『ウクライナはなぜ戦い続けるのか』予約販売開始

 去年ウクライナを取材した成果をウクライナはなぜ戦い続けるのか~ジャーナリストが戦場で見た市民と愛国』旬報社)にまとめました。

旬報社 1870円(税込)12月12日発売予定


 ロシアの全面侵攻からもうすぐ3年。ロシアが民間インフラを狙って人々の暮しを破壊し続けるなか、ウクライナでは兵士だけでなく銃後の市民もやれることを見つけて抵抗を続けています。

 ウクライナを旅するあいだ自問したのは「もしウクライナが日本なら、自分はどうするのか?」でした。本書では、ウクライナの戦う姿から、私たち日本人の戦争と平和、国家と国民にかんする価値観を問い直してみました。

 アマゾンで予約販売が始まりましたので、ご関心ある方はお求めください。

 

 私は昨年、戦争下のウクライナを訪れ、市民や兵士の置かれた状況を見てきました。

 前線では物量に勝るロシア軍の攻撃を兵士らが懸命に食い止め、市民がカンパやクラウドファンディングで武器や必要な装備を調達して直接、部隊に届けていました。音楽家やコメディアンも前線の兵士を慰問するなど、市民一人ひとりが得意な技能や可能な活動で祖国の抵抗戦争に貢献しようとしていました。

 もし他国から侵略されたら「あなたは進んで自国のために戦いますか」と77の国・地域で調査したところ、全体では「はい(戦う)」が64.4%、、「いいえ(戦わない)」が27.8%でした。日本は「はい」が最下位でわずか13.2%、「いいえ」が48.6%と各国のなかで突出しています。また、「わからない」が38.1%と、これも世界一。

 日本に住む私たちの多くが、国の運命など自分とは「関係ない」と思っているということなのでしょう。日本では「愛国心」が戦前の軍国主義を想起させるとして忌み嫌われてきました。しかし私たちは、このままの価値観で、混迷の時代を生きてよいのでしょうか。また、人として生きる意味、死ぬ意味を自覚できるでしょうか。

 ウクライナで感銘を受けたのは、市民が自発的にロシアへの抵抗を続けていたことです。ある青年は私に「政府なんかあてにしないで、祖国に自分のできる限りの貢献をする」と言いました。彼にとって祖国とは「政府」ではなく、自分と家族や友人、愛する郷里と同胞、そこに根付く文化や伝統のすべてを意味します。人々は祖国のために生きることに、さらには祖国のために死ぬことにも意味を見いだしていました。

 私たちにとって「国」とは何か。

 ウクライナで私は、日本人の平和と戦争、国家と国民、人の生き死にの意味について考えさせられました。

 

谷川俊太郎の死によせて(3)

 畑の大根を抜いて洗ってみたら・・・びっくり!




 三日前のことだが、谷川俊太郎にふさわしいような気がして、なんだか一日中うれしかった。

 谷川俊太郎は92歳で亡くなったが、近年のインタビューでは死についてよく語っていた

 その中でこんな発言をしている。

「死は人生のダークサイドだって思われがちですが 、死の先に何かが開けている」

「最近、宇宙は目に見えない、ビッグバンのエネルギーに満ちているように見えてきた。僕は今、死んでも宇宙のエネルギーと一体になれると思う」

 おお、これは私の考えるコスモロジーとほとんど同じだ。とすると、前回の「芝生」という詩で、「私の細胞」が記憶していたのは138億年の宇宙の歴史となるのではないか。ますます彼の詩がおもしろくなってきた。

 朝日新聞の17日付朝刊に「感謝」という詩が載った。


 谷川俊太郎の書き下ろしの詩を毎月第三日曜に掲載する「どこからか言葉が」というコーナーで、彼が13日に亡くなったあとにこの詩は発表された。説明はないが、彼自身が「最後の詩はこれにしてほしい」と指定していたのかもしれない。そう思っても不自然ではない詩である。

 

感謝

 

目が覚める

庭の紅葉が見える

昨日を思い出す

まだ生きてるんだ

 

今日は昨日のつづき

だけでいいと思う

何かをする気はない

 

どこも痛くない

痒くもないのに感謝

いったい誰に

 

神に?

