらなる流血の事態となる前に、現在の危機を解決するための断固とした行動をとることを強く要請する」と訴えている。

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外務省前にて。ミャンマー人の日本への期待は我々が思う以上だ。

 また、東京外国語大でビルマ語を学ぶ学生有志6人が、外務省を訪れ、デモ参加者への弾圧の停止などを求める約3万8000筆の署名を手渡した。代表者の男子学生(20)は、対応した山田欣幸・南東アジア第1課長に対し「日本はNLD(国民民主連盟)と国軍の両方にパイプを持つとされるが、現状では国軍に明確な姿勢を示していないように思える」と述べ、外交ルートを通じた積極的な取り組みを要請した

 すばらしい。日本人学生が他国の人権侵害でこういう行動を採るのは珍しい。

 今回は世界が日本政府の働きを見守っているのだ。しかるべき対応を期待する。

 ミャンマーからNHKにインターネットを通じてコメントを寄せたデモの呼びかけ人が、これは「最後の闘いだ」、「反クーデターなどではなく、革命だ」と語っていたのが印象的だ。 

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「これは何十年にもわたって市民を虐げてきた軍に対する最後の闘いです。これは単なるクーデターへの抗議ではなく革命のようなものなのです」(NHK

 軍の弾圧が強まるなか、彼女はどうどうと顔出しで取材に応じている。万が一の覚悟ができているのだろう。革命なのだ。

 1988年以降の民主化運動から30年余りを経て、運動の形態も、参加者の意識も大きく様変わりしている。グローバル化をはじめ激しい変化の時代を生きていることを感じる。

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 東日本大震災から10年の節目を迎える

 5日の「朝日新聞」朝刊に原発事故「第10回避難者共同調査」の特集記事が載った。
 震災後、福島県の11市町村に避難指示が出され、約8万8千人が対象になった。住民票がある人のうち、その自治体に住んでいるのは約2割(双葉町は全町民が避難中)で、今年1月現在の避難者は約3万6千人、その8割は福島県外で暮らすという。
 いまも避難指示が続くのは7市町村に残る「帰還困難区域」で、東京23区のほぼ半分にあたる。
 まだ先の見通しがわからない地域も多い。

 3月3日の夜、「第10回 江古田映画祭 3.11福島を忘れない」で映画『ふるさと津島』を観てきた。

https://www.facebook.com/ekodaeigasai/

 「江古田映画祭」は2013年から開催され、震災関連の映画を中心に上映されている。
 『ふるさと津島』は「ふるさと津島を映像で残す会」が、いまだに「帰還困難地区」になっている浪江町津島の記憶を100年後の子孫たちに遺そうというプロジェクトで作った映画で、撮影・監督は、報道写真家・映画監督の野田雅也さん。http://www.nodagra.com/about/
 これが実にすばらしい映画だったので、次回紹介したい。

 会場は「武蔵大学」1号館の前にある「ギャラリー古藤」で、そこに置いてあった本2冊、三浦英之『白い土地』と青木美希『地図から消される街』をちょうど読みたいと思っていたので購入した。

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 三浦氏も青木氏も以前から注目していた「朝日新聞」の記者で、粘り強い取材を続けている。
 三浦氏については5年前のブログで「南スーダン情勢は、朝日新聞ヨハネスブルク支局の三浦英之記者がダントツでいい取材をしている」と紹介した。

takase.hatenablog.jp


 青木氏については8年前、「青木記者は(略)調査報道はネットメディアにはできない、権力監視のツールだと言う。自信をもってこういい切れる記者はなかなかいない。立派だ」と触れている。

takase.hatenablog.jp

 その三浦英之氏、ツイッターで震災10周年の報道の仕方に懸念を示している。
2月下旬から新聞やテレビで震災10年の報道が増えてきて、ずっと体調が悪い。「災害特派員」にも書いたけど、僕は完全にPTSD。取り組んでいた原稿を早めに手放しておいて良かった》(4日)に続いて―

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 精神的な傷は時間がたつほどむしろ深まることもあるようだ。先に展望を持てないまま時間だけがすぎて「棄民」状態が続けばなおさらだ。メディアもそれへの配慮をしていないとの指摘にはっとさせられた。

