わが青春のアメリカ―旨いもの考

9月21日―ワシントンDCで取材。

「こだわりの食材」とか「隠れた名店」などのブログがたくさんあるが、みなさん、食べ物によくこんなに熱心になれるものだと感心してしまう。食べることが楽しみと考える人と、栄養を摂るために食べる人がいるとすれば、私はどちらかといえば後者で、食事は活動を維持できればいいと思っている。「グルメ」などとはもともと縁がない私だが、きょうは食べ物の話をしてみたい。
旅なれた人が「アメリカには、美味しい物なんか何もありませんよ」などと言うのをよく聞く。しかし、若い私にとってアメリカは旨いものだらけの国であった。
アメリカで初めて出会ったものといえば、まずグレープフルーツだ。ホームステイ先の朝食のテーブルに出た赤い果肉の瑞々しいグレープフルーツ。柑橘類をスプーンですくって食べるのは新鮮だった。
私はもったいないから果肉はきれいにすくって食べたが、ジョンはちょこちょこっとほじると、あとは上に持ち上げて二つにたたんでぎゅっと絞り、垂れてきた果汁を口で受けて飲むのだった。アメリカ人は贅沢だなあとしみじみ思った。
今でも喫茶店などでジュースを選べるときには、ためらわずにグレープフルーツジュースを注文する。
渡米前のオリエンテーションで、「アメリカ人の主食はパンではありません。肉なんです」と教わった。まさかと思っていたが本当だった。本格的なレストランで洋食を食べることが増えた今では常識なのだろうが、肉が高級な食べ物だった当時、肉が主食というのは考えにくかったのである。高校の学食で出て来たカレーライスにろくに肉が入っておらず、賄いのおばさんに「ちゃんと入れてくれよ」と抗議する、そんな時代だった。
だから、塊の肉がどーんと出てくるだけで、もう感動してしまうのである。大皿からはみ出るようなサイズのTボーンステーキ。はじめて食べた羊肉のうまさ。ポークチョップやミートローフという形で肉を食べたのもはじめてだった。本格的なソーセージは慣れるのにちょっと時間がかかったが、次第に「魚肉」とはまったく別物の旨さに目覚めていった。
肉料理のソースとして出てくる「グレービー」がまたうまかった。これは肉汁で作るらしい。「デミグラソース」というのに似ているが、当時のグレービーの味にはまだ日本で出会っていない。淡白な七面鳥も、グレービーをたっぷりかけるとおいしく食べられる。グレービーがあまりに旨いので、いろんなものにかけて試しているうち、肉料理の付け合せのマッシュポテトとグレービーを混ぜてべちゃべちゃにして食べるのが好物になった。
こうして私には、「アメリカは旨い」という思いが青春の体験として叩き込まれている。思い返してみれば、それは巨大な経済格差を背景にしていたのだろう。
アメリカには旨いものなどない」と豪語できるのは、それほど日本が豊かになったということなのだ。