地村保さんが心残りだったこと

 拉致被害者で2002年に帰国した地村保志(やすし)さん(65)の父、地村保(ちむら・たもつ)さん=福井県小浜市=が10日亡くなった。93歳だった。
 2002年9月の日朝首脳会談金正日が拉致を認め、同10月に保志さん、富貴恵さん夫妻ら拉致被害者5人の帰国が24年ぶりに実現した。
 そのとき、保さんは保志さんと感動の再開を果たした。

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 しかし、保さんの妻のと志子さんは息子が帰ってくる半年前の4月に74歳で亡くなっていた。保さんは亡くなるまで、そのことが心残りだったのではないか。

   私は取材で地村家には何度もお邪魔し、富貴恵さんのお兄さんの浜本雄幸さんの民宿に泊めていただいたこともあった。
 寝たきりのと志子さんが息子との再会を唯一の生きがいにしており、夫の保さんがその思いを叶えようと懸命に努力する姿を目の当たりにしただけに、母子の再会がわずか半年の差でかなわなかったことが今でも本当に残念で、とても悔しい思いが残っている。

 

 若い人はこの事件を知らないと思うので、保さんの来し方を中心に振り返ってみたい。あらためて拉致が、本人だけでなく、残された人々にも言い尽くせないほどの苦しみを与える残酷な犯罪であることを知ってもらいたい。

 

 小浜市は昔から栄えた、京都まで海産物を運んだ「鯖街道」の起点の町だ。近年ではオバマ大統領が当選したとき「オバマフィーバー」に沸いたことを覚えている人もいるだろう。

 

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一家四人。右が5歳の保志さん、左が長男の広さん。

 保志さんは地村家の次男に生まれた。父親の保志さんは大工で、外に働きに出ることが多く、田んぼ仕事は母親のと志子さんがやっていた。保志さんは中学校から下校すると、まっすぐに1キロほど離れた田んぼへ向かい、畦道にカバンをほっぽりなげ「母ちゃん、休んどれ」と言って手伝うのが日課だった。母親思いの子だったのである。高校に入ってからは汗だくで耕運機を扱う保志さんの姿が田んぼに見られた。下校の時分になると、と志子さんがよく「やっちゃん、まだ来んかなあ」と息子を待っていたと近所の人は言う。

 若狭高校商業科で生徒会長をつとめ、成績もよかった保志さんは、推薦で大阪の日立造船に入った。入社式には500人超の新入社員がいて、ほとんどが大卒だったが、代表して式の答辞を読んだのは保志さんだった。
 だが2年後、保志さんは会社員は性に合わない、大工になりたいと会社を辞めた。保さんは「一人前になるには、他人の飯を食わんとダメだ」と、気心の知れた棟梁に息子を預けた。舞鶴で会社勤めをする長男に代って保志さんが家業を継ぐことになった。
 と志子さんは自慢の跡取り息子が可愛くてたまらないようで、20歳を過ぎた保志さんを「やっちゃん、やっちゃん」と小さいころの呼び名で呼んでいた。

 事件が起きたのは、1978年7月7日(金)の七夕だった。保志さんとジーンズショップにつとめる浜本富貴恵さんのデートの日だった。

 二人は当時23歳。1週間前に結納を済ませ、11月に結婚式場の予約を入れていた。ちょうど失踪の前日には、地村家で結婚が話題になっていた。
 新婚1年は二人が別所帯で県営住宅に住み、その間に実家の近くに家を新築して暮らすということになった。「家はわしが建ててやる」と保さんは約束している。二人はどこから見ても幸せの絶頂にあった。


 その夜、二人は小浜湾に面したレストランで夕食をとり、8時ごろそこを出たのを最後に消息を絶った。富貴恵さんは「10時には帰る」と家族に言い残して家を出ている。

 警察が捜したところ、近くの丘の上にある小浜公園の展望台に、保志さんの運転していた軽四輪トラックが駐車したままになっているのが見つかった。それ以外に手掛かりといえるものはまったく見つからない。順風満帆の二人に家出など考えられず、「神隠し」とみな不思議がった。

 

 のちに保志さん、富貴恵さんは、当日あった出来事を証言している。
 公園の展望台で4人組の男たちに襲われ、袋詰めにされたうえでゴムボートに乗せられ、工作船に移されて北朝鮮清津港に運ばれたという。

www.fukuishimbun.co.jp

 「俺はもう殺されるんじゃないかと思った」(保志さん)、「外国に売り飛ばされると思った」(富貴恵さん)という恐怖の体験だった。二人とも、北朝鮮による拉致などという可能性を考えてはいない。そういう時代だったのである。

 保さんは、保志さんが失踪したあと、レストランから展望台までの間の道を、あの日息子が運転した軽トラックで何度も何度も往復しながら、沿道の家々に手掛かりがないかどうか聞いて回った。それが何年も続くものだから、周囲の人たちから、保さんは気がふれたのではないかと思われていた。保さんは、自分にできることが他にないし、何もしていないと苦しくてたまらなかったという。

 息子と婚約者の失踪は、母親のと志子さんの心身に激しいショックを与えた。
 「やっちゃん、どうしとるんやろ。帰ってこんやろか」と毎日泣き続けた。田んぼにも出なくなり、しばらくするとうわごとをつぶやくようになった。ボケたのでは、と医者に診せると「心労が原因の高血圧症」との診断だった。
 2年後の1980年7月、と志子さんは脳梗塞の発作で倒れた。