世界に? 宇宙に?

分からないが

感謝の念だけは残る

 

 私も感謝の念をもって死んでいきたいものだ。

谷川俊太郎の死によせて(2)

 うちの近くの学校の校歌を谷川俊太郎が作詞していると聞き、調べたら作曲は息子さん(二番目の妻の)で、父子の作だった。

 

国立(くにたち)第七小学校校歌

     作詞 谷川俊太郎  作曲 谷川賢作

(愛にあふれたやさしい気持ちで)

たびしてみたい いろんなところ

はなしてみたい しらないひとと

ちきゅうはとっても たのしいほしだ

まなぶ みとめる たすけあう・・・

http://kunitachi.ed.jp/el07/l2/l3/Vcms3_00000014.html

 曲を聞いてみると、まるでフォークソングみたいで、私のような"古い人間“は、これが校歌なのか?と不思議な感じがするが、だんだん「いいね」と思えてくる。児童がこれを歌って、楽しく、前向きな気持ちになってほしいと願う。

www.youtube.com

 

近所の小さな図書館でも谷川俊太郎コーナーがさっそくできていた

 谷川俊太郎は、政治的な発言は多くなかったが、本ブログで紹介したように弾圧された人への連帯を示した。

takase.hatenablog.jp

 

 ところで、彼自身が一番好きな詩は何だったろう。

 あるインタビューで、「詩の中でいえば、『芝生』という詩は自分で「これはいい」と思っています。生まれ方が特別だったものだから」と語っている。
https://news.mynavi.jp/article/20140516-tanikawa/

 ということで「芝生」をどうぞ。


芝生
  
そして私はいつか

どこかから来て

不意にこの芝生の上に立っていた

なすべきことはすべて

私の細胞が記憶していた

だから私は人間の形をし

幸せについて語りさえしたのだ

 

 「私の細胞が記憶していた」ものとは?

(つづく)

谷川俊太郎の死によせて

 詩人・谷川俊太郎が亡くなった。

 訃報が朝刊の一面トップになるとは、もうアイドルというしかない。小中高の教科書を制覇し、たくさんの校歌を作詞し(うちの近くの小学校の校歌も彼の作詞だったことをきのう知った)、さまざまなメディアに露出して社会に大きな影響力を持った。これほどの国民的詩人は不世出と言っていいだろう。

 私も若い頃、『二十億光年の孤独』など彼の初期の詩を読んで好きになった。ただ彼の仕事の全体像や業績については、『鉄腕アトム』の主題歌を作ったことなど、訃報で知ったことも多い。

 大量の解説や追悼の文章が出ており、あらためて彼の詩を論評する気はないが、この機会に知った詩を一つ紹介したい。私の尊敬する人二人が、もっとも好きな谷川俊太郎の詩としてあげていた。

 なるほど、たしかに実にいい。

 

なんでもおまんこ   谷川俊太郎
 
 
なんでもおまんこなんだよ

あっちに見えてるうぶ毛の生えた丘だってそうだよ

やれたらやりてえんだよ

おれ空に背がとどくほどでっかくなれねえかな

すっぱだかの巨人だよ

でもそうなったら空とやっちゃうかもしれねえな

空だって色っぽいよお

晴れてたって曇ってたってぞくぞくするぜ

空なんか抱いたらおれすぐいっちゃうよ

どうにかしてくれよ

そこに咲いてるその花とだってやりてえよ

形があれに似てるなんてそんなせこい話じゃねえよ

花ん中へ入っていきたくってしょうがねえよ

あれだけ入れるんじゃねえよお

ちっこくなってからだごとぐりぐり入っていくんだよお

どこ行くと思う?

