2010-01-01から1年間の記事一覧

幸せの指標6−GAH

「幸せ」が政治のテーマになっているが、自治体でも取り組みがはじまった。 東京都荒川区では、正面から「幸せ」を区政の目標に掲げ、GAHなる指標を模索中だ。ブータンにならったのだろう、GAHとは「グロス・アラカワ・ハッピネス」。 区は去年10月、…

常岡浩介さんは生きていた

アフガンで3月31日に行方不明になってタリバンに拉致されたとみられるジャーナリストの常岡さんの無事が確認された。とりあえずよかった。 常岡さんと電話で毎日新聞が直接に話したという。以下、今朝の毎日記事。《アフガニスタン北部で取材中のフリージャ…

所信表明演説への疑問

どこを歩いても紫陽花を見る。もう梅雨も近いようだ。 月曜夜のNHK−BSでやっている「地球ドキュメント ミッション」という番組がある。貧困や格差、人権の抑圧、環境など、さまざまな課題解決に挑む人の壁をどう突破するのかをドキュメントとスタジオで考え…

幸せの指標5−意味の世界2

道端にホタルブクロが咲いていた。友人が先週末ホタル狩りに行ったと聞いたが、もうそんな季節なのか。今年はとくに時間の経つのがはやいなあ。 きのうの夕方、菅直人首相は、就任にあたっての記者会見を行った。 そこで冒頭にこう語った。 《私は政治の役割…

幸せの指標4−意味の世界

ドクダミの花をいたるところで見かける。 子どものころ、家のそばにドクダミに覆われた石垣があり、よく蛇が出た。それで、ドクダミと言えば、今も「蛇」と連想してしまう。 祖母はその葉を絞った青汁を飲んでいた。一度飲めと言われて口にしたが吐きそうに…

首相交代と韓国地方選

鳩山首相が辞め、きょう菅直人氏が次の首相に選ばれた。 2年前、福田首相が辞めたとき、アメリカ人からなぜと聞かれて恥ずかしかった話を書いた。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20080915 二世政治家の首相が続いて「嫌になったから」辞めたが、やはり二世…

有田芳生さんの出版記念会

5月31日の夕方、有田芳生さんの『闘争記』出版記念パーティがあった。 出版記念とはいいながら、この時期だけに、さながら選挙への総決起集会。政治家の多さが目についた。挨拶に立った人は口々に、「有田さんをぜひ国会に送ってください」と締めくくってい…

ウラン残土がレンガに3

30日のブログで、人形峠で55年にウラン鉱床が発見され、「ウランは夢の新エネルギーとしてもてはやされ、《ウラン節》なる歌まで作られ」たと書いた。 《ウラン節》はこんな歌詞だ。 ♪ ここのお山はネ ウランの山さ 掘れば掘るほど 宝とわいて サッサ ウラン…

ウラン残土がレンガに2

独立行政法人・原子力研究開発機構の人形峠環境技術センターでは、ウラン坑道を見学できる。「夜次(よつぎ)南2号坑」で、中にたまったラドンガスを換気してから中に入る。 坑道の両脇、闇の中にぼーっと緑の光が見える。ウラン鉱床である。幻想的で美しい…

ウラン残土がレンガに1

29日、TBS「報道特集」で人形峠の「ウラン残土がレンガに」の特集が放送された。 わずかだが放射線を出すレンガが日本ですでに64万個使用され、来年半ばまでには100万個生産され、原子力研究開発機構から売り出されて全国に散る予定になっている。 レンガ…

李明博大統領の毅然

李明博大統領の演説はとてもよかった。 ネットで全文を読んだが、内容が冷静かつ毅然としたものだったし、戦争記念館という舞台を選んだのも効果的だった。 《我々は哨戒艦事件を通じてもう1度、つらい教訓を得た。世界で最も好戦的な集団と対峙している現…

幸せの指標3−幸せを科学する

『科学』は、岩波書店が発行している。 「小誌は、科学界と社会を結ぶ雑誌として1931年に石原純、寺田寅彦らによって創刊されて以来、科学の進展と、科学と社会の間で起こるさまざまな問題を見つめてまいりました」(岩波のホームページ)。80年の歴史を持つ…

「天安」沈没事件によせて2

北朝鮮は「改革開放」に舵を切ったと、これまで何度か変化を指摘されたことがあった。しかし、結局それはいつも期待はずれに終わった。あの体制は、本質的に「改革開放」を受け付けないし、個別的な「軟化」政策はマヌーバー(計略)でしかない。 「全体主義…

「天安」沈没事件によせて1

映画「クロッシング」を配給した「アジア映画社」の朴社長を囲んで新大久保の「チング」という店で飲んできた。井筒監督の週刊現代の「クロッシング」評はひどいと盛り上り、「クロッシング」上映館が20館まで増えたと聞き、みなで祝福した。 タイの「内戦」…

幸せの指標2

もともとGNPとかGDPというのも、幸福度を数値化するために案出されてきた指標らしい。 実際には経済成長は各国でさまざまな悪しき副産物を生み出し、「ゆたかさ」が「しあわせ」に直結しないことは明白になった。実際、調査すると、飢餓レベルなどの極…