 と志子さんはそのまま寝たきりになり、言語障害で会話も不自由になった。話が息子のことに触れると、感情が刺激されるのか決まってワーッと泣いた。そして、懸命に口をあけ、一音づつ絞り出すように訴えるのだった。
 「やー、ちゃーん、あーい、たーい」

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自宅ベッドでのと志子さん。保志さんの写真を見ては泣く23年間だった。(読売新聞社

 保さんはと志子さんを自宅において一人で介護した。食事、入浴、排泄の世話はもちろん、掃除や洗濯などの家事もある。家の周りを散歩させたり、髪の毛をとかしたりと、身の回りのこまごました世話も大変だった。
 保志さんのことが気になるが、なすすべもなく、介護だけに明け暮れる年月が過ぎていった。
 私から見ると、妻の介護をこれだけやれる夫が日本にどれほどいるかと思うほどの献身ぶりだった。また、それをあたり前のようにこなしていることに感銘を受けた。

 保さんの生活を一変させたのは、1997年3月の家族連絡会の結成だった。息子をはじめとする拉致被害者を救出する運動が生きがいとなったのだ。
 保さんはまず、政府に救出を要請する署名集めに没頭した。家々を一軒づつ回っての署名集めに加え、自治体関係者を訪ねて協力を頼みこんだ。そのうち回覧板方式で署名簿を回してくれる町内会も現れ、保さんの熱意が行政も動かすようになっていった。
 家族会とその支援団体「救う会」が集めた署名は、2002年6月でおよそ175万人分あったが、うち保さんが関係した分が実に30万人分にもなる。署名にかける保さんの熱心さは群を抜いていた。

 陳情や集会などで家を空けることが多くなり、と志子さんの世話が難しくなると期間を決めて施設に預けるようになったが、寂しがらせないように時間を見つけては、と志子さんの枕元で話をした。きょうは署名がこんなに集まった、あのまちの町内会も協力を約束してくれたなどと、と志子さんを心配させないように希望を持たせる話題を選んだ。

 そのころ、と志子さんが保さんに、枕元で読んでくれと何度もせがむ本があった。
 金賢姫の『忘れられない女(ひと)~李恩恵先生との二十ヵ月』だ。李恩恵(リウネ)先生とは、金賢姫に対する日本人化教育をさせられた拉致被害者田口八重子さんである。
 その中に、彼女が工作員教育を受けていた「招待所のおばさん」から聞いた情報として、拉致された日本人の描写が出てくる。工作機関の招待所には拉致されてきた外国人が一時暮らすこともあり、身の回りを世話する「おばさん」たちは何かと情報を持っていたのだ。

 《そんなふうに話をする招待所のおばさんの純朴な顔には、見るも哀れ、聞くも哀れだという同情の表情がうかがえた。そして、拉致されてきた人の話は一つや二つではなかった。
 ある人は、連れてこられるときから強く反抗したために、北朝鮮に着いたときには満身傷だらけの姿であった。
 ある日本人の男性は、とても心がきれいで大工仕事をよく手伝ってくれたという。
 またある日本人女性は、北朝鮮で外国人と結婚させられたという。

 ある日本人夫婦は、海辺でデートを楽しんでいたところを拉致され、北朝鮮で結婚式を挙げたという。
 また、拉致された人のなかには、まだ高等学校に通っていた少女もいたという。その女生徒は金持ちの娘だったのか、自分のものを洗濯することさえできなかったという。・・・》
(文庫版 P249~)
 今から見ると、実に正確な情報だったことが分かる。

 《ある日本人の男性は、とても心がきれいで大工仕事をよく手伝ってくれたという
 保さんがこの一文を読むと、と志子さんは必ず泣いた。
 「とても心がきれいで」に反応して、「あの子、あんなんやったんや」と、保さんにしか聞き取れない発音でつぶやいた。続けて「朝鮮、やっちゃんを帰してくれるやろか」と聞くときもあった。「皆で頑張って帰させるようにするから、と志子も長生きしろ」と励ますと「うん」「うん」と頷いていた。

 2002年4月6日の夕方4時、と志子さんが危篤だとの知らせが保さんの携帯電話にかかってきた。小浜病院の医師が電話口で「呼吸が止まるようになってきました。申し訳ないですが、覚悟しとってください」と言った。
 電話を受けたのは、関西空港から小浜市に帰るバスの中だった。4月4日から韓国に行って、さっき帰国したばかりだ。小浜市長が、姉妹都市になっている韓国の慶州市を訪問するので、一緒に行って拉致問題解決の協力を要請したらどうかと、保さんや富貴恵さんの兄、浜本雄幸さんを誘ってくれたのだった。

 出発前日の3日の夜には、と志子さんを預けている特養ホームで、「やっちゃんのこと、頼みに、韓国に行ってくるわ」、「はよう帰ってきて」と言葉を交わした。と志子さんは気分がよさそうで、夜11時ごろまで話し込んでいた。ところが、保さんがまだ韓国にいる5日、急に熱が出たため、と志子さんは特養から小浜病院に移されていたのだった。