 映画『ふるさと津島』の浪江町の帰還困難区域・津島地区の住民513人を対象にした調査では、その半数近くにPTSDの疑い、3割近くにうつなどの疑いがあるとの結果がでた。復興の陰で避難者たちの「心」の問題は深刻である。(クロ現2020年3月11日)

www.nhk.or.jp

 先に挙げた朝日新聞特集の「記者の目」には「取材を断られた理由は」という文章が載っており、注意をひかれた。
《最近、原発事故の避難者2人から取材を断られた。いずれも避難指示の対象にはなっていないが、自主的に県外に避難した人だ。
 実名での取材依頼に、1人は「命を守ろうと自分で判断したので恥じることはないが、故郷を捨てて出て行った負い目がある。戻った今も、友達の誰とも会っていない。新聞に出るのは無理です」と語った。
 子供を連れて実家に戻ったもう1人は「放射線量が高い場所があって今も怖さがある。でも親類から『まだそんなことを言っているの?』という目で見られている。取材で口にする雰囲気ではないんです」。》

 そしてこれを書いた福島総局の深津弘記者は、《体験を「語りたくても、語れない」人がいまだにいる。それが震災10年の現実の姿だ》と結んでいる。

 青木美希氏は先の本にこう書いている。

 《避難者に向けられる目は次々と変わった。当初は憐れみを向けられ、次に偏見、差別、そしていまや、最も恐ろしい「無関心」だ》

 とにかく、もっと知らなくては。
 

パイプある軍部の暴虐どうするの

 馬酔木(あしび)

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 3日、青梅市吉川英治記念館に行ってきた。
 馬酔木の後ろに見える大きな家に、彼が1944年から9年間暮らしたという。まわりはのどかな農村で、吉川は子どもを育てるのによい環境だとここを選んだそうだ。
 近くに吉野の梅公園もあり、散歩にいいところである。
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 ミャンマーで最悪の流血の事態

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NHKニュース)

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デモ隊はヘルメットをつけ臨戦態勢。犠牲者の数からは、治安部隊がためらわずにバリバリ銃を撃っていることが推測される

 《ミャンマーでは、クーデターに抗議するデモを治安部隊が武力で抑え込む姿勢を強めており、国連の発表で3日は38人が死亡し、死者はこれまでに50人を超えています。抗議デモは4日も続いており、犠牲者がさらに増えるおそれが強まっています。》(NHKニュース)
 
パイプある軍部の暴虐どうするの(埼玉県 飯島悟)3日の「朝日川柳」だ。

 日本政府は、アウンサンスーチー氏側だけでなく国軍ともパイプを持っているというが、その「パイプ」というのをしっかり使ってほしいものだ。手遅れにならないうちに。
 日本政府は、核兵器廃絶問題で、核保有国と非保有国の仲介をすると言い続けて、結局何もしないが、「軍とのパイプ」を何もしない言い訳にしてはならない。
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 3日の『朝日新聞』の東京版夕刊一面トップに「地平線会議」が取り上げられている。

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 《登山家や冒険家を中心に「日本人の地球体験の共有と記録」を掲げて始まった「地平線会議」の会報誌が、新型コロナウイルスの感染拡大で海外渡航が難しいなか、発行500回を超えた。結成から40年以上続く会は、ユニークな体験や価値観を共有する場となってきた。会報誌は、コロナ禍の日本や世界各地の暮らしを記録し続けている。

 「日本人の探検、冒険、手作りの地球体験を知り、その行動の軌跡を記録にとどめよう」。1979年8月、読売新聞の記者だった江本嘉伸さん(80)の自宅に登山家や冒険家らが集い、ある会を作った。

 日本人の海外渡航が自由化されてから15年、年間の渡航者が初めて400万人を超えた年だった。「世界初」や「未踏峰」の冒険は減り、地図上の空白地帯が消え始めていた。「ふつうの人」が日本を飛び出して体験する経験を報告しあい、記録する――。そんな目的で始まったのが地平線会議だった。》

www.asahi.com

 私もこの会で何度か報告させてもらった。テーマはフィリピンの裏社会、ボルネオ島の熱帯林伐採、チェルノブイリ原発事故の取材など。

 一円にもならないことに夢中になっている、世間からは「ばか」と見られている人たちと接していると、なぜかとても勇気づけられる。連れ合いと知り合ったのもこの会で、なにかとお世話になっている。
 これからも元気に活動を続けてほしい。

