よど号が帰国をめぐる動き1

takase222010-04-29

都忘れ(みやこわすれ)が咲いていた。
ゆかしい名前がついているが、承久の乱佐渡島に配流された順徳上皇が、この花を見て、都への思いを忘れることができたという。そういわれて見ると、小さい花なのだが、華やかさもある。ウンチクついでに上皇の歌。
ももしきや古き軒端のしのぶにもなほ余りある昔なりけり 

話はガラッと変わって、よど号グループが早期帰国を求めているという。
《1970年に日航機「よど号」をハイジャックし、現在北朝鮮で暮らす実行犯の元赤軍派4人とその妻2人のいわゆる「よど号グループ」全員が、これまで帰国の条件としていた「欧州での日本人拉致事件に絡む一部のメンバーらへの逮捕状の撤回」を求めない方針に転換したことが、宗教関係者らによる訪朝団の話などでわかった。メンバーらが希望する早期帰国に向けて大幅に姿勢を軟化させた形で、日本政府との協議を求めているという。(略)
よど号グループの処遇を巡っては、08年6月の日朝の外務省実務者公式協議で、北朝鮮側がよど号事件関係者の引き渡しや拉致事件の再調査に協力し、日本側がその見返りとして制裁を一部緩和することで合意。しかし、その後交渉は進まず、宙に浮いた状態になっていた》(産経)
これについて、「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」代表の三浦小太郎さんが論評している。三浦さんは、よど号犯の妻の一人、福留貴美子さんを拉致被害者と認定するよう政府に迫っている。
《(略)この福留貴美子さんについて、日本政府はいまだに「拉致被害者」として認定していません。彼女はモンゴルに憧れ、そこに旅行できるという甘言にだまされて北朝鮮に向かい(モンゴルと北朝鮮は友好関係にありました)そのままよど号犯、岡本武の妻とされました。事実上の誘拐というべきでしょう。しかし日本政府は彼女を拉致とはみなしておらず、この点ではよど号犯の主張と日本政府の主張は全く同一といっても過言ではありません。
 福留さん、岡本武両名を、北朝鮮は公的には「土砂崩れの事故で死んだ」といっています。この発言を真っ向から否定しているのが、高沢氏の著作であり、同じくよど号の妻の一人であり拉致の罪を告白した八尾恵の証言です。しかし、日本政府は現在日本に帰国しているよど号犯の国会喚問や緻密な取調べなどに積極的とは到底思えません。よど号犯に取材するジャーナリストや関係者は、かならずこの福留さん拉致について問いただしていただきたいし、また、日本政府に対して、なぜ福留さんが拉致認定されないのかを、私たちも含めて強く関心のある国民は問いただしていく必要があります。
 仮に、日本政府が、福留さんが一定程度自らの意志で北朝鮮に渡ったとみなしているか、また北朝鮮の工作活動に関与していた可能性を考えて拉致認定をためらっているのなら、それは政府として国民を守る義務を放棄している姿勢です。特に、福留さんは北朝鮮で2人の子供を生んでおり、子供たちが人質にとられた状態で北朝鮮に工作への協力を強制されたと考えれば、日本政府の姿勢は冷酷に過ぎましょう。
 北朝鮮による拉致事件は、新潟の海岸からさらうなどの暴力的なものだけではありません。甘言を労し、一時的訪問に見せかけてそのまま出国を許さないような[誘拐・監禁」というべき形を取ることも多々あるのです。北朝鮮帰国運動や日本人妻問題も、広く言えばこの形の誘拐ともいえます。
 このよど号犯に対し、新左翼運動の全盛期を知る文化人や運動家、また政治家、有力者の中にも、「あの時代の闘志」として一種のノスタルジーを持って同情的に語る傾向が現在でもあります。しかし、彼らの[革命家]を目指した人生が、結局最悪の独裁体制の走狗となってしまったことを私たちはもっと冷静に見つめる必要があるはずです。そして、拉致事件発覚以前にさかのぼれば、ベトナム反戦運動の指導者だった小田実氏のように、よど号の事実上の代弁者を務めた人物すらいました。小田氏は他界いたしましたが、よど号にかかわり、時には美化した人たちの責任もまだ完全に追及されたとはとてもいえません。
 よど号犯の帰国が許されるのは、彼らの犯罪の処罰、および公的な場における追及が原則です。しかし日本政府は、福留さんの拉致認定も、今この国にもどっている犯人や妻たちの国会喚問すら行おうとしません。このような状況下での帰国は、下手をすれば制裁の一部解除など北朝鮮側に利用される危険性すらあります。
 まず行うべきことは福留さんの拉致被害者認定です。この提案に共感くださる方は、そのための声をぜひ政府に向けて挙げていってください》
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00218
貴美子さんのお母さん、福留信子さんは、拉致被害者家族会と行動をともにして娘の消息を求めてきたが、2002年1月に亡くなっている。