 つい3日前元気な妻の姿を見ていた保さんは危篤の知らせに驚いた。保さんは「6時半にはそっちに着けると思いますんで、注射でも何でもしてそれまではもたせてください」と電話の向こうの医師に頼みこんだ。
 しかし、渋滞でバスは遅れ、病院に着いたのは6時45分だった。
 病室に飛び込むと、と志子さんの兄弟たちがベッドのそばにいた。白い布が顔を覆っている。間に合わなかった。死亡時刻は6時36分だった。

 布をとって顔を見た。眠っているようにも見える。体はまだ温かい。思わず保さんは、と志子さんの体をゆすっていた。

 「と志子、目あけい。とうちゃん、帰ってきたんやど」

 叫びながら何回も、と志子さんをゆすった。そばにいた看護婦が見かねて、「お気の毒ですけど、もう受け答えありませんよ」と声をかけた。死んだのは分かっていても、保さんはやめなかった。諦めきれなかった。保志に会うまでは死なないはずではなかったか。

 「帰ってきたさかいに、目あけい」

 肩をゆすると、と志子さんの顔がいやいやをするようにゆれた。
 胸の上で組んである手に触れると指は冷たくなりかかっていた。いつも、保さんがそばに来ると、と志子さんは手を伸ばしてきた。手を握ると安心したようにうなづくのが習慣になっていた。だが、きょうは手を握ってやれなかった。冷たい指をさすりながら、不憫さにはじめて涙が込み上げた。

 せめて保志の消息だけでも知らして、楽にしてやりたかった。
 これが保志さんの一番の心残りだった。

 そしてその半年後、保志さんと富貴恵さんが帰国し、飛行機のタラップから降りてくる姿に日本中がくぎ付けになった。
 保志さんと抱き合った保さんの笑顔。だがその胸には、そこにいないと志子さんへの一層の不憫さがこみ上げていたのではないか。
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 地村保志さん、富貴恵さん夫妻は11日、保志さんの父、地村保さん(93)が10日に亡くなったことを受け、福井県小浜市を通じ、連名でコメントを出した。全文は次の通り。

 7月10日午前2時39分、父、保は93歳で永眠いたしました。
 父は生前、私たち拉致被害者の救出に向け、全力で闘ってくれました。そのお陰で、私たちは平成14年(2002年)10月に無事、祖国日本へ帰国を果たすことができました。
 父の救出活動がなければ、私たちの帰国もかなわなかったと思います。あらためて、父には心から感謝したいと思っています。
 横田めぐみさんの父横田滋さんに続き、父も亡くなりました。拉致被害者・家族は高齢化し、解決には一刻の猶予もありません。
 父は生前、すべての拉致被害者が帰国できることを心より望んでいました。父の遺志を引き継ぎ、我々の世代で拉致問題が解決されるよう今後も取り組んでいきたいと思います。

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2005年、保さんは執念の闘いを本にした。主婦の友社

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その本にいただいたサイン。信念と根性で生きよ、とある。当時78歳だったのか・・

 地村保さんは、保志さん、富貴恵さんとその子どもたちが帰国したあとも、まだ帰らぬ拉致被害者たちのために熱心に活動を続けていた。
 長い間の闘い、ほんとうにごくろうさまでした。
 ご冥福をこころよりお祈りします。

 

(地村保さんに関する記述は拙著『拉致―北朝鮮の国家犯罪』(講談社文庫)による)

日本でなぜPCR検査が増えないのか1

 このところ飛鳥時代を勉強している。
 「日本」という国号を使うようになり、大王(おおきみ)から天皇に変わったこの時代、つまりニッポンのはじまりがどうだったのかを知ることで、日本という国柄を理解したいと思ったからだ。

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 これは東京・府中市のけやき通りにある「万葉集」の歌碑。
 万葉集巻十四東歌の武蔵国の一首で、女性が詠んだ恋歌だという。

武蔵野の草は諸向(もろむ)き かもかくも
  君がまにまに 吾(あ)は 寄りにしも

 武蔵野の草が、あちらへもこちらへもそれぞれになびくように、あなたのお心のままに 私は寄り添いましたのに

 相手の男は浮気性でふらふらしているのか。恨み節もまざった恋歌だろうか。

 東国の武蔵国からの歌はほとんどが恋歌だという。
 「万葉集」について無知な私が意外に思ったのは、女性の詠み人がなんと多いかということだ。

 「防人」(さきもり)の歌もある。防人とは徴兵だが、このあたりから関西の難波まで陸路で1ヵ月かかり、そこから船で九州へと向かったという。無事に帰れるか分からぬ別れのつらさは今の時代からは想像を絶する。
 その防人の歌も、半分(武蔵から12首中6首)は妻によるものだという。相聞歌になっているものもある。

 待てよ、そうすると、歌碑のように、万葉仮名で詠んだわけだから、女性も漢字が書けたのだろうか。まさか・・
 防人に徴兵されるのは特権階層ではないはずだから、この時代、平民でも、そして平民の女性でも、漢字の万葉仮名を使って歌を詠んだのか。だとすれば、すごいことだ。
 字が書けなかったとしても、7世紀、8世紀あたりで、平民の女性が男性と対等に詩を詠みあった民族、国家が世界にあっただろうか。

