病室から空を撮っていた鬼海弘雄さん

 お知らせ
 12月1日(火)よる9時から「アナザーストーリーズ」(NHKBSプレミアム)で「横田めぐみさん拉致事件 横田家の闘い」が放送されます
 この中で、事件を取材したジャーナリストの「視点」も描かれるとのことで、私もめぐみさんが通っていた新潟の寄居中学校の近くで取材を受けました。
 当時の資料やメモをひっくり返して、タイムスリップし、再び拉致問題に向き合いました。
 よろしければご覧ください。

 

www.nhk.jp

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 株価が上がってニュースになっている。

 24日のニューヨーク株式市場で、ダウ工業株30種平均が大幅上昇し、史上初めて3万ドルの大台を突破した
 これを受けて25日午前の東京株式市場の日経平均株価(225種)は大幅続伸し、上げ幅は一時500円を超えて1991年4月以来約29年7カ月ぶりの高値水準に達し、バブル経済崩壊後の最高値を連日で更新したという。
 コロナ禍で多くの企業がつぶれ、失業者も増える一方で、実体経済とかけ離れた動きを見せる株式市場。

 資本主義はだめだわ、やっぱり・・
 などと思うきょうこの頃、久しぶりに興奮して読んだ本がある。

 斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社)だ。

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 いま注目の本で平積みになっている。
 抜本的な世直し=革命の可能性が説得力をもって迫ってきて、熱くなった。
 結論は、資本主義は地球に人類が住めなくするのでNG。後期マルクスをもとに「低成長のコミュニズムを主張している。賛成!

 とにかく痛快な本で、とくにかつてコミュニズムをかじった人にはおすすめです。
    この種の本で「痛快」感を持つのはまれだが、論旨がすっきりしていることと未来に明るい希望を提示していることが与っているのだろう。

 半年ほど前に白井聡『武器としての「資本論」』東洋経済)を読んで、もういちど『資本論』をちゃんと勉強しなくちゃと思い、山形に墓参りに行ったときに物置に置いてあったカビだらけの『資本論』を持ってきた。
 そして斎藤氏のこの本を読んで、先々週から図書館に行ってマルクスエンゲルス全集から関連個所をコピーしたりしている。
 低成長のコミュニズムについては、いずれまた書こう。
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 鬼海弘雄さんが10月19日に亡くなって、はやいものでもう1ヵ月が経った

 鬼海さんの携帯に、病室から撮った空の写真が残されていたという。
 ご遺族が公式ホームページに載せている。寂しさが募る。

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公式ホームページより

hiroh-kikai.jimdofree.com


「空を撮りたいな」

亡くなる3ヶ月前からいきなり言い出した。

「ハッセルで撮る。撮れるかな」

何回も何回もそう繰り返して、

一回入院道具のカバンにハッセルを入れて持っていったこともあった。

一時退院して、「副作用辛くて撮れなかった」と言っていた。

「今回は無理だったけど元気になって、ハッセルを持って空を撮ろう!」と意気込んでいた。

鬼海弘雄は空が大好きだった。


亡くなる2週間前に2枚だけ、自分の病室から空を撮った。

携帯で写真を撮るのだってかなり難しい状況だった。
話すのだってやっとの状況だった。

でも、最期の最期まで鬼海弘雄は仕事に対しての気持ちはすごかった。


『もう一回自分の足で歩いて街を撮りたい」

『もう一回浅草で人を撮りたい』

『空を撮りたい』
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 私が最後に電話でお話したときも、鬼海さんは「もう一回、街を歩いて撮りたい」と語っておられた。
 Youtubeで「東京迷路」を観て鬼海さんを偲ぼう。

www.youtube.com

すごいぞ!台湾のコロナ対策

 これからいよいよ寒くなってきそうだ。
 節季は小雪(しょうせつ)。雪がちらほら舞う時節という意味だ。初候「虹蔵不見」(にじ、かくれてみえず)が22日から。27日から次候「朔風払葉」(きたかぜ、このはをはらう)。12月2日からは末候「橘始黄」(たちばな、はじめてきばむ)となる。

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 公園で早くも椿が見事な花を咲かせていた。
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 安倍晋三氏の大きなウソが一つばれそうだ。

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 桜を見る会」の前日に地元支援者らが1人5000円の会費の前夜祭に招かれるのが常態化していたが、これに毎年、安倍氏側が差額の補填として多額の支払いをしていた疑いがあることが分かった。

 安倍氏は「事務所や後援会の収入、支出は一切ない。政治資金収支報告書への記載の必要はない」「事務所側が補塡したという事実もまったくない」と説明してきたが、これが完全に覆される可能性がでてきた。

 読売新聞によると「会場のホテル側に支払われた総額が、昨年までの5年間に計約2300万円に上ったのに対し、参加者からの会費徴収額は計1400万円余り」にとどまり、安倍氏側が補填した差額は800万円超にのぼるという。また、安倍氏は「明細書もない」と言い張っていたが、安倍氏が代表の資金管理団体「晋和会」宛ての領収書もあることがわかったという。

 これが確認されれば、有権者への寄付行為として公職選挙法違反、また収支報告書に記載しなかったのは政治資金規正法違反にあたる。
 安倍氏の事務所は23日、「告発を受けて説明を求められたので、捜査に協力し、真摯に対応している。詳細については、差し控える」とのコメントを出した。これはもう認めたも同じだ。

 ウソをつき、文書もないとシラを切り、関係者の証言を封じたのはモリカケと同じパターン。だが、森友学園問題でもこんなニュースが。

 《衆院調査局は24日、森友学園問題に関して、2017年2月から18年7月に安倍政権が行った事実と異なる国会答弁が計139回あったと明らかにした。
 衆院財務金融委員会で、調査を求めた立憲民主党川内博史氏の質問に答えた。
 調査の対象は、17年2月15日から18年7月22日までの衆参両院の国会質疑で、当時の安倍晋三首相や佐川宣寿財務省理財局長(辞職後の証人喚問を含む)らが行った答弁。財務省が18年6月にまとめた森友問題に関する決裁文書改ざんに関する調査報告書と、会計検査院が同月に参院予算委に提出した報告に照らして内容が異なる答弁を数えた。
 その結果、財務省の報告書と異なるものが88回、会計検査院の報告と異なるものが51回の計139回に上った。》(朝日新聞

 安倍前内閣の所業の総点検がすぐに必要だ。
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 Go Toトラベルがとりあえず(知事の要望に従って、というかっこうで)札幌と大阪を目的地とした旅行の新規予約は一時停止という小出しの措置になった。

 政府がお金を出すからどうぞ旅行してくださいと始めたキャンペーンなのに、自治体にやめるかどうかの判断を委ねるのはおかしいと何人もの知事が指摘したが、そのとおり。政府は今になっても抜本的な方針を打ち出す気がないようだ。

 コロナ禍は世界共通なので、海外で何をやっているかを見ると、日本の立ち位置が分かるし、教訓を得ることができる。
 ここで紹介したいのが台湾の手法。なぜコロナを押さえ込むことができているのか。
 以下の報告を読むと、台湾と日本のあまりの落差に目まいがするほどだ。
 