わかるはずねえだろそんなこと

蜂がうらやましいよお

ああたまんねえ

風が吹いてくるよお

風とはもうやってるも同然だよ

頼みもしないのにさわってくるんだ

そよそよそよそようまいんだよさわりかたが

女なんかめじゃねえよお

ああ毛が立っちゃう

どうしてくれるんだよお

おれのからだ

おれの気持ち

溶けてなくなっちゃいそうだよ

おれ地面掘るよ

土の匂いだよ

水もじゅくじゅく湧いてくるよ

おれに土かけてくれよお

草も葉っぱも虫もいっしょくたによお

でもこれじゃまるで死んだみたいだなあ

笑っちゃうよ

おれ死にてえのかなあ

この詩は『夜のミッキーマウス』(2003年)で発表された。『恋愛詩ベスト96』にも所収。

(つづく)

拉致実行犯 辛光洙直撃取材の記録⑦

 19日でウクライナへのロシアの全面侵攻から1000日となる。

 これに合わせて国連は閣僚級会合を開催。ディカルロ国連事務次長は「ウクライナでは地獄のような千日が続いている」とし、これまでに子ども600人をふくむ少なくとも1万2164人の市民が殺害されたと報告した。実際の犠牲者ははるかに多いとみられている。

日テレニュースより

 ロシアのプーチン大統領は19日、核兵器の使用基準を引き下げる大統領令に署名した。

 2020年に署名した、国の存在が脅かされる場合は通常兵器による攻撃でも核で反撃できるとした「核抑止の国家政策の基本」をさらに改定し、ウクライナ侵攻をめぐって対立する米欧への「核の脅し」を一段と強めた。

 今回の改定では、核兵器保有国から支援された非核保有国からの攻撃は、「ロシアに対する共同攻撃」とみなすと明記。反撃対象になる攻撃を明確化し、軍用機や巡航ミサイル、ドローンなどが大量に発射され、ロシア国境を越えるという確度が高い情報を得た場合、核兵器の使用が可能になるとした。

 米メディアは17日、バイデン米政権がウクライナに提供した長射程のミサイルでロシア国内を攻撃することを許可した、と報じたが、ロシアはこのタイミングで核兵器使用の基準を実質的に緩めると強調することで、ウクライナへの新たな支援を強く牽制する意図があるとみられる。(朝日新聞を引用)

 バイデンの決定は遅すぎた。いまロシアが大量のミサイルでウクライナのインフラを攻撃しているが、もっと早くロシアのミサイル基地を叩いておけば、ここまでひどい事態にならずに済んだ。トランプ政権までの2カ月でウクライナがどこまで挽回できるか・・・。

・・・・・・・

辛光洙シン・グァンス)と朴春仙(パク・チュンソン)さんの会話】つづき

2016年7月に平壌のある集会で辛光洙の姿が確認された。(全列左から3人目)。拉致の実行者は処罰されたと金正日は言ったが、北朝鮮辛光洙を英雄扱いし続けている。

 拉致実行犯、辛光洙は国際手配されているものの、北朝鮮は英雄扱いをやめず、私たちの手の届かないところにいる。

 辛光洙に「民族反逆者」、「裏切者」と罵られ続けてなお、血圧が高いから興奮しないで、と「先生」を気遣う朴春仙さんだったが・・。

 ここからはほとんど日本語のやりとりになっている。

 

朴春仙:私は‥・先生が15年も(刑務所に)入れられて・・・だから私は祖国統一する・・・統一するでしょう。それだったら、この地でがんばってくださいって言いたくて。

辛光洙:ここで? なぜだね?

朴:先生は(北朝鮮で)捕まったらひどい目にあうんじゃないかと心配で・・・。

辛:この安企部の手先! バカなこと言うんじゃないよ。クソ野郎!

朴:先生は(北朝鮮に)行って自信あるんですか、行って?

辛:あるから行くんでしょう。

朴:行くんですか?

辛:そう。

朴:いったん捕まったのに、やられるん違うの?

辛:誰がそんなこと言ってた?