中国残留孤児の訪日調査から40年

 この時期、日陰にうつむいて咲くのがヘレボラス。

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 花のように見える部分は「がく」なのだそうだ。花の時期が長いのは、そのせいだろうか。

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 先々週の日曜日2月21日、東京・三鷹市公会堂で報道写真家の山本宗補(むねすけ)さんの講演を聞いた。

 NPO法人「中国帰国者の会」主催の山本さん撮影の写真展が19日から3日間開かれ、最終日のその日は山本さんの「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶〜戦争も原子力発電も国策。繰り返される棄民を考える」と題する講演があった。

  山本さんといえば、筋金入りのという形容詞がぴったりのリベラル派ジャーナリストで、国家権力に踏みつぶされる民衆の側に立って写真を撮り続けている。

 講演のキーワードは「棄民」で、原発事故、ハンセン病の隔離政策、アイヌへの差別、日本兵によるアジア民衆への暴力、シベリア抑留と彼の取材は多岐にわたる。

 

  講演では冒頭、まもなく10年になる3.11の原発事故を語った。

 「フリーランスの取材者は立ち入り禁止となった警戒区域に入り、大本営発表に欠けているものを補う報道をした」。

 このブログでも何度か書いたが、テレビ局や新聞社は、記者をイチエフ(福島第一原発)から30キロ、40キロ外に引き離した。
 大熊町では避難遅れで双葉病院の患者ら50人が死亡した。

 「棄民されるがごとく、重病者は見捨てられるように亡くなっていった事実、警戒区域は生き物の生き地獄となった事実は、テレビ新聞報道で大々的に報道されたか?」と山本さん。

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第二会場。開始時刻ちょうどに着いた私はメイン会場には入れなかった。残留孤児の家族も多かった。

 満員の盛況で、コロナ対策で入場をしぼったこともあってメインの会場の63人枠は埋まり、私は第二会場で話を聞いた。
 写真展を企画したのはNPO法人「中国帰国者の会」で、講演は中国語の通訳が入った。写真展会場では中国語が飛び交っていた。 

 

 山本さんが戦争体験者の聞き取りを始めたのは2005年の夏からで、沖縄県西表島など八重山諸島を舞台にした「戦争マラリア」の取材に取り組んだのが最初だったという。  

 戦争に関して興味深かったのは、山本さんの故郷の長野県にまつわる話。1932年以降、国策による「満蒙開拓団」の募集があり、約27万人が移住したが、うち約8万人が死亡という悲劇的な結果に終わった。

 送出県のダントツの一位が長野県で37,859人。うちおよそ1万5千人が亡くなったという。(なお二番目に多い送出県は私の故郷の山形県
 「開拓団は関東軍を守る配置だった」とは『長野県満州開拓史』の記述だという。

 開拓団から現地召集された男性が生きのびて復員した一方で、遺された女性、子ども、高齢者が病気、自決などで命を落とす場合も多かったという。第九次万金山開拓団高社郷(長野県下高井郡)では、死者571人中なんと514人が集団自決だったという。なんとも痛ましい。

 

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浪江町南相馬市の境界で「希望の牧場・ふくしま」を営む畜産農家の吉沢正巳さん。両親は新潟県から満蒙開拓団満州へ。父はソ連軍から逃げきれないと、母と3人の幼子を自らの手にかけた。原発事故被災地には開拓団あがりの入植者が多い

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写真展示会場では中国語が飛び交っていた

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政府が「残留婦人」と「残留孤児」を差別し、13歳以上で中国に残った人は判断能力があり自分の意志で中国人と結婚したと援護しない姿勢を示したのに対し、鈴木則子さん(故人)は納得できず国家賠償を求めた。娘さんが母の写真の前で、国は戦争の犠牲者にもっとやさしくしてほしいと訴える。

 講演後、山本さんに挨拶して、あらためて取材対象がすごく広いのに驚きます、原発も、被爆者も、戦時性暴力もあって、というと「まあ、30年もやってきましたからね。でも僕にとっては東南アジアが出発点でしたね」とのこと。1985年からのフィリピン、88年以降のビルマと取材場所は私とダブっている。