 簡単にいうと、

 台湾に留学していて日本に帰国した日本人女性が日本の空港でPCR陽性となった。
 台湾ではそれを受けて、彼女との接触者140人を割り出しすぐにPCR検査を実施。全員陰性となったが、念のため、接触者123人に、同じ学校の学生の中で5月から6月までの間に発熱や上気道症状を呈した90人を加え、計213人に抗体検査(計5種類の手法―4つは欧米で正式採用されている試薬、1つは台湾CDCの独自手法を併用)を行ったというのだ。
 さすが!としか言いようがない。

 日本がどれほど立ち遅れているのかを認識したうえで、検査の拡充(無料化を含む)など基本的なことから真摯に改善するよう政府に強く求めたい。

 以下の報告者は日本生まれの台湾人医師。

www.covid19-jma-medical-expert-meeting.jp

(前略)
ある20代日本人女性の事例を紹介したい。

この半年続いたCOVID-19対策を通して、日本と台湾間に生まれた「差」を示す良い事例だと思う。女性は20年2月末に日本より台湾へ留学。6月20日に日本帰国。日本到着時に空港で受けたPCR検査が陽性となり(無症状)、6月23日夕に日本側担当者から台湾へ報告された。台湾政府は状況を理解するために詳細情報を日本側に求めたが、なかなか返答がないため、国内の調査を開始した。クラスター調査で通常より時間範囲を拡大し、接触者140人(学校の教師やクラスメート、寮のルームメートなど)を洗い出した。内2人は日本人で既に帰国していた(日本入国時のPCR検査陰性)ので、台湾国内にいる123人にPCR検査と在宅隔離を実施、残り15人は自主健康管理となった。

6月25日朝、日本側からの回答が届いた。女性の検査値(Ct値)は37.38で、台湾では弱陽性と判定されるだろうケースだった(台湾では、Ct値35未満の場合に陽性と判定。これまでの研究結果では、Ct値が33より大きい場合にはウイルスは培養されない)。

既存の情報だけでは感染時期の特定が困難だったため、日本側にPCR再検査と抗体検査の実施を打診したが、残念ながら実現しなかった。日本の状況を考えれば、無理だろう。

6月26日にPCR検査結果が出揃い、全員陰性だった。台湾国内の状況をより明らかにするために、接触者123人に、同校の学生の中で5月から6月までの間に発熱や上気道症状を呈した90人を加え、計213人に抗体検査を実施した。抗体検査は2ヵ所の研究室において計5種類の手法(4つは欧米で正式採用されている試薬、1つは台湾CDCの独自手法)を併用した。

7月8日に抗体検査結果が公表された。3つの手法で213人全員が陰性。1つの手法では2名弱陽性。もう1つの手法では別の2名が弱陽性となった。これらの結果から、弱陽性症例はいずれもその他4手法では陰性だったため偽陽性と判断し、213人全員抗体検査陰性、すなわち感染歴なし、と判定した。ここから、日本人女性の検査陽性例について類推される可能性は2つ:① PCR検査偽陽性、② 1ヵ月以上前の無症候感染で既に治癒。いずれにしても、台湾国内において水面下に感染拡大している可能性は極めて低いとして、当事案対応は終了となった。

この事例を通し、7月現在の台湾と日本の「差」を感じ取ってもらえただろうか。台湾は、新しい感染症の感染者への対応に追われる中でも、研究開発を行うためのインフラを作り、全国で網羅的かつ迅速に臨床情報や試料の収集・分析を行ってきた。

その結果、抗体検査ひとつとっても、今回のように必要な場面で有効に活用し、ついでに既存の試薬の性能を検証する実験も盛り込むことができるのだ。

結語
台湾のCOVID-19対策において称賛する点は多々あるが、その中でも、政府が科学を尊重した上で政策決定していた点と、政府が国民との対話を重視することで社会不安を早期に取り除いた点が素晴らしかったと筆者は思う。

未知の事態に立ち向かうにあたり、日本にいながらも、日本政府の思考がいまひとつ把握できないと感じていた筆者にとっては、柔軟性とスピードを維持しながらワンチームで突き進んでいる台湾が羨ましかった。

既知と未知を明確に認識し、科学の限界を受け入れ、仮説と検証を繰り返す。我々医師にとっては当然のアプローチだが、その当然が日本政府内にあったのか? 個人的には疑問が残る。

加速する香港の弾圧で周庭さんも収監

 日本でよく知られた香港の民主活動家、周庭さんもジョシュア・ウォンとともに収監されてしまった

 《[香港 23日 ロイター] - 昨年6月に香港政府の「逃亡犯条例」改正案に反対し、警察本部周辺で無許可の集会を扇動したとして罪に問われた民主活動家の黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏や周庭(アグネス・チョウ)氏ら3人の公判が23日、香港の裁判所で行われた。保釈の継続は認められず、3人は即日収監された
 3人は有罪判決を受けており、量刑は12月2日に宣告される。(略)
 裁判所の前では多くの支持者らが、民主派のスローガンを唱え、3人の釈放を求めた。》

 《3人が罪に問われているのは、湾仔の警察本部を数万人で包囲したデモについて。黄氏は23日朝、裁判が始まる前に記者団に対し、「デモを組織し、無許可のデモに参加したことを認める」と話した。黄氏らは逃亡犯条例反対デモによって警察が若者らを拘束したことに抗議し、釈放を求め、約16時間にわたって警察本部を取り囲んだ。
 香港メディアによると、未許可のデモに参加するよう他人を扇動した罪が認められれば、刑期は最高5年になる可能性がある。黄氏は同日朝、「即座に収監されても驚かない。意見の異なる者への攻撃が続くなか、我々が生まれた街の自由を守るため、抗議の場は監獄に移る」と話した。》(朝日新聞

 周庭さんはきのうのツイッターで、
 「去年香港の警察本部であったデモの件で、明日の日本時間朝10時半から裁判があります。裁判所から出られない可能性もありますが、無事に外に出られますように。」
と書いていた。

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 これまでは逮捕されても保釈されてきた周庭さんだが、収監されるのははじめて。
 きょうは代理人ツイッター
 「皆様と周庭の誕生日を過ごしたいと願っています。12月2日の判決が無事であるように、もし遅れても後でプレゼントを開けられるように。」
 と書いている。彼女の誕生日は12月3日なのだ。はたしていつ出てこれるか。

 私が最後に香港を取材したのが去年の11月初旬だった。
 そして1年前のちょうど今頃は香港区議会選挙での民主派の地滑り的勝利を驚きをもってみていたのだ。

takase.hatenablog.jp


 たった1年で、ここまで様相が変わってしまうとは・・・。

 香港の民主化運動への弾圧は日増しに酷くなっている。

 今月11日、香港立法会(議会)の民主派4人の議員資格が剥奪され、これをめぐって民主派議員15人全員が抗議のため辞職を発表した。この結果、政府側に異議を唱える議員がほとんどいなくなった。

 イギリス、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダの外相は18日、中国が香港での批判的な声を封じ込めるために組織的活動を行い、国際的な義務に違反していると非難する共同声明を発表した
 共同声明では、11日に議員資格を剥奪された民主派4人を復職させるよう中国政府に求めた。

 これに対して、中国外務省の趙立堅報道官は19日、「(5カ国は)気をつけないと、目玉を引き抜かれるだろう」と述べ、中国の内政問題に口出ししないよう警告した。恫喝である。

