2007-01-01から1年間の記事一覧

フィリピン今昔紀行―希望をスクープした男

フィリピンから帰国の日。 空港に向かう途中、ダイヤモンドホテルという最高級ホテルにあるAP通信社のオフィスに立ち寄った。もう何年も会っていなかった旧知のAPのカメラマン、ブリット・マルケスに挨拶したかったのだ。 ブリットは通信社に属している…

フィリピン今昔紀行―幸せですか 

おととい、ミンダナオ島のジェネラルサントス市に一泊して、きのうマニラに戻ってきた。 ジェネラルサントスでは、現地で知り合った人から「フィエスタ」に招待された。フィエスタとは、バランガイ(最小の自治単位=集落)の守護聖人のお祭りだ。 まずは、…

フィリピン今昔紀行―スラムで撃たれたカメラマン 

ゆうべは、たまたまマニラにいたジャーナリストの近藤晶一さんと夕食を取り、彼の行きつけの日本人向けカラオケクラブに行った。そろいのドレスのホステスたちが「いらっしゃいませー」という声で迎えてくれた。 韓国歌謡をメドレーで歌いまくっている人がい…

フィリピン今昔紀行―腎移植スキャンダル2

日本では臓器移植が非常に少ない。脳死も認めて死体からの臓器移植を進めましょうということになったのだが、それもなかなか進まない。 腎臓については、足りない分を死体腎をアメリカから空輸して対応していたのだが、アメリカでも足りなくなって日本に回せ…

フィリピン今昔紀行―腎移植スキャンダル1

エルミタには外国人観光客用の両替店がたくさんある。ある店に入ると、日本語で書かれたリーフレットが積まれてある。「あなたはずっと人工透析を続けるつもりですか」と書いてある。腎臓移植の勧誘である。 長田さんの死をきっかけに、取材の危険についてあ…

フィリピン今昔紀行―ジャパゆきさんを歌った歌手

マニラ市エルミタ地区には「マビニ通り」というネオン街があって、私がいた80年代後半にはゴーゴーバーや日本人クラブが集中していた。当時、「マビニ通り」はバンコクの「パッポン通り」と並んで東南アジアを代表する歓楽街であった。 90年ごろエルミタ…

フィリピン今昔紀行―最悪のスラム 

きょうは、港のそばのスラムに行った。 マニラには以前からスラムが多い。スラムは、地方で食い詰め、仕事を求めて都市部にやってきた人々が、国有地などに不法に住み着いてできた。港湾、河川、鉄道線路のそばにびっしりと掘っ立て小屋が建つ光景がいたると…

フィリピン今昔紀行―懐かしのマニラ

きょうから私を含め3人のスタッフでフィリピンに出張。 例によって、取材内容は放送まで明かせないので、昔話を取り混ぜて旅日記を書こう。 私は1986年初めから2年半ほどフィリピンに住んでいた。6年以上いたタイに次いで長く滞在した国で、だいぶ人生観…

ビデオカメラは持ち去られていた

すごい映像がきのうの「報道ステーション」で放送された。これにより、行方不明になっていた長井さんのビデオカメラが、治安部隊によって持ち去られたことがほぼ証明された。映像は毎日新聞が入手したものだという。(写真は毎日新聞より、白丸が持ち去られ…

長井健司さんの葬儀にて

きょう午前11時から長井健司さんの盛大な葬儀があった。 10時45分ごろ会場の青山斎場近くで、大勢のミャンマー人たちが、そろいの柿色の上着とロンジー姿で歩いていた。写真は会場の待合所で撮ったもの。「私たちミャンマー国民は長井さんのことを一生忘れま…

長井さんが観光客だったら

サンプロの放送に立会う。 朝から東京は良く晴れた。 空が晴れると、テレビ関係者は一様に渋い顔で、「きょうは、あいにくのいい天気ですね」という変な挨拶をする。外出する人が多くなって視聴率が下がるからだ。この業界にもう長くいるのに、私はまだこの…

人権のドンキホーテ

ミャンマ軍政に抗議する署名はきょう中に1500名に達するもようですが、さらに勢いをつけるために、ご協力をお願いします。ブログにアクセスしてネットで署名できます。http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927 きのう紹介した、アメリカABCのスチュアー…

長井健司さんの死によせて―独裁を倒した記者の死

7日の「サンプロ」特集「南北首脳会談」の準備で徹夜だった。 ゆうべ夜11時にディレクターが取材テープとともにソウルから帰国、彼と私はそのまま今朝7時半まで番組の特集責任者と打ち合わせ。一方、テープは待機していたAD、通訳により書き起こしと翻訳…

長井健司さんの死によせて―科学と人権

きのう3日夜、明治大学で日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)主催の「ミャンマー(ビルマ)情勢緊急集会」があった。フォトジャーナリストの山本宗補さんが話をするのでぜひ行きたかったが、2日から南北首脳会談が始まっており、残念ながら時…

長井健司さんの死によせて―中国からの連帯

おととい1日、『中国の危ない食品−中国食品安全現状調査』(草思社)の著者、周勍(しゅうけい)さんの出版記念会見に出た。(写真は、FRchina.netに載っていたもの) 新聞、雑誌などの30人ほどの記者を前に、周さんは、まず長井健司さんの話からはじめた…