 山本さんは、20代半ば、自己嫌悪から、とにかく住む場所を変えるしかないと目的なくアメリカに逃げ出したという。コミュニティ・カレッジ(公立の2年制大学)に通うために消去法で選んだのが写真のコースだったそうだ。
 帰国後は海外の観光写真の仕事をしていたが、知り合いの週刊誌編集者からフィリピンのネグロス島の飢餓がひどいと聞き、1985年9月にフィリピンに旅立ったのが社会的テーマに接した最初だったという。
 山本さんも「なりゆき」の人生なんだな、俺もだけど、と妙なところに感心した。

 数年前、東京を引き払って、故郷の長野県北佐久郡御代田町に戻って暮しているが、いまも講演や写真展で日本中を飛び回っている。私と同年の山本さんの活動には励まされる。

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 3月2日の朝のNHKおはよう日本」で、1981年の中国残留孤児の訪日調査開始から40年になることが報じられていた。その対象になったのが2,818人で、2,557人が永住帰国した。しかし、その中で身元が判明したのは1284人とすぎない。

 身元が分からぬまま永住帰国した河本琴さん(推定78歳)は、混乱のなか3歳のころ中国人に引き取られた。義母はいい人だったが、家はとても貧しかったという。「日本がある東の方角を見て時々泣いていました」。

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 琴さんの身元は分かっていない。

 「他の人は両親、家族がいるが、私には何もない。とても苦しかった。死ぬ前に肉親を見つけ出せるのか。自分の身元を知ることができるのか」と河本さんは心細げに話す。

 時間がたちすぎて、今では身元に関する情報はほとんど集まらないという。

 コロナ禍で残留孤児同士の交流も止まり、一人手押し車で公園を歩く後ろ姿に老いの影と寂しさが漂っていた。 

 琴さんの家族もあるいは満蒙開拓団の一員で犠牲になり、そのために身元が分からないのかもしれない。残留孤児、残留婦人をはじめ、国策で被害を被った人たちに日本は冷たすぎる。

東京入管でクラスター、コロナ61人が感染

 3月1日は「映画の日」で料金が1100円と安くなる。もっとも私はシニア割引きで同じなのだが。

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多摩センター。むかしサンリオに子どもを連れてきたときがなつかしい

 きのう運動も兼ねて自転車で、うちから10キロちょっと離れた多摩センターの「イオンシネマ」へ。観たのは、先日紹介した映画『ある人質~生還までの398日』。

398-movie.jp

 駆け出しのデンマーク人カメラマン、ダニエル・リュ氏がシリアでISに拘束され、家族らがプロの交渉人を仲介してISとわたりあった結果、本人が帰還した実話をもとにした劇映画だ。
 本(『ISの人質』)を読んでから観たので、事実に裏付けられた重みを全編に感じた。どこで撮影したのか、シリアの破壊された街並みなど見事に再現されて臨場感がすばらしかったし、役者もうまい。拷問のシーンは目をそむけたくなるほどの迫真性。とてもよかった。
 デンマークは日本と同様、テロリストとは交渉しないという立場なので、対応は家族にまかされた。金額交渉では次々に身代金の額が変更され、最後は200万ユーロ(2億5千万円以上)という高額になった。リュ氏の家族は募金運動を展開して目標を達成、解放することに成功した。
 しかし、リュ氏と同房になった外国人たちのうち、7人が処刑され、2人がいまも行方不明だ。生死を分けたのは、身代金を払ったかどうか。リュ氏が解放されたあとにISに拘束された湯川遥菜さん、後藤健二さんも、身代金が支払われず、処刑された。

 絶望の中から身代金集めに立ち上がる家族の愛と葛藤、同房の捕虜たちとの友情なども描かれ、劇映画として楽しめる作りになっている。

 本では、恋人が拘束期間中に心変わりし、別れたと書かれていたが、映画の最後のテロップで、彼女とよりを戻して子どももさずかったことを知り、ちょっと安心させられた。
 リュ氏は解放されたあとも精神的に不安定な状態が続いたという。彼の収容期間は約1年1ヵ月。安田さんは拘束された組織はISではないが、3年4ヵ月である。いかにすさまじい体験だったかとあらためて思う。
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 東京出入国在留管理局の収容施設にいる外国人の男性55人と同局職員6人が新型コロナウイルスに感染したことが確認された。
 背景には、入管の恣意的な長期収容と収容施設内の劣悪な待遇がある。

