収容所から強盗指示―なんでもありのフィリピン

 コスパのいいアルバイト」として強盗をやるという時代になったのか・・・。

 狛江市の事件をふくむ、関東など各地で相次いでいる強盗事件。このグループが特殊詐欺も行っていて、被害額が約35億円に上ることがわかったという。警視庁と18道府県警が末端メンバーら約70人を逮捕。強盗事件同様、SNSの「闇バイト」で加わったメンバーもいた。

 これらの犯罪を、フィリピンで逮捕されて収容所に入れられている人物が直接指示したことが注目されている。

 一昨日のTBS「報道特集」。村瀬キャスターが、フィリピンの入国管理事務所のバクタン(Bacutan)収容所にいる今村磨人(きよと)容疑者を直撃していた。今村はシラをきるばかりだったという。

 彼の暮らしぶりは―月々6万円でVIPルームに居住、職員に賄賂をわたして携帯を使い、特殊詐欺の犯行中もライブで、「逃げろ」とか「叩け」(強盗の隠語)などと指示を出していたという。詐欺でだまし取ったお金は、部下にフィリピンに送金させ、収容所職員が銀行から降ろして今村に届けている。

今村容疑者。VIPルームの個室から携帯で日本に詐欺をもちかけているところ。(TBS報道特集より)

 

他の人たちはエアコンもない共同の大部屋で裸ですごす


 2019年、日本からの要請で、特殊詐欺フループ36人が逮捕され収容された。36人は去年7月、全員の強制送還が終わったが、今村容疑者は、札幌時代の友人ではやり指示役の渡辺優樹容疑者とともにまだ送還されていない。フィリピンの友人に頼んで告訴させ、裁判中は送還されないようにしているという。

収容所内では薬物も「自由」に使われている(報道特集より)

収容所内からの指示では、さかんに「叩け」(強盗の隠語)と指示していた(報道特集より)


 その当時、同じ収容所にいた人が撮影した映像を「報道特集」は20年12月に流していた。今村容疑者は、他の被収容者にマッサージをさせたり、薬物を私用するなど好き勝手に「生活」していた様子が映っている。

 実は、3年前、同じ収容所にいた人が日本の恋人に「収容所内で、日本の仲間に命令して強盗などをやらせていることを日本の警察に伝えてくれ」と連絡があった。警察に連絡したが、証拠がないとして相手にされなかったという。このときしっかり対応していれば、その後の被害は防げたかもしれない。

 フィリピンでは、収容所の中で勝手なことができるのか?!と多くの人は驚いたと思うが、フィリピン滞在4年の私が、その実態の一部を紹介しよう。
・・・・

 私は、戦後最大の拳銃の密輸事件で逮捕され強制送還を控えていた「拳銃密輸王」にフィリピン入管の収容所の中で暴行を受けケガをしたことがある。収容所の中で、である。日本では考えられないシチュエーションだが、あの国ではなんでもあり、だ。

 TBSに「拳銃密輸犯」のインタビュー取材を依頼された私は、収容所のなかにビデオカメラを持ち込んで本人への直撃を試みた。こういう取材も、多少の「ワイロ」で可能である。

 当時の私はまだフィリピン事情に疎く、収容されている「密輸犯」が、まさか手錠もされずに「自由に」行動していて、この野郎!と殴りかかってくるとはツユ思っていなかった。

takase.hatenablog.jp


私を殴った「拳銃密輸犯」金田仁氏は、日本で刑期をつとめたあと再びフィリピンに住み、ビジネスマンとして成功をおさめた。そして、その金田氏と和解するという、不思議なめぐりあわせをも経験した。

takase.hatenablog.jp

 フィリピンの刑務所はとてもおもしろくて、マニラシティジェイル(マニラ市刑務所)では、4棟の収容棟を主要な四つのマフィアが仕切っており、定期的にマフィア対抗バスケットボール大会もあって、トロフィーが飾られていた。

 また、奥さんや恋人が泊っていくことも可能で、刑務所内で小さな子ども(明らかにその人が収監されている間に生まれた)を可愛がっている囚人もいた。同性愛者同士は別の部屋に住まわせたり、マフィアはある意味「人道的」配慮もしていた。

 刑務所内の囚人がこうした「自由」を享受できるのは、看守が囚人と「つるんで」いるからなのだが、その主な理由はお金で、マフィアに看守が買収されていることにある。もう一つの理由は、それぞれの棟に「自治」を与えることで、マフィアのご機嫌をとろうとするからである。刑務所内ではときに大規模なマフィア同士の抗争で死者が出たりする。看守としては、お前たちの棟はお前たちに仕切らせるから、あまり面倒を起こさないでくれよ、というわけである。

 その後、私はフィリピンの囚人をドナーとする国家犯罪ともいうべき腎臓移植スキャンダルをスクープしたが、それは、長期刑の囚人が収監されているモンテンルパ刑務所の中にカメラを持ち込み、「自由に」取材できたおかげである。

takase.hatenablog.jp


 この取材のせいで、私はガンマンに狙われてフィリピンから逃げるという、まるでドラマのような展開になる。

 当時の私はむちゃくちゃだったな。


 ずいぶん昔だが、地平線会議という冒険者たちの集まりで、フィリピンの裏社会について報告したことがある。

 ここに紹介するのは、私の報告をジャーナリストの樫田秀樹さんがまとめてくれた文章。樫田さんとは、マレーシアの熱帯雨林伐採問題の取材で入っていった、サラワク州ボルネオ島)の奥地の集落で出会った因縁がある。
http://www.chiheisen.net/_hokokukai/_hk96/hkrp9610.html


フィリピンの裏舞台~高世仁
  1996.10.29/アジア会館

●1989年7月のことだった。ボルネオ島の熱帯林で、私が先住民とその生活を共にしていた村に、弁護士を中心とした日本人の調査団がやってきた。その中に、ぷっくりとした色白の、一見オカマにもてそうな男性がいた。それが高世さんだった。熱帯林伐採の取材に来たのだ。

●どこでもそうだが、いわゆる『被害者』に話を聞くときは注意がいる。ついつい、ありもしない話で事実を誇張してしまうからだ。弁護士の先生たちは村に来ていきなり話し合いに入った。一番まずいパターンだ。村人は先生たちの意図に応えようと、大袈裟な話のオンパレードをサービスした -みんな栄養不足だ、ボートを作る木もない、魚も一匹もいなくなった、伐採が始まってから子供に皮膚病が…、木材会社の人間の首を切ってやりたい! うーん…。

●先生たちは実際、帰国後に「先住民はこんなに困っているのです」との報告書を作成したらしい。一人だけ違っていたのが高世さんだった。話し合いの翌朝に私のところに来てこう言った -「ねっ、聞きたいんだけどさ,この人たちは本当に困ってんの?」。おっ、つきあえるぞ、この人とは!