 がぜん、おもしろくなってきた。

 以前、和辻哲郎の本で、「大化の改新」の後の法令によれば、「五歳以下のものを除いて男子に一人あて二段、女子にその三分の二の『口分田』を給せられる」と知った。小児や女性にも土地を与える点は日本独自で、班田収授の制度を輸入した中国大陸とは大きく異なっているという。(『日本精神史』P23~)

 当時の日本では、女性たちは、今の時代より堂々と生きていたのではないか・・・
 すごい発見をしたような思いになり、楽しくなった。
 (もし私の推測が間違っていたら、どなたかご教示ください)
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 東京で一日の数字として最高となる224人の新型コロナの感染者が出た

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フジテレビのニュースより

 いま起きている事態は、これまでのクラスター対策では不十分だということを示している。ホストクラブをモグラ叩きしてもおさまらない。誰でもどこででも感染する可能性を前提とした対策をしなければならない。

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224人感染に「適切な行動」をしてくださいという都知事。具体策は何も出さず、事実上放置の姿勢。

 ここで決定的に重要なのは検査だ。
 どこかの施設や店舗で感染者が出たとしても、そこのスタッフや出入り業者の検査を徹底すれば、全面休業をせずに、非感染者で運営、営業を続けることができる。
 「経済との両立」と医療崩壊への備えという観点から、会社や学校、医療機関などで検査を拡大し、感染者の隔離を早期に行う体制を整えるしかない。

 地域によってはローラー的な検査も導入する必要があるだろう。

 こうした対策を早急に具体化すべきだと思う。

 小池都知事は感染者急増の要因として「検査件数の増加」を挙げる。たしかに一時よりは増えているが、それでも国際的にはまだ桁違いに少ないレベルだ。

 もう半年も前から、専門家からもメディアからも改善策が提案され、安倍首相自らが検査能力の拡大を約束したのになぜ?
 ずっと不思議に思い、このブログでもその理由について何度か書いてきた。
(たとえばhttps://takase.hatenablog.jp/entry/20200502

 きょうは、PCR検査が日本でなぜ増えないのか、その「真相」として、もっとも説得力があると私が思う説を紹介してみたい

 

 まず、ここ1週間、どのくらいのPCR検査が行われているのかを、厚労省のホームページで見てみよう。
 数字は1日当たりの検査人数。ただし一人に複数回検査を行う場合があるのでこれは延べ人数で実数ではない。空港検疫の検査数(通常は1日千人から二千人)は除いた。(なお、7月3日の数字は発表されていない)

1日(水) 6,564人
2日(木) 5,460人
4日(土) 3,134人 
5日(日) 2,618人
6日(月) 8,228人
7日(火) 7,099人
8日(水) 7,725人

 1週間の平均を計算すると1日あたりおよそ5800人となる。
 厚労省の発表では、7月7日時点での、PCR検査の1日あたり最大能力は31,494件だという。https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_12339.html
 キャパの2割くらいを使っていることになる。

 検査実施件数は以前よりは増加しているものの、その伸びは、期待外れだ。4月でも、検査実施人数が―空港検疫を含めてだが―1日1万人を超えた日があった。
https://takase.hatenablog.jp/entry/20200415

 やろうと思えば一気に検査数を増やしている国々があるではないか。
 日本では、なぜPCR検査が増えないのか?

 安倍首相はその原因について「人的な目詰まりもあった」という表現で、設備や薬剤などいわゆる「ハード」の問題ではないことを示唆した。
 5月4日、《安倍首相はPCR検査について「人的な目詰まりもあった。実行は少ないというのはその通りだという認識をもっている」と述べた。同席した専門家会議の尾身茂副座長も「日本はPCRの件数を上げる取り組みが遅れた」と話した》(日経)(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58781100U0A500C2NN1000/

 「人的な目詰まり」と聞くと、なるほど検査には特殊な技術が必要で、そういう人材を養成するのに時間がかかるのか、と思ってしまうが、そうではない。検査に特殊技術は必要ない。
 まず、検査を仕事にしている民間企業を使えばいい。韓国では1社で1日1万件の検査をこなす大手をはじめ多くの民間企業が検査を担っている。
 日本には民間の臨床検査会社が600社以上あるという。https://takase.hatenablog.jp/entry/20200220

 また、検査技師がいらない検査法もある。日本企業「プレシジョン・システム・サイエンス社」は、ボタン操作で全自動のPCR検査機器を製造しており、2時間で12検体の検査が可能だという。フランスもこの会社の技術を使っている。Https://takase.hatenablog.jp/entry/20200510

 ところがいずれも日本では十分には利用されていない。
 これまた「人的な目詰まり」のためのようだが、その真相について、雑誌『選択』6月号が興味深い記事を載せている。結論は―

 《「人的な目詰まり」とはスバリ、厚生労働省健康局結核感染症課、国立感染症研究所(感染研)、保健所・地方衛生研究所(地衛研)から構成される「公衆衛生ムラ」によるサボタージュ》(『選択』6月号P110)

 なんと、原発における「原子力ムラ」のような巨大利権集団の存在が、PCR検査が増えない背景にあるという・・・

 《厚労省関係者は「民間の検査会社や大学に頼めば、PCRは幾らでも増やせたのに、カネと情報を独占するため、あえてやらなかった」と打ち明ける》(同上)
(つづく)