 本ブログで指摘してきたこの問題、ほんとは大きなニュースにすべきなのだが、なぜか報道が少ない。まさか今国会に提案されている政府の「入管法改正案」を慮ってではないだろうな。
 2日の早朝「おはよう日本」で採り上げられていた。

 以前から入管の被収容者を取材していた記者に、収容施設内から電話がかかってきたという。

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 ある被収容者の男性Aは「頭痛い、のど痛い、下痢、胸痛い。みんな自分の命のこと考えるよ・・」
 しかし、診療も医療もすぐには受けられなかったと何人もが訴えたという。
 別の男性B
 「そして担当言った。『あなた何も(問題)ない』」
 男性Cも
 「普通じゃないですって言ったんですけど。『かぜですね。かぜ薬のんで大丈夫だよ』って」

 被収容者が熱などの異常を訴えたのが2月8日。ところが、PCR検査開始は7日後の15日で、そこで5人陽性(うち職員1人)が判明した。私がこれを知ったのが17日の法務省前抗議行動のときだった。
 別の男性D
 「夜になるとすごい体が熱くって、職員を呼んでも全然来ないんですね。1時間2時間来ない。死んでしまうのかとすごく心配ですね」

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 NHKからの問い合わせに東京入管からは―
 保健所の指導に沿って対策や調査をしている/重症化したら外の医療機関に連れていく/起訴疾患のある2人は既に入院との返事がきたという。しかし・・

 入管問題に詳しい駒井知会弁護士は入管の医療体制には問題があるという。以前から病気になっても診てくれない、診てもまともな治療をしてくれない、外のちゃんとした病院に行きたいと言っても、許可してくれないなどの訴えを聞いてきた駒井弁護士は、一般市民と同じように、必要なときにすぐにケアを与える環境が必要だという。

 (被)収容者が体の具合が悪く、医師に診てほしいと思ったときには申請書を出す。土日は施設の医師はいない。回答がくるのに数か月かかることもある。外の医療機関に診てもらえるかは施設の医師が許可を出した場合だけだ。

 