●高世さんの取材はきわめて的確だ。表面的な事象ではなく、なにが問題の本質かを見抜く目を持っている。今までのスクープは、囚人腎臓売買、北方領土一番乗り、サハリン残留韓国朝鮮婦人、アウンサウン・スーチーへのインタビュー、そしてスーパーK(高世さんの独断場)。話もうまい。特に興味深く聞かせてもらったのが、3年間駐在していたフィリピンの裏話だった。

●火災保険目当てで自分のホテルに放火するオーナー(高世さんの同僚が巻き込まれた)、葬儀屋からのリベート欲しさに死体確保に血眼になる消防士(消火はしない)、弁護士も裁判官もカネ次第、事前に賄賂を払えばその場で答えを教えてくれる自動車免許試験、大学の卒論だって雑貨屋で販売、恨みをかえば、警官、入管グルで投獄の憂き目にあう…。

●檻の中にいるはずの囚人が、最低2週間の病院での安静が必要な腎臓摘出手術を受けている。ここを取材するうちに,高世さんは、刑務所の中がきれいに四つにギャング団の支配下に分かれていて、その一つ「シゲシゲスプートニク」(行け行け!スプートニク号)と知り合い、奇妙な親交を深めることになる。

●人を閉じこめておく場所の刑務所が実はギャングの総本山。人を殺すために外出して、2、3日後にまた戻る。何でもありのフィリピン。しかし、高世さんは、腎臓問題が日比両国の国会で問題になるにいたり、命を狙われることになる。その情報をつかんだその日に国外脱出。

●「でもね、フィリピンには善人と悪人との境目がないんだよね。そのへん歩いてる奴が人を殺している。かといって、貧しいものでも生きていける相互扶助は必ずある。誰でも決して過去を問われずに生きていける。フィリピンは目茶苦茶だけど好きなんだよね」

●高世さんは最後に、アジア各国で実施された『自分が幸せかと思うか』のアンケート結果を発表してくれた。フィリピンが断突で90%以上。最低が日本だった。母親は子育てに疲弊し、障害者や老人は施設に隔離され、サラリーマンは時間に追われる。フィリピンが無秩序の中の秩序とすれば、日本は秩序の中の無秩序の国かもしれない。

●だが高世さんは6年前、私の報告会を聞くために地平線会議に参加したのをきっかけに嫁さんをみつけたという幸せ者である(4回目のデートでプロポーズ)。

●来年は是非北朝鮮の話を聞かせていただきたい。[樫田秀樹]

・・・・・・・・・

以下は、報告会についての感想

高世さんの報告をかいつまんでお話しします。

高世さんが取材を行ったフィリピンの裏社会でうごめくギャング団と警察の関係や、フィリピンの医療グループとの日本国内ではできない肝移植をめぐる日本の医療界の間をうごめく不明瞭なお金の正体を追った事を中心に、自ら命を追われた経験や、これからの取材先についての報告でした。

今回はスライドは使わず、テレビ番組を収録したビデオを見ながらの報告という形ながら、操作面でちょっと戸惑いつつも、あの手のドキュメンタリー番組らしく、おどろおどろしいナレーションとBGMでフィリピンの現実(しかし実際は高世さんからのもっとどろどろした現実の話の補足を受けながら)が展開されていました。

犯罪の90%は、警官が関与している事。
募集される警官は経歴は問わず、じゃぱゆきさんが課長を努めている事実もある。
肝臓提供者は善意となっているが、実際は囚人がお金で臓器を売っている事実。
マニラでは4大ギャングがあり、囚人は全員どこかへ所属しなければならない。
警官があまりにも信頼性がなくなっている現在、ガードマンという職種が大金持ちや地位の高い人の身の回りを守る私設警察のような位置にあるようです。警察がまた犯罪に走る理由としては、給料が極めて安く、ワイロや恐喝でそれを補っているのもあるようです。

会場に来られていたフィリピン人の方(武田さんのお知り合い)が頷いたり、ご自分の出身の島での現実の話をされたりして、これもまたノンフィクションのフィリピンの民族文化とでもいうのか、混沌とした社会をしみじみ感じされてくれるものでした。

世界で行った、自国の満足度調査という国民の意識調査では、フィリピンが極めて高かった、との事です。90%程度だったと聴きます。逆に、日本は40%にも満たない、精神的に不満足度の高い国民だという事。なんだか納得できるような、できないような。(^^;)警官がグルとギャングがグルになって、犯罪の限りをつくして日中から人が平気で殺されるような物騒な国にしては、この満足度というのが不思議な数字なのかもしれません。タイなんかも同じ方向だそうです。

高世さんが臓器移植をめぐって刑務所に取材に行かれた時、その4大ギャングの中のシゲシゲ団の組長と仲良くなった、という話がとても楽しかったですね。でも、現実には緊迫感があったシーンもあったようですが、話がうまく、それを「カジュアル」という表現をされて、そのシゲシゲという名前はフィリピン語では「いけいけ」という意味だとか、その団を表す入れ墨がまるで子供のラクガキのような絵柄だとかいうのもその「カジュアル」という表現にピッタリでした。

ドロドロした、という中に、そのようなフィリピンの民族文化という世界が、とてもその緊迫感を感じさせなかったり、反面極めてアジア的な冷酷な所があったりというのがよく感じれたような気がします。

冒険、旅とはまた違ったジャーナリズムの地平線報告会でした。(^^)

 

