いつか見たいちご白書がもう一度

 94歳の母親が入退院を繰り返しているので、病院に行く機会が多い。そのたびに思うのはガザのこと。砲爆撃で殺される人のその何倍も、医療を受けられないで亡くなる人がいるだろうと思う。

 ガザにはがん患者だけで1万人いる。推定5万人の妊婦がいるとされ、1日平均180人が出産する。避難中に陣痛が来たが出産できる医療施設がみつからず、避難先近くのトイレで出産したが、赤ちゃんは亡くなってしまったという母親もいる。ガザでは砲爆撃で負傷した人すらまともに治療を受けられない事態になっている。

 「床で患者の処置をせざるを得ないほど追い込まれた病院で、多くの子どもが肺炎で命を落としました。何人もの赤ちゃんも予防可能な病気で亡くなりました。糖尿病を抱えた患者、病院が攻撃を受け人工透析が続けられない患者はいったいどうすればいいのでしょう。これは報道されないガザの“静かなる殺害”です」と、MSF(国境なき医師団)の緊急対応責任者、マリカルメン・ビニョレスは問いかける。https://www.asahi.com/and/pressrelease/424710438/

 まさに Gaza's silent killings 静かなる殺害だ。

 映画マリウポリ20日間」では、鎮痛剤が切れるなか、負傷者が呻き声をあげていた。イスラエル軍と同様、ロシア軍も病院を攻撃している。医療機関を破壊することの非人道性に心から怒りが湧いてくる。 
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いつか見たいちご白書がもう一度 (千葉県 品川紀明)

腐っても「いちご白書」の起こる国 (神奈川県 伊藤 亘)

 いずれも「朝日川柳」より。

 「いちご白書」とは、原題The Strawberry Statement。アメリカの作家、ジェームズ・クネンによる1969年のノンフィクションおよび同書を原作にした1970年のアメリカ映画。本は、著者が19歳の時に書かれ、コロンビア大学での1966年から1968年までの体験、特に1968年の抗議行動(1968 Columbia University protests)および学生抗議者による学部長事務所の占拠についての年代記となっている。(wikipediaより)

 大学に警官隊が突入して映画は終るが、排除される直前の学生たちが声を合わせて歌ったのが「平和を我らに(Give peace a chance)だった。

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 即時停戦を求める安保理決議に4回も拒否権を使って葬ったアメリカ。文字通りのジェノサイドを連日進めるイスラエルを巨額軍事支援で支えるアメリカ。そのアメリカで若者たちが「虐殺への加担」への批判を噴出させている。デモ行進や座り込み、ハンガーストライキ、そしてキャンパス内での野営、占拠などの抗議が全米の大学に広がり、警官隊の突入が相次いでいる。大学がここまでの事態になるのは、ベトナム戦争反対のデモが全米に吹き荒れた1960年代末以来だ。

サンデーモーニングより


 アメリカの大学は独自の資金運用で運営されていて、多くの企業に投資している。学生たちは、イスラエルでビジネスをしている企業やイスラエルの組織と取引をしている企業はガザのジェノサイドに加担していて、それらの企業に投資している大学も同罪だと主張している。学生たちは大学当局にこうした企業への投資をやめろというのだ。
デモ隊の多くは4月末から、大学の要請を受けた警察の介入によって鎮圧・退去された。

 多くの大学がデモ隊一掃に乗り出したのは安全や秩序だけが理由ではなく、大学が「反ユダヤ主義を煽っている」と見られるのを恐れたためだという。
今年1月、ハーバード大学で有色人種の女性として初めて学長に就任したクローディーン・ゲイ教授は、在任わずか6ヶ月で辞職に追い込まれた。きっかけは「ユダヤ系学生の安全に熱心でない」とみなされ、ホワイトハウスや議会からも非難にさらされたことだった。 「反ユダヤ主義」のレッテルを貼られることはそれほど恐ろしいらしい。
 
 ということで、全米40以上の大学で2300人以上が逮捕・勾留されている

 アメリカの超大国としての犯罪性は突出している。しかし、同時に人々が声を上げ、ジャーナリズムが批判精神を失わないところは、やはりすごい。プラスマイナス含めておもしろい国だと思う。

 大学での抗議はオーストラリア、カナダ、フランス、イタリア、イギリスのキャンパスにも広がっている。日本でも先日、早稲田大学で抗議集会があったという。

 

 若者が声を上げるのを見るのはうれしいし私も勇気づけられる。しかし、日本の若者の動きは世界のなかではかなり「にぶい」。デモや集会は「悪いこと」だと思う若者が多いという。いや若者だけでなく、日本社会全体として「声を上げる」ことがタブー視されている。

 これをどう考えたらいいのだろうか。