長井健司さんの死によせて―北朝鮮も忘れずに

ミャンマー軍政への抗議が高まっている。 テレビである教授が、国際社会による制裁と援助停止は、ミャンマー国内で闘う民衆に、世界が支援しているんだ、孤立していないぞとのメッセージを送り、励ますことになるという意味の発言をしていた。賛成。まったく…

長井健司さんの死によせて―ITの威力2

長井さんが殺される現場を撮影したビデオ、写真は複数あり、何人かの撮影者が、隣接する建物のいくつかの部屋または屋上にいたことが分かる。カメラアングルから撮影場所が特定されるのではないかと心配していたが、やはり治安当局はすでに現場建物の捜索を…

長井健司さんの死によせて―ITの威力

ミャンマー軍事政権は、きのうの国営紙で「最小限の力の行使で秩序回復した」とデモの制圧を宣言したという。(朝日新聞30日朝刊) 町の通りでの大規模な抗議運動は当面押さえ込んだ形だが、今後の成り行きは不明だ。さらなる弾圧で民主運動が長期的に封じ…

長井健司さんの死によせて2 安全と情報

私もミャンマーには縁がある。 もっとも私の場合は、反政府ゲリラの取材が主で、不法に越境してミャンマーに入ることが多かった。 タイ側からカレン民族同盟、麻薬王クンサーのモンタイ軍、学生民主戦線(ABDSF)を、中国から入って北部のカチン独立軍を、バ…

長井健司さんの死によせて

きのう27日、ミャンマーで長井健司さんが殺害された。 また一人、志のあるジャーナリストを失い残念である。 彼が契約していたAPFは、山路徹さんが15年前に立ち上げた会社だ。山路さんは、まだ「ニュースステーション」にいた1990年に一緒に仕事…

ホワイトハウスもう一人の住人

アメリカ出張中、ホワイトハウスを撮影に行った。ここは何度か撮影したが、いつも反戦を訴えているおばさんがいる。この人、ホワイトハウス前の通りをはさんだ歩道で、反戦ポスターの看板を立て、観光客にアメリカはイラクから手を引け、ヒロシマを繰り返す…

わが青春のアメリカ―ベトナムの影

ベトナム戦争の影がアメリカを覆っていた。 私が渡米した2年前の68年、「テト攻勢」があった。北ベトナム=解放戦線側の大攻勢である。サイゴンのアメリカ大使館にベトコンが突入して米政府にショックを与えた。軍事的にはベトコン側が甚大な被害を出した…

わが青春のアメリカ―多様なモノサシ

アメリカ出張は終わったが、書き始めた思い出話をしばらく続けよう。高校で一目おかれた生徒としては、まず勉強のできるやつ、そしてフットボールの得点王、女子ではチアリーダーが挙げられる。 学年の最後、最も重要な行事に「プロム」というフォーマルなダ…

わが青春のアメリカ―旨いもの考2

9月22日―ワシントンDCで取材。ダレス空港から日本に向けて発つ。きのうアメリカで出会った旨いものを書いたら、他にも次々に浮かんできたので、続きを書く。 朝食には毎朝トーストが出た。バターをつけて食べていたら、ジョンはバターの上にさらにジャ…

わが青春のアメリカ―旨いもの考

9月21日―ワシントンDCで取材。「こだわりの食材」とか「隠れた名店」などのブログがたくさんあるが、みなさん、食べ物によくこんなに熱心になれるものだと感心してしまう。食べることが楽しみと考える人と、栄養を摂るために食べる人がいるとすれば、私…

わが青春のアメリカ―豊かさの衝撃

9月20日―ワシントンDCで取材。飛行機が着いたのはサンフランシスコで、そこからバスでスタンフォード大学に向かった。ここでフィリピンやオーストリアなどの留学生とともに数日オリエンテーションを受けた。 1970年といえば、日米の経済差はとても…

わが青春のアメリカ―旅立ち

9月19日―ボストンで取材。移動してワシントンDCで取材。取材に関する話は放送するまで書けないので、アメリカについての昔話をしよう。私は対北朝鮮「強硬派」とみなされているが、アメリカ政府と一体化した立場ではない。よく誤解されるので、去年出し…

痛風との闘い

9月18日―ニューヨークで取材。ボストンに移動。きのうは持病との格闘の一日だった。 午前2時過ぎに寝たのに6時前に目が覚めた。足に痛みがある。嫌な予感に跳ね起きて見ると、左足の親指の付け根が赤くはれて熱をもっている。 痛風の発作だ。 これから会…

命は地球より重いか

9月17日―成田発、ニューヨークへ。ポスト安部は麻生氏有力と報じられたと思ったら、一転福田康夫氏で決まりだという。この目まぐるしさこそ「今」を象徴しているようだ。福田氏というと、私の世代は、父親の福田赳夫首相と「一人の命は地球より重い」とい…

世界を変えるロック歌手

評論家の三浦小太郎さんが、ホームレスの自立支援をしている雑誌『ビッグイシュー』に載った、ロックミュージシャン、ボノ(U2)のインタビューが大変いいとメールで教えてくれた。 恥ずかしながら、私はボノを知らなかったが、この人、もう長いことアフリ…