中村哲医師とタリバン

 Z世代の若者が世界的に脚光を浴びている。

 Z世代とは90年代半ばから2010年代生まれの世代だそうで、川崎レナさん(17)が、「国際子ども平和賞」を日本人ではじめて受賞したことが話題になった。マララ・ユスフザイさんやグレタ・トゥンベリさんも受賞している権威ある賞らしい。

サンデーモーニング」より

 川崎レナさんは、14歳で国際NGO「アース・ガーディアンズ」日本支部を立ち上げ、中高生と政治家が意見を交わす「政治家と話してみようの会」を始めるなどの活動を行ってきたという。

 こういうニュースに接すると、頼もしいな、がんばれ、と応援したくなるが、それでいいんですか、と突っ込んでくるのはジャーナリストの安田菜津紀さんだ。 先日の「サンモニ」でのコメント。

安田菜津紀さん。サンデーモーニングより

「Z世代の行動力がいろんな形で評価されている一方で、彼らの切実な言動が表面的に、一方的に消費されていないだろうかということも気になる。つまり、なぜ彼らが行動せざるをえない状況が生み出されているのか。

 この社会をつくりあげて世代の責任というものが抜け落ちたまま、ただ分断ということが語られがちではないか、気がかりだ。先ほど川崎レナさんが世代を超えた対話とおっしゃっていたが、むしろ意思決定の立場にいる大人こそが、みずから丁寧に耳を傾けてそれを具体的な仕組みに落とし込めて行けるかどうかが問われているのではないか」

 若者よがんばって、などと言ってるあなたがた、大人の責任を果たしなさい、ということだ。いいコメントだな。反省させられる。
・・・・・・・・

 アフガニスタン情勢をどうとらえるかは対タリバン認識によって左右される。

 今回のアフガニスタン取材は、タリバンとは何かを考え直すとてもよい機会になった。そして、中村哲医師のタリバンが実態をよく捉えていたことに気づかされた。

 中村哲医師は、911のあとアメリカがアフガニスタンを攻撃した直後から、アメリカに勝ち目はなく、タリバンが勝つことを見通していた。彼の当時のアフガニスタン情勢の認識が、日本の大方のそれとはっきり異なっていたことは、2001年10月13日の衆議院での参考人発言でも分かる。

takase.hatenablog.jp


 当時から中村さんは、「タリバン政権(第一期の)の時代が一番仕事がやりやすかった」と語っていた。
 正直言うと、そのころは私もタリバン=「邪悪な恐怖政治の集団」のイメージを持っていたので、中村さんは尊敬するけど、そこまでタリバンを美化されるとついていけないな、と思っていたのだ。

 中村さんがタリバンをどう見ていたか。
 911をうけた米軍の空爆直後の『日経ビジネス』(2001年10月22日号)のインタビュー記事「アフガンで活動18年、中村医師が語るタリバンの真実~恐怖政治は虚、真の支援を」で、タリバンの「恐怖政治」はウソだと明言している。

 空爆が始まってタリバン叩きがもっとも激しい時期であり、中村さんは対抗上、タリバン擁護の姿勢をはっきりと打ち出している。以下で再録が読める。

business.nikkei.com

 中村さん、まず報道を批判している。

「日本の報道で一番伝わってこないのが、アフガンの実情です。北部同盟の動きばかりが報道されて、西側が嫌うタリバン政権下の市民の状況が正確に伝わらない」

「今もてはやされている北部同盟の故マスード将軍はハザラという一民族の居住区に、大砲や機関銃を雨あられと撃ち込んで犠牲者を出した」とも。

 かつて乱暴狼藉を働いた北部同盟を、日本のメディアは、「英雄」ともちあげた。私も当時の報道に関与したので、この批判はきついが、そのとおりである。

「各地域の長老会が話し合ったうえでタリバンを受け入れた。人々を力で抑えられるほどタリバンは強くありません。旧ソ連が10万人も投入して支配できなかった地域です。一方で市民は北部同盟は受け入れないでしょう。市民は武器輸送などでタリバンに協力しています。北部同盟に対しては、昔の悪い印象が非常に強いですから。」

以下、中村さんから見たタリバンの真実。

タリバンは訳が分からない狂信的集団のように言われますが、我々がアフガン国内に入ってみると全然違う。恐怖政治も言論統制もしていない。田舎を基盤とする政権で、いろいろな布告も今まであった慣習を明文化したという感じ。少なくとも農民・貧民層にはほとんど違和感はないようです。」

「例えば、女性が学校に行けないという点。女性に学問はいらない、という考えが基調ではあるものの、日本も少し前まではそうだったのと同じです。ただ、女性の患者を診るために、女医や助産婦は必要。カブールにいる我々の47人のスタッフのうち女性は12~13人います。当然、彼女たちは学校教育を受けています。」

タリバンは当初過激なお触れを出しましたが、今は少しずつ緩くなっている状態です。例えば、女性が通っている『隠れ学校』。表向きは取り締まるふりをしつつ、実際は黙認している。これも日本では全く知られていない。」

「我々の活動については、タリバンは圧力を加えるどころか、むしろ守ってくれる。例えば井戸を掘る際、現地で意図が通じない人がいると、タリバンが間に入って安全を確保してくれているんです。」

「あちらの慣習法で大切なのが、客人歓待。ビンラディンもいったん客人と認めたからには、米国だろうと敵に客人を渡すのは恥、と考えるんです」

そして結論は―

「こんなふうに死にかけた小さな国を相手に、世界中の強国がよってたかって何を守ろうとしているのでしょうか。テロ対策という議論は、一見、説得力を持ちます。でも我々が守ろうとしているのは本当は何なのか。生命だけなら、仲良くしていれば守れます。
 だから、日本がテロ対策特別措置法を作ったのは非常に心配です。アフガンの人々はとても親日的なのに、新たな敵を作り、何十年か後に禍根を残します。以前は対立を超えてものを見ようとする人もいましたが、グローバリズムの中で粉砕されていく。危険なものを感じます。」

 とくにメディアに向けられた、「実情が伝わっていない」との警告。これは安全保障政策の大転換の今にも通じるだろう。
(つづく)

 

