若者による、パレスチナでのジェノサイドへの抗議行動が、アメリカに始まって世界に広がっている。
これについて田中優子さんがこうコメントしていた。
「先ほど出てきた1960年代の状況、ベトナム戦争で始まったんですね。
アメリカからドイツ、フランス、イタリアと広まって、日本にも入ってきた。日本では日大と東大で最初起こります。それぞれの大学が持っている問題とベトナム戦争と、つまり身近な問題と世界の問題が当時もつながっていたんです。当時は4年生大学に進学するのは15%くらいですよ。今は50%ですが。学生たちが運動をはじめて65年から69年の間で、全国の大学の80%が何らかの運動に入っていたということが分かっています。高校にも広がっていました。
ものすごく広い運動が世界中で起こっていたんですね。こんどもそういうふうになるかもしれない。だけれども以前の運動があまり実を結ばなかったのかというと、そんなことはなくて、あれをきっかけにいろんな人がいろんなことに気づいたんですね。気づくということが大事。
あのときは安保体制って何だろうと思ってた。こんどはね、日本の場合には今私たちが引きずり込まれようとしている軍拡って何だろうとか、アメリカとの関係をどうしたらいいんだろうだとか、そっちの方にも気付いてほしいと思いますね。いろんなことに気づくきっかけになると思います。」(5日の「サンデーモーニング」)
日本の大学の8割で「運動」があったというのは、あらためてすごいと思うが、さらに前の60年安保のころはデモに参加することは特別なことではなかったようだ。元NHKアナウンサーだった下重暁子さんは、当時をこう回想している。
「1年上のディレクターに小中陽太郎さん(作家)もいました。彼らが中心になって、名古屋放送局の労働組合でデモに行きました。デモに行くのがごく普通の時代でした。
いまNHKのアナウンサーがデモに行ったなんて聞きませんね。今年(昨年)6月にパリに行きましたが、いつ行ってもパリはデモだらけです。舞台スタッフのストでオペラが見られないとか、不便なこともあります。でもそれが日常茶飯事というのは、自分を守るための社会が進んでいる証拠だと思います。日本もかつてはそうでしたが。」(赤旗日曜版23年7月23日号)
このころと違って、今の日本人は、デモやストライキに対してきわめてネガティブになっている。なぜだろうか。
これを考えるうえで、ストライキがあたりまえの暮らしについて、フィンランドに住む社会学者の文章を紹介したい。
「去年の11月から今年の春にかけて、フィンランドではストライキが頻発している。2月初めにはストライキの影響で国内の主要な空港が貨物と人の輸送を停止したため、フィンエアーは約550便を欠航させた。また国営鉄道VRや地方の交通機関がストライキを行っただけでなく、主要都市の各地で公立・私立を問わず保育園も運営を停止した。」
このストライキは、経営者でなく政治に向けた「政治ストライキ」で、新政権の労働政策への反対を訴えるものだという。すごいのは国民の58%がこのストライキを支持、不支持の35%を上回ったことだ。
筆者はだんだんストライキに慣れていき、こう考えるようになる。ストライキをする労働者ではなく、彼らがそうせざるを得ない状況に追い込む企業や地方自治体に問題があるのではないかと。
「私がもし自分の給与が上がることを願い、病欠しても有給が保証されることを願い、自分の権利が侵害されることを嫌だと思うなら、なぜ他人のストライキを迷惑だなどと言えるだろう。だからストライキがあると不便はするが、ストライキは迷惑ではない」さらに―
「人権を守ることが大切だという『お題目』なら、日本でいくらでも聞いた。けれども、権利を認めさせる方法を家庭や学校や職場で、見たり聞いたり、誰かと一緒にやってみたりしたことは多くなかった」
「他人が権利を行使したり獲得したりするためにみんなで力を合わせる姿を見ることが普通なら、おそらくストライキをすることは特殊なことではなく、少なくとも『困るけれども仕方のないこと』と思えるようになるかもしれない」(朴沙羅(ぱく・さら)氏の「ストライキがある生活」朝日新聞https://www.asahi.com/articles/DA3S15909374.html)
問題は、「他人のためにみんなで力を合わせる」ことができるかどうか、ではないだろうか。
(つづく)