弾圧の法制化が急ピッチで進む香港

 香港の「中国本土化」の動きが、あまりにも速くてとまどう。 

 「香港国家安全維持法」(国安法)施行を受けて、香港政府は、法律の運用方針を決める「国家安全維持委員会」を設立し、6日、初めての会合を開いて捜査の手続きなどの具体的な規則を決定した。
 会合には、林鄭月娥行政長官らに加え、中国政府から派遣された同委員会顧問の駱恵寧主任も参加した。

 香港政府の発表によると、規則は、
 〇緊急の場合などは警官に捜査令状なしの立ち入りや証拠収集を認める
 〇行政長官の許可があれば当局による通信傍受が可能
 〇国家の安全に危害を加える情報の削除をプロバイダーに命じることができる
 〇捜査対象者には、海外への逃亡を防ぐためパスポートの提出を求めることができる
 〇当局に虚偽の資料を提出すれば、10万香港ドル(約140万円)以下の罰金と2年以下の禁錮刑を科すなど、当局に強い権限を与えている。
 この規則はすでに7日から適用された。

 また、中国政府の出先監視機関「国家安全維持公署」が8日、発足し始動した。

 自由の制限がどんどん「本土なみ」になっていく。

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 香港では、抗議活動がいまもゲリラ的に行われているが、集まる人数が激減。定番だった「光復香港 時代革命」(香港を取り戻せ 我らの時代の革命だ)のスローガンが国安法違反になるので白紙の紙で抗議の意思を表している。

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天安門事件の資料を展示する記念館を運営する元立法会議員の李卓人さん。市民の間で萎縮する空気が広がっているが、あくまで香港にとどまると決意をのべる。

 一方、国安法施行を受け、市民の通信の自由がどんどん制限されていくなか、IT大手各社の対応が注目されている。
 フェイスブックツイッター、グーグルの3社は、香港政府によるユーザーデータ提供要請への対応を停止し、新法に一丸となって対抗している。これは、ソーシャルメディア各社が、香港はもはや「一国二制度」ではなくなったと判断したことを示すと思われる。
 
 フェイスブックやグーグル、ツイッターといったソーシャルメディアは、香港以外の中国ではサービスが禁止されている。こうした中、中国でサービスを展開しているアップルやマイクロソフトにも対応を求める声が高まっているという。
 《アップルが公表している透明性報告書によると、同社は今年1~6月の間、香港政府からの情報開示請求のほとんどに応じている。
 マイクロソフトも同じく、香港当局にユーザーの情報を渡していたが、国安法を受けた対応などは発表していない。
 BBCは両社にコメントを求めている。》(BBC https://www.bbc.com/japanese/53317373

 

 中国本土でも言論弾圧が激しさを増している。
 中国の警察が6日早朝、改革派として知られる清華大学教授の許章潤氏(57)を拘束した。(写真は「国際報道」より)
 ニューヨーク・タイムズによれば、許氏は自宅に踏み込んだ警官によって拘束され、同教授のコンピューターや文書なども押収された。

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 中国は2018年3月に憲法を改正し、国家主席の任期を撤廃したが、許氏はこれを文革の極権政治の再来を思わせ、恐怖を呼び覚ますとして反対。1989年6月4日天安門事件に対する評価の見直しも訴え、19年、大学当局から停職処分を受けた。
 このときは日本の研究者ら70人が「許章潤教授(中国清華大学法学院・法哲学)の職務停止の撤回を求める声明」を出している。 

 許氏は今年インターネット上に発表した一連の論文で、新型コロナウイルス流行の初期対応を誤ったとして共産党を痛烈に批判し、説明責任を求めたほか、表現の自由を認めるよう政治改革を訴えていた
 6日の拘束のさい、およそ10台ものパトカーが北京郊外の自宅を取り囲んだという。まるで凶悪犯罪者の捕り物だ。見せしめにしようという当局の意図か。

 展開が急で、香港、中国の人権状況に目が離せない。

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 習近平国賓で招くというふざけた方針の日本政府に、自民党がようやく中止要請の決議を出した。当然だ。
 ところが自民党の総意と取られぬよう、「党外交部会・外交調査会として」とするなど、表現を弱めたというから情けない。

 《自民党政調審議会は7日、中国が香港での反体制的な言動を取り締まる「香港国家安全維持法」に対する非難決議を了承した。焦点だった習近平国家主席国賓訪日については「中止を要請する」から「党外交部会・外交調査会として中止を要請せざるを得ない」などに修正。中国と関係が深い二階俊博幹事長らが巻き返し、表現が弱まった》(朝日新聞

 香港人が現地で声を上げられなくなっている分、日本の政治家が党派を超えて立ち上がってほしい。

カンボジアの絹織物の村がコロナ禍で危機に

 きょうは七夕で、あいにくの雨。節季は小暑(しょうしょ)に入った。梅雨が終わるころなのだが、きょうも九州では大雨で豪雨による死者が50人を越えたという。早く雨が止んでほしい。
 被災者の方々に心からお見舞い申し上げます。
 7月7日から初候「温風至(あつかぜ、いたる)。同じ南風でも、梅雨時は「黒南風」、梅雨が明けると「白南風」と呼ぶそうだ。
 12日からは次候「蓮始開(はす、はじめてひらく)。17日からが末候「鷹乃学習(たか、すなわちわざをならう)。鷹のヒナが、飛んで獲物を捕る技を覚えていくころという意味だ。