アフガンの麻薬とタリバン③

 先日のニュースで、ふるさと納税で「赤字」になっている自治体が、ふるさと納税の強化のための人材を募集していることが報じられていた。

 四日市市では、昨年度、日本各地からの寄付が約5000億円あったのに対し、市民の寄付による税の控除が約8億5000万円で、差額の約8億円が“流出”したという。四日市市民がたくさん他の自治体のふるさと納税をしているのに、市にふるさと納税をしてくれる人が少ないということだ。市では、ふるさと納税シティプロモーション戦略プロデューサー」(!)なる専門職員を公募しているそうだ。

 ふるさと納税は、税の納め先を変えるだけで「返礼品」という商品がもらえる、いわば負担金2000円の通販。こっちはブランド牛肉、あっちはシャインマスカットと「返礼品」はよりどり。やらない人は損をしてバカを見ますよといわんばかりの風潮になっている。

今週のベストテンだと・・。これが納税なのか?「さとふる」(ふるさと納税を商売にしている会社)のHP

 自治体も客寄せに必死で、「返礼品」調達と人件費、輸送などのコストがかさんでいるという。

 ”本末転倒”とはこのことだ。もともとの趣旨はというと―

「地方出身者は、医療や教育等の様々な住民サービスを地方で受けて育つが、進学や就職を機に生活の場を都会に移し、現住地で納税を行うことで、地方で育った者からの税収を都会の自治体だけが得ることになる」ので、寄付先を納税者自らが選択できるようにして、都市と地方間の格差を小さくしようというもの。故郷を思う都市住民の気持ちが込められた納税のはずである。                              

    マイナンバーカードのポイントやらコロナ下でのGO TOやら、「お得ですよ」とお金やモノで釣られるとホイホイついていく国民に我々はなったらしい。逆に言うと、「お得」でないと動かない。近ごろは、“さもしい”などという日本語をとんと聞かなくなったなあ。

 昨年末に亡くなった、渡辺京二さんが、日本人のいいところを挙げてこう言っていた。

古事記』以来、日本人は汚い心をとても嫌ってきた。神道でいう「清き心、明(あけ)き心、直(なお)き心」、これこそが日本人の一番の徳目だと思います。

 私も"古い人間"なのかな、と自覚させられる今日この頃である。

 
・・・・・・・

 アフガニスタンの麻薬の話の続き。
 
 麻薬と貧困はつながっているなと思ったのが、北朝鮮から脱出して帰国した日本人妻がケシを庭に植え、樹液(アヘン)を鎮痛剤にしていたと聞いたときだった。
 北朝鮮では、建前では医療は無料になっているのだが、お金がなければまともな治療は受けられず、ほとんどの痛みはアヘンで痛みを治めていたという。

 アフガニスタンの首都カブールで、2人の日雇い労働者を取材した。街でよく見かける一輪車で荷物運びをする労働者で、大きな買い物をするお客の荷物などを一輪車で駐車場まで運んだりして手間賃をもらう。彼らのあいだでは、カジュアルな感じで麻薬が使われているらしく、2人とも常習者だった。

 35歳のカイスさん(仮名)は、朝と夕方の2回、ヘロインを吸引する。若いころ石材を扱って腕に大けがをし、ちゃんとした治療を受けなかったせいで、今もときおり激しく痛むという。お金がなく医者にかかれないので、痛み止めがヘロインだ。これなしには働けないという。このほか気分転換にときどきハシッシ(大麻の樹脂)をやる。日々の暮らしの苦しさに「やってらんねえよ」と麻薬に手を出す気持ちはわかる。

 アフガニスタンでは、前政権時代の2010年、はじめてのまともな調査がUNODC(国連薬物犯罪事務所)により行われ、人口の8%!が麻薬中毒という衝撃的な数字が公表された。欧米と国際社会が膨大な資金と軍事力を投入して「民主国家」建設にまい進していたころ、麻薬は国のすみずみまで蔓延していた。

 薬物常習者がたむろするカブール市内のソクタ橋の取材については前々回触れたが、タリバン政権も常習者のあまりの数の多さに、簡単に手を出せないのか、事実上野放しになっている。

 橋のたもとである常習者の話を聞いた。

「家族はどこにいるかわからない、ここに11年間寝泊まりしている」という。橋の下に「住んで」いるというのだ。麻薬中毒問題は、ここ2年、3年の話ではなく、この国が長く引きずってきている、頭の痛い問題であることがわかる。

 主に使うドラッグは、ヘロインと「シーシャ」だという。水タバコのシーシャとは別で、安い覚せい剤系の薬物で、「貧者のドラッグ」と呼ばれ、最近はヨーロッパでも問題視されているようだ。

麻薬の常習者。手に持っているのがシーシャの吸引具で、これを売って暮らしているという(筆者撮影)

 どうやって麻薬を買うお金を得ているのかと尋ねると、ガラス製のパイプを見せて、これを売っているという。客も常習者では、大したお金にはならないだろう。近くの住民によると、常習者による窃盗が頻発していて、とても迷惑しているという。

 第一期タリバン政権(96年~2001年)では、ケシは厳しく取り締まられ、激減した。タリバンは20年ぶりに政権についてからも一貫して麻薬取り締まりをしているという。
2021年8月15日のカブール陥落直後の17日、初の記者会見で、タリバンのムジャーヒド報道官が「統治方針」を発表したが、その中に「ケシ栽培の撲滅」があった。

 さらに、去年22年4月3日にはタリバンのアクンザダ最高指導者がケシの栽培と麻薬の使用を禁止する命令を出している。
https://news.yahoo.co.jp/articles/63adcd691267eac2de10f76ec27388e7ef48585d

 タリバン政権下での麻薬の現状はどうなっているのか。アフガニスタンの麻薬問題を取材している朝日新聞の石原孝記者のリポートを引用する。

《薬物犯罪事務所(UNODC)などによると、アヘンの生産量はアフガニスタンで2021年に約6800トンに上った。世界全体の86%を占める規模だ。》

22年8月17日朝日朝刊記事

 22年4月のタリバンの禁止令についてある仲買人は―

《ケシの栽培や麻薬の使用を禁止するとの)発表前の昨秋に植えたケシの売買は黙認されているが、今秋以降は認められない可能性が高いと仲買人たちはみている。

 市場近くの畑で、ケシ栽培を30年以上続けてきた農家ムハンマドハッサムさん(65)も、「タリバンが禁止と言えば、栽培はできない。彼らの決定は絶対だ」とこぼした。

 少ない水で育ち、干ばつに強いケシは、他の作物より栽培しやすい。年に40キロほど収穫して数十万円を稼ぎ、14人の家族を養ってきた。「ケシが麻薬になることは知っているが、我々は生活のために栽培してきただけだ。自分たちで使ったことはない」

