ビデオカメラは持ち去られていた

takase222007-10-09

すごい映像がきのうの「報道ステーション」で放送された。これにより、行方不明になっていた長井さんのビデオカメラが、治安部隊によって持ち去られたことがほぼ証明された。映像は毎日新聞が入手したものだという。(写真は毎日新聞より、白丸が持ち去られるビデオカメラらしきもの)
この映像から分かることは;
1)長井さんの遺体が、大通り交差点から、近くの狭い路地に運び込まれたこと。
2)そこで、肩掛けカバン、ウェストポーチ(二つ)、カメラなど身につけていた所持品がいったん路上に並べられたこと。
3)その上で、ビデオカメラ2台が制服の治安部隊員によって運び去られたこと。
4)その他の所持品(山路さんが日本に持ち帰った)は、そばに駐車していた軍のトラックに乗せられたこと、である。
二人の制服の治安部隊員がビデオカメラらしきもの(ほぼ確実に長井さんが持っていたカメラだ)を持ち去るシーンが、決定的に重要である。もうミャンマー軍政は言い逃れできない。
こういう映像までが存在することは、相当数の市民が危険を冒して、あるいは人ごみに紛れながら、あるいは自宅の窓の隙間から、軍政の横暴を記録し続けていたことを意味する。市民にとって、軍政との闘いで、「映像」がいかに重要な武器になっているかが分かる。
おととい日曜日の「報道特集」では、長井さんのミャンマーでの1本目のビデオテープが放送された。殺害される前日の26日、飛行機でバンコクからミャンマーに向かうところからテープは始まっている。ここには、長井さんの取材行動が現れていて興味深い。
長井さんは、現地で知り合った英語を少し話す「ガイド」と、街から消えてしまった僧を探す。途中、「ガイド」がしきりに、危ない、気をつけて、撮影は控えて・・と警告する。これに対して長井さんは、「あなたは私の味方なのに、なぜ止めることしかしないのか」とガイドに文句を言う。早く取材対象を見つけたいという思いから、ややいらだっているようだ。
やがて、デモを準備している僧たちがいる場所にたどり着く。近くには私服らしい男が見える。怖がってしきりに制止する「ガイド」に、「なぜそんなに怖がるの?私はイラクやアフガンにも行ったから大丈夫ですよ」と長井さんは笑いながら言って撮影を続けていく。この映像からジャーナリストにとっての「危険」について、いろんなことを考えさせられた。
私たちは、原則として、生きて帰って取材結果を発表する責任がある。できるだけ命を落とさないように努力する義務がある。しかし、具体的には、どの程度の危険なら対処できそうかを判断しながら取材をすることになる。100%の安全はないからだ。その判断基準は人それぞれだし、取材テーマの重さも影響してくる。この取材テーマなら命を賭けても惜しくないという場合もあろう。しかし、すべての前提になるのは、まず危険を正確に把握するということである。
報道特集の映像を見て、長井さんはあの日のヤンゴンの危険性を過小評価していたのではないかと思った。
ジャーナリストにとっての「危険」は一様ではなく、場所や時、状況、取材テーマなどにより非常に多彩である。イラク、アフガンで大丈夫だったからヤンゴンでも同じように行動すればよいというわけではない。危険の種類、度合いが違えば、それへの対処方法も異なってくる。国際機関が入っている戦場とは異なり、ミャンマーでは、ジャーナリストの保護など国際的慣行は無視されている。ジャーナリストと判別されること自体が危険なのである。
1988年の8月にヤンゴンで史上最大のデモが行われたが、その直前、政界引退を表明した独裁者ネ・ウィンは、こう国民に宣言した。
「今後、集団でもって騒乱行為におよんだ場合、国軍部隊が出動して発砲するときには、人間に命中するように撃つ。空に向けての威嚇射撃などしない。騒ぎを起こそうとする人間は覚悟してやるようにいっておく」(田辺寿夫『ビルマ岩波新書P54より)。そして、治安部隊は、本当に大衆に向けてためらいなく撃ってきたのである。
ミャンマー取材がはじめてだった長井さんは、やや情報不足のまま市街に出ていったようだ。「ガイド」は一般人らしいが、非常におびえていることが、映像の音声から伝わってくる。声が震えているのだ。そんな彼を長井さんは笑っているが、それほどの恐怖感がなぜ生じるのかに留意して、「ガイド」に状況を質してみる手もあったのではないか。焦りと自信過剰は、現場で眼を曇らせてしまう要因となる。
丸腰の長井さんを殺害した軍政に一点の理もないことを前提として、また評論家の立場で長井さんの「非」をあげつらう目的ではないことを断ったうえで、あえて指摘する。このブログを読んでいるジャーナリスト、あるいはジャーナリスト志望の人に、実践的に考える材料にしてほしい。取材の危険度を正確に知ることの重要性は、今回の長井さんの死から学ぶ教訓の一つだと思う。