今も侵される放送法の精神

 東京は花曇りの一日だった。自宅から近い野川沿いには桜並木があり、家族連れが花見を楽しんでいた。

野川は多摩川水系の川。都会では珍しく、子どもたちが水辺で遊ぶ姿が見られる。(筆者撮影)

 春分のきょう、2023年3月21日は、ジャラーリー暦(ペルシャ暦)で1402年1月1日。アフガニスタンやイランではノウルーズという新年のお祝いをする。私たちの暦では、新年の1月1日は太陽の動きと全く関係ない。それに比べると、彼らの暦の方が、太陽暦らしい。この日から昼が夜をしのいでいく。よい一年になりますように。
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 イラク戦争20年で現地からのリポートを見ると、戦争が残した負の遺産に心ふたがれる。ISに襲われて今も行方不明のヤジディ教徒たち、劣化ウラン弾の影響かと不安におびえるがん患者・・知るのがつらくなる。

10歳の少女は骨肉腫が肺に転移しステージ4で抗がん剤治療を受けている。学校には行けない。将来は、がんを治療する医師になりたいと話す。(NHKニュース)

右腕に骨肉腫ができた。抗がん剤投与で髪も薄くなっている。こうして治療を受けられる子はまだ恵まれたごく一部だろう。

 

母親は、劣化ウラン弾のせいだと信じておりアメリカへの激しい恨みを吐露する。

 劣化ウラン弾は、燃料を取り出したあとのウランの残渣を破壊力を増すために弾頭に使用した爆弾で、IAEA国際原子力機関)によると、イラク戦争で2000トン使われたという。07年の国連総会で、その影響の調査を求める決議がなされたが、今もがん患者の把握も医療の提供も不十分なままだという。

 戦争そのものが悪ではあるが、とくにイラク開戦には理がなさすぎた。

 1991年にクウェートに侵攻したイラク多国籍軍が排除した湾岸戦争や、01年の同時多発テロ後のアフガニスタン侵攻では、国連安保理が侵略やテロの脅威を認定し、決議で武力行使を認めた。しかし、イラク侵攻では安保理決議はなく、アナン国連事務総長は「国連憲章に照らして違法だ」と批判していた。

 米英などの「有志連合」の攻撃でフセイン政権は一月ほどで倒れたが、ここから同国民同士が血を流す宗派対立で統一国家の維持もままならない無秩序状態を生じ、さらにはIS(イスラム国)の出現を結果した。今なおアメリカとイランによる国内政治への介入が続き、復興も道半ばだ。

20万人が命を失った。(NHKニュース)

有志連合の侵攻以来、治安は最悪になった。その前はテロなど皆無だったという。(NHKニュース)

 フセイン政権が大量破壊兵器を開発しているとのイラク戦争の〝大義“は事実無根だった。アメリカは大量破壊兵器の開発はなかったとの政府の調査結果を発表。

 イギリスはイラ参戦について三つの独立委員会が調査。その一つ、チルコット委員会は16年7月、7年にわたる調査結果として、当時のブレア政権がフセイン大統領の脅威を過剰に表現し、準備不足の英軍部隊を戦地に送り出し、戦後の計画は「まったく不十分だった」という見解を発表。これを受け、ブレア元首相は、「開戦当時の情報分析は、結果的に誤っていた」と認め、「とてつもない悲しみと無念と謝罪の気持ちを表したい」と語った。
https://www.bbc.com/japanese/36732246

 米ブラウン大によると、アフガニスタンイラクの戦争で戦費は退役軍人への治療費などを含め8兆ドルに上るという。米兵7千人以上が死亡し、敵兵や市民も会せて90万人の命が失われた。朝日新聞21日付)

 アフガニスタンイラクへの侵攻は、超大国アメリカの国力と威信を著しく低下させ、欧米が国際社会でイニシアチブをとることを困難にしている。ロシアのウクライナ侵攻を「違法」だと訴えても、同様に汚れた過去をもつ欧米の対ロ制裁に加わらない国は少なくない。アメリカとEUの世界秩序形成力が大きく減じた中で、日本の構想力が問われるはずなのだが、今の岸田政権には期待できそうにない。その岸田首相、キーウに着いたとのニュースが先ほど流れていた。たぶん、どこかからせっつかれたのだろう。
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 放送法に関して書いてきたが、ここで条文をちゃんと読んでみよう。関連部分を以下にあげる。

第一条 この法律は、次に掲げる原則に従って、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること。
三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによって、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。

第三条 放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。

第四条 放送事業者は、国内放送及び内外放送の放送番組の編集に当たっては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
2 放送事業者は、テレビジョン放送による国内放送等の放送番組の編集に当たっては、静止し、又は移動する事物の瞬間的影像を視覚障害者に対して説明するための音声その他の音響を聴くことができる放送番組及び音声その他の音響を聴覚障害者に対して説明するための文字又は図形を見ることができる放送番組をできる限り多く設けるようにしなければならない。

第六条 放送事業者は、放送番組の適正を図るため、放送番組審議機関を置くものとする。

 