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雨に濡れて咲くアガパンサス。agape(アガペ 愛)とanthos(アントス 花)で「愛の花」

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 7月3日は、3年前に亡くなった森本喜久男さんの命日だった。

 このブログで何度も紹介したが、森本さんは絶滅寸前だったカンボジア伝統の絹絣(きぬがすり)の伝統を復活させ、養蚕から布の仕上げまでの全工程をおこなうことができる村「伝統の森」を作り上げた。

 森本さん亡き後、彼が設立した事業体IKTT(クメール伝統織物研究所)は、日本人とカンボジア人の協同の努力で運営されてきたが、いまコロナ禍の影響で売り上げが激減し、存亡の危機に立たされているという。
 支援を呼びかけているので、関心のある方はどうぞご検討ください。

 商品と引き換えのクーポンによる支援もあります。この機会に、手練れの職人の手による伝統の絹絣はいかがですか。

 

 思い出すのは2014年1月、森本さんから直接に「ぼくの余命はあと2年」と聞き、何か自分にできることがないかと考えた。

takase.hatenablog.jp

 2015年から私は、彼が若い人に残すメッセージを本にまとめる作業に入り、彼の生き方をテレビでも知らせようと番組に売り込んだ。
 『自由に生きていいんだよ~お金にしばられずに生きる“奇跡の村”へようこそ』の出版が2017年3月15日、『情熱大陸』の放送が同じ年の4月9日で、かろうじて存命中に間に合ったのは、ほんとうに幸運だった。

 2017年6月14日、つまり亡くなる19日前、に森本さんは福岡で「手の記憶」と題する講演を行っている。
 もうかなり辛そうだったが、講演が始まると、熱のこもった語りを聞かせてくれた。森本さんを偲ぶよすがとして紹介したい。

www.youtube.com

「焚書坑儒」の時代になった香港

 自転車でぶらつきながら古墳を見るのが好きだ。
 自宅から数キロの範囲に、古墳が十ヵ所ほどある。宅地開発でかろうじてつぶされずに残ったもので、これはその一つ、首塚古墳。伝承では、新田義貞の鎌倉攻めの際に討ち死にした武将の首が葬られたことになっているそうだ。

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見た目には誰も古墳とは思わない「首塚古墳」(府中市)。6世紀に築造されたという。

 ネット情報では「径10m、高さ2mの円墳」とされているが、もはや原型をとどめておらず、裏庭にあるお稲荷さんといった風情。
 掃除をしている近所のおばさん(70歳くらい)に聞くと、私はお稲荷さんだと思っていたら、古墳だと言って見学に来る人がいるんですけどね、よく知りません、とのこと。「私が子どものころ、この辺りは一面雑木林でね」と昔話を聞かせてくれた。こんなちょっとした出会いが楽しい。
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 香港で一気に本格的な言論弾圧がはじまった。

 特定の本が、図書館で読めなくなったという。
 「香港国家安全維持法(国安法)が香港に“焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)”をもたらした」と香港の新聞『蘋果(ひんか)日報』(りんご日報)は報じる。

 あれよあれよという間に、香港は香港でなくなっていく

 《反体制な言動を取り締まる「香港国家安全維持法」(国安法)が施行された香港で、公立図書館が民主活動家らの著書の閲覧や貸し出しを停止した(略)
 対象の書籍は雨傘運動のリーダーだった民主活動家の黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏のほか、立法会(議会)議員の陳淑荘(タンヤ・チャン)氏、作家の陳雲氏の民主派3人が書いた計9種類。各地の公立図書館が計約400冊所蔵していたが、4日までに本棚から撤去されたという。蔵書検索サイトでは「審査中」と表示され、貸し出し予約ができない状態だ。》(朝日新聞6日https://www.asahi.com/articles/ASN756RHSN75UHMC002.html

 《黄氏はフェイスブック白色テロ(権力側による弾圧)が広がり、国安法が言論統制の道具になっている」と批判。極端な言論統制が敷かれた架空の社会を舞台にした日本の小説「図書館戦争」になぞらえ、「『図書館戦争』のようなことが香港で起きている」と訴えた。》(中日新聞6日https://www.chunichi.co.jp/article/84092

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黄氏のFacebook「白色恐怖不斷彌漫,國安法根本就係用嚟以言入罪嘅工具,日本動漫「圖書館戰爭」嘅內容,竟然切實咁樣喺香港發生」と書かれている。

 これが進めば、本の発禁までいくはずだ。まるで中国本土並みだ。
 メディアは萎縮させられ、映画、演劇、音楽、文学などの創作活動も非常に窮屈になるだろう。

 梶井基次郎の『檸檬』では、主人公がレモンを爆弾に見立てて、本屋の「丸善」の棚に置き、「もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなに面白いだろう」と妄想するが、「丸善」を「香港警察」に設定したら、私小説でもアウトだろう。

 私たちが当たり前に享受している言論の自由は、様々な自由の根幹をなすもので、これを抑圧することは社会のすみずみにまでその影響がおよんでいく。家族との電話、喫茶店でのおしゃべり、はては日記の表現にまで気を遣うようになる。

 大変な時代がやってきた。

もう一度民度で防ぐおつもりか

 都知事選は盛り上がらず、争点もはっきりしないまま、現職圧勝となった。小池百合子は、宇都宮けんじと山本太郎の票を合わせた倍以上をとるだろうと予想していたが、そうなりそうだ。

 メディアは怠慢だったと思う。候補者同士の論戦など、各候補の人柄と主張を有権者に見せる機会をもっとつくるべきだった。
 ただ、自民、公明両党だけでなく連合東京まで小池支持、国民民主党が自主投票となれば、無風化するのも当然。それにしても連合はどうなっているんだ?