 中国は国際的な圧力など歯牙にもかけないというかたくなな態度を強めているが、抗議し続けることが大事だ。

 4人の民主派の議員剥奪に対しては、13日に日本の超党派の有志議員でつくる「対中政策に関する国会議員連盟」が「香港の高度な自治に対する受け入れがたい攻撃」とする非難声明を決議している。声明は「中国指導部に対し、香港への不当な行動について責任を負わせるよう、日本政府が速やかに行動することを要求する」とも記すが、菅義偉首相は「重大な懸念」という表現にとどめている。

 より毅然とした対応を求めたい。

拉致はなぜ放置されてきたのか3

 コロナウイルスの新規感染者はきょう2500人超となり、4日連続で過去最多を更新した。ここまできてもわが国では具体的な対策らしいものが示されない。第3波の襲来はもう人災と言うべきではないか。

 小池百合子東京都知事は19日、緊急記者会見を開いた。
 いったい何が提案されるのかと思ったら、「5つの小」と記されたフリップを掲げ、小人数、小1時間、小声、小皿、小まめと、会食時の注意点を掲げただけ。この人、「三密」といい、都知事の仕事は気の利いたキャッチフレーズを考えることだと勘違いしているようだ。

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 菅義偉首相は同じ19日、「最大限の警戒状況にある」と危機感を示したかにみえたが、「対策」としては、「皆さん、『静かなマスク会食』をぜひお願いしたい」と言っておしまい。GoToイートで外食を奨励したうえで、食べながらマスクしろという。
 要は、民度の高い国民の皆さんがちゃんとしないと感染がひどくなるよ、とこっちに責任を放り投げているわけだ。いやはや。

 以下、私の周りで見聞きしたことから。

1)古い友人と久しぶりに来週会おうかと予定していたら、突然以下のようなキャンセルの申し出があった。
 「先日会った知人の家族が新型コロナ感染者の濃厚接触者だということがわかりました。知人もその家族も今のところ発病していませんが、ご迷惑をおかけするもしれないので、私も1週間から10日ほど自粛します」
 こうして「濃厚接触者の接触者」でさえ、民度の高い国民たちは自発的に仕事や行動を控えている。
 もし、検査施設がもっとたくさんあり、検査が無料か低額で受けられるなら、陽性か陰性か分からないまま長期間ひたすら自宅に籠っている必要はない。感染拡大防止にも「経済」にもプラスになるはずだ。

2)クリニックを経営する親戚が「看護師が足りなくて募集をかけているが、コロナ禍のなか、全く応募がなくて困っている」と嘆いていた。
 医療機関で働く人はアブナイという風評から医療従事者の子どもが幼稚園への通園を断られる事例もあるという。多くの病院の経営も厳しくなる中、今後増加する重症者の受け入れ体制などは十分なのか。

3)東北地方でタイ料理店をやっている知人ときのう電話で話した。
 「使えそうな支援制度はみな使ってますが厳しいです、いつつぶれてもおかしくない状態です」と悲鳴を上げていた。コロナ感染が収まるにはかなりの時間がかかることがはっきりした以上、国民生活を支える何らかの経済対策が必要ではないか。

 検査体制の抜本的改善、ひっ迫する医療体制へのテコ入れ、市民への一定の行動制限とその補償、経済的に追い詰められている市民への追加の経済対策・・・やるべきことは山積みだろうに。オリンピックがどうのと言ってる状況じゃないでしょ。

 国民からのブーイングに押され、政府はやっときょうになってGoToの見直しなどを表明した。もう連休が始まったのだが。

 菅首相はじめ閣僚はいつも「専門家が(対策会議が)こう言うので・・」と人任せの説明しかしないが、国民に向かってしっかり現状認識を語ってほしい。
 危機のときにひどいリーダーをもつ国民は不運だが、そのリーダーを選んだのは私たちだ。いまはともかく批判、抗議の声をあげて尻をたたこう。
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 戦闘が続くシリアのイドリブ県で、反政府活動家らが、横田めぐみさんの似顔絵を壁画にし、シリア情勢にも目を向けてほしいと訴えた。
 

news.tv-asahi.co.jp

 

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 シリアではアサド政権に拉致される人が数えきれないほどいる。私も取材したシリア難民の何人かから家族や友人が連れ去られて消息が不明だと聞いた。投獄され拷問されて、闇から闇へと葬られるケースが多いという。
 生死を知る手がかりすらなく案じ続ける人びとの苦しみに思いをはせる。
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 政府認定の17人の拉致被害者のうち、工作船密入国した工作員に拉致された人が、横田めぐみさんはじめ少なくとも12人にのぼる。だから工作船による工作員密入国を阻止できれば拉致事件の多くは防げたはずだ。
 ところが、そこによく分からないことがあるのだ。

 工作船による密入国の手順は以下のようだ。
 工作母船が日本の沿岸に近づくと、潜入工作員とそれを補助する工作員複数(計3~4人)が乗った工作子船が母船後尾から出される。子船でさらに岸に近づき、ゴムボートまたは水中スクーターで上陸する。出迎え要員が海岸で待っており、石を打ち鳴らす、ライトを点滅させるなどの合図で潜入工作員と落ち合う。同行してきた工作員は母船まで帰っていく。
 まるで映画か小説のようだが、こうして密入国した工作員が、海岸近くで警察に摘発されたことがある。それが一件や二件ではなく、数が多い。
 一般にはほとんど知られておらず、私自身、拉致問題を取材してから、その多さに驚いたものだ。

 私の郷里の山形県で起きたある事件を紹介したい。

 事件が起きた場所は、日本海に面する庄内の温海(あつみ)町である。
 1973年8月6日の『山形新聞』社会面に以下の記事が載った。

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山形新聞』社会面 右から1973年8月6日、7日、26日付


十年ぶり密航か 未明の温海

ずぶぬれ二人逮捕 一人逃走 空海陸から捜索

 五日未明、温海町の海岸わきの国道7号線朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)の国籍を名乗る三人の男が、パトロール中の温海署員に職務質問され、逃亡した。このため、同署は全署員を非常招集して緊急手配、同日午前五時までにうち二人を外国人登録法違反(登録証明不携帯)の現行犯で逮捕、残る一人の行方を追っている。調べに対し、二人は「船が難破した」と言っているが、酒田海上保安部などの捜索でも形跡が発見されず、同署では密航者の疑いを強め、県警察本部警備課の応援できびしく追及している。

 北朝鮮の船、難破・・・」

 逮捕された二人は、Aが四十歳くらいで身長百五十五センチの中肉、カーキ色のズボンに半そで下着姿。Bは三十歳くらいの身長百七十センチのやせ形、濃いグレーのズボンに上半身はハダカ。逃げたもう一人は背が低く、四十五、六歳。三人とも作業ズボンにズックばきで、かなり疲労気味。

 同日午前零時二十分ごろ、同町早田海岸ぞいの国道7号線で、鶴岡方面に歩いている三人連れをパトカーで巡回中の同署防犯係鈴木光也巡査と、同パト係布川敏徳巡査の二人が見つけ、職務質問した一人が北朝鮮の国籍を名乗ったので、外国人登録証明書の提出を求めたところ、Aが鈴木巡査にヒジでつくなど抵抗している間に二人が逃げた。Aをその場で逮捕、二人を追った結果、同五時ごろBは現場から一・五キロ南に行った鼠ヶ関キャンプ場で、鶴岡市の高校生二人のテントの中で寝込んでいたところを見つけ、捕まえた。隣接各署や新潟県警の協力を求め、残る一人の行方を捜しているが、手掛かりはつかめていない。