朴:言わないけど、そうじゃないかと思うの。だってちょっと疑わしきはみんな殺しちゃってんだから。

辛:だからバカなことを聞いていると・・。

朴:だって事実じゃないですか。だったら先生、北朝鮮から韓国に亡命してきた黄書記、知ってますでしょう? あの人に会ってみてくださいよ。北がどんな状態か。

辛:黄長燁(ファン・ジャンヨプ)と私は違う。黄は朝鮮で罪を犯し、ここに逃げてき、彼は朝鮮で罪を犯してここに来た人間じゃないか。

朴:罪を犯してないですよ、あの人は。

辛:バカなこと言うんじゃないよ。罪を犯してない人がなんでそっから逃げるんの?

朴:北から渡ってくる10万人もの人たちは、あの国はめちゃくちゃだって・・。

辛:私はここで良い話だけ聞いていると思うのか? 新聞なんかでそんな話を聞いたら、血圧が上がってどうしようもない。悪い話、良い話をを全部聞いて全部知ってるよ。だけど、それは新聞、ラジオ、テレビを聞いて知っていることであって、直接来てこんなふうにする人はいません。そんなふうにしたら大変なことになります。

 だから、安企部の奴らもそうだし、日本の警視庁は私を恨むだろうけれど。日本の警視庁は何だ。安企部が「思い通りにしていい」と言って、日本の警視庁の人が来たよ。「日本に行かなくてもいいから、ここで自分と会おう」と言った。

(注)日本警察が韓国政府に辛光洙の事情聴取を要請したさい、韓国側は辛光洙の「思い通りにしていい」つまり日本警察の事情聴取に応じるかどうかは辛が決めていいとしたことを言っている。

朴:会いましたか。

辛:私がなぜ会うんだ?
 問題は私を政治的に利用し、我々は祖国統一、南北統一のために私の命を捧げようというのに、南北を分断させようとする奴となぜ会う? 分断よりももっと悪化させようということなのに、私は徹底して南北統一のために闘う人間なのに、北に対し非難をしたり、北に行けば;どうなると話すこと自体が南北統一をさせないことだ。

朴:違います。

辛:私を訪ねてくる人の中で、そのような人は一人もいない。訪ねてくる人のなかで、そのような人は一人もいない。訪ねてくる人の接見名簿を見て多くの人に会うよ。南の学生、北に行ってきた記者たちみんなに会う。だけど、安企部が送った人には会わないよ。

朴:先生、ひとつだけ聞かせてくださいよ。

辛:いやですよ。

朴:そしたら、ほかしたらええわ。こんな人の気持ち、先生は分らない人じゃないと思ったのに。

辛:人の気持ちを分かりたい人は、まずそちらから人の気持ちを分からないといけない。

 朴春仙さんはここで辛光洙と話していた部屋から出てきて、ジン・ネット取材班の千田記者、この「出会いの家」に同居する男性らと合流した。

朴:(記者に)ちょっとこっちに来て。要らないんだって。先生は誤解をしています、たくさん。要らないんだって。私のこと、めちゃくちゃ誤解してるわ。

辛:(記者に)日本人か?

記者:そうです。先生ね、朴春仙さんが裏切り者だって、おっしゃいましたね?

辛:バカなこと言うんじゃないよ。

朴:なにが裏切り者だ!

辛:裏切り者じゃなくて、民族反逆者だよ。

朴:なんでですか(と泣く)。

 私が告げ口をしたのではありません。あなたと一緒にいた人が突き出したんでしょ。私は先生を助けようと、どれだけ苦労をしたか。私の兄が死んで。私の兄は死にました。あなたのせいで。私が(あなたを)助けてあげたのに。

記者:先生ね、朴春仙さんのお兄さんは殺されたんですよ。

辛:なにをそんなバカなこというか。

記者:バカなことじゃないよ。朴さんのお兄さんは殺されてるんだよ。銃殺されて。

辛:銃殺? 銃殺?・・そんなバカなこと言うんじゃないよ。

同居人:帰れ!