関東弁護士会連合会はさっそく以下の理事長声明を出した。

入管施設における新型コロナウイルス感染症の集団感染を受けて,被収容者の解放等を求める理事長声明

入管施設における新型コロナウイルス感染症の集団感染を受けて,被収容者の解放等を求める理事長声明
  2021年2月25日付け出入国在留管理庁の発表によれば,132名の外国人を収容している東京出入国在留管理局において,被収容者55名,職員6名の合計61名が新型コロナウイルス感染症に集団感染したとされている。この感染者数は被収容者の4割にも及ぶ人数であり,同月15日に被収容者4名及び職員1名の陽性者が判明して以降,陽性者は増加を続けている。
 感染者に対する迅速かつ適切な医療措置及び収容施設内における感染拡大防止策の実施は必要不可欠であるが,この集団感染の背景にはそもそも国際法違反の無期限収容が存在する。
 これまで当連合会は,国際法に違反する外国人に対する無期限収容を廃止すべきであると繰り返し強く主張し,その解放を求めてきた(当連合会2021年1月27日付け「入管法改定案に強く反対するとともに,国際法を遵守した抜本的な入管法改正を求める理事長声明」等多数)。
 そして,新型コロナウイルスが世界中に蔓延するなか,出入国在留管理庁は,「入管施設における新型コロナウイルス感染症対策マニュアル(第3版)」を策定した。同マニュアルでは感染防止策として「各室の換気を最大限励行」(同マニュアル51頁)することが求められているが,支援団体には,被収容者から換気が不十分である施設があるとの訴えがなされている。また,支援団体には,集
団感染判明後は感染蔓延防止のために徹底した消毒が不可欠である(同マニュアル48頁,被収容者処遇規則第32条)にも関わらず,被収容者が電話機等の設備・備品に対する消毒を要求しても職員がそれに応じない施設もあるという訴えがなされているとのことである。このような状況は同マニュアルが遵守されていないことに加えて,人身の自由を制限する収容施設としての意識及び対応能力が欠如している可能性を懸念せざるを得ない。
 同マニュアル44頁にもあるとおり,新型コロナウイルスは施設内で自然発生するものではないところ,被収容者はその自由が制限されており,感染症に対して自ら自衛することは不可能な状況にある。そのような中で集団感染が発生したことは被収容者やその家族にとり,現在の状況及び今後の収容の安全性に対して多大な危惧及び恐怖を抱かずにはいられないものであることは想像に難くない。
 そして,被収容者の中には家族等信頼できる身元保証人がおり,逃亡のおそれのない者も多数いることから,これらの者を収容しておく必要性も相当性もないことは明白である。国際法遵守及び人身の自由に加えて,感染拡大防止の観点からも,陰性が確認された者から順次,早期の仮放免許可や,(再審による場合を含む)在留特別許可によって,収容施設からの解放を実施すべきである。
 また,現時点においてもさまざまな事情により帰国困難な者がいることを踏まえて,被収容者の解放後の生活を維持するための対策は不可欠であることから,その生活保障のために就労の許可や公的支援を受けることができるような施策の実施を求める(当連合会2021年1月27日付け「新型コロナウイルス感染症の影響で帰国困難となった外国人に対する公的支援を直ちに実施することを求める理事長声明」参照)。
 奇しくも長期収容及び送還忌避対策のための入管法「改正」案が国会に提出されようとしているが,政府法案は,無期限収容等に対する抜本的な解決案になっていないことは上記理事長声明において当連合会が指摘してきたところである。東京出入国在留管理局において,最初の感染者の判明から10日が経過しても感染者が増加を続け被収容者の4割を超過した事実からは,収容施設が自らが策定したマニュアルを履行できず,またマニュアルが想定した事態を超えて感染症対策を適切に実施することができない状態が発生していることが強く懸念され,そのような収容施設での収容を継続すること自体が人権侵害である。
 よって,当連合会は,新型コロナウイルス感染症の感染が判明した者に対する迅速かつ適切な医療的措置の実施,陰性が確認された者で逃亡のおそれのない者に対する仮放免許可や在留特別許可による収容施設からの解放を行い,被仮放免者等が生活するための就労許可や公的支援が受けられるような対策を実施することを求める。
 2021年(令和3年)2月26日

クーデターから1ヵ月、ミャンマーが流血の事態に

 山田真貴子・内閣広報官が、体調不良を理由に辞職。菅首相は続投させる意向だったが、ひっくり返った。

 辞職は当然だが、理不尽な方針にいったん固執してから状況に迫られて引っ込める、菅首相はいつもこのパターンだな。哲学もなければ、状況判断もできない人なんだ。 

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 ミャンマーのクーデターから1ヵ月が経って、軍部による弾圧が苛烈さを増してきた。28日には各地でデモへの発砲があり、大勢の死傷者が出た。 

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ヤンゴンで治安部隊と対峙するデモ隊(28日)ロイター

 《ミャンマー国軍のクーデターに抗議する市民らのデモは28日も各地であり、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)の声明によると、治安部隊の発砲で少なくとも18人が死亡、30人以上が負傷した。デモ参加者の1日あたりの死者数では最悪。最大都市ヤンゴンでも初めての死者が出た。
 OHCHRは信頼できる情報として、南部のヤンゴン、バゴー、ダウェー、ミエイ、中部のマンダレーなど6都市で死者が確認されたと明かした。声明は「抗議デモに対する暴力の激化を強く非難」した。(略)27日までのデモ参加者の死者は計3人だった。》(日経)

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NHK2日夜7時のニュース。市民の撮った映像を流す。前列左から2人目が水平に構えた銃を発射している。画面左上の「双方が妥協せず」には違和感

 今回のクーデターではっきりしたのは、NLD(国民民主連盟)に代表される民主勢力と軍部のあいだで10年以上にわたって非常に厳しい権力闘争が続いていたことだ。
 私は2010年以降の民主化の動きをあまりにも楽観的にみていたことを反省させられた。

