ノイノイ・アキノの思い出

takase222010-05-11

フィリピン大統領選挙で、愛称ノイノイ、ベニグノ・アキノが圧勝した。
《「控えめで、クリーンな政治家」。10日、フィリピンの第15代大統領となることが確実となったベニグノ・アキノ氏は、祖父が国会議長、父親が上院議員を務め、母親が大統領という、政治家の世襲が多いフィリピンでも数少ない名門の3代目。(略)
 昨年夏の母親コラソン・アキノ元大統領の死去に伴い、わき起こった支持者の声に推される形で出馬を表明したが、一方で「出馬すれば、殺されるかもしれない」とも述べるなどぎりぎりまで出馬を迷った。実際、1987年のクーデター未遂事件で兵隊に撃たれ、九死に一生を得たものの、そのときの弾丸の破片と傷は今も首に残り、それがトラウマ(心の傷)でもあるという》(産経)
祖父、父親ともベニグノ・アキノなので、今回大統領に当選したアキノ氏は、ベニグノ・アキノ3世だ。彼には思い出がある。私がはじめてインタビューしたフィリピン人なのだ。

私がはじめてフィリピンに行ったのは、1983年のこと。ニノイという愛称で呼ばれる政治家ベニグノ・アキノ・ジュニアが、当時のマルコス独裁政権下の母国に帰国、到着した空港で暗殺され、フィリピンが大混乱になっていたときだった。
いきなり、フィリピンに行けと上司に言われ、一人で撮影機材を持ってマニラ空港に飛んだ。空港を出ると、わっと怪しげなホテルの客引きに囲まれた。ホテルの予約もなしに来たので、正直そうな男の勧める安宿にチェックインした。
さて、問題は、何を取材するかだ。自分に土地鑑はない。所属していた小さな通信社はフィリピンにコネも頼れる協力者もいなかった。激しく情勢は動き、世界が注目しているのに、どこに行って、何を取材していいか分からない。誰にも相談できない。困った。
とりあえず、殺されたベニグノ・アキノの家にでも行ってみよう。ホテルの客引きの車でアキノ邸に向かった。
ベルを押すと、若い学生風の男が玄関から出てきた。それがノイノイだった。いまは髪も薄い50歳だが、当時は23歳くらいだったはずだ。
あのう、インタビューさせてほしいんですが。
いいですよ、と気さくに答えて芝生の上でインタビューに答えてくれた。一人取材だから、私はカメラを担いて撮影しながら質問もする。カメラ目線のインタビューとなった。
こんなに簡単にインタビューに応じてくれるのかと驚いた。こんなインタビュー使えるのかなといぶかりながら東京に送ったら、息子のインタビューは意外になくて面白かったと言われた。
この取材が機縁になって私は86年にマニラ支局を開設し、支局長として赴任することになる。
アキノ氏当選の報に、83年のドタバタ取材を懐かしく思い出した。