 まず第一条で、「不偏不党」や「自律」が「表現の自由」を確保するためだと書いてある。素直に解釈すれば「不偏不党」は放送に対する要請ではなく、逆に行政の「偏向」「介入」を許さない趣旨だ。だから、第三条がこれに続いて記されているのだ。

 第四条の「政治的に公平であること」などは編集にあたっての放送事業者の努力目標であることは、2の聴覚障害者向けの編集に努めるようにという文言を見ても明らかだろう。これを守らないから「停波」などにつながるという話はまったくの筋違いだ。

 第六条があることからも、放送法はあくまでも放送事業者の自律を重視していると解することができる。

 実は政治の放送への介入、さらには放送事業者側の忖度は、過去の話ではなく、まさに現在進行中の問題である。

 私の周辺でもいろいろな「事件」が起きている。

 友人のジャーナリスト、常岡浩介さんもTBSの「ひるおび」に呼ばれて行ったところ、生放送直前に政府批判をしないようにと言われ、断ったら「お帰りください」と言われたので帰ってきたと言っていた。

 また統一協会批判で一時テレビに出ずっぱりだったジャーナリストの有田芳生さんは1995年ごろ警察が統一協会の摘発に意欲を示したが「政治の力」のため実現しなかったことを番組で話したところ、出演依頼がパッタリ途絶えたという。

 11日のTBS「報道特集」のスタジオでは以下のやりとりがあった。

膳場貴子キャスター:

 安倍政権に限らず政治の側が介入しようということはこれまでもあった。でも、今回の行政文書から明らかになったのは、これまで政治権力と放送事業者との緊張関係の中で実績を積み上げながら運用してきた法律が、今回は政府内のごく少人数の内輪の議論で解釈を変更しようとしていたということです。国会での議論があったわけでもありません。民主主義という観点からも見過せない問題があると思います。しかもこの件が官邸主導の成功体験としてその後の政治に影響を与えたと聞きますと、ますます見過ごせないと思うんですが、曺さんどうですか。

報道特集」曺琴袖編集長(TBSのHPより)

曺琴袖編集長:

 実は今週火曜日、3月7日は森友問題で自殺された赤木俊夫さんの5回目の命日だった。この行政文書の問題が報じられた時私は真っ先に赤木さんのことを考えました。赤木さんという人は公務員としてもあれだけの矜持、公僕としての誇りを持ちながら、圧力を受け、公文書の改ざんに加担してしまったわけです。森友問題の少し前から、メディアの萎縮が進み、今ときに私たちの番組さえも大きなプレッシャーを受けながら報道することが増えてきました。そういう時私は赤木俊夫さんの生きざまを胸に、自分に言い聞かせています。メディアの矜持というのは、国家権力、政府組織の広報をすることではなく、ときに彼らの都合の悪いこと、報じられたくないことも伝え、国民の知る権利に寄与することではないかと思っています。放送法は政治が放送事業者に介入する根拠のためにあるのではなく、私たち、そうしたメディアの矜持をもつ放送事業者を守るためにあるということを忘れないでいただきたいなと思います。

 

 緊張した表情から、大きな危機感を持っていることが伝わってきた。
 私たちも志ある放送人を応援しよう。

イラク戦争開戦20年を迎えて

 明日3月20日で、イラク戦争開戦から20年になる。

 今から思えば、アメリカによる露骨な侵略で、ひどい戦争だった。いまロシアに対して投げつけられる非難がそっくり当てはまる。

 アメリカは国連安全保障理事会の決議を得ずに、先制攻撃としてイラクへの武力行使に踏み切った。アメリカは先制攻撃をやる国だということは、今問題になっている敵基地攻撃を認めるかどうかの議論のさい、わきまえておく必要がある。しかも、戦争の〝大義“そのものがウソだった。

 イラクフセイン政権は大量破壊兵器を所持しており、国際テロ組織アルカイダが生物・化学兵器に関する訓練を受けたなどのアメリカの主張は、のちに誤りだったことが判明する。03年2月5日、当時のコリン・パウエル国務長官は国連安保理イラク大量破壊兵器に関する演説を行い、これが戦争を国際的に認めさせることを後押しした。パウエルは国内外で信用されていたからだ。

 21年に亡くなったパウエル氏は生前、国連での演説を「人生の汚点」と悔やんでいたという。パウエル国務長官の首席補佐官だったローレンス・ウィルカーソン氏に私は2回インタビューしたことがあるが、彼は開戦当時を後悔の念とともに振り返っていた。

takase.hatenablog.jp

 イラク侵攻に踏み切るにあたって、わざと誤った情報をパウエル氏、ウィルカーソン氏のもとに届けさせた勢力がいたのだ。政権内での騙し合いである。開戦と戦争遂行にあたってウソがふりまかれ国民、さらには世界を騙す―これはベトナム戦争でもアフガニスタン戦争でも見られたことだった。

