長井健司さんの死によせて2 安全と情報

私もミャンマーには縁がある。
もっとも私の場合は、反政府ゲリラの取材が主で、不法に越境してミャンマーに入ることが多かった。
タイ側からカレン民族同盟麻薬王クンサーのモンタイ軍、学生民主戦線(ABDSF)を、中国から入って北部のカチン独立軍を、バングラデシュ側の西部国境では、ムスリムロヒンギャ難民やアラカン仏教徒ゲリラを取材した。

ヤンゴンには7〜8回行った。自宅軟禁が解除された時期、アウンサン・スーチーさんの自宅に2回うかがい取材したことがある。
尾行されたりはしたが、都市部での大規模デモなどの騒乱は経験していない。

紛争地取材のベテラン、近藤晶一さんによると、ヤンゴンの通りでカメラを曝すことはご法度だという。ジャーナリストと分かれば治安当局に狙われるからだ。
「長井さんは、治安部隊と市民がにらみ合う状態を直近からビデオカメラで撮影していた」(読売新聞28日夕刊)という報道が正しいとすれば、きわめて危ない行動を取っていたことになる。
長井さんは、パレスチナは繰り返し取材していたが、ミャンマーは初めてだったようだ。パレスチナミャンマーでは、危険への対処の仕方が異なる。
「地上で撮影するのが危険だから、ミャンマーから届くほとんどの映像が、どこかの建物の窓からひそかに撮影されたものになるんですよ。もし私が地上で撮影するとしたら、必ず隠し撮りにしますね」と近藤さんは言う。
だが、誰も長井さんを責めることはできない。
場所、状況によって危険の種類も程度も全く異なってくる。同じ戦闘地域でも、テレビカメラを戦闘当事者に見せた方が安全なこともあれば、カメラが武器と間違えられて狙撃される場合もある。あらゆる状況すべてに完璧に対応することは不可能だ。また、安全とか危険とかいうものは確率の問題であって、100%安全ということはありえない。
では、危険度を減らすにはどうすればよいのか。近藤さんに聞こう。
「危ないところに一人で行ってはだめです。私は、現地の信頼できる人と一緒に行動するようにしています。状況がどうなっているか、万が一のときどうすればいいのかなどは、現地の人でないと分かりませんから」。

ミャンマーが初めての長井さんは、現地に知り合いもなく、単独で行動したのではないか。もし、しっかりしたパートナーがそばにいれば、少なくとも治安部隊が近づいてきたときにカメラを隠すようアドバイスしただろう。
「デモ弾圧では、治安部隊や警察が、カメラやビデオを所持した市民らに銃を向ける場面が多数目撃されていた」(読売28日夕刊)という状況だったのだから。
危険地にいるジャーナリストの安全確保に最も重要なのは、ヘルメットでも防弾チョッキでもない。一にも二にも情報である。だから、CNNなどの大メディアは、まず現地で最高の情報通をコーディネーターとし、優秀な通訳を雇う。
悲しいかな、多くのフリーランスジャーナリストは、現地の有能な人材を雇うお金がない。いきおい、不十分な情報で行動することになる。そして、滞在資金を気にして、なるべく早く「結果」を出そうと無理をしがちになる。私もさまざまな現場で不謹慎にも「早く事件が起きてくれないかな」と思ったし、あえて危険な状況に飛び込もうとしたことがあるから他人事ではない。
ニュースではほとんど触れられないが、紛争地での取材事故の背景には「お金」の問題がある。この構造があるかぎり、残念だが、フリーのジャーナリストの受難はこれからも続くだろう。