 ハッサンさんは、タリバンを支持している。駐留米軍や、それが支えていた政府軍と約20年かけて戦い、米軍撤退に追い込んで戦闘を終わらせたからだ。2年前には政府軍が自宅近くを空爆し、まだ若かったおいが死亡したという。

 タリバン暫定政権が貴重な収入源としてきたケシ栽培を禁止した背景には、国内で薬物乱用が増えていることも関係している。首都カブールの橋や広場では、男たちが固まって麻薬を吸引する姿をみかける。

 暫定政権は彼らを専用施設に連れて行き、更生を目指している。施設の代表を務めるタリバンのアブドゥルナシル・ムンカッド構成員(45)は「国内全体の薬物乱用者は少なくとも500万人はいる」という。人口の約13%に上る数だ。紛争で家族を失ったり失業したりした人が多く、つらさを紛らわせるために手を出す人もいるという。(略)

 ただ今後、ケシ栽培の禁止がどれだけ徹底されるかは不透明だ。財政難にあえぐタリバン暫定政権は、戦闘員の給料を十分に払えていない。麻薬取引で自活して生きた一部のタリバン戦闘員にとっては、重要な資金源が断たれることを意味する。タリバンの支持基盤である南部農民たちからも不評を買いかねない。

 さらに、禁止令によって生産量が減ると、希少価値が高まって取引価格が跳ね上がることが予想される。ひそかに栽培をしようとする農家にとって、よりもうけが大きくなる。

 地元記者は「苦しい生活が変わらないなら、隠れて栽培する農家が出てくるかもしれない。欧州など各国の需要も急には減らないだろう」と指摘する。》(22年8月17日朝刊)

 

 戦乱で農村が破壊され、社会構造がズタズタにされた農民たちが、ケシ栽培を生活の基盤にするに至ったアフガニスタン。禁止するだけでは、暮らしがなりたたなくなる。経済危機にあるアフガニスタンで何をどこまでやれるのか。

 麻薬は今後も大きな問題としてこの国を苦しめそうだ。

(終わり)

アフガンの麻薬とタリバン②

 大寒」に合わせたように、大寒波がやってくるとの天気予報。

 初候「款冬華(ふきのなは、さく)」は20日から、次候「水沢腹堅(さわみず、「こおりつめる」)が25日から、末候「雞始乳(にわとり、はじめてとやにつく)」は30日から。
 今が寒さのピーク。これを過ぎれば春が見えてくる。
・・・・・・

 サンデーモーニング』のコメンテーター渡部カンコロンゴ清花さんという若い女性がいる。難民を人材とみて就職はじめ社会的な活動と結びつけるNGOの代表だそうだが、彼女のコメントは、全体を俯瞰したとても良識的なもので、感心させられる。

15日のサンモニに出演した渡部さん。

 15日のサンモニで、岸田首相の訪米と日本の安全保障政策の大転換について以下のようにコメントしていた。

《プロセスと内容、両方とも、このままではまずいと思う。

 まず、私たち国民の代表を国会に送っているはずなのに、そこで論議されずに進んでいるということ。

 次に内容だが、「反撃能力」という言葉だけを聞くと、何となく、いまの世界情勢の不安定化のなかで必要なのかな、と思ってしまうかもしれない。ただ、その中身を見ていくと、日本と密接な関係にある国が攻撃されたら、日本もその(攻撃してきた)国に対して攻撃できることになる。自分がやられたら守らなければ、やり返さなければ、というだけではない。中国の軍事化ももちろん(問題)なのだが、アメリカが第二次世界大戦のあと軍事介入したり戦争にかかわったりしたのが、数えたら15(回)を超えていた。安保法制と今回の反撃能力がセットになったときには、むしろ日本が巻き込まれる可能性があるんじゃないかと思う。》

 はい、文句なしの正論。

 安保法制では集団的自衛権、つまり「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」(政府解釈)を認めるので、アメリカに対する攻撃への「反撃」を日本もできるわけだ。もし、いま9.11後にアメリカが行ったアフガニスタン侵攻があるとすれば、日本も現地で「反撃」することになりかねない。敵基地をミサイルで叩く場合も、当然米軍の指揮のもとに決行されるはずだ。

 これのどこが「専守防衛」なんだ!?

 最近、姜尚中氏のコメントが支離滅裂で辟易させられるなか、彼女のメリハリのきいたコメントに拍手したい。
・・・・・・・・

 タリバンと麻薬のつづき。

 アフガニスタンの農民は何世代にもわたってケシを栽培してきた。乾燥地に向いているうえ、「果物、野菜、穀物とは異なり、樹脂は腐敗したり、害虫を引き寄せたりしない。保管も簡単で、長距離輸送もできる」。だからケシは「理想的な換金作物」なのだ。

 

橋の下で麻薬を吸う常習者(筆者撮影)

 では、歴史的にはタリバンと麻薬の関係はどうなのか。

 アフガニスタン・ペーパーズ』(クレイグ・ウィットロック著)はこう指摘する。

《皮肉なことに、アフガニスタンの麻薬産業を縮小させることができた唯一の力がターリバーンである。

 2000年7月、ターリバーンが国の大部分を支配したとき、人前に出ない隻眼の指導者、ムッラー・ムハンマド・ウマルは、アヘンはイスラム的ではないと宣言し、ケシの栽培を禁止した。全世界が驚いたことに、禁止措置はうまくいった。ターリバーンに逆らうことを恐れたアフガニスタンの農民は、すぐにケシの植え付けをやめた。国連の推定によると、ケシの栽培量は2000年から2001年にかけて、90パーセント急落した。》

 ところが・・

《2001年にアメリカが侵攻し、ターリバーンを権力の座から引きずりおろすとすぐに、アフガニスタンの農民はふたたびケシの種をまきはじめた。》

 ふたたびケシの栽培量が増え、アメリカ国内でアフガニスタンの麻薬が政治問題化する。そこで米軍は現地でケシの取り締まりという第二の戦線を開いた。しかし、まったく効果は上がらなかった。