記者:兄弟がね、兄弟が・・・

同居人:帰れ!(と記者らを階段下に押し出そうとしてもみ合いになる)

記者:そうです、朴さんは探しに行ったんですよ。そしたら北朝鮮の幹部が謝罪したんですよ。(もみ合い)

朴:謝罪しました。(同居人に)私は犠牲者です。私はこの先生を助けてあげていたのに、私の兄まで、わが国(ウリナラ)が殺しました。この先生が良く話してくれていたら、私の兄は死なずにすみました。私の兄がなぜ死ななきゃいけないんですか? 私が(辛を)助けてあげたのに。

辛:朝鮮の革命に・・(と言いながら自室に引き上げようとする辛に記者が詰め寄って)

記者:朝鮮の革命のためなら、原敕晁さんを拉致してもいいのか!原敕晁さんを拉致したんだろう!

辛:なにを言うか、このクソ野郎!(と記者を殴り、突き放して自室に入ってドアを閉める)

 二人の会話は今回で最後です。

 「工作員」と聞くと、ロボットのような我々とは異質の人間を思い浮かべるが、朴春仙さんという女性との絡みのなかで、彼の特殊ではあるが我々と共通部分もある人間の一面が見えたように思われます。また、工作活動の具体的な姿も露わになり、参考になります。

 長い連載にお付き合いいただき感謝します。

拉致実行犯 辛光洙直撃取材の記録⑥

 兵庫県知事選での斎藤元彦氏と稲村和美氏が、トランプとハリスにダブって見える。

 民意が民意を追放したような、何ともいいようのない感覚に襲われた。「既得権益」と闘う改革の士のイメージ作りはまさにトランプ的なのだが。日本でも危ない風が吹いてきたのか。

・・・・・・・

 北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)は、1980年に拉致した原敕晁(ただあき)さんに成り済まして韓国に入り、85年に逮捕された。スパイ罪で死刑が確定するが減刑されて無期となり、金大中政権で1999年末に恩赦を受け、いわゆる「太陽政策」のもと北朝鮮へと送還された。

原敕晁さんに成り済ました辛光洙

 辛光洙を含む63人の「非転向長期囚」北朝鮮に送還されたのは2000年9月2日。

 「非転向長期囚」とは獄中で「帰順」(転向)しないまま刑期を終えた元服役囚で、スパイ(工作員)が49人、ゲリラが14人、平均年齢は75歳だった。この送還は北朝鮮が以前から要求してきたもので、「離散家族の再会」とならぶ、この年の6月の南北首脳会談で決まった目玉政策だった。

 板門店に続く道路には、朝早くからプラカードや横断幕を用意した人々が集まり、規制する警備隊ともみ合っていた。朝鮮戦争で捕虜になったり、戦後、北朝鮮に拉致された人々の家族だった。辛光洙らの送還は、北朝鮮への一方的すぎる譲歩だと抗議に来たのだった。

 その中に朴春仙(パク・チュンソン)さんの姿もあった。辛光洙ら「非転向長期囚」を乗せたバスが通り過ぎるとき「辛光洙!原さんを返せ!兄さんを返せ!」と朴さんは大きな声で叫んだ。バスはスピードを緩めることなく一瞬で通り過ぎ、辛の顔は見えなかった。

1999年末「ミレニアム恩赦」で釈放された辛光洙

 2002年8月1日、警視庁は辛光洙の逮捕状を取った。警察は拉致の立証が難しいと判断し、原敕晁さんの旅券や免許証を不正に使用したとして旅券法違反、出入国管理法違反、免状不実記載容疑での逮捕状請求となった。

 同年9月の日朝首脳会談金正日が拉致を認め、「責任ある人々が処刑された」と説明。これを受けて十日後の9月27日、警察庁辛光洙を国際手配し、身柄の引き渡しを求めていくことにした。