 イラク戦争は、米軍による首都バグダッドへの空爆で始まり、フセイン政権は3週間で崩壊した。しかし、米軍への抵抗と混乱が続き約20万人の民間人が犠牲になった。米軍は11年にいったん撤退するが、シーア派スンニ派の対立、IS(イスラク国)の台頭などで治安が悪化し14年に再び駐留。現在も2000~2500人の米兵が、イラク軍への訓練や支援で駐留する。

首都バグダッドに住むフセイン・アリさん(25)は15年前、10歳の時に自転車に乗って遊んでいたところ、米軍に後ろから銃で撃たれ、大けがを負った。フセインさんは一命はとりとめたものの、銃弾が背中から腹部を貫通し、4回にわたる手術を受けたうえ、その後、ことばを発することが難しくなり、ふさぎこむようになった。

NHKニュースより

 

父親のアリさん(49)によると、以前はフセインさんは外でよく遊ぶ活発な子だったが、銃撃後は家にこもるだけの生活となり、仕事を見つけることも友達をつくることもできなくなった。フセインさんは「外に出てもすぐ疲れてしまうから毎日ずっと家にいる。私の唯一の友だちは大好きな父親だけです」と話す。イラク政府に対して補償を求めているが、申し出期間が過ぎているなどを理由に公的な支援は一切受け取ることができていない。アリさんは「息子は人生を奪われた。なぜ、10歳の子どもが撃たれなければならなかったのか。アメリカこそがテロリストだ。彼らはイラクを破壊し、私たち家族のささやかな幸せすら奪っていった」などと訴えている。

NHKニュースより

 

 アメリカがイラク侵攻に踏み切った大きな理由の一つは、01年末に行ったアフガニスタンへの侵攻で、瞬く間にタリバン政権を崩壊させた「成功」体験だ。(実際は成功ではなかったのだが)

陸上自衛隊が計5500人、04年から2年半イラク南部サマワに駐屯。給水、道路・学校補修工事などに従事した。自衛隊を派遣したという実績を作るためだった。(NHKニュースより)

日本がサマワに建設した火力発電所。建設費127億円、12万人に電力を供給する計画だった。NHKニュース

開所セレモニーには橋本聖子外務副大臣が日本から来て挨拶。

しかし、治安悪化や資金不足で4年余りで稼働停止に(NHKニュースより)

 大義無き戦争であり、米国史上最長の、しかも地球の裏側まで遠征しての軍事行動だったアフガニスタンイラク戦争によって、アメリカの威信は地に落ちた。7兆ドルの戦費は国力を著しく消耗させ、米国の覇権を揺るがした。国内では分断が急激に進行し、世界「一強」の地位からアメリカは転落した。それを象徴するのが、先日のイランとサウジアラビアとの外交関係正常化を中国が仲介したという出来事だ。


 アメリカはもはや「世界の警察官」になるつもりはないと公言し、日本を含む同盟国の〝貢献“を強く要請している。いま問題になっている安保政策の大転換もこの流れで進められていると私は理解している。


 それにしても、イラク戦争の傷跡の深さは痛ましい。

 この大義無き戦争に、日本も「復興支援」の名の下に自衛隊を03年12月から09年2月まで派遣し、事実上参戦したことを私たちは忘れていないだろうか。亡くなった多くの人々に加え、心身を病んで人生を大きく変えられた人々もいる。彼らの訴えの前には、頭を垂れるしかない。

 また復興はまだまだで失業率は16%超。地方はほとんど手つかずで、自衛隊が駐屯したサマワのあるムサンナ県では人口90万人のうち50万人が貧困ライン以下とされる。

 イラク戦争20年にあたり、アメリカの侵略戦争に加担し派兵した日本の責任、そこから学ぶべき今後への教訓について考えたい。

放送法の「不偏不党」は政治への要請

 お知らせです。

 高世仁のニュース・パンフォーカスNo.34「アフガニスタン・リポート③中村医師の実践に見る異文化との共生」を公開しました。ご関心あればお読みください。アフガニスタンでなぜタリバンが支持されるのかも理解できると思います。

www.tsunagi-media.jp

 啓蟄(けいちつ)もそろそろ終わりだ。初候「蟄虫啓戸(すごもりむし、とをひらく)」、次候「桃始笑(もも、はじめてさく)」がすぎ、今は末候「菜虫化蝶(なむしちょうとなる)」だ。

 今年は東京の桜開花宣言が14日に出て、20年、21年と並んで、観測史上最も早かったという。来週は満開だそうだ。一昨日、浜松町の「旧芝離宮」で弁当を食べたが、春爛漫だった。

芝離宮

ボケの花が咲いていた

白椿

馬酔木

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 放送法の解釈を変更するよう礒崎陽輔首相補佐官総務省に働きかけた経緯が記された文書の問題。