アフガニスタンに関する学術専門家で元国連顧問のバーネット・ルービンは、ブッシュ政権はターリバーン復活の背後にある要因を誤解している、と述べた。「われわれは、どういうわけか、麻薬のせいだという説明を思いついた。ターリバーンは麻薬から利益を得ており、だから麻薬がターリバーン復活の原因だと」とルービンは(略)インタビューーで語った。
 その一方で、ターリバーン以外の人々が麻薬取引によって金持ちになっていった。ワシントンの同盟者と思われている知事、軍指導者、その他のアフガニスタンの高官は、アヘンの利益に夢中になり、自分の影響下にある地域で活動する農民や密売人から分け前を集めた。》

 カルザイ政権のもとで麻薬生産はおそろしいほどに増加していった。

《その年(2006年)、アフガニスタンはアヘンの記録的な収穫を達成し、国連の推定によれば、耕作中のエーカー数は59パーセント増加した。翌年にはさらに豊かになり、耕作面積はさらに16パーセント増えた。》(以上P154-161)

 タリバン政権下で大きく減少したアヘン生産は、アメリカが後ろ盾のカルザイ政権で激増していたのだった。

 いま一昨年20年ぶりに復権したタリバンのもとで、麻薬の状況はどうなっているのか。

 前回、私が首都カブールで多くの麻薬常習者を見たと書いたが、麻薬の蔓延をタリバンの責任に帰してよいのか。

 12月のTBS「報道特集」はアフガニスタンの麻薬問題を取り上げ、麻薬がタリバンの資金源であることを示唆していたが・・・。
(つづく)

アフガンの麻薬とタリバン

 きょうは「タリバン政権と故中村哲医師のレガシー」というテーマでズームで講演した。主催は日本ジャーナリスト会議JCJ)。

 70人くらいの参加があった。内容を盛り込みすぎかと心配したが、講演後、何人かの方から、これまで聞いたことのない話でおもしろかったとの感想がメールやラインでよせられ、少しほっとした。

 とくにアメリカが20年におよぶ米国史上最長のアフガニスタン戦争に1兆ドルという莫大なお金と膨大な人員、労力を投入したことで、イラク戦争と相俟って、国力を激しく消耗したことが、同盟国、とくに日本に負担を求めることにつながり、今回の日本の安全保障政策の大転換をもたらしたという指摘には反響があった。

 アフガニスタン侵攻はアメリカという国家の、そして世界秩序の転機を招来し、結果、日本の進路をも左右すると私はとらえている。つまり、アフガニスタンの事態は「遠い国の、自分と関係ない話」ではない。

 しかも日本は米国に次ぐ、7500億円という巨額のお金をアフガニスタンに注ぎ込んだあげく、この国をずたずたにしたのだった。その「責任」もある。

takase.hatenablog.jp

 講演で触れたなかに麻薬問題がある。きょうは中村哲先生にかんする連載はお休みにしてこの話を書こう。

 アフガニスタンは世界のケシ由来の麻薬の8割を生産するともいわれる麻薬大国だ。

 去年11月にアフガニスタンを取材したさい、私は首都カブールで多くの麻中毒者、薬物依存者を見かけた。麻薬を生産する土地では必ず使用もされるので、常習者、依存者が多くなる。この国の麻薬常習者・薬物依存者は人口4000万人の1割、400万人とも言われ、その人口比は世界でも突出して高い。

 首都の中心部にある公園では真昼間から常習者が地面に寝そべっていた。郊外の墓場にも常習者の集団がいた。カメラ取材したのは、カブール市西部のソクタ橋周辺。ここだけで1500人から2000人の麻薬常習者・依存者が「住んで」いるという。

橋の下にたむろする麻薬常習者(筆者撮影)

 汚水が流れ、腐った匂いが漂う橋の下に数人でかたまり、煙を吸っている。ヘロインと「シーシャ」という安い覚醒剤系の薬物だ。(水タバコのシーシャとは別)「貧者のドラッグ」と呼ばれ、最近はヨーロッパでも問題視されているようだ。

不衛生きわまりない環境に「住んで」いるという

 ヘロインは、ケシの樹液から採れるアヘンを精製したもので麻薬の王様ともいわれる。

 先日、アフガニスタン・ペーパーズ』(クレイグ・ウィットロック著)という本を読んだ。

 アフガニスタン戦争に直接にかかわった政治家、軍人、NGO活動家、外交官などおよそ1000人の証言をもとにして、アメリカのブッシュ、オバマ、トランプの3代の大統領や軍司令官はじめ国のトップが米国民を欺き続けてきたことを暴露している。ベトナム戦争にかんして『ペンタゴン・ペーパーズ』というのがあったが、そのアフガニスタン版ともいえる。すばらしい調査報道の本だ。


 アフガニスタンにおける麻薬と戦争について、本書はこう語る。

アフガニスタンのケシ―この植物からアヘンが抽出され、ヘロインが作られる―は、何十年ものあいだ、世界の麻薬市場を支配してきた。しかし、2001年のアメリカ主導の侵攻の後、アヘンの生産は新たな高みに達した。苦労ばかりで収入の少ない農民たちは、ターリバーンの支配が崩壊したのに乗じて、できるかぎり多くの換金作物を栽培した。米国当局の推計によると、2006年には、ケシがアフガニスタン全経済生産高も3分の1を占め、世界のアヘンの80~90パーセントを供給していたという

 麻薬ブームはターリバーンの復活と並行しており、ブッシュ政権は、麻薬収入が反乱勢力の復活を支えていると結論づけた。その結果、ブッシュ政権は、農民がアフガニスタンのケシの大部分を栽培している南部ヘルマンド州でアヘンの取り締まりを推し進めた。》

 つまり、ケシ栽培は、2001年にNATO軍がタリバンを攻撃して政権から追いだしたあとに増えた。そして、権力を失ったタリバンが次第に勢力を強めてくると、米国はそれが麻薬のせいだとして取り締まりを始めたというのだ。