 釈放されてから北朝鮮に送還されるまで、辛光洙はソウルの支援者の施設に住んでおり、その時期に私たちは直撃取材をしている。日本の警察は北朝鮮への送還直前、辛光洙が事情聴取に応じるよう韓国政府に文書で要請したのだが、辛に拒否されて実現しなかった。

 辛光洙が1985年に逮捕されたとき、原敕晁さん拉致も判明していたのである。日本の警察はもっと何かできなかったのかと歯がゆく思う。辛光洙が日本国内に広く築いた協力者ネットワークにはほとんど手がつけられていない。

・・・・・・・

辛光洙と朴春仙さんの会話】 つづき

辛光洙:私を反逆者にさせようとしているんじゃないか。そのような話を私の前ですること自体が失礼だ。いくら厚かましい人だって、人の前ではそんなこと言うんじゃないよ。

 俺はバカじゃないんだよ。俺を育てて大学まで卒業させたのは誰か。最後まで恩に報いるのが人間なのに。それなのに今、私を育て大学まで勉強させてくれた祖国が俺を裏切った? ばかばかしい。(ここはほとんど日本語で語っている)

朴春仙:分かりました。それは置いてきます。U(娘)がくれたの。

(注)「それ」とはお土産のこと。Uは辛光洙と同居経験がある朴さんの3人の子どもの一人。

辛:Uもなにも、私は要らない。お前が送ったものは一度も開けずに送った人にそのまま返送した。そのまま返送したら、もう二度と送っちゃいけない。ずっと送り続けたら、これは日本語で言えば「嫌がらせ」よ。

朴:分かりました。じゃあ先生は、私が裏切ってめちゃくちゃにしたと思ってるわけ?

辛:なぜ、朝鮮に忠実な人を冒涜するのが裏切りじゃないんだ。生きても死んでも朝鮮のために生きるというのに。この歳になって、私一人をおいて、日本、韓国の安企部、警視庁が手をつけられないから後ろで操っていることは分かっている。私が生きているから、死ねば操り人形の価値がなくなり、死のうとまで決心しているのに、ここまでやって来て。

 たとえばH子。H子の家に何度か行って、H子が嫌だと言えば行かないはずだよ。私が政治的な目的で、私がどんな人だか知ったら。15年間こんなことをし続けて。一番悪いよ。

朴:先生は私が裏切ったと思ってるの?

辛:安企部に売り渡した方元正(パン・ジョンウォン)よりももっと悪い。方は私を売り渡して、韓国から1億5千万ウォンをもらった。しかし、ヤツはそれ以来、男らしく僕の前に現れたことがないよ。ヤツだけじゃなく、彼の全家族が、私がその家に荷物もお金も預け、それを返してくれなくても、話さず、自分たちが全部所有してしまった。また、その人を通して僕が何億円というお金を南朝鮮に送ったのに。

(注)ここに出てくる方元正は辛光洙の配下で、1985年、辛に先立って韓国で逮捕されている。彼の自白から辛が逮捕されたとされるが、「1億5千万ウィン」で「売り渡した」と非難してこの事実を裏付けている。また、億単位の対南工作資金を韓国に送るなど「大物工作員」の片鱗を見せている。

朴:先生、とにかくもらってください。

辛:人間というのはね。

朴:私が裏切ったん違う!(泣く)

辛:裏切り・・・

朴:先生、北朝鮮はまともな国じゃないでしょ。じゃあなぜ・・

辛:その話をなんで僕にするんだ。

朴:だから先生が、あの国で任務を受けてたずさわったけど・・北朝鮮は変ってしまったんですよ。私のために変わったんじゃなくて事実そうなってるじゃない? 先生が分からないと思って言ってるんですよ。

辛:ぼくはバカじゃないんだよ! このような本を書く能力のない人が、他の人が書いておいて自分の名前だけ貸してあげたというそんな人が、私に「朝鮮の人は飢え死に」、そこでは私を裏切っているのに、私が、辛がバカになって朝鮮を信奉していると。思想転向させようと・・

朴:違います。真実を分からないとだめだって言ってるのです!