 Aは日本語を使い、国籍を名乗ったほか、「鶴岡市の三瀬沖で漁船が沈んだので上陸した。ついでに日本を見物して行こうと思い南へ向かって歩いてきた」と話した。また調べ室では北朝鮮の政治や思想などについて日本語を混じえて述べるものの、登録証明書や、行動については時折り朝鮮語で話すほかは一切ノーコメント。Bは机にうつ伏せになったまま、しゃべらない。

不審な船は発見できず

 所持品は年配者が白紙の手帳と海水パンツを持っていたほかは、何もなかった。ただ若い男がはじめに逃げたさいナップザックを持っていたので、途中で隠した疑いがあり、警察犬を使って、付近一帯を捜している。

 警察が密航の疑いを強めているのは①登録証を持っておらず、いっさいの行動を話さない②三人とも作業ズボン、ズックばき、それにことばなどから日本で生活した経験がないようだ③船の難破の形跡がない④ズボンと上半身がぬれていた―などから。同署と本部警備課は、逃げた一人の行方を追う一方、A、Bの身元確認、密入国の方法、動機などの究明に力を入れる。

 一方、警察からの要請を受けた酒田海上保安部では五日午前四時巡視船やまゆき、三十分後に巡視船とねを出動、また新潟の第九管区海上保安部にヘリコプターの応援を求め、酒田―鼠ヶ関間の海域を空と海から大がかりに捜索した。

 同日の海上は、南東の風二メートルで曇っており、視界も二、三キロと悪く、夜が明けてからの捜索でも不審な船や漂流物は発見出来ず、同日午前十時半に打ち切った。

 また、県漁業無線局(酒田市)の話では前夜から同日未明にかけては庄内浜沖一帯で出漁中の漁船は少なく、不審船を目撃したとの情報や、怪電波などはキャッチしていないという。

 県警警備部の調べによると、庄内浜で密航事件がひん発したのは去る三十六年から三十八年にかけて。当時、日本潜入ルートとされていた北陸、山陰海岸が相次ぐ密航事件で警戒が厳しくなったため、比較的、警備の手薄な北日本の海岸をねらったといわれ、いずれも波の静かな五-七月、それも土、日曜日に集中した。

 しかし四十年代に入ってからは急減、最近ではおととし7月末、石川県であっただけだった。

 県警では毎年五月から庄内浜沿岸の密航監視員(民間人)に協力を求め、警戒体制を強化しているが、その矢先におきたまる十年ぶりの事件だけに警戒を強めている。
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 翌8月7日朝刊には、二人の写真と所持品の写真とともに

 密入国と断定 温海の二人 ラジオも所持 県警再逮捕
 の見出しの記事が載り、警察が密入国と断定し、「五日朝、外国人登録法違反の疑いで逮捕した」二人の名前を咸鏡北道漁郎郡漁大津里、崔光成(44)、咸鏡南道興南市、船員・金フンソク(33)と公表(どうせ偽名だろうが)、「六日午後四時過ぎ、出入国管理令違反容疑で再逮捕した」と報じている。

 また「金が逃げるとき海中に投げたナップザックの中にはソニーとナショナルのトランジスタラジオ二台と、マーキュロ、白い錠剤、ショートピースのたばこのパッケージ、トウモロコシのような食糧、衣類などが入って」おり、警察は「これらの所持品は過去にあった密航入国者のものとほぼ同じ」だとしている。

 「逃げた四十五、六歳の男」の行方は分からないが、「温海署が緊急配備して捜索を開始した五日午前二時半ごろ、温海町の小岩川沖、約五百メートルの海上に停泊中のモーターボートが、突然、ライトを消して新潟方面に走り去ったのを捜査員が目撃し」たという。
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 8月26日の朝刊には、
 地検鶴岡支部 「密入国」で起訴 北朝鮮の二人
 の見出しで、地検が二人を「出入国管理令違反(密入国)容疑」で起訴したことを伝えている。

 二人は「七月三十一日、北朝鮮の漁大津(オデジン)港を出た船が難破したため救助を求めようと上陸した」と密入国を否定。
 しかし、日本近海で船が遭難した形跡はないうえ、 捜索の結果、「密入国に使ったとみられるエンジンのついた黒いゴムボート」「トランシーバーのケース、公航海羅針盤トランジスタラジオなどが発見された」という。

 ヘリコプターまで出動する大がかりな捜索がなされ、新聞でも大きく取り上げられたこの事件だが、このあと意外な展開が待っていた。
(つづく)

拉致はなぜ放置されてきたのか2

 小春日和というのだろうが、それにしても気持ち悪いほどあたたかい。

 一日に3本映画を観た。こんな体験は初めてだ。

 スターリンの『国葬という映画を渋谷でやっているというので、監督の名前も知らずに観に行った。近年発見されたソ連の記録フィルムを編集した映画である。

 スターリンソ連の歴史などによほど関心のある人でないと飽きてしまいそうな映画である。寝不足もあって、私もときどきうとうとした。

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赤の広場は群衆と花で埋め尽くされた

 ナレーションもなく、葬儀の一日のさまざまな情景が次から次へと流れる。
 棺に眠るスターリン、空港に着く弔問の外国共産党幹部の出迎え、幹部らに担がれていく棺、広場に集まった群衆とソ連共産党リーダーたちの演説、ソ連全土で一斉に響く号砲や汽笛に直立して哀悼する人民(バクー油田の労働者からタイガの鋸を持つ伐採労働者、コルホーズの農民などなど)。映像の専門家が全国に派遣され、国家事業として撮影された映像だから、クオリティはすばらしい。

 最後にスターリン時代、2700万人が粛清されて処刑、投獄、拷問、収容所送りなどに処せられ、1500万人が餓死したとのテロップが出る。
 観終わると不思議な「すごみ」を感じた。

 ロズニツァ監督の3本立て上映と知り、あとの2本も観ることにした。
 スターリン時代にでっちあげられた反革命事件の裁判をアーカイブ映像で描く『粛清裁判』とドイツのナチ強制収容所を訪れる観光客を観察する『アウステルリッツ』だ。

 《20世紀最大級のスペクタクルとしてのスターリン国葬スターリンの独裁体制と後の大静粛につながる裁判———そして人類史上最大の悪が行われたホロコーストの現場。時代と群衆に眼差しを向け、映画に新たな視座を提示する、鬼才セルゲイ・ロズニツァ作品、待望の日本初公開。》

www.imageforum.co.jp

 この3本を「群衆」というテーマでまとめて上映している。たしかに3本とも主人公は群衆だ。
 『国葬』では、偉大な指導者の死に嗚咽する人は何を思っていたのか、この群衆の中には粛清された人の親族もいたのだろう、などと想像をめぐらせた。『粛清裁判』では、民衆が「革命を裏切るものは銃殺せよ」とデモを繰り広げ、「銃殺」と判決が下されると、法廷に傍聴に詰めかけた、たぶん千人を超す人びとが一斉に歓喜の声をあげる。「群衆」に恐怖をおぼえる。

