ウラン残土がレンガに3

中津河堆積場

30日のブログで、人形峠で55年にウラン鉱床が発見され、「ウランは夢の新エネルギーとしてもてはやされ、《ウラン節》なる歌まで作られ」たと書いた。
《ウラン節》はこんな歌詞だ。
♪ ここのお山はネ ウランの山さ
  掘れば掘るほど 宝とわいて
  サッサ ウランがョ サッサ ウランがョ
  サッサ ウランがョ 花と咲くョ
鳥取県の倉吉鉱山で作られたという、上の歌詞は5番まであるうち1番)
当時は、採掘人がウラン鉱石をお土産に持ち帰って床の間に飾ったり、体によいと、風呂に入れたりした人もいたという。鉱山内での採掘作業での被曝対策もおざなりだったようで、当時の炭鉱の中の写真などを見ると、防塵もきわめて不十分だ。ウランが危ないものだという認識は非常に薄かったようだ。
いま、こうしたもろ手を挙げてのウラン礼賛は、半世紀以上の経験で、消え去った。
さて、ウラン残土を原料とする人形峠製レンガ。その放射線のレベルは人体に危険なのか。
原子力機構はホームページで、残土レンガと他の一般に使われているものとの放射線量の比較を載せ、レンガの放射線量は微量で「留意すべきことはない」と言う。
人形峠の近くには、名物のラドン温泉があり、こういうところは放射線レベルは高い。むしろこの高さをウリにしてきた。これを裏付けようという研究もある。微量の放射線は体によい効果をもたらす「ホルミシス効果」があるとする説もある。
一方、反対に、法令で定める値は便宜的なもので、被曝に安全ということはない、いくら微量でも被曝のおそれのあるものは人体に近づけてはならないという主張も当然ある。微量の放射線の危険性については、まだよく分からないようだ。
安全性の議論は別として、残土の処理に困ってレンガにして売り出すという処置が、壮大な無駄であることは間違いない。
実は、人形峠ウランの採掘で出た残土の堆積場は、今も鳥取・岡山両県に22ヶ所残っている。ウラン残土が問題化したときには、残土の管理の仕方は規制されていなかったが、翌年の89年、鉱山保安法が改正され、残土置き場への立ち入り制限と、放射線量の管理が義務付けられた。
写真は、岡山県鏡野町・中津河(なかつごう)の残土堆積場。残土は別の土で表面を覆う「覆土」(ふくど)処理がなされ、周りを有刺鉄線で囲んである。
残土撤去の大騒動は、方面(かたも)地区だけで起きたもので、3000立方メートルという量は、残土全体のごくごく一部にすぎない。それですら、レンガに加工するなどという苦し紛れの奇策と言ってもよい方法でしか「処理」できなかったのである。
原発は、残土問題に見られるように、その入り口のウラン採掘でも、また高レベル、低レベル廃棄物という形で、出口でも、解決すべきさまざまな問題を積み残している。
経済産業省などは、発電量1キロワット時あたりの発電コストを;
原子力5.3円/石炭5.7円/石油10.7円と評価した(04年)
しかし、政府の原発に対する財政支出原発の立地・運転・使用済み核燃料の処理費用などの情報を加味すると;
原子力10.68円/火力9.9円/水力7.26円となり、さらに原発の夜間の電力を利用する揚水発電のコストを含めると原子力は12円にもなり、非常に割高になる。
これは先日、ある研究者(立命館大学の大島堅一教授)が発表した試算だ。
温暖化ガス25%削減が発表され、海外への原発輸出が促進されるなか、原発が一躍脚光を浴びているが、もし原発を推進するとするならば、それに付随するリスクとコストへの「覚悟」が我々に求められるだろう。