2月1日、ロシアはウクライナ・ドニプロペトロウスク州で鉱山作業員を乗せたバスをドローン2機で攻撃し、鉱山作業員12人が死亡し、15人が負傷した。

5月1日のメーデーにウクライナのナショナルセンター「ウクライナ自由労働組合総連合」(KVPU)が声明を出し、この事故に触れながら、以下のように述べている。
このような状況下でも、ウクライナの労働者と組合員は、働く人々の権利を守るために闘い続け、労働者の利益を代弁し、改悪につながる立法案の阻止に立ち向かっています。」
ロシアの侵略への抵抗戦の最中でも、「お国の言うことを何でも呑む」という姿勢とは正反対に、労働者の権利を守る立場で闘うと宣言している。
ウクライナの労組への支援を続けるジャーナリストの加藤直樹さんは、ゼレンスキーの言葉にも民主社会の息吹を見いだしている。
「ゼレンスキーが、アメリカのイラン攻撃によってウクライナ向けのミサイル供給が途絶えることで、「困難が訪れると確信している」「単なる懸念ではない」と語っている。ここではしかし、その内容や情勢の話ではなく、彼のこうした「言葉遣い」について考えてみたい。
ウクライナは、国家が成り立つために必要な様々なものの不足と、さらに清算しなければならない様々な負債とを抱えながら出発して、まだ30数年という新興国である。しかし30年かけて、市民社会と民主主義をゼロから自力で築き上げてきた。当然まだまだ足りないことはあるが、そこには若々しい自治のエネルギーがあると感じる。
そのなかで、ゼレンスキーの言葉遣いに注目するのは、自国の困難や不利が現れるたびに、彼が「困難だ」「不利だ」と、驚くほど率直に口にしてきたということだ。困難を否認したり、強がりを言ったりはしない。もちろん、悲観をそのまま口にしているわけではない。「困難だが、だからこそ奮起して、なんとか踏みとどまろう」というような語り口で、人々を鼓舞しようとする。
プーチンのような権威主義の指導者は、これほど悲惨な状況で、こうした言葉を使うことはないだろうし、こうした言葉に鼓舞される人々も彼のもとにはいないだろう。
これは単にゼレンスキーが芸能出身で言葉に長けているといった個人的な次元のことではなく、指導者と国民の間に、そうしたコミュニケーションが成立する関係があるということだ。彼がたびたび前線に赴くのも、国民がそれを求めるからである。それは、30年かけて育ってきたウクライナの民主主義の力、「共和国」の力の表れなのだろうと思う。」(4月6日)
(以上、加藤直樹さんのFBを引用・参照しましたhttps://www.facebook.com/profile.php?id=100007827132029)
一方、ロシアはというと、自由の抑圧がいや増してあの独裁者スターリンが復権している。
モスクワの地下鉄タガンスカヤ駅で昨年、かつて撤去されたスターリンの彫像が再び設置された。

ロシアでは現在、スターリンの再評価が急速に進んでいる。かつてスターリングラードと呼ばれ、1960年代の脱スターリン化の中で市の名称が変更されたボルゴグラードは、空港がスターリングラードと改名された。
スターリンと共に、当時の統治手法も戻ってきた。プーチン政権が批判を抑え込むために導入した「外国の代理人」法もその一つで、1000を超える組織と個人がこの指定を受け、活動について厳格に報告する義務を怠ると起訴される恐れがある。
SNSに投稿しただけで逮捕される事例も相次いでいる。
「過激思想」やロシア軍の「信用をおとしめる行為」を禁じる法律もあり、平和的な政治表現やソーシャルメディアでの投稿などが刑罰の対象になる。ロシアの人権監視団体OVDインフォのリポートによると、ロシアで2024年、政治的な理由で訴追された人は約3000人に上り、このうち1400人余りが収監された。この数は前年に比べて25%増加した。
恐ろしいのは、この現状をロシア国民が支持していることだ。
ロシアの独立系世論調査機関レバダ・センターが去年6月に実施した調査では、ロシア国民の70%が「国は正しい方向に進んでいる」と回答し、プーチン支持率は86%に上った。
史上「最も傑出した人物」としてロシア人の42%がスターリンを挙げた。この割合は、1989年には12%に過ぎなかった。2番目に多く挙がったのはプーチン氏で31%。この割合もウクライナに対する全面侵攻を始める前の2021年に比べ、倍増した。
(ブルームバーグの記事より
https://www.bloomberg.com/jp/news/articles/2025-07-23/SZSSYMGPFHN300#gsc.tab=0)
私がウクライナを支援するのは、まずは国際法上許されない侵略に抵抗しているからだが、それだけではない。ウクライナの国民が「ソ連時代には戻りたくない」という強い意思のもと、自由で開かれた社会を希求し、大きな犠牲を払いつつ実際に形成しつつあるからだ。
ウクライナの戦争は、社会のあり方、市民の生き方をめぐる戦いでもある。