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私は反革命の罪を犯しましたと告白する被告ら

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プロレタリアの敵を銃殺せよ!とデモをする群衆

 『アウステルリッツ』は、収容所施設の詳細や展示物などはいっさい登場せず、カメラはひたすらツーリストの姿を映し出す。サングラス、短パンのごく普通の欧州の若者たちが大挙して押し寄せる。はりつけのかっこうでふざけて写真を撮る人。首を垂れて思いに沈む人。「労働すれば自由になる」という収容所の標語に群がり、嬉々として記念撮影する人々。さまざまな表情に、自分ならどうするかな、と考えさせられる。

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「労働すれば自由になる」の前は記念撮影スポット

 観察映画というジャンルになるらしいが、ロズニツァ監督はこう述べている。
 《私たちは自らの過去を忘却し、そのことで人間と社会に劣化が起きている事を理解する必要があると思いました。そして私は強制収容所を訪れる観光客にカメラを向けました。いかしそれは彼らを批判するためではありません。私はそこに映る何も美化されず、冒涜もせず、そして協調もされていない、ホロコーストの記憶の現在の在り方を正確に伝えたかったのです》

 私は3本のなかでは1930年に反革命組織として摘発された「産業党」の幹部9人を裁いた『粛清裁判』(The Trial)にもっとも感銘を受けた。
 外国の帝国主義国の手先として反革命組織をつくってサボタージュを行ったというのは完全な捏造だ。だから裁判は猿芝居なのだが、被告たちは全員がやってもいない罪を認め(中には涙声で)懺悔し更生を誓う。
 最後に裁判関係者のその後がテロップで流れる。
 激しい口調で被告らを糾弾し、奴らを絶滅しなければならないと死刑を求刑した検事は、1938年、ファシスト組織のメンバーとして銃殺に処せられ、判決を言い渡した裁判長ヴィシンスキーはのちに検事総長から外務大臣へと出世するが最後は自殺する。
 そしてみんないなくなった・・・である。恐ろしさに鳥肌が立つが、全体主義のもとで現実に起きたことだ。

 12月11日までシアター・イメージフォーラムで上映中です。
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 きのうの北朝鮮スパイ事件のつづき。
 
 きのう紹介した不審船事件だが、海上保安庁はこれまで確認した「過去の不審船・工作船事例」として以下の21例(21隻)をHPに載せている。
https://www.kaiho.mlit.go.jp/info/books/report2003/special01/01_02.html

①昭和38年(1963年)6月1日(山形県酒田市十里塚海岸沖)
 漁業者からの通報により、巡視船が酒田市十里塚海岸沖約1kmにて無灯火の不審船を発見、追跡するも停船命令に応じず、逃走

②昭和45年(1970年)4月14日(兵庫県城崎郡竹野町切浜沖)
 巡視船が兵庫県城崎郡竹野町切浜沖約500mにて無灯火の不審船を発見、追跡中の巡視艇「あさぎり」に対し銃撃。追跡するも停船させるに至らず

③昭和46年(1971年)8月26日(青森県西津軽郡艫作埼沖)
 海上自衛隊からの通報により、海上保安庁航空機が青森県艫作埼沖約96海里(約178km)で漁船型の不審船を発見、追跡するも逃走

④昭和46年(1971年)8月27日(北海道檜山郡江差港沖)
 海上保安庁航空機が北海道檜山郡江差港沖約110海里(約200km)にて漁船型の不審船を発見、追跡するも逃走

⑤昭和46年(1971年)10月2日(鹿児島県指宿郡頴娃町馬渡海岸沖)
 海上保安庁航空機が鹿児島県指宿郡頴娃町馬渡海岸沖の草垣島約3海里(約6km)にて不審船を発見、巡視船により追跡するも停船命令に応じず逃走

⑥昭和47年(1972年)4月10日(石川県鳳至郡門前町猿山岬沖)
 巡視艇が石川県鳳至郡門前町猿山岬沖約2.8海里(約5km)にて不審船を発見、追跡するも逃走

⑦昭和50年(1975年)6月14日(石川県鳳至郡門前町猿山岬沖)
 海上保安庁航空機が石川県鳳至郡門前町猿山岬沖約70海里(約130km)にて漁船型の不審船を発見、巡視船艇により追跡するも逃走

⑧昭和52年(1977年)7月23日(福岡県宗像郡大島村沖ノ島沖)
 巡視船が福岡県宗像郡大島村沖ノ島沖約8.6海里(約16km)にて漁船型の不審船を発見、追跡するも停船命令に応じず逃走

⑨昭和52年(1977年)10月17日(島根県浜田市浜田港沖)
 漁業者からの通報により、海上保安庁航空機が島根県浜田市浜田港沖約8海里(約15km)にて漁船型の不審船を発見、巡視船艇・航空機により追跡するも逃走

⑩昭和55年(1980年)3月11日(京都府竹野郡丹後町経ヶ岬沖)
 海上保安庁航空機が京都府竹野郡丹後町経ヶ岬沖約23海里(約43km)にて漁船型の不審船を発見、追跡するも逃走

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⑩の不審船=後尾が観音開きの扉になっているのがわかる

⑪昭和55年(1980年)3月12日(京都府竹野郡丹後町経ヶ岬沖)
 巡視船が京都府竹野郡丹後町経ヶ岬沖約24海里(約44km)にて漁船型の無灯火の不審船を発見、追跡するも逃走

⑫昭和55年(1980年)3月14日(京都府竹野郡丹後町経ヶ岬沖)
 海上保安庁航空機が京都府竹野郡丹後町経ヶ岬沖約25.5海里(約47km)にて徘徊している漁船型の不審船を発見、巡視船艇により追跡するも逃走

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⑫の不審船=⑩と同じ構造で後尾の扉が開いて子船が出入りできる

⑬昭和55年(1980年)4月26日(長崎県対馬郷埼沖)
 巡視艇が長崎県対馬郷埼沖約8海里(約15km)にて無灯火の不審船を発見、追跡するも停船命令に応じず逃走

⑭昭和55年(1980年)5月17日(長崎県対馬神埼沖)
 漁業者からの通報により、海上保安庁航空機が長崎県対馬神埼沖約32海里(約60km)にて徘徊している漁船型の不審船を発見、巡視船艇で確認に当たるも発見できず

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⑭の不審船=これも同型。強力なエンジンを搭載し海保の追跡を振り切る

⑮昭和55年(1980年)6月11日(兵庫県城崎郡香住町余部埼沖)
 巡視船が兵庫県城崎郡香住町余部埼沖約12.5海里(約23km)にて白灯を点じた漁船型の不審船及び余部埼沖約9.4海里(約17km)にて無灯火小型船を発見、巡視船艇・航空機により追跡するも当該不審船はレーダー映像上で無灯火小型船と重なった後、逃走

⑯昭和56年(1981年)8月6日(石川県輪島市舳倉島沖)
 海上保安庁航空機が石川県輪島市舳倉島沖約173海里(約320km)の大和堆にて漁船型の不審船を発見、巡視船艇・航空機により追跡するも逃走

⑰昭和60年(1985年)4月25日(宮崎県日南市鵜戸埼沖)
 県取締船が宮崎県日南市鵜戸埼沖約11.2海里(約20km)の日向灘にて漁船型の不審船を発見、通報を受けた巡視船艇・航空機により追跡するも停船命令に応じず逃走

