若者を政治から遠ざけた「内ゲバ」

 ロシアのプーチン大統領は5月9日、旧ソ連ナチス・ドイツに勝利したことを祝う「戦勝記念日」の式典で、核兵器使用をちらつかせてふたたび世界を恫喝した。

核使用で脅迫するプーチン(TBSサンデーモーニングより)

 ロシア軍はウクライナ第二の都市、ハルキウのあるハルキウ州の国境を越えて激しい攻撃を加えてきた。東部、南部でも攻勢を強めている。

 プーチンはこの侵略を「自衛戦争」と呼ぶ。戦争目的は領土を奪うことではなく、傀儡政権をつくってウクライナをロシアにとって「安全な国」にすることなのだ。だからプーチンは9日の演説でもウクライナを「ネオナチ」と呼び、その転覆をはかる。つまり、それまでは戦争をやめないということである。戦争が長期化するのは明白だ。

 毎週日曜の午後、新宿南口でStand with Ukraine Japanウクライナ支援を訴える活動をしている。募金する人は意外に多く、ウクライナを支援しようという雰囲気はそれなりに広がっているようだ。

子どもが募金していた。12日新宿南口にて(筆者撮影)

 それにしても日本では、ガザのジェノサイドへの批判や自民党の裏金問題をふくめ街頭での運動が非常に弱い。情報が浸透していないこともあるが、知ったとしても行動しない。労働運動の低迷もすでに長い。組合の組織率は低下し、争議もストもなく、政府が経済団体に要請して賃上げが実現するなどという異様な事態になっている。去年夏、西部池袋本店が1日ストライキしただけで「迷惑」の声が上がったのは記憶に新しい。

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 日本の政治・社会運動の不活発さは、欧米とだけでなくアジア諸国と比べても著しい。近年をみても香港、台湾、韓国などでは街頭行動が政権を揺るがす規模で行われてきた。街頭行動に限らなくとも、選挙の投票率の低さを見れば日本人のアパシーのひどさがわかる

 先日書いたように、60年安保から60年代を通して、一般の市民や若者がアクティブに行動する時期があった。それが、いまこれほど人々が「冷えて」しまったのはなぜか。
 いろんな角度から見ることができるだろうが、一つの要因として、60年代末からのいわゆる内ゲバ」が政治活動、社会運動に関わることへの激しい忌避感を社会に醸成したことがあるだろう。

 先日、『ゲバルトの森―彼は早稲田で死んだ』の先行上映会とシンポジウムが早稲田奉仕園で行われた。映画のほとんどは1972年に早大キャンパスで起きた革マル派による川口大三郎虐殺事件を扱っている。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%A4%A7%E4%B8%89%E9%83%8E%E4%BA%8B%E4%BB%B6

シンポ登壇者は左から代島監督、本の著者の樋田毅さん、脚本の鴻上尚史さん(筆者撮影)

映画は25日から全国順次上映

奉仕園スコットホールは満席で現役の早大生の参加も多かった

 この事件自体は、早稲田大学の当局と革マルの癒着による暴力支配の構造が問題であって、内ゲバ事件ではないから、映画のタイトルには疑問を持った。ただ、監督の代島治彦氏の問題意識は、なぜ左翼党派が内ゲバで殺しあったのかにあり、その問題は重要だと思った。

 革マルと中核、社青同解放派など各派のいわゆる内ゲバ」で100人の死者が出ている。また1972年に発覚した連合赤軍同志間の大量殺人は常軌を逸していた。この陰惨極まりない政治運動の顛末は、若者を政治から遠ざけるのに十分すぎる効果を持った。

(つづく)