辛:真実を知っている。朝鮮を捨て、日本の奴らの手先になれと言ってるんじゃないか。

朴:違います。

辛:なら、なぜそんな話をするんだ。

朴:先生、興奮しないで。血圧が高いんだから・・

辛:血圧・・血圧と何の関係がある?

(注)激しく罵られながらも、「先生」の体を心配する朴さん。「ソウルの冬は寒いから」と辛光洙への衣類などのお土産を日本で買い込んでやってきた。朴さんは、辛光洙がいる部屋に入る前、髪をとかし、取材班に見られぬようそっと口紅を塗っていた。工作員という立場はあっても、もしかして心では分かりあえるものがあるのではと期待したのかもしれない。辛と暮らした3年間が人生でもっとも幸せだったという朴さんの心情はとても複雑だったろう。

(つづく)

 

拉致実行犯 辛光洙直撃取材の記録⑤

 とんでもないことが起こりそうだ・・次期トランプ政権の閣僚人事の顔ぶれを見て、こう思ったのは私だけではないだろう。

 人間活動による温暖化を「信じない」と公言するトランプ氏はエネルギー長官に油田サービス会社CEOを指名。気候変動対策の国際的枠組み「パリ協定」から再離脱するだろう。厚生長官には反ワクチン活動のケネディ氏だと・・。「二十四時間以内に停戦させる」というウクライナや、イスラエルによる掃討作戦を「仕上げるべきだ」とするパレスチナ・ガザでは、国際人道法が完全に無視される事態も予想される。
 
 ただ同時に実施された各州の住民投票では、10州で中絶の権利を法的に保障する提案が出され、これまで中絶が全面的に禁止されていたミズーリはじめニューヨークやアリゾナなど7州で勝利した。フロリダでは賛成が57%と多数だったが、可決に必要な60%に届かなかったという。個別のイシューではトランプ氏の主張が受け入れられたわけではないようだ。なぜ、トランプが(なぜトラ)をさらに考えてみたい。
・・・・・・

 辛光洙シン・グァンス)は五男二女の末っ子で、兄弟姉妹のうち、北朝鮮に行ったのは彼一人。他はみな韓国に住んでいたのだが、全州刑務所に収容されていたとき、辛光洙が面会に応じるのは段番目の兄、辛チャンス氏だけだった。そこで彼に会おうと、朴春仙(パク・チュンソン)さんと私たちジン・ネットの取材班は、軍事境界線に近く日本海に面した港町、注文津(チュムンジン)に向かった。海へ落ちていく急勾配の斜面にある古い農家にチャンス氏は住んでいた。

辛光洙の家族写真。三男チャンス氏、四男チョルス氏と光洙(NNNドキュメントより)

 声をかけると、アポなしで訪れた私たちに会うことをチャンス氏はいやがった。辛光洙事件で一家は大きな傷を負っていたからだ。「北のスパイ」の親族と後ろ指をさされ、就職が取り消された家族もいたという。だが、朴さんが光洙と暮らしたいきさつを話すうち、互いに親戚のように打ち解けてきた。

註文津の急勾配の道を降りていく朴さん

 チャンス氏によると、光洙は根っからの共産主義者ではないという。「向うに家族がいるので、言いたいことも言えない」と泣きながら言うのを聞いたという。「非転向」の理由は北に残した家族を守りたいからだとチャンス氏は言う。そう信じたいチャンス氏の願望も交じっているだろうと思いながら話を聞いていた。

チャンス氏に話しかける朴さん

 辛光洙朝鮮戦争で攻め込んできた北朝鮮軍に加わってそのまま北に行ってしまうのだが、光洙のすぐ上の兄、チョルス氏は韓国軍に志願してパイロットとして参戦し、戦死していた。チャンス氏はその死を嘆き、骨を拾えないならせめてチョルス氏の眠る近くにと、軍事境界線まで80キロのこの地に移り住んだのだという。兄弟が敵味方に分かれて戦い、一人は戦死し、一人はスパイで捕まった。話をするうち、感極まったのか、チャンス氏は突っ伏し、床を拳で叩きながら泣き出した。あとで日本語に訳してもらうと、こう嘆いていたそうだ。