 総務省が行政文書と認め、高市総務相による「捏造」発言は事実上否定された。

総務省文書の一枚

 一連の文書に出てくるやり取りには民法相手に徹底抗戦するか。TBSとテレ朝よね」高市氏)と局名や「コメンテーター全員が同じ主張の番組(TBSサンデーモーニング)は偏っているのではないか」(礒崎氏)など具体的な番組名が登場し、驚くほど露骨な介入意図が見える。安倍首相が「現在の放送番組にはおかしいものもあり、現状は正すべき」「サンデーモーニングには問題意識を持っている」などと述べたことも記されている。安倍氏は2001年の「NHK番組改変問題」を起こしており、この放送法解釈変更の震源安倍氏であろう。

takase.hatenablog.jp

 解釈変更は「俺と総理が2人で決める話」「首が飛ぶぞ」(礒崎氏)と脅迫してまで押し切る強引さに、安倍内閣の官邸主導の本質が出ている。

《(文書は)「やりとりの中身が長くて詳細。これは総務省側が相当な危機感を持っていた証拠だ」と事務次官を務めた総務省OBは、こう受け止めた。(略)
 OBは(略)組織防衛のためにも詳細なメモを残しておく必要があったのだろうと推察する。総務省にとって放送法の政治的公平をめぐる解釈は「政治案件」のため、「普通は遣わない『厳重取扱注意』との注意書きを見ても、当事者の緊張感が伝わってくる」と語る。》(朝日新聞17日朝刊より)

 以下は、政権の放送への介入に関する2014年以降の動き(「赤旗日曜版」(19日付)より)。

赤旗日曜版3月19日

 2016年当時、急激に進んだ放送法の解釈変更に危機感をもった是枝裕和監督が「放送と公権力の関係についての私見」を書いた。以下、是枝さんのツイート。

www.kore-eda.com

 そもそも放送法とは、日本がまだ占領下だった1950年の法律で、ラジオが戦争に協力する道具になっていた過去の反省から、政治が番組の内容に干渉しないようにする趣旨で作られた。

 第1条には、法律の目的「放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ること」を掲げる。権力に操られず独立して運営する「自律の保障」に基づいて、表現の自由を確保するように定めているのだが、ここに出てくる放送の「不偏不党」について、是枝さんが触れた個所の一部を紹介する。

《時は1952年5月23日、第13回国会 電気通信委員会。

 質問に立つのはやがて広島市長になる社会党の山田節男。

 答弁するのは電気通信大臣、ご存知、佐藤栄作です。安倍首相の大叔父にあたる人ですね。

 山田はこう、佐藤を問いただします。

 『電波行政というものは(略)飽くまで不偏不党でなければいけない。而、公平でなくちゃいけない。電波というこれは国民の全体の共有物なんですから。(略)なぜこういう本質を持っておるものを郵政省の一局に入れるのか』。

 木に竹を接ぐように、水に油を一緒にしたような変更は、「常識では考えられない」と。

 佐藤はこう答えています。

 『不偏不党という点になりますると、只今政党政治ではありますが、行政の部門につきましては不偏不党であることは、これは当然であります。

 又、その意味においては、これは何ら国民から疑惑を受けてないのです。(略)』

 ここで佐藤さんは「不偏不党」という言葉を行政に向かって使っています。

 これはとても大事です。覚えておいて下さい。

 この言葉のベクトルが、安倍首相が放送局に対して使っている「不偏不党の放送をしてもらいたいのは当然だ」という発言と比べてみると、180度逆であることは、恐らくこの部分を読んだだけでも明らかだと思うんです。

 さて、どちらが放送法の趣旨に合致していますか?

 両立はしない。真逆です。

 もちろん正しいのは佐藤さんです。

 さすがに法律が出来てまだ2年。この法律がどのような目的で作られたものか、まだその主趣くらいは把握出来ていた。当時の政府にこの約束を守るつもりがあったのかどうかはわかりませんが。

 時代が変わっても、放送法の1条や3条が変わっていない以上、安倍首相のような解釈の変更が正当化される根拠は全くないと僕は考えますが、いかがですか。》

 つまり、「不偏不党」とは、政治の放送に対する扱いについて言っていることであって、放送に政治が介入することこそ、この原則を踏みにじるものなのだ。

 是枝さんは、超多忙のなか、大変な労力を割いた調査を行ってこの文章を書いており、読みながら危機感を共有した。

 個別番組であれ、番組全体であれ、政府が政治的公平を判断する立場にないことも詳しく論じている。「政治的公平」とは放送事業者の倫理規定であって、これを根拠に政府が「指導」したりできないし、いわんや「停波」などありえないのだ。

 関心ある方は、この是枝さんの論文をぜひお読み下さい。

 ついでに19日付「赤旗日曜版」のスクープ、「疑惑の高市大臣 新たにウソ発覚」を紹介する。

赤旗日曜版3月19日

 統一協会との接点について、2001年の月刊誌(『ビューポイント』)での対談1件のみと説明していた高市氏だが、「赤旗」調べで、初当選後の1994年から01年にかけて少なくとも5回、統一協会系日刊紙「世界日報」に登場していたという

 90年代は、統一協会の「霊感商法」や集団結婚式がメディアで大きく報じられ、訴訟も多数起こされていた。国会でも95年11~12月にはほぼ連日、参院で宗教法人等に関する特別委員会が開かれ、統一協会の問題が取り上げられていたという。