⑱平成2年(1990年)10月28日(福井県三方郡美浜町久々子海岸)
 福井県三方郡美浜町久々子海岸に漂着していた木造小型船船内に乱数表、換字表が遺留されていたほか、2遺体とゴムボート等が発見された

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⑱は岸ぎりぎりまで接近するための子船。私は特別にこれを取材させてもらった

⑲⑳平成11年(1999年)3月23日(石川県能登半島沖)
 海上自衛隊からの通報により、巡視船艇・航空機が石川県能登半島沖約33海里(約60km)及び44海里(約80km)にて漁船型の不審船2隻を発見、停船命令及び威嚇射撃を実施するも該船は逃走

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⑳「不審船」という言葉が知られるようになったのは、この事件からだった



㉑平成13年(2001年)12月22日(鹿児島県奄美大島西方)
 海上自衛隊からの通報により、巡視船艇・航空機が鹿児島県奄美大島沖約126海里 (約230 km)の九州南西海域にて不審船を発見、威嚇射撃を実施するも該船は停船せず、巡視船に対して小銃などによる射撃を行ったため正当防衛射撃を実施
その後該船は爆発して沈没した

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 不審船といっても、これらは中国の船でもロシアの船でもなく、みな北朝鮮工作船である。
 21の沈没した北朝鮮工作船は引き揚げられて海上保安庁の横浜の資料館に展示されてある。世界で唯一、北朝鮮工作船の全貌が見られる貴重な場所なのだが、ほとんど知られていないようで、いつ行ってもガラガラ。「独り占め」できますよ。機会があればぜひどうぞ。

www.kaiho.mlit.go.jp

 上の事例はこの工作母船と同型だと分かる。18は海岸ギリギリまで近づく子船で、母船の後部に格納されており、必要になれば観音開きになっている後尾から外に出される。(横浜の資料館には子船も展示されている)

 このように北朝鮮工作船でひんぱんに日本の海岸に侵入してきていた。そしてその事実を日本政府も知っていた。

 現在、政府が認定している拉致被害者17人のうち、少なくとも12人が工作船北朝鮮に運ばれている。

 1973年8月、私の故郷である山形県の海岸である事件が起きた。二人の工作員がゴムボートで上陸したのである。
(つづく)

拉致はなぜ放置されてきたのか

 一昨日、連載コラム高世仁のニュース・パンフォーカス」の「大統領選挙から見えたアメリカの新しい動き」を公開しました。このブログで触れたアメリカの若者の「左傾化」についてです。ご関心あればお読みください。

www.tsunagi-media.jp

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 15日は横田めぐみさんが43年前に拉致された日だ。
 早紀江さん(84)が14日に会見して「すぐ隣の国なのに、どうしてこんなに長く解決できないのか。子どもたちを返してください」と訴えた。

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 《6月に父滋さんが亡くなり、未帰還の政府公認被害者の親で生存しているのは、早紀江さんと、有本恵子さんの父明弘さん(92)だけになった。この現状を「異常な状態が起きている」とし、「主人があれだけ一生懸命頑張っても、一目も見ることができなかった。むなしいですよね」。
 14日は滋さんの誕生日。拉致される前日にめぐみさんがプレゼントした1本のくしはいま、生前に肌身離さず持っていた滋さんの引き出しにしまってあるという。早紀江さんは会見でくしを示し、「めぐみちゃんに見せてあげるために大事にとっている」と語った。》
朝日新聞

 「異常な状態」という表現を使っているが、私も以前から、なぜ拉致という重大な犯罪が見過ごされてきたのかという基本的なことがずっと疑問のままだ。

 というのは、北朝鮮工作船を使って工作員を日本に送り込んでいたことはめぐみさん拉致のずっと前から分かっていたことだったし、拉致についても捜査機関の中では知られていただろうと思うからだ。

 2002年9月17日の小泉純一郎首相の電撃訪朝のあと、各紙が過去、いわゆる北朝鮮スパイ事件が相次いで摘発されていたとの記事を出した。例えば―

読売新聞夕刊 2002年9月27日
北朝鮮工作員事件、摘発50件 新潟「上陸・脱出」20件超す

 《北朝鮮工作員による事件が戦後、非公開の事件も含め約五十件摘発されていることが、二十七日公表の警察白書でわかった。一方、新潟周辺の海岸から工作員が上陸・脱出した事件は二十数件に上ることも明らかになった。警察当局は「新潟沿岸は、佐渡島などの中継地点があるため、工作船が接近しやすく、拉致の格好の現場になったのではないか」と分析する。
 「新潟から出入りした工作員は二十数件ぐらいと思う。うち半数は韓国で、半数は日本で検挙している」
 一九八八年三月十日。非公開で行われた新潟県議会建設公安委員会で、同県警の水田竜二警備部長(当時)がそう答弁した。
 同県警はこの委員会で初めて、七二年三月、北朝鮮工作員二人を佐渡島の海岸で逮捕していたことを明らかにした。二人は、脱出を図ろうと岩場の洞くつに潜んで工作船を待っていた。
 さらに六二年九月には、対岸の同県村上市の海岸で、工作船から上陸するために出た小型ボートが転覆。泳いで海岸にたどり着いた工作員三人を、不法入国の疑いで逮捕した。六四年五月に逮捕された北朝鮮工作員も「六一年に村上市の海岸から上陸した」と供述していた。
 朝鮮半島から日本を目指して航海すると、佐渡島の金北山(標高1172メートル)や、新潟市近郊の弥彦山(同634メートル)、柏崎市の米山(同993メートル)などが上陸の重要目標になる。
 このため同県警では六〇年代から、佐渡島柏崎市、それに村上市を中心にした海岸線の警戒を強化し始め、「月の出ない夜は、工作員が上陸しそうな海岸線に捜査員を張り付けていた」(県警OB)という。
 だが、こうした警戒にもかかわらず、七七年十一月には新潟市の海岸で横田めぐみさん(失跡当時十三歳)が、七八年七月には、柏崎市の海岸で、蓮池薫さん(同二十歳)と奥土祐木子さん(同二十二歳)が拉致(らち)されている。
 七八年六月ごろに失跡した田口八重子さん(同二十二歳)も、新潟付近の海岸から連れ去られた可能性が指摘されており、五人目の生存者とみられる曽我ひとみさん(同十九歳)が七八年八月に母親と姿を消したのも佐渡島の海岸近くだった。
 警察庁が、北朝鮮による日本人拉致事件を本格的に捜査し始めるのは七九年秋以降のこと。それ以前は、警察にとっても、「海岸線から、日本人が拉致されるということは想定外の事件だった。しかし、新潟以外にも日本海沿岸を中心に工作員の侵入事件が続いていた」(警察庁幹部)という。》

 はじめて分かったかのような書きぶりだが、こうした事実はもっと前から知られていた。
 驚くような事件もある。

1970年4月14日「不審船発砲事件」
 兵庫県城崎郡竹野町猫崎の東1.8キロ付近で、午前0時15分ごろ、無灯火で動く不審船を海保が発見し、停止を求めると時速20ノットで北方に逃走。巡視船が300メートルまで接近して写真撮影をしたところ、不審船から自動小銃で2,3回連射された。

 