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開票直後に当確。『女帝』を読んだあとで彼女を見ると・・怖い

 これからの4年、口先でのごまかしと空虚なパフォーマンスで都政がむちゃくちゃにならぬよう願いたい。
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 このところ、新型コロナの感染者数が増加し、東京では連日再び3桁になっている。それなのに、国も東京都もこれといって対策を打ち出していない。以下、「朝日川柳」より
 
 「アラート」も「ロードマップ」も使い捨て (東京都 三井正夫)(2日)

 もう一度民度で防ぐおつもりか (愛知県 牛田正行)(4日)

 感染者急増を受けて、西村康稔新型コロナウイルス対策担当相
 「もう誰もああいう緊急事態宣言とか、やりたくないですよ。休業もみんなで休業をやりたくないでしょ。これ、みんなが努力をしないと、このウイルスには勝てません。また同じようなことになります」。
 あんたがた次第だよ、と言ってるのに等しい。民度が高いからお任せなのかな?

 いったん落ち着いたかに見え、これでなんとかなるかと思ったらこの事態で、打つ手なしといった感じだ。東京周辺の知事たちも「大変緊張して見守っています」と言うばかり。

 私は、また自粛せよと言いたいのではない。政治が、情勢の変化に応じた方針を出さないことを問題視している。
 例えば、休校措置は子どもの格差を広げるから極力避け、こういう手立て(教職員と生徒全員のPCR検査など)をとって学校を開いたままにしてくださいとか、企業、医療機関、学校、地域などに具体的な対応策を提示すべきだろう。
 感染経路不明が多数出ているからには、「夜の街」を悪者扱いして済む話ではないはずだ。
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 熊本県、鹿児島県の豪雨が大被害をもたらしている。

 3日夜から4日朝にかけて九州には線状降水帯(列をなした積乱雲群によって、数時間にわたってほぼ同じ場所を通過することで作り出される強い降水を伴う雨域)がかかり、記録的な大雨となった。
 12時間雨量は熊本県水俣市で415.0ミリ、湯前町の横谷で411.5ミリ、山江村で406.5ミリ、天草市牛深で385.0ミリなどと、いずれも観測史上1位の値となり、記録的な大雨となった。たった半日で、平年7月ひと月の雨量に匹敵、または超えるような雨が一気に降り、球磨川が氾濫し、住宅が冠水するなど、大きな被害がでている。
https://tenki.jp/forecaster/deskpart/2020/07/04/8845.html

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 テレビニュースで、コロナで事業が行き詰っていたところに豪雨被害で、もうどうしたらいいか分からないと泣いている人を見たが、本当にお気の毒だ。これからも強い雨が続くとの予報だが、これ以上の被害が出ないよう祈ります。

 1時間10ミリくらいの雨で「ザーザー降り」なのに、半日で400ミリ超といえば、バケツをひっくり返したような雨が何時間も続いたわけだ。  
 今回の大きな被害には、大潮だったことや球磨川の地形なども与っているけれど、近年増えている「記録的な豪雨」が原因なのは明らかだ。ちょうど3年前が、ご縁のある福岡県朝倉市が被災した「九州北部豪雨」だった。

三連水車の里、朝倉市が豪雨被害 - 高世仁の「諸悪莫作」日記


 1時間50ミリを超す豪雨の頻度が、この30年で1.4倍になっているという。
 日本近海の海面水温がこの30年で2~3度上昇しており、これが蒸発量を多くして豪雨になりやすくなっているとみられる。(松尾一郎・東大大学院客員教授

 問題は、日本で「浸水想定区域に」住む人が3500万人(350万人ではなく!)にのぼること。しかも、その人口がどんどん増えているという。
 《国や都道府県が指定した河川の洪水による浸水想定区域に住んでいる人は、2015年時点で約3540万人に上り、20年前の1995年と比べて4.4%増えたことが、山梨大の秦康範准教授(地域防災)の調査で17日、分かった。世帯数は約1530万世帯で、24.9%と大幅に増えた
 秦准教授は、郊外を中心に浸水想定区域の人口や世帯が増えたと指摘。要因を「中心市街地は大規模な開発が難しいため、手ごろな価格で土地や住宅を確保できる郊外で開発が進んだ」と分析する。今後の対応としては、既に住んでいる人への啓発や、危険性に応じた土地の利用規制、開発の抑制を挙げた》
日経新聞https://www.nikkei.com/article/DGXMZO39022920X11C18A2CR0000/

 新型コロナ禍ばかりに注意がとられていたが、台風などの風水害に加え、大地震、火山噴火など、日本列島は自然災害の多いことでは世界トップクラスだ。

 わが国の政治が、コロナでモタモタしているのを見ると、今後の本格災害に対応できるのか、心配になる。しっかり監視しなければ。

稀代の悪法!「香港国家安全法」

 「香港国家安全維持法」は、事前の予想を越える悪法であることが分かった。

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香港警察の公式ツイッターより

 香港警察のツイッターで、この法律での逮捕第一号を写真で紹介している。
 「香港独立の旗を所持し、国家安全維持法に違反した男が逮捕された。これが法律施行後の最初の逮捕である」とある。
 しかも、彼は旗を広げたのではなく、荷物検査で旗を持っていただけで逮捕された。