 だが、この取り締まり作戦はすべて失敗する。そもそも、アメリカが後ろ盾になっているアフガニスタン政府の中央の要人や地方の知事、警察のトップらがみな麻薬ビジネスの当事者であり、現場の取り締まりも賄賂で頓挫。取り締まられたのは貧しい農民たちだけだった。

ケシ栽培は主に、政治的つながりや賄賂を支払うためのお金がない貧しい農民に打撃を与えた。疎外された極貧の彼らは、ターリバーンにとって完璧な新兵となった
「ヘルマンド州の人々の収入の90パーセントは、ケシの販売によるものだ。今、われわれはそれを取りあげようとしている。」「ああ、もちろん、彼らは武器を手に取り、あなたを撃つだろう。なにしろ生計の手段を奪われたのだから。彼らには養うべき家族がいる。」(麻薬取締作戦のアフガニスタン軍部隊に助言した米軍将校、ドミニク・カリエッロ大佐)》

《(ケシの根絶)作戦の前、ヘルマンド州は、ターリバーンとの戦いにおいては、比較的静かな地域だった。しかし、作戦が開始された後、反乱勢力が押し寄せた。「ケシ根絶作戦によって、ヘルマンド州で戦うために、より多くのターリバーンが集まってきたようだ。おそらく彼ら自身の経済的利益を保護するため、さらに、地元住民のケシ作物を『保護』することによって住民の支持を得るためだろう」とニューマン(米国大使)は5月3日の電報で報告した。2週間後、米国大使館の別の電報によれば、州都ラシュカル・ガーの治安は「ひじょうに悪く、悪化しつづけている」とのことだった。》(P148~152)

 アフガニスタンの農民はなぜケシを栽培してきたのか。
(つづく)

「皆殺しになっても発砲厳禁」その2

 「日本による防衛費の歴史的な増額や新たな国家安保戦略に基づき、我々は軍事同盟を現代化している」とバイデン大統領。

 岸田文雄首相は去年5月のバイデン氏への約束(防衛力の抜本的な強化と防衛費の相当な増額)を守っておほめにあずかったわけだ。この人、アメリカには「聞く耳」を持っているらしい。

フジTVより

朝日川柳では―
 デレデレと日本を下げるわが首相兵庫県 石原昭義)

 リスニングテストほめられ帰国する(東京都 尾根沢利男)

 このたびの朝貢特に高くつき(東京都 吉永光宏)

・・・・・・・・

 前回のつづき。中村哲医師の祖父、玉井金五郎は、江崎満吉一家のなぐりこみにどう対処したのか。

石炭の積み込み港として栄えた若松港

ごんぞう小屋。奥に見えるのが「若戸大橋」。


 江崎組は深夜零時のなぐりこみに備え、四斗樽を抜いて気勢を上げる。

 一方、金五郎はなぐりこみのことは住み込みの子分8人にも知らせないまま夜を迎えた。11時になって金五郎はマンに、水をいっぱいに張った大だらいを玄関に置くようにいい、若い衆にはあるだけの提灯に火をいれさせた。家紋の「丸に橘」と「玉井組」の字の入った50個以上の弓張提灯が玄関にずらりと並んで煌々とあたりを照らす。そこではじめて金五郎が言う。

「みんな、今夜、十二時をすぎたら、江崎満吉がなぐりこんで来る。相手は、おれが一人でする。玉井組は喧嘩商売じゃないけ、お前たちに、喧嘩の巻き添えを食わせとうない。二階にあがって、絶対に、降りて来ることはならん。おれが斬られても、手出しするな。さあ、早く、あがれ」

 色をなす子分連中を二階に追い立て、金五郎は二階に通じる梯子を外してしまう。マンにも「出て来んな」と台所に引っ込め、金五郎は一人、たらいの前に、入口の真正面を向いてあぐらをかいた。ここからは『花と龍』を引用。

《手拭で鉢巻をして、着物の両肌を脱いだ。満艦飾の提灯の照明の中に、たくましい金五郎の白い肌と、青々とした龍の彫青(いれずみ)とが照らし出された。
 金五郎は、新之助から借りて来た二本の日本刀を抜き身にして、盥(たらい)の水に浸けた。チャポ、チャポと、洗った。そして、ときどき、表の夜の暗黒を、ぎょろりとした眼玉をむいて、のぞくように、睨む》

 結局、朝まで誰も玉井組に姿を見せなかった。この異様な光景に、竹槍、日本刀、鎌などで武装したなぐりこみ隊は気味が悪くなり、そのうち恐ろしくなって引き上げていったのだった。

 どうだろう。このシーン、アフガニスタン中村哲医師の診療所が襲撃を受けたときに相通じるものがあるのではないだろうか。

 小説のタイトル『花と龍』は、金五郎のトレードマークの左肩の入れ墨が、菊の花を持つ昇り龍だったことに由来する。もともと暴力は大嫌いな性分で、若気の至りで彫った入れ墨をのちに悔やんでいたという。

 この『花と龍』、映画では任侠ものとして描かれるが、「玉井組」というときの「組」はヤクザ組織ではなく、「ごんぞう」と呼ばれた仲仕を束ねる請け負い業者のことで、組を仕切るのは小頭といわれる。これに三菱、三井、古河、麻生(あの自民党麻生副総裁の「実家」)などの炭鉱資本や鮒会社などとのからみで、さまざまな「組」が存在した。

若松駅には大きな「石炭」が展示してあり、そこに三菱、麻生など炭鉱資本のマークも。

 玉井金五郎は、大資本を相手に安くこき使われがちな「ごんぞう」の賃金を上げる交渉をしたり、怪我人への見舞金を出させたりと、玉井組を、労働者互助会、あるいは労働組合のような性格ももつ組として運営した。一方、大資本や地域ボスの手先になって玉井組を妨害するもろに暴力団のような「組」もあり、仕事の取り合いもあって、抗争が絶えなかったようだ。金五郎は敵対する組からめった切りにされ瀕死の重傷を負うなど、体中に数えきれない刀傷があった。しかし、自らは暴力を封じ、乱暴されても仕返しをしないめずらしい「親分さん」だったという。