 高市氏は「世界日報」の正体を知ったうえで関係を持っていたと考えるのが自然だ。もし知らなかったら、政治家として常識知らずということになる。

 テレビはWBCで野球のネタ一色だが、放送法の解釈変更と放送事業者への圧力の問題をしっかり掘り下げないと、自分の首を絞めることになるんだよ。

 放送人としての矜持を。

放送法解釈問題は森友・加計問題の先駆け

 一つお知らせです。

 15日発売の月刊誌『望星』4月号に、私が寄稿した「アフガニスタンで起きていること―タリバン政権はどこへ向かうのか」が掲載されています。ご関心ある方は、どうぞお読みください。望星の最新号【647号 (発売日2023年03月15日)】| 雑誌/定期購読の予約はFujisan

 

望星4月号

 

 

 放送法の方針変更をめぐって官邸および総務省の一部の政治家と官僚のやりとりを記した文書について。

 7日、小西弘之参院議員(立憲)が公表した約80枚の文書は(本物の)行政文書であると総務省が認めた。これは安倍政権がメディアに介入しコントロールしようとしたことの「証拠」になる重要な資料だ。文書に記された事実関係をぜひ徹底的に究明してほしい。

政治的公平性は”一つの番組ではなく、放送事業者の番組全体を見て判断する”はずなのに・・(報道特集

解釈を変更し、恫喝に出た高市総務相(2016年2月)(報道特集

 ひとり高市早苗総務相が、文書は「捏造」だと言い張って、実態究明を妨害している。高市氏は自分が出席したと記されている打合せが存在しないとまでいう。官僚がなぜ「捏造」する理由があるかとの質問には、「パフォーマンスが必要だったじゃないか」など、荒唐無稽な答弁を行っている。

 先週の土日、TBSの報道特集サンデーモーニングがこの問題を特集した。

 「報道特集」には、この問題に直接かかわる「放送行政を担当していた元総務相官僚」が登場。「行政文書で官僚が意図的に中身を変えるというようなことはあるか?」とのMCの質問に、官僚は自分の身を護るためにも、ねつ造などやるはずがないと否定した。

「(官僚は)後から突っ込まれたりしたときに『ちゃんとこれは逃げられるようになっているかな』と常に考えていました。なので、ねつ造するということが、当然ですけどないですし、それを残すということもないと思います。」

 それはそうだろう。誰かさんのような政治家なら「パフォーマンス」で無いことを有ると言ったり、有ることを無いと言ったりするかもしれないが、官僚がそんなことをしたら命取りになる。

報道特集

 この元総務官僚の証言―

「以前から、放送に対して政治が何らかの影響力を及ぼしたいとか、自分たちにとって都合の悪いことを言ってほしくないとか、そういう意向を及ぼそうという力は感じることがありましたので、こういうことがあってもおかしくはないかなと思いました。」

報道特集

 放送法の位置づけについては―

「(政権が)都合の悪いことを言うマスコミを黙らせたいと基本的には思っていて。ただ、それをストレートに言うことは民主主義国家では当然許されないので、今回問題になっている話は放送の世界で言うと〝憲法”みたいな重みのある話であって、それが簡単に変わるということは絶対にあり得ないと思います。」

 今回の行政文書が示す筋書き通りに、高市総務相(当時)は2015年5月、一つの番組でも政治的公平を判断できると新たな解釈を打ち出し、16年2月8日には政治的公平を欠く番組を繰り返せば放送局に電波停止を命じる可能性に言及している。安倍首相も同年2月29日、「一つ一つの番組を見て全体を判断するのは当然のこと」と国会で答弁している。

 当時の総務省内の変化について、元総務相官僚はきわめて重要な指摘をしている。

「やっぱり官邸の力がかなり強まっていたので、そちら(官邸)の顔色を窺うところは強くなっていったかなと思います。いわゆる安倍政権になっての〝忖度の走り“。この件(放送法解釈問題)をひとつの成功体験として、この話の後に、森友問題(16年)、加計問題(17年)みたいなものが起こっていく。」

 安倍内閣の官邸主導が日本を破壊する一連の事件を起こしていくが、放送法解釈変更問題がその嚆矢になったというのだ。
(つづく)

「私がここにいるわけ」高校生に語るコスモロジー④

 12日の日曜日は、私が中村哲医師とアフガニスタンについてお話する会があった。

 場所は「憩い広場びいだま」で、私と同じ国分寺市在住のYさんが、地域の人が気軽に寄り合う場所として平成4年4月4日にオープンした。Yさんは奥さんと共に、自分の畑で作る野菜を食材にしたカフェをひらくのが夢だったそうで、定年退職したのを機に、自宅のそばにログハウスを建てた。ここではいろんなイベントがあり、冒険家の阿部雅龍さんやジャーナリストの小松由佳さんなど私の知り合いもお話会をやっている