 ふり返ると―
 2010年11月にアウン・サン・スー・チー氏の自宅軟禁が解除され、翌11年にテイン・セイン大統領が就任、軍部権力の「国家平和開発評議会」(SPDC)が解散して、ついに民政移管が実現した。

 政治犯の釈放やスー・チー氏と大統領との対話(11年8月)から12年4月の議会補欠選挙でのスーチー氏の当選およびNLDの大勝と、この流れをみて、両者は「手打ち」し、民主化への歩みは不可逆かと思っていた。
 最後にミャンマーを訪れたのは2014年はじめだったが、外資の進出やツーリストの増加でヤンゴンの雰囲気がとても明るくなった印象をもち、軍部がもう一度事態をひっくり返すとは想像できなかった。

 しかし、実際には軍部は権力をスーチー氏に渡すつもりはなく、にこやかな握手の裏ではぎりぎりの綱引きがずっと続いていたようだ。また、いわゆる「ロヒンギャ」問題がその権力闘争の激化に密接に関連していた。

 デンマークとフランスの共同制作のドキュメンタリー"On the Inside of A Military Dictatorship"(「ミャンマー民主化の内側で~アウンサンスーチーの真実」2019)がその内幕を描いている。

 まず、2011年の民政移管は、軍人が軍籍を離れて翼賛政党を結成し、NLDボイコットのもとでの選挙で選ばれた元軍人たちが閣僚になったもので、顔ぶれからみると、かつての軍部政権そのものだった。

 このドキュメンタリーで取材した面々、大統領のテイン・セインは軍の元ナンバー4の将軍、工業相のソー・テインが軍歴40年で海軍提督に上り詰めた人物、鉄道交通相のアウン・ミンは40年間軍事独裁政権の一員で家族全員がEUの制裁対象、大統領報道官で第3次テイン・セイン政権で情報相をつとめたイエ・トウは軍歴30年、情報・プロパガンダを担当し家族全員がEUの制裁対象だった。 

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テインセイン

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ソーテイン

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アウンミン

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イエトゥ

 軍部がいわゆる民政移管を進めたのは、ひとえに国際社会の制裁解除が目的だったと当事者たちは語る。
 当時、少なくとも街頭では、反体制運動が抑え込まれ、軍部は市民の民主化への願望を過小評価していた。アウンサンスーチーを自由にした措置を軍部の一部は「死んだトラを生き返らせようとしている」と批判したというが、2012年の補欠選挙で決まる議員数が全体の8%にすぎず大勢に影響がないと軽視した軍部は、スーチー氏の出馬も認めた。
 当選したスーチー氏が初登院のさい、軍人たちと議会で同席することについて、「私は軍に対して好感をもっているので、一緒に席に就くことをうれしく思います。議会に民主主義的価値観を尊重してほしいだけで、(軍人を)排除する意思などありません」と語り、軍部とは妥協しながらやっていく姿勢を示していた。

 軍部としては、彼らが作った憲法が最大の権力の防壁になっていた。
 そこには、将軍たちは訴追されない、軍がいくつもの省庁(安全保障、国境、国防)を支配できる、連邦議会の4分の1の議席を軍司令官が指名できるなどの条項があった。そして第59条F項正副大統領の資格として、「本人、親、配偶者、嫡出子もしくはその配偶者が(略)外国の市民でない」がスーチー氏の大統領就任を阻む。スーチー氏には英国籍の息子がいるからだ。

 スーチー氏はどうしても大統領になりたいし、なってみせるとはっきり宣言していた。そこで最大の争点になったのが、この大統領条項の撤廃だが、憲法改正には連邦議会議員総数の75%超の賛成が必要だ。ところが軍司令官枠がすでに4分の1つまり25%あるから無理なのだ。

 軍部は2015年の総選挙でも自由選挙を許したが、それは占星術師が投票日を11月8日にすれば勝利できるとのお告げがあったからだと言われる。
 2005年に首都を突然ネピドーに移したり、2010年に国旗を変更したのもやはり占星術師からの助言によるとされる。
 ミャンマー軍部の占星術頼りはよく知られている。私がはじめてミャンマーを訪れた1980年代、45チャットや75チャットという紙幣があって驚いたが、これも占星術のお告げなんだよと市民が教えてくれた。