 1999年には能登沖不審船事件が、また2001年には奄美沖不審船事件が起きているが、これはずっと前、1970年の話だ。

 そこで海保の巡視船が「自動小銃で2,3回連射された」!!というのだ。
 日本の領海、しかも岸から眼と鼻の先で・・。
 こんなとんでもない事件が、なぜ広く国民に知らされぬままに放置されてきたのか。
(つづく)
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 きのう紹介した新座市の平林寺は、「知恵伊豆」と呼ばれた松平伊豆守信綱が再興し、松平家菩提寺となった。松平一族の廟所がこのお寺の観光スポットの一つになっている。

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松平家の代々の墓が並ぶ

 おや、あの人がここに眠っているのか、と興味をひかれたのは松永安左エ門の墓だ。

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松永安左エ門(1875-1971)

 数年前、日本の電力事業の歴史を番組にしようと調べたことがあった。企画はぽしゃったのだが、そのとき、「電力王」、「電力の鬼」と呼ばれた松永の存在を知った。

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島原・天草の一揆供養塔があった。松平信綱がこの乱を収めたことを知った。敵方を供養するのは日本では古来から行われてきたことだ。後方が松永安左エ門夫妻の墓

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 明治維新後、電力事業は自由競争ではじまった。
 50以上の会社がそれぞれ自前の電柱と電線で顧客を奪い合ったので、ライバル社の電線を切ったりといったドタバタもあり、電力の歴史はとてもおもしろい。

 大正から昭和初期にかけての「電力戦国時代」に風雲児として現れたのが松永だった。福岡の小さい会社を出発点に、関西さらに東京へと攻めのぼり「東京電力」を設立。ライバルの老舗「東京電燈」と激闘を演じる。後の東電社長・会長で、福島原発を建設した木川田一隆はこのとき「東京電燈」にいた。この「東力戦争」は三井財閥の仲介で「手打ち」となり、新会社「東京電燈」が発足、これが後の東京電力につながっていく

takase.hatenablog.jp

 また、アフガンに水路をつくった中村哲医師について調べていたら、哲先生の父親の中村勉氏が松永に目をかけられ支援されていたことを知った。

takase.hatenablog.jp


 というわけで、いろんなところで引っかかっていた人だが、この人、「耳庵」の号をもつ「近代三茶人」の一人なのだそうだ。平林寺の峰尾大休老師と深い親交があり、晩年は寺向かいの睡足軒(すいそくけん)を別居として我流の茶会を楽しんだという。

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睡足軒は無料で公開されている。紅葉が池に映えて美しい

 もちろん会ったこともない人だが、知り合いの足跡を知ったような気になる。

光合成が起こした地球の大革命

 きのうは自転車で遠出して紅葉狩り新座市の(金鳳山)平林寺に行ってきた。片道16~17kmでいい運動になった。

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 はじめて訪れたのだが、緑豊かな風情あるすばらしい場所だっだ。

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紅葉のピークは来週以降とのことだが、紅葉し始めた葉も美しい

 まず、境内の植生面積がとんでもなく広い。雑木林としては国内唯一の天然記念物指定で、およそ43h(東京ドーム約9個分)が指定範囲となっているそうだ。

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静かな林がどこまでも続く。「永遠」を感じる

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かわいいお堂も。明の僧、独立禅師の像を祀る「戴渓堂」

 上皇は2回、美智子妃とここを訪れ、こんなお言葉をのこしている。
 「このかけがえのない武蔵野の自然を訪ねる訪ねる人々が、生態系の微妙な仕組みに十分留意することによって、美しく豊かな自然が保たれ、いつまでも人々を楽しませてくれるよう願っております」(昭和52年11月10日)
 「生態系の微妙な仕組み」とは上皇らしい。

 拝観料500円とちょっと高いが、古い建物や史跡も多く、歴史散歩も楽しめる。

 平林寺は、お寺の解説によると、700年近く前、南北朝時代の永和元年(1375)、武蔵国(むさしのくに)埼玉郡、現在のさいたま市岩槻区に創建。開山には鎌倉建長寺住持の石室善玖(せきしつぜんきゅう)禅師が迎えられ、山号「金鳳山」は、石室禅師が元に渡って修行した金陵の鳳台山保寧寺に由来する。寺号は、寺の伽藍が平坦な林野に見え隠れする様子から「平林寺」とされた。

 戦国時代、関東一円は豊臣秀吉による小田原征伐の戦禍を受け、平林寺も多くの伽藍を失った。関東に領地替えとなった徳川家康が鷹狩に訪れたさい休息のために立ち寄り、寺の由緒を聞いて再興を約束、復興資金と土地を寄進したという。さらに家康は、今川家の人質だった幼少期に世話になった駿河臨済寺出身の鉄山宗鈍禅師を、平林寺住持として招聘した。天下をとる前の天正20年(1592)のことだった。

 平林寺は家康の家臣として三河国から共に上京した大河内秀綱が、寺の大檀那となって山門や仏殿等の伽藍の再建を行った。
 秀綱の孫で、松平家の養子となった松平伊豆守信綱も徳川家に仕え、第3代将軍家光、第4代将軍家綱のもとで幕府老中を務め、その才知から「知恵伊豆」と呼ばれた。平林寺は松平一族の菩提寺となり、岩槻にあった平林寺は、寛文3年(1663)信綱の遺命によって、現在の野火止(のびとめ)に移転された。

 ここには、信綱が開削した玉川上水から分水された野火止用水が流れ、一帯の農業を支えることになる。野火止用水については次回に。
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 「玉川上水46億年を歩く」プレウォークの地球史解説のつづき。
 11月14日、第3区(鷹の台駅三鷹駅)の9.6kmを歩いた。プレウォークは隔週で行われている。この日は小金井公園で解説した。

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 きょうは、おおよそ30億年から20億年前くらいを歩く。
 このあたりは、目に見えないような小さな生物ばかりで、「たいくつな10億年」などと呼ばれている。しかし、生物史の大革命、地球史にとっても特筆すべき大事件が起きた。

 その一つはなんと言っても、酸素を出す光合成を行う生き物が登場したことだ。
 まず、光合成とは何かをおさらいしてみる。
 光合成とは、太陽光線をエネルギーを使い、二酸化炭素と水を原料にして栄養(炭水化物)を作り酸素を出す反応をいう。
 その化学式は、
 CO2(二酸化炭素) + 2H2O(水) → (CH2O) + H2O(水) + O2(酸素)
 CH2Oは炭水化物で、グルコースブドウ糖)はC6H12O6、グルコースの集合体のデンプンは (C6H10O5)n

 地球にはそれまで酸素は(ほとんど)なかったが、ここから酸素ができはじめる。その結果の一つは、オゾン層が形成されて、地球の表面全体が生物にとって安全になったことだ。いまオゾン層は地上20~40kmにあって、生命にとって有害な紫外線をほとんどブロックしてくれている。
 紫外線は皮膚がん、肌の老化や白内障の原因になるとされ、UVクリームやサングラスなどの対策が勧められるが、上空でほとんどブロックされ、ごくわずかしか漏れてこない紫外線ですら、これほど危険なのだ。

 では酸素とオゾンはどう関係するのか。
 酸素O2が大気中にあると紫外線の作用で原子OとOに分解され、再び結びついてO3になるものが出てくる。このO3がオゾンだ。オゾンは酸素から作られたのである。

