わが青春のアメリカ―多様なモノサシ

アメリカ出張は終わったが、書き始めた思い出話をしばらく続けよう。

高校で一目おかれた生徒としては、まず勉強のできるやつ、そしてフットボールの得点王、女子ではチアリーダーが挙げられる。
学年の最後、最も重要な行事に「プロム」というフォーマルなダンスパーティがある。会場の体育館に、タキシードを着た男子とドレス姿の女子とがペアになって集まる。ここでキングとクイーンが選ばれるのだが、ボランティア活動などを積極的にやった面倒見のいい生徒が推されたりする。
受験偏差値というモノサシでのみ測られる田舎の受験校にいた私から見て、アメリカの高校生の一番羨ましかった点は、実にいろんな分野で能力を認められるということだった。
ホームパーティによく招かれたが、その家の子どもたちもお客を接待させられる。お客が来ると玄関で迎え、気の利いた冗談をいい、飲み物をすすめ、仲間に入れない人はいないか、会話が途絶えないかとあれこれ気を使う。ある家で、母親がみんなに「うちの子は、こういうパーティでの社交がとても上手なんですよ。誇りに思っています」と褒めていた。その子は勉強もスポーツもできないのだが、親がこんなことで評価するのか、と驚いたことを記憶している。
評価するモノサシがたくさんあると、自然に「人はさまざま」という考え方になるから、勉強ができないやつでも、みな自信を持って堂々としている。そして重要なことは、いろんな分野で優れた特技の持ち主が輩出することだ。
シニアの同級生に、とても幼い顔のユダヤ人の男子がいた。聞くと飛び級で進級して、まだ15歳だという。いつも同級生とは離れて、一人で本を読んでいた。その彼が、ある日全校の前でピアノ演奏を披露する機会があった。おずおずとステージに出てきて、ピアノに向かうといきなり上半身を倒し、指ではなく両肘でバンバン鍵盤を叩きはじめた。前衛的な創作曲だった。あの引っ込み思案の彼が、すごい才能の持ち主だったことが分かり、一躍尊敬の的になった。
別の友人は、詩と写真が得意だった。自分が作った詩に、その心象風景に合う写真を添えたノートを見せてくれたが、レベルの高さに感心させられた。
見事な絵を描くやつ、創作ダンスに夢中の女の子・・・。私のまわりに、キラキラと輝く才能が溢れていた。
時代は違っても、アメリカ社会のモノサシの多様さは変わっていない。それはアメリカの底力を今も支えているはずである。