 彼が来ているTシャツの見慣れた「光復香港 時代革命」(香港を取り戻せ 我らの時代の革命だ)のスローガン、これも法律違反と解釈されうるという。

 《2日付の香港紙・明報は警察関係者の話として、このスローガンを警察が違法と判断したと伝えている。スローガンを2016年に発案したのが、中国からの独立を主張する過激な反中国グループ「本土派」のリーダーだったことが問題視されたという》(朝日新聞3日)

 法律を読んでいくと、気になる条文が次々に出てくる。そのいくつかを挙げると―

 第9条 香港特別行政区は、国家安全を維持し、テロ活動を防止するための努力を強化しなければならない。 学校、社会団体、メディア、インターネット等の国家安全に関する事項について、香港特別行政区政府は必要な措置を講じ、広報、指導、監督、管理を強化しなければならない。
 メディア規制を格段に強化し、盗聴なども大っぴらにやるつもりだろう。

 第20条以下の「国家分裂罪」では香港特別行政区又は中華人民共和国その他の部分と書いてあるので、香港だけではなく台湾、チベットウイグルなどの問題を話題にすること自体、はばかられるだろう
 第一、中国共産党への批判ができなくなるだろうから、多くの香港人が嘆くとおり「言論の自由は死んだ」。

 第33条 次のような事情がある場合には、被疑者又は被告人は、減軽を受けることができる。 より軽い罰則は免除される場合がある。
 (3)他人の犯罪行為を告発して証言した場合、又は他の事件を発見するための重要な手がかりを提供した場合。

 これは密告の奨励で、これまでの中国共産党のやり口からは、相当汚い手を使うことが予想される。

 驚いたのは、香港の外、つまり外国での言動も対象になること。
 第37条 香港特別行政区の永住者、又は香港特別行政区に設立された企業や団体などの法人、又は非法人組織が香港特別行政区外で本法に規定する罪を犯した場合、本法が適用される。

 さらには、 香港特別行政区の永住権を有しない者、つまり香港人ではない私のような外国人にも適用するという。
 第38条 香港特別行政区の永住権を有しない者が、香港特別行政区の外で香港特別行政区が実施する本法に規定する罪を犯した場合、本法が適用される。
 ええっ、香港特別行政区の外」とはここ日本も含む全世界ということだ。では、中国の人権弾圧などを批判する私のこのブログも引っかかるのか。こんなむちゃくちゃな規定、ありえないだろ!?
 もし、私が知らないうちに中国当局にマークされていれば(まあ、私のような小者はお呼びでないとは思うが)中国や香港に行ったとたんに逮捕されるかもしれない。
 日本のウエブサイトを検索してブラックリストを作ることなど、中国のAIの技術ならすぐできるはずだ。なんとも怖い話だ。

 《中国問題に焦点を当てたブログ「チャイナ・コレクション」に投稿しているドナルド・クラーク氏は、チベット独立を提唱する米紙コラムニストが新法違反になる可能性もあるとしている。
「もしあなたが中華人民共和国あるいは香港当局の機嫌を損ねるような発言をしたことがあるなら、香港には近づかないように」と、クラーク氏はつづった。》(BBCより)
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-53259691

 何が違反行為か不明な、あいまいな表現も多く、解釈権は本土(中国共産党)にあるから、何でもひっかけられる。
 この法律が香港の法律と矛盾する場合には、中国側の法律が優先される。
 当局は好みの裁判官を選任できるうえ、裁判が中国で行われる可能性もある。
 まさに中国共産党のやりたい放題、何から何まで香港の自由をがんじがらめにする規定ばかりだ。

 (ジャーナリスト福島香織氏の解説も参照されたい。 https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61142

 身の危険を感じて、海外に脱出する活動家も現れた。昨年のノーベル平和賞候補にも名前があがったネイサン・ロー氏も今後は海外で活動するという。

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左からネイサン・ロー氏、ジョシュア・ウォン氏、アグネス・チョウ(周庭)氏。3人とも6月30日、政治団体「デモシスト」(香港衆志)からの脱退を表明した。

この法律の施行を受けて、香港の代表的な民主活動家である羅冠聡(ネイサン・ロー)氏(26)が2日深夜、自身のフェイスブックで香港を離れたことを明らかにした。直前にテレビ会議システムを通して米下院の公聴会で証言。香港の人権状況の悪化について説明するなど支援を呼びかけたことで「予測できない危険な状況に陥った」と説明した。》(朝日新聞3日)

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米上院公聴会で証言するネイサン・ロー氏

 事態がここまで来ると、日本にいる我々が香港の人々に対して、簡単に「がんばって!」などと言えなくなる。彼らは終身刑まで科せられる弾圧システムに直面しており、場合によっては命の危険さえある。

 香港情勢に詳しい倉田徹立教大教授は、国際社会が一致した形で中国に強く抗議していくことが必要だという。
 これからは、香港の外にいる我々が彼らの分も声を大にして訴えていかなくてはならないのだろう。