 酸素を出す光合成を始めたのはシアノバクテリア。シアン色(緑がかった青)の細菌だ。

 光合成の開始には大事なお膳立てがあった。
 前回、「鉄の惑星」である地球に磁場ができて、生命に有害な宇宙線太陽風が地上に降り注がないようになったことを解説した。そのために深海にいた生き物が浅瀬で生きるられるようになり、浅い海に差し込む太陽光でシアノバクテリア光合成を始めたのだった。
 ここから生き物の三つの大敵、宇宙線太陽風、紫外線が排除され、地球の表面は安全になった。これがのちに生命が海から陸上に進出し、大繁栄することを可能にする

 24億年前には一定の濃度の酸素が地球にあったことが分かっているので、シアノバクテリアはその前のどこかで光合成を始めたのだろう。

 光合成が行われている浅瀬の海のいたるところで、ごく小さな泡がプクプク立ちのぼり、気泡が水面でプチっと破裂してわずかな酸素が大気に放出される。こうしてシアノバクテリアのその営みが何億年もかけて少しづつ少しづつ地球に酸素を増やしていったかと想像すると感動をおぼえる。

 さて、光合成のおかげで上から降り注ぐ危ないものは取り除かれたが、実はシアノバクテリア以外の生物にとって酸素が増えるのは大迷惑だった。
 生命はもともと酸素のないところで40億年ほど前に創発し、酸素なしで生きてきた。酸素は必要なかったのだ。
 酸素は非常に不安定で、何にでも結びつくという性質がある。例えば鉄に結びついてサビ(酸化鉄)をつくる。酸素が結びつくことを酸化といい、酸化して分解してしまうのだ。
 生命にとっては、たまってものではない。

 酸素が海中と大気中に増えていったことで、大量の生き物が絶滅した。22億年前にあったこの生物の絶滅は「酸素ホロコーストと呼ばれる。

 地球の生命史をみると、生物の絶滅は20回ほど起きており、うちもっともはげしい5回を「ビッグファイブ」というが、実はこうした生命の絶滅期は生物進化を加速することが多い。なぜか絶滅期のあと、生物が一気に高度化、多様化するのだ。
 
 「酸素ホロコースト」のあとに現れた救世主のスターが「真核生物」だった。
 それまでの「原核生物」は、細胞膜の中にDNAが入っているだけの単純な構造だが、「真核生物」では細胞の中にもう一つの膜(袋)があってDNAはその中に整理され、その他に様々な機能をもったもの(細胞小器官)を持つようになる。多機能化したのである。
 その細胞小器官の一つ、ミトコンドリアこそ、生物が酸素とともに生きられるようになった立役者だ。酸素をつかってエネルギーを引き出すミトコンドリアは「細胞の発電所」といわれる。
 生き物にとってとても危険だった酸素は、うまく利用すれば非常に効率よくエネルギーを取り出せる。ここから生物は巨大化し進化のスピードが速められた。

 「真核生物」の出現は生物進化の大きな節目となり、ここから「性」による生殖、植物と動物の出現などへと道を拓いたのだった。

 さて、以上のような生命と環境のダイナミックな相互作用が分かってきたことから、私たちの「環境」を見る目は大きく変わってきた。
 以前は、「生物と環境」というふうに二つを別々にとらえ、環境が一方的に生物の生存条件を規定し、生物はそれに適応するかどうかが問題で、適応すれば生き延び、適応しなければ死に絶える、と理解されてきた。
 しかし、生物(シアノバクテリア)は環境に一方的に適応するのではなく、大気の組成をはじめ地球環境をガラリと変えたりもする。そして、その変わった環境のもとで生物が(酸素で生きるように)自己変革して進化する。このプロセスからは、地球環境は生物が作り上げてきたものでもあり、地球が一つのエコシステムを成していることがわかる。
 さらにミクロのレベルでも生物と環境のあいだの微妙で緊密な相互作用がつぎつぎに解明され、1960年代にはイギリスのラブロックという学者によって「ガイア」という概念が打ち出された。「ガイア」とは、地球全体を一つの生命体のような自己調整システムとしてとらえるものだ。

 ここで一つクイズ。
 真核生物になって、植物と動物が登場するが、それらの違いはなにか
 「動物は動くが、植物は動かない」という答えは間違いではないが本質的な相違ではない。

 中学、高校で学んだと思うが、「植物は葉緑体をもっており、動物はもたない」という答えは正解。
 いま周りにたくさんの緑が見えるが、植物の葉っぱの細胞の一つ一つにすべて葉緑体が入っていて、この瞬間にも光合成をおこない酸素を出している。

 いま1,2の3でどれだけ息を止めていられるか試せば1分かせいぜい2分しかがまんできないと思うが。ヒトは10分酸素を絶たれると、ほぼ死亡する。その酸素は植物が作ってくれていることをあらためて確認したい。

 この葉緑体とは、じつはシアノバクテリアを真核細胞が中に取り込んだものだ。シアノバクテリアが変身したものと考えてよい。
 つまり、いま私たちは無数のシアノバクテリアに囲まれていることになる。そう考えると、風景が違って見えないだろうか。

 光合成で放出された酸素を私たちはどう使っているのか。
 肺から入った酸素は、血液のヘモグロビンで体のすみずみにまで運ばれる。そこで酸素に炭水化物を酸化させ、出てきたエネルギーを体が受け取る。結果、二酸化炭素と水ができ肺から大気中に放出される。
 この過程全体を「呼吸」という。このおかげで人体は36℃以上の体温を保っていられるのだ。
 これは、まるで光合成(太陽エネルギーで二酸化炭素と水から炭水化物と酸素をつくる)の逆のプロセスだとわかる。燃焼(酸素で炭化物を酸化して、二酸化炭素と水蒸気を輩出する)と同じことで、私たちの体が受け取るエネルギーは、もとをただせば、光合成で取り込んだ太陽エネルギーだ。この自然の妙には驚くしかない。

 植物と動物のもう一つの違い、こんどは動物にあって植物にないものはなにか。
 答え。動物には「口」がある。なぜか。
 動物は自分で栄養をつくれないから、探して外から採ってこなくてはならない。
 一方植物は光合成で栄養(炭水化物)を作れるので動く必要がない。動物が動き、植物は動かないのは、この違いの結果だった。

 植物だけが栄養(炭水化物)を作ることができる。だから動物が植物を食べ、その動物を別の動物が食べる。草食動物を肉食動物が食べる食物連鎖である。

 こうした地球の生物の成り立ちとシステムをしっかりわきまえれば、ことさらに「緑を大切に!」などと言われなくても、植物が元気で生きられる地球にしたいと自然に思えるはずだ。

 最後に、またクイズ。
 シアノバクテリアが地球環境に大革命を起こしたが、もう一つ別の生物種が大気の組成など地球環境を変えた。それは何という生物か。

 それはわずか20万年前に地球に現れた私たちヒトだ。温暖化物質を大気中に放出して組成を変え、気候危機を招くというすさまじいことをやってきた。
 このままだと、さらに多くの生物種を絶えさせ、せっかく生き物たちが営々と築いてきた地球を破壊してしまう。
 他の生物から「ヒトは生き物の風上にも置けない」と言われないようにしたい。