びいだま

懇親会のあと、みんなで

トークのポスター


 Yさん夫妻を入れて約20人にお話ししたが、みなさんとても熱心に聴いてくださり、質問もたくさん出て、中村哲さんへの関心が高いことをあらためて感じた。

 去年7月に公開された中村さんの映画『荒野に希望の灯をともす』は2月末までに全国66館で上映され、各地でロングランを記録。自主上映の動きも広がっているという。

 ペシャワール会」の会員と支援者は、中村さんが亡くなった2019年12月時点の1万6千人が、現在では1万人増えて2万6千人に急増している。ロシアによるウクライナ侵攻など、戦争を間近に感じさせる時代背景もあるのだろうか。中村さんをもっと知ろうという一つのムーブメントが起きているように感じられる。

 これからも自分なりの文章、動画、トーク(書く、撮る、話す)の活動で、微力ながら中村さんの行動とメッセージを伝えていきたい。私の講演、原稿などをご希望でしたら、メールtakase22@gmail.comでお問い合わせください。
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 きのう13日からマスク着用が「個人の判断」となった。

 きょう都心、赤坂見附に用事で出かけたが、電車のなかはもちろん、外を歩いている人もほとんどの人(95%以上)がマスクをつけていた。他人の目が気になるのか。

長い列は「しろたえ」という喫茶店入店希望者(赤坂見附)。みなマスクをつけていた(筆者撮影)

 今朝の「モーニングショー」。小中高生300人に「マスクを外すことに抵抗は?」と聞いたところ、ほぼ9割が「抵抗がある」と答えたという。その理由は「恥ずかしい」、「自分の顔に自信がない」、「友達にどう思われるか不安」、「顔全体をさらしたくない」などなど

「抵抗がある」が89.3%(テレ朝「モーニングショー」より)

その理由

 識者が、思春期は他人の目が気になるものだから・・みたいなコメントをしていたが、これは思春期一般の問題ではなく、自己肯定感が異様に低い日本の若者の傾向だと思う。同じ年代の他国の少年少女に聞いたら、このような答えにはならないだろう。

目元しか見たことがない友達は?に「いる」が86%!!

 すでにまる3年もマスク生活をしていて、素顔を見たことがない同級生がたくさんいるまま卒業なんてことが起きそうだ。人間形成に大きな影響を及ぼすのではないか。心配だ。
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 さて、「私はなぜ存在するのか」の連載の続きだが、今回でパート1の区切りになる。次のパートは、今月末から連載します。

 

 どう、ここまで、難しかった?

 いったん休憩するけど、その前にまとめとして、「気づき」の時間を持とう。

 いつもは見過ごしていることをあらためてちゃんと見ると、あ、そうだったんだ!と発見したりするよね。感動したりもする。それが「気づき」ということ。

 今まで見てきた客観的な事実を、こんどは他人事じゃなくて自分事としてとらえ直してみる。まあ、だまされたつもりで(笑)、やってみよう。

 おさらいすると、宇宙のはじまりのとき、全宇宙に今あるエネルギーのすべてが一点に集まっていた。そしてそのエネルギーから、宇宙のすべての物質のもとが生まれたんだったね。

 そうすると、宇宙は一つだっていうことにならない?宇宙がエネルギーとしても,物質としても一点から広がっていった。風船を膨らませることを考えてみて。どんどん膨らんで、どんなに大きくなっても風船は一つだよね。だから、この広大な宇宙はばらばらに見えるけど、間違いなく一つなんだ。

 そして、これを自分事としてとらえ直す。宇宙を見る視点を変えちゃって、あくまで自分との関係で見ていく。

 「宇宙」というと、「むこう」にある、暗闇がどこまでも広がって星が光ってる冷たい空間、みたいなのをイメージしがちだよね。自分とは関係ない遠いどこか、なんて。でも、考えてみて。いま宙くんはどこにいるの?宇宙の真っただ中にいるんだよ。違う?

 ほら、寒いけど庭の梅の花がほころんで春に向かう今、ここ。ロシアがウクライナを侵攻してるこの地球。ここが宇宙だよね。

 私と宇宙、じゃなくて、私の宇宙。まぎれもなく宙くんも宇宙の一部だよね。

 はい、では、小さな一点から宇宙が風船のように膨らんでいって大きくなるのを思い浮かべて。その宇宙の真ん中に自分もいる。そして、心の中で、こう自分に言い聞かせてみよう。

「この宇宙は、はじめから今までずっと一つだ」

 どんな感じがするかな。

 ぼくたちの体は物質からできていて、その物質は宇宙エネルギーが変換したものだったね。そして、物質にはエネルギーがものすごく凝縮している。心の中でこう言ってみよう。

「私は、ものすごく大きな宇宙エネルギーのかたまりだ」

 身体の底から力がこみあげてくるように感じられるといいね。
 宙くんの体は、たくさんの水素原子でできていて、それは138億年前に宇宙が生まれてすぐに―138億年に比べりゃ38万年は「すぐ」だよね―できたんだったね。じゃあ、こう言い聞かせよう。

「私の体には、宇宙138億年の歴史が込められている」

 自分は「ちっぽけ」だ、なんて感覚をぶっとばそう。

 宇宙はエネルギーで見ても一つ、物質という点で見ても一つ。で、ぼくたちはそのエネルギーと物質でできている。宇宙の一部だよね。すると、こうなるんじゃない。

「私とこの一つの宇宙は一体だ」

 宙くん、笑顔が出てきたね。ということで、ちょっと休憩。コーヒーでも飲もうか。

(つづく)

