長井健司さんの死によせて

きのう27日、ミャンマー長井健司さんが殺害された。
また一人、志のあるジャーナリストを失い残念である。
彼が契約していたAPFは、山路徹さんが15年前に立ち上げた会社だ。山路さんは、まだ「ニュースステーション」にいた1990年に一緒に仕事をしたとき以来の知り合いだが、紛争地取材では知られたジャーナリストである。たしかTBSのニュース23で、「山路徹が行く」という紛争地取材のシリーズ企画があったほどだ。
ジンネットもアフガン、イラクパレスチナなど紛争地を何度も取材しているから、わがことのように思って、ニュースにかじりついていた。
テレビに山路徹さんが登場して、長井さんが言った言葉「誰も行かないところには、誰かが行かないといけない」を紹介していたが、この言葉を、本当にそうだよなあと、頷きながら聞いた。危険地に取材に行く者はその使命感で支えられているものである。
また、山路さんは、「我々はやるべきことを続けたい」と語っていた。ジャーナリストとして当然だが、仲間を失った直後の動揺のなかで、これを言いきるのは立派である。
偶然にもきのう昼頃、私は紛争地取材のベテランのジャーナリスト近藤晶一さんと、電話でミャンマーの話をしていた。
3日ほど前、ジンネットのスタッフが入国しようとしたが、身分がばれてビザがおりなかったこともあり、現地情勢について情報交換をした。共同通信東京新聞の記者が国外退去になり規制が厳しくなっているらしい。誰が現地にいるのかと聞くと、近藤さんが「APFの長井さんが入りましたよ」と教えてくれた。私たちの電話の少し後に、長井さんは殺されていたことになる。
フジテレビの映像とCNN配信映像に、長井さんの死が生々しく映し出されていた。これらを見ると、長井さんは1〜2メートルの至近距離にいた兵士に撃たれている。その周辺で長井さん以外に撃たれた人はいない。
軍事政権が発表したような「流れ弾」による死ではなく、カメラで撮影している者を狙って殺害したと考えて間違いないだろう。両親や縁のある人たちにとっては酷すぎる映像だが、これで軍事政権の嘘を暴くことができた。
多くの戦場や紛争地では、ジャーナリストは赤十字マークの医療関係者などと同じく、紛争当事者ではないから、危害を加えられないという建前になっている。だから、車や上着に「PRESS」(報道)と大きく書いておくことが、一応は安全につながる。
ところが今のミャンマーでは、反対に、取材者が狙い撃ちされているのである。ジャーナリストにとって、現在世界一危ない場所と言っていいだろう。
長井さんの死は、武装集団が、丸腰の僧侶や市民に襲いかかる実態を世界に印象付けることになった。軍事政権の倫理的正当性は完全に失われた。
テレビでは、長井さんの知人たちが「若くして死ぬのはもったいない」「死ぬべきではなかった」と語っていたが、最期にいい仕事をしてくれた長井さんに、私は「ありがとう」と言おう。