ウラン残土がレンガに1

公邸の庭に花壇を作る江田氏

29日、TBS「報道特集」で人形峠の「ウラン残土がレンガに」の特集が放送された。
わずかだが放射線を出すレンガが日本ですでに64万個使用され、来年半ばまでには100万個生産され、原子力研究開発機構から売り出されて全国に散る予定になっている。
レンガの原料は、人形峠の「ウラン残土」だ。機構のホームページには「人形峠製レンガの頒布のお知らせ」が載っている。http://www.jaea.go.jp/04/zningyo/brick/index.html
使用促進の宣伝と思われるが、農水省文科省参院議長公邸などの花壇にも使用されている。江田五月参院議長の去年7月6日のブログには、「10時半から、日本原子力研究開発機構の石村理事、庄子東京事務所長らが来られ、先日購入した人形峠のレンガで花壇を作りました」とある。写真はブログから。
http://www.eda-jp.com/katudo/2009/7/6.html
なぜこんなことが起きているのか・・・。
人形峠と言っても若い人は知らないだろうが、ここは日本の原子力開発の「原点」だ。
53年、米国は「アトムズ・フォー・ピース」という方針を打ち出し、軍事用だった原子力の平和利用に舵を切った。翌54年、日本では、改進党代議士だった中曽根康弘元首相が旗振り役になって、はじめて原子力関連予算が成立した。「原子力平和利用研究費補助金」が2億3500万円とウラニウム資源調達費1500万円。前者の金額は、ウラン235にひっかけている。
ウラン鉱床探しが本格化し、55年、鳥取・岡山両県にまたがる人形峠でウラン鉱床の露頭が見つかった。ウランは夢の新エネルギーとしてもてはやされ、「ウラン節」なる歌まで作られてさかんにウラン採掘が行われた。結局、日本のウラン鉱床はコストに合わず、ウランは海外から調達することになり、87年採掘は終わった。
ウラン採掘の過程では大量の土砂が掘り起こされ「残土」として鉱山のそばに置かれていた。それが88年8月15日の「山陽新聞」が「放射性物質含む土砂放置/民家近く20年間」との見出しで、周辺土壌の30倍の放射線が出ていると報じたことから、「残土」は社会問題になっていく。
鳥取県の旧東郷町の方面(かたも)地区の住民が、残土撤去を要求。ここは残土置き場が住民の土地で、住民らが土地の使用契約の更新を拒否したため、残土は違法に土地を占拠する形になった。当時の「動燃」(今は独立行政法人原子力研究開発機構)は残土撤去を約束するも、その約束は守られ、時間ばかりが過ぎて行った。
理由の一つには、住民側が「動燃」(98年、核燃に名称変更)の人形峠事業所(現・人形峠環境技術センター)に残土を運び込むよう要求したのに対し、当時の岡山県知事が、「鳥取県で危ないと思われるもの」を岡山県が受け入れるなどということはできないと強硬に反対したこともあった。ただ、この間、国、自治体、「動燃」の間で、住民の切り崩し工作を含め、相当の「暗闘」があったと関係者は言う。
00年、住民側は裁判を起こした。異例なことに鳥取県知事がこの裁判を支援し、訴訟費用を県と町が肩代わりした。当時の県知事とは片山善博氏(現・慶應大学教授)である。04年、1審、2審、最高裁とすべて住民側の勝訴に終わった。しかし、時間が過ぎるのに受け入れ施設を用意できず、撤去できない。制裁金は1日当たり75万円!最終的に、総額1億4000万円にも膨れ上がった。
おそるべき無駄金である。
(続く)