「生きる」を前向きにリメイクしたイシグロ

 きょうは311で各地のイベントなどのニュースを見ながら、被災者への連帯感を新たにした。被災地に戻る人、戻らない人、ともに悩みながらつらい決断を強いられている。

 原発事故前は7千人超が暮らしていた双葉町に今住むのは60人だけ。きょうの『報道特集』にも登場していた伊沢史朗町長は、「国の政策に協力した町でコミュニティが一瞬で崩壊した。日本は必ず犠牲者を助ける国であってほしい」と訴える。

 被災者への支援が行き届かないなかで、事故の教訓から「原発依存を可能なかぎり低減」するとされた政府方針が一転、岸田政権は閣議だけで、原発を「最大限活用」するとの新方針を打ち出した。不誠実極まりない。今朝の「朝日川柳」より―

一回りする間に原発生き返り (東京都 大和田淳雄)

原発も捨てずに何の震災忌 (神奈川県 朝広三猫子)
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 鶴瓶の家族に乾杯は夕食時にかかっていればチラチラ見るくらいだが、こないだはスケートの小平奈緒が出たのでしっかり観た。

 ぶらり散歩系の番組では、ふつうは事前にロケハンで訪問先や会う人に打診し許可をとっておくのだが、「家族に乾杯」はアポなし取材で、ある意味ドキュメンタリーと言っていいかもしれない。

 訪れたのは12年前の津波でやられた宮城県南三陸町。311が近いので選ばれたのか。
そこでたまたま出会ったのが、「森は海の恋人」で知られた畠山重篤さん(79)だったので驚いた。畠山さんは漁師で、NPO法人「森は海の恋人」理事長

左が畠山さん

2011年12月12日、震災の年の年末の「プロフェッショナル」は畠山さんが主人公だったという。震災の年にカキを収穫する。

お元気そうで何より

 海に流れ込む川の上流の森が荒れると養殖のカキはうまく育たない。森の落ち葉でできる腐葉土には、カキの餌の植物プランクトンを育てる養分が含まれているからだ。1989年、漁師たちがブナやナラなど3万本の木を山に植え、そこは「カキの森」と名づけられた。

 生態系の関係性の妙を教えてくれるいい話で、ジン・ネットでもこのテーマでニュース特集を作ったことがある。

 鶴瓶小平奈緒もまったく知らなかったようで、いま植林をしているという畠山さんに「漁師がなんで山に木を植えるの?」と戸惑っていた。

 畠山さんが、「大震災の津波志津川湾が大きな被害を受けたが、あっという間に海はよみがえった。それは森をちゃんとしていたからだ。海は壊れたが、木を植えていた山は壊れない。日本列島は3万5千もの川が流れていて、山と海の関係が大事だ」と一から説明。森林保全をしている人を表彰する国連の「フォレストヒーロー」に漁師である畠山さんが選ばれたというと、鶴瓶も「すごい人に会ったな」と感慨深げだった。この番組の多くの視聴者にいい啓蒙になっただろう。

 ちなみに番組中の小平奈緒は、感情表現が素直で機転が利いており、相手を和ませていた。彼女の人柄が現れていてよかった。
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 黒澤明の映画『生きる』が70年の時を経て、カズオ・イシグロ脚本で英国でリメイクされた。その映画『LIVING生きる』が、アカデミー賞脚本賞、主演男優賞にノミネートされているという。

 舞台は第二次大戦後のロンドンで、毎日同じ列車で通勤するお堅い英国紳士が主人公。彼はある日、がんで余命半年と宣告される。そして貧困地区に公園を造ることに生きがいを見出すというストーリーラインはほぼ黒澤作品を踏襲しているという。

「生きる」の一場面

「LIVING」より

 イシグロは幼いころ英国に移住。少年期、両親の影響で日本映画をよく観たといい、10代前半で映画『生きる』に出会って強い影響を受けた。彼はインタビューでこう言っている。

「子どもから大人になるころに『生きる』から非常に大きな影響を受けました。"人生にどう向き合うか?人生で大事なもの、価値あるものとは何か?“を考えさせられました。『日の名残り』(イシグロの小説)の執事と『LIVING』の主人公は非常に近い関係があると思います。これは決して偶然ではありません。だからこそ、今回『生きる』の脚本を書くことにしたとも言えます。私はオリジナルの『生きる』からメッセージを受け取り、小説を書き始めた頃から私の作品にはそれが生かされていると思います。」

  だがイシグロは映画を"前向きな作品“にしようと、原作にはない新たな要素を加えている。『生きる』では、主人公が死んだあとは、すぐに同じ日常に戻ってしまうのに対し、『LIVING』では、原作になかった一人の若者が登場し、主人公の思いを受け継ぐというのだ。