「わが一族の運命は、どうしてこんなに険しいのか・・・」

・・・・・・・

 

辛光洙と朴春仙さんの会話 つづき

 

朴春仙:じゃあ先生、私が四回も(刑務所に)行ったのに会わなかったのは、そのことを怒ったからなんですか。

(注)朴さんは、全州(チョンジュ)刑務所に収監されていた辛光洙に4回、差し入れをもって面会しに出向いたが、すべて拒否されて会えなかった。辛の「正体」を確認し、兄をなぜ助けてくれなかったかなど、胸につかえていた疑問をぶつけたかったという。

辛光洙:そうだ。民族反逆者なわけだが。(中略)

 わが朝鮮民主主義人民共和国を非難するのは民族反逆者だ。もともと日本の親日反逆者が政権を握っているのは、南の政府だ。愛国者が日本の植民地時代に満州武装を破って戦ったのが抗日遊撃隊だ。抗日遊撃隊が朝鮮民主主義人民共和国のルーツだ。このルーツを否定し、日本の奴ら、米国の奴ら、ここにいる親日派の手先になって、我々を非難する本を書き、文章を書いていること自体が民族反逆者じゃないかね。

朴:先生、じゃあね、いま北朝鮮でたくさんの人が餓死しているのに・・・先生は愛国心に燃えて大変な仕事をしているのに、北朝鮮のやってることはめちゃくちゃだってこと。

辛:そんな話をなぜ私にするんだ。めちゃくちゃであれ、くちゃくちゃであれ、関係ない。なぜそんなことを私に言うんだ。私が誤解しているのか。誰が誤解しているのか、見てみなさい。世界というものは、人間というものは、もともと・・・とにかく、原始社会で人間がサルのように過ごしていました。次第に奴隷社会、封建社会、資本主義社会。

 資本主義社会から金持ちは良い暮らしができ、お金がない人はずっと差別を受けなければいけない。民族的な差別、男女差別、人種差別をするから、差別を克服するために、社会主義共産主義になるんだ。だから、私を説得しようと、(朴さんが持参した衣類など辛へのお土産を指して)これを何のために持ってきたんだ。

朴:娘が買ってくれました。「先生に持ってってやれ」って。これだけでももらってください。

(注)朴さんの3人の子どもも幼いころ辛光洙と一緒に暮したことがある。

辛:嫌だね。

朴:(辛光洙の)お兄さんの写真です、これは。

(注)    1997年4月に朴さんが辛光洙の兄チャンス氏を訪ねた時の写真を見せようと持参した。

辛:いらない。私は徹底して朝鮮民主主義人民共和国共産主義者なのに、私たちをけなし、世界中にあることないこと話して。

朴:ほんまに先生、分らず屋やね。私が裏切ったん違うのに・・・。

辛:裏切りをしなかったなら、なぜ、今も私の前でこんな風に話して。

朴:先生、私が裏切ったん違う。

辛:頭の中がごちゃごちゃになってしまったけど、人間、礼儀道徳がなくちゃ。

朴:先生を裏切ったのは、先生の仲間でしょ。

辛:いま、ここで私になんと言った? 「いま、共和国では人々が飢え死にして・・・」

朴:飢え死にしている、ほんとうに。

辛:そのような話を監獄で、『朝鮮日報』がそんなことを書いていることを私が知らないとでも思っているのかね? そんなことを私に話してどうしようというんだ。

朴:先生は一生、私を誤解してる。

辛:私に朝鮮を裏切れと言っているのが、それが私を裏切っているのではないか。

朴:それなら先生も裏切ったじゃないの。

辛:裏切った? 朝鮮が私を裏切ったのでもなく、私も朝鮮を裏切らないということだよ。なのに私を民族反逆者にさせようとしているんじゃないか。

朴:違います!

(つづく)