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2015年総選挙時の街頭演説

 ところがお告げに反してNLDが改選議席の8割をとる圧勝で、政府を構成できることになった。NLDは憲法改正の討議と議決にまで持ち込むも、軍部は徹底して反対し、議決では約6割の賛成を得たものの改正には失敗。

 そこで編み出された抜け穴が「国家顧問」という役職の創設だった。「国家顧問」創設のアイディアを考えたのはNLD法律顧問のコーニー弁護士だった。

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スーチー氏側近だったコーニー弁護士

 国家顧問はすべての省庁のトップを管轄下に置くことができる。スーチー氏は「すべては私が決定する。第59条F項が必要なら大統領を私が選ぶ」と公言、外相と兼務で2016年4月に国家顧問に就任した。

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憲法が定めていない大統領以上の存在になります」と国家顧問創設を示唆した会見。このときのスーチー氏は選挙大勝利を背景に得意げな表情だ

 大統領になったのはメソジスト英語学校時代の同級生のティン・チョーで、スーチー氏のいいなりに動く人物だった。軍部勢力は「民主的独裁だ」と非難し、亀裂が広がった。

 しかし、スーチー氏が思い通りに政治を動かせたわけではなかった。軍部が権力を譲り渡すつもりがないことを見せつける事件が起きた。2017年1月、「国家顧問」創設の立役者、コーニー弁護士が殺害されたのだ。
 スーチー氏はコーニーの葬儀に参列せず、公衆の前に出ることを避け、沈黙を通した。この微妙な時期にスーチー氏が何か言えば、事態がさらに悪化するとの配慮だったとみられる。コーニーがイスラム教徒だったという事情もあった。
 その前年、2016年10月、いわゆる「ロヒンギャ武装勢力ラカイン州で地元警察を襲撃する事件が起き、軍はこれを絶好の機会としてイスラム系住民への弾圧を始めていた。内務省国防省、国境省は国軍の下にあり、軍は独自の判断で行動できる。

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1991年、バングラデシュに船で逃げてきた「ロヒンギャ」の人々を撮影する私。「ロヒンギャ」問題は繰り返され、2016年以降大規模に再燃した

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衛星写真では村落がすっかり消えているように見える

 スーチー氏は長期的な見地から軍との敵対を避け、軍の行動を批判しなかった。ミャンマーの市民の間では、「ロヒンギャ」は国家を構成する民族の一つとはみなされておらず、スーチー氏が「ロヒンギャ」を少しでも擁護するメッセージを発すれば反発を受ける。

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ミン・アウン・フライン総司令官。「ロヒンギャ」問題は軍と国民のアイデンティティの問題だとする。またイスラム教徒弾圧はNLDに対する「ワナ」だったとの見方もある。

 スーチー氏は、この問題に関してこう述べた。
 「我々は人権侵害や違法な暴力を非難します。平和と安定、法の支配の回復に全力を注いでいます。
 ラカイン州においてイスラム教徒との調和を図るために政府は最大限の努力をしてきました。今、世界中の関心は、ラカイン州の情勢に注がれています。でもみなさんには紛争地域だけでなく、我が国全体のことも考えていただきたいのです。」

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2017年9月19日会見

 スーチー氏のこの姿勢は、海外メディアや人権機関から袋叩きにあった。

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2018年8月国連安保理国連大使は「ロヒンギャ問題」を正当化しようと話し出すが、途中、感極まって言葉に詰まり涙声になってしまう。NLD政権の苦しさを象徴する

 こうしたスーチー氏らの勢力と軍部の権力闘争は、水面下で激化し、飽和点に向かいつつあった。そこに実施された総選挙でNLDが前回を超える圧勝となり、民主勢力を抑えられなくなったとみた軍部がクーデターに出たのだろう。

 独立の英雄、アウンサン将軍は自らが創設した国軍と愛娘アウンサンスーチーを遺して逝った。いま因縁の両者はどちらも譲れない決戦の場にきている。

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少女時代のアウンサンスーチー

 28日、多数の犠牲者が出て、軍部と市民との断絶は決定的になり、落としどころがまったく見えなくなった。今後、さらに大きな流血をみる可能性があり、心配である。