カズオ

 これについてイシグロは―

「黒澤版の悲観主義や諦め、〝すぐ元の日常に戻ってしまう”という考えを踏襲した部分もあります。その反面"完全には元に戻らない“という思いもありました。小さな火花が一部の人たちに火をつけ、それが現代にまで連綿と受け継がれていくという思いです。その思いから、原作では大きく取り上げられなかった若者たちを今回は手厚く描こうと考えました。主人公のあとに続く若い世代に強い存在感を発揮させたかったのです。」

イシグロは原作にはない若者を登場させた


 ここにはイシグロの時代状況への意識があるという。コロナ禍やデジタル化の一方で人と人との関係が希薄になる時代。そこで"生きる実感“をどう持つのか。

「一人ひとりのささやかな暮らしと外の世界との間に関連性を見出すのが難しい時代です。得に若い世代は、このような課題に直面している人が多いのではないかと思います。一生懸命働いていて、社会に貢献したいのに、リアルな世界とのつながりが分からないという悩みです。自分がどう役立っているのか、どう関わっているのか、わかりにくいのです。

 働き手としての人生はむなしくからっぽだと諦めるのは簡単です。映画が伝えているのは、"そうじゃない、生きる実感を取り戻すべきだ“ということです。」
とイシグロは映画について述べ、若者に以下のメッセージを送る。

「社会人になったときは、意味のある仕事をしたい、自分の周りの社会を変えていきたいと思うものです。しかし、時がたつと共に、そんな夢の実現は無理だと思い、疲れて気力をなくし、世の中に恨みを抱くこともあります。自分が夢見みていたものに手が届かなくなってしまうのです。

 力を尽くせば、自分の人生に閉塞感を抱き限界を感じていたとしても、それを意味あるものにして充実した人生を生きる方法が見つかるはずです。そうすれば、空っぽの人生をすばらしい人生へと変えられるはずです。」

 時代の課題と向き合いながらメッセージを打ち出したという『LIVING』、ぜひ観てみたい。

ウィシュマさんの命日の翌日「入管法改正案」を閣議決定

 きのうは、2年前に入管施設に収容中「殺された」ウィシュマ・サンダマリさんの命日だったが、翌日のきょうの朝、入管難民法改正案を閣議決定したというニュースが入ってきた。

6日の参議院予算委員会で石川大我議員が、ウィシュマさんの事案を取り上げた。 33歳の健康な人が公の施設で亡くなったという事案なのに、警察の捜査が入らず、すべて法務省の中で処理されているのはおかしい。同じことが、病院や児童養護施設介護施設で起これば、警察が入る。再調査すべきではと質問。その通り!


 改正目的は、不法残留する外国人らの迅速な送還や、入管施設での長期収容の解消だとしているが、難民申請中でも送還できるようにするなど、廃案となった2年前の問題点がほぼそのまま維持された「改悪」案だ。

 懲りない人たちだな。

2月23日、改正案を廃案にせよとのデモが(毎日新聞より)

毎日新聞より

 出入国在留管理庁によると、不法残留などの外国人で、強制退去処分になっても送還を拒む人は3千人超で推移している。改正案では、3回目以降の申請者(相当な理由がある場合は除く)や、3年以上の実刑判決を受けた人らには規定を適用せず、送還できるようにした。

 入管庁は難民申請中は送還されない制度が「乱用」されているとするが、何度も申請せざるを得ないのは、日本の認定率が低すぎるから。他の国だったら、とっくに認定されているはずの人たちが認定されないから、仕方なく申請を繰り返す。これを「乱用」として強制送還するのは本末転倒もいいとこだ。

 アメとしては、摘発されても、自発的に帰国すれば、再入国できない期間を5年から1年に短縮する。これで速やかな帰国を促すという。また、難民以外の事情で国内残留を希望する外国人のため、これまで法務大臣の裁量でしか出せなかった在留特別許可を外国人側からも申請できるようにする。

takase.hatenablog.jp

 長期収容の解消策としては、収容に代わる「監理措置」を導入。「監理人」となる支援者らの下で、収容せずに強制退去の手続きを進める。収容か監理措置かは逃亡の恐れなどを考慮して個別に判断し、収容した場合は3カ月ごとに監理措置への移行を検討し直す。
 収容せずに、と言っても、これは仮放免と原則同じ。強制退去が前提で、仕事はできないし、住民登録もできず健康保険にも入れない。

 また、ウクライナなど紛争地から逃れた人を難民に準じて保護する「補完的保護対象者」制度の導入も盛り込んだ。難民同様に定住者の在留資格が与えられる。だったら、いっそ難民として認めればいいのに。例えば、これまでクルド人などを難民として認めてこなかった日本政府の扱いをみると、問題はカテゴリーを新たに作ることより、難民の認定と同様、独立した判定者を設けないと恣意的な運用になりかねない。

 2021年の通常国会に提出された旧改正案は、難民申請を制限するなどした内容に、国内外から「国際的な人権基準を満たしていない」と批判された。政府・与党は、名古屋入管に収容中だったスリランカ人女性ウィシュマさんが同年3月に死亡した問題を受けて成立を断念し、同年秋の衆院解散で廃案となった。

 この「改正案」は必ずつぶさないと。