左は主演中村錦之助(1965年)、右は高倉健(69年)。どちらの映画も任侠ものになっている。ほんとは喧嘩が大嫌いな金五郎だったのだが。

 金五郎は、小頭を束ねて「若松港汽船積小頭組合」を作り、その長男の勝則(火野葦平)は「ごんぞう」(仲仕)の労組「若松石炭沖仲仕労働組合」を組織する。勝則は組合の書記長になり、事務所を玉井組詰所の2階に置いた。小頭組合と労働組合は、「ごんぞう」の大量失職をまねく港湾の合理化・機械化に抗して、歴史的な大罷業(ゼネスト)をうつ。この過程で暴力をもっての嫌がらせも起きるが、金五郎たち家族は、「数千人の働く人たちの大きな問題のために、小さい争いを避け」て、我慢に我慢を重ねる様子が描かれている。 

 自分のことは顧みず、自分を頼ってくる弱い立場の人びとを優先して考えるという点で、また、暴力では何も解決しないとしてきびしく忌避する点で、金五郎一家と中村哲さんがダブって見えてくる。

 中村哲さんの思想のルーツをさらに辿ってみよう。

(つづく)

今は静かな洞海湾

 

「皆殺しになっても発砲厳禁」(中村哲)

 一昨日、北九州市の若松を歩いた。

 中村哲医師は小学校1年生までの幼少期を母の実家のあるこの地で暮らした。若松は筑豊炭田から運ばれてくる石炭を国内外に搬出する港として大いに栄えたが、母方の祖父母、玉井金五郎とマンは、船への石炭の積み込みを請け負う「玉井組」を興し、多くの沖仲仕を抱えていた。

弁財天通り(海岸通り)。左手の石炭会館の裏に「玉井組」事務所があった。

 若松は、「川筋もん」の遊侠の気風でも知られる。祖父、玉井金五郎は、「ごんぞう」と呼ばれた沖仲仕から身を立て、日本有数の「暴力地帯」でもあったこの地で、組同士の命がけの拮抗のなか、北九州一円で名を知られる「親分」にのし上がっていった。

「ごんそう」と呼ばれた石炭を積み込む仲仕。

 金五郎と妻マンの長男として生まれたのが、勝則、のちの芥川賞作家、火野葦平である。中村さんにとって、火野葦平は母親の兄、叔父にあたる。

火野葦平資料館

玉井家。中央が金五郎。左端が早大時代の火野葦平、右から2番目が中村哲さんの母親になる二女、秀子と思われる。

 若松市民会館の中にある火野葦平資料館では、「金五郎と若松の歴史」展をやっていて、「玉井組」関連の写真や資料、映画を観ることができた。

 聞けば、去年の年間企画は「中村哲の源流(ルーツ)」展だったそうだ。

火野葦平中村哲さん。左端が(たぶん)祖母の玉井マン。

 中村さんが亡くなったとき、火野葦平資料館の坂口博館長はこうコメントしている。

「中村さんは貧しき人や困っている人のために手を差し伸べる『川筋気質』を世界で体現する人だった。『義侠心(ぎきょうしん)』のようなものがあった」。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/565744/

 中村さん自身、親族、特に祖父母、父そして火野葦平から生き方に強い影響を受けたと語っており、今回若松に行ったのは中村さんのルーツに触れてみたかったからだ。

takase.hatenablog.jp

 

 93年10月、アフガニスタンで、中村哲医師は、村人に診療所を襲撃されるという事件に遭遇している。その時の中村さんの対応は驚くべきものだった。

 アフガニスタンの田舎は兵農一体であり、農民は「銃と自由を愛する」(中村)兵士でもある。
 あるとき、診療を受ける順番をめぐるいさかいがこじれ、診療所襲撃へと発展した。夜、診療所が包囲され銃撃が始まった。診療所スタッフの中にも銃の扱いや戦闘に慣れた猛者がいて反撃の態勢を取ろうとした。中村さんはその時「反撃を厳禁する」と言ってスタッフの前に立ちはだかった。

 それじゃ、皆殺しにされてもか、と不服を述べるスタッフに、「そうだ。皆殺しになってもだ!」と中村さんは強く言った。

「よく聞きなさい。私たちは人殺しに来たのではない。人の命を助ける仕事でここにいる。鉄砲で脅す奴は卑怯者だ。それに脅えて鉄砲を撃つものは臆病者だ。君らの臆病で迷惑をするのは明日の診療を待っている患者だ。」
 全く反撃しない、こちらの落ち着きぶりを不気味に感じたのか、銃声は収まり、襲撃者たちは引き上げた。

 翌朝、中村さんは付近の長老や族長20人を前に「診療所が無用ならば、私たちは直ちにここを引き上げます」と告げた。しばしの沈黙の後、長老が立ち上がり、非礼を詫び、すべてが解決した。長老の決定は絶対である。

 中村さんは事件をこう振り返る。
「武器を携行しないことは、携行するより勇気のいることだが、事実は人々の信頼を背景にすれば案外可能なのです。無用な過剰防衛は敵の過剰防衛を生み、果てしなく敵意、対立がエスカレートしていく」。(『ほんとうのアフガニスタン』より)

 私はこの事件に、玉井金五郎の姿を重ね合わせてしまう。

 若松に金五郎が玉井組事務所を開いて間もないころ、市民に無理難題を吹っかけて迷惑がられている「江崎組」の若い衆を金五郎がたしなめたところ、江崎組から深夜零時に「なぐりこみ」をかけるとの果し状がとどく。

「花と龍」は何度も映画化されているが、私が観たのは石原裕次郎浅丘ルリ子が玉井夫妻を演じる作品だった。このころの浅丘ルリ子は可愛かったな。

 「玉井組」は、のちには直属の子分だけで数百人、系列の「組」多数を擁するまでになり、金五郎自身、働く者の代表にと押されて市議を6期も務める名士になっていくが、このころはまだ頭角を現わしたばかり。初めて迎える組同士の「決闘」である。組の存続がかかっている。

 迎え撃とうとはやる子分たちを前に、金五郎は、自分一人にまかせろ、「おれが斬られても手出しするな」ときつく言いつけるのだった。

 火野葦平が玉井組を描いた実録小説『花と龍』前半のクライマックス。このあとが最もハラハラさせるシーンである。金五郎はたった一人で、どうやって数十人の武装したならず者どもに立ち向かったのか。

(つづく)