人権と安全保障

きょう、明治大学リバティタワーで「アジア人権人道学会 第二回大会」が開かれた。テーマは「脱北とは何か」。 姜哲煥(カンチョルファン、思春期に北朝鮮の政治犯収容所に10年間入れられた)、野口孝行(脱北者支援活動中、中国で逮捕され、懲役8箇月の刑…

ノイノイ・アキノの思い出 2

フィリピンには政治家の名門がある。 アロヨ前大統領も父親がマカパガル大統領というエリートの家系。アキノ家も名門中の名門だ。このアキノ家に、日本との深い因縁があることは意外に知られていない。 大東亜戦争において、日本にとってのフィリピンの位置…

ノイノイ・アキノの思い出

フィリピン大統領選挙で、愛称ノイノイ、ベニグノ・アキノが圧勝した。 《「控えめで、クリーンな政治家」。10日、フィリピンの第15代大統領となることが確実となったベニグノ・アキノ氏は、祖父が国会議長、父親が上院議員を務め、母親が大統領という、…

樺太残留韓国人の思い出2

きょう電車の中で、グレートジャーニーで知られる探検家の関野吉晴さんとバッタリ会った。この人はすごい人である。 経歴は; 《一橋大学在学中に同大探検部を創設し、1971年アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域を下る。 その後25年間に32回、通算10年…

樺太残留韓国人の思い出1

きのうから朝日新聞で「ニッポンとコリア百年の明日―家族第一部」の連載がはじまった(朝刊社会面)。 最初に登場した人の名前に昔が蘇った。李義八(イヒパル)さん。私が取材で会った最初の朝鮮人だ。 もう20年以上前のこと、私はサハリン(樺太)残留朝鮮…

幸せの指標1

こないだ山形に帰ったときのスナップから、最上川にたなびく鯉のぼり。 左手の土手には満開の桜である。ここ数年だろうか、「幸福」という言葉を頻繁に聞くようになった。 3年ほど前、ブータンが採用しているGNH(Gross National Happiness「国民総幸福度…

桜と交換されたハナミズキ

鳩山首相の言動には「迷走」などという表現ではすまないものを感じるが、結果的には、私たちがアメリカとの関係をどうしたらいいのかをはじめから考え直すきっかけにもなっている。 東京ではハナミズキが今を盛りと咲いている。2日の「産経抄」は、日米関係…

桜満開の置賜を行く

山形に帰省した。 親の今後について相談をしにいったのだが、今年は異様に桜の開花が遅く、ちょうど満開の時期にあたった。北国の春を堪能した。 置賜地方は「桜回廊」を観光の目玉にしているくらい、桜の名所が多い。http://yamagata6.blog118.fc2.com/blog…

よど号が帰国をめぐる動き2

三浦さんはよど号についてジャーナリストの高沢氏が書いた『宿命』を書評したさい、こう書いていた。 《この岡本武の妻、福留貴美子さんは、「よど号犯」の妻の中で、おそらくただ一人の「拉致被害者」である。岡本武が、最後にはメンバーと対立し、ついには…

よど号が帰国をめぐる動き1

都忘れ(みやこわすれ)が咲いていた。 ゆかしい名前がついているが、承久の乱で佐渡島に配流された順徳上皇が、この花を見て、都への思いを忘れることができたという。そういわれて見ると、小さい花なのだが、華やかさもある。ウンチクついでに上皇の歌。 …

青海省震災にチベットを思う

小さな白いベル。ドウダンツツジの花が満開だ。漢字で「満天星」と書くそうだ。 たしかに、満天に輝く星のように見えなくもない。きのうの雨で落ちたのか、地面にも白い点々が・・・。散ってもきれいだ。 中国青海省の大地震で、死者は2千人を超えたという。…

舛添さんの思い出

東京が夏日になったきのう、朝早い便で札幌に行ったら、気温5度。真冬のような寒さだった。仕事を終え、夜、宿でテレビを着けたら、舛添要一さんが自民党を辞めて新党を立ち上げへ、というニュースが流れていた。 舛添さん、本気で首相になるつもりなんだな…

「クロッシング」の上映はじまる

きょうは脱北者を描いた映画『クロッシング』の上映初日だった。 渋谷のユーロスペースには、早くから列ができて満席になった。冒頭、横田夫妻と朝日放送の石高さんがステージで挨拶。(写真) 早紀江さんが、めぐみさん拉致が発覚してから13年、金正日が…

陽光桜そしてウコン桜

きょうは真冬に戻ったようで、おそろしく寒い! 火曜(13日)はぽかぽか暖かかった。その日、正午前、私は取材で江田五月参議院議長を訪ねた。はじめて議長公邸に入ったが、敷地6千坪の広さ。庭園の緑の木々に癒される。桜が、風が吹くたび花びらをはらは…

タイの医療費は90円!

ゆうべ、下川裕治さんと一緒に飲んだ。 下川さんといえば、ファンの多い旅行ライターで、特にタイとその周辺の旅と庶民生活については第一人者と言っていい。私がバンコク駐在だった90年代前半には私も名前を知っていた。まだ会ったことがなかったが、友人…