日朝首脳会談20年を迎えて

 はじめにお知らせです。

 高世仁のニュース・パンフォーカス】No.30
 「なぜウクライナには『降伏する』という選択肢がないのか」を公開しました。

www.tsunagi-media.jp

 ウクライナ人が、平和とは勝利だと考えるわけ、また日本人の思考の特殊性について書いてみました。
・・・・・・・・・・

 北朝鮮が日本人の拉致を認めた日朝首脳会談から20年

 横田早紀江さん(86)が「いつまでたっても解決しない思いしかない。言いようのないいら立ちが多い」と語るのを聞くのはつらい。

 拉致した北朝鮮が責めを負うのは当然として、このブログで何度も指摘したように、解決に向けてまともな外交を展開できないでいる日本政府にも大きな責任がある。
https://takase.hatenablog.jp/entry/20220530

 きのう放送の「めぐみさん拉致事件 横田家の闘い」はBSで流れたものを短縮編集した再放送なのだが、このタイミングでもあり、NHK総合でしかも夜10時という時間帯の放送だったため、多くの人が視聴したようだ。長いことご無沙汰していた友人や知り合いから「見たよ」と連絡が入った。

 私たちジャーナリストのパートはともかく、拉致という国家犯罪に巻き込まれた家族がどんなに過酷な境遇に置かれるかはわかってもらえたと思う。

 未帰還の政府認定拉致被害者の親たち8人がすでに亡くなっている

亡くなった未帰還者の親たち(NHKニュースより)

 拉致被害者のなかには北朝鮮で亡くなった人もいるだろうが、はっきりしたエビデンスのある安否情報を北朝鮮はまだ明らかにしていない。いま健在な親は有本恵子さんの父、明弘さん(94)と横田早紀江さんだけだ。

有本明弘さん(94) NHK

横田早紀江さん(86) NHK

 政府は早急にこれまでの「全員一括即時帰国」路線と何の準備もないまま「無条件での首脳会談」の無原則な方針からの転換をはかり、問題の進展に真剣に取り組むべきだ。

 この間の報道で興味深かったのは、NHKによる田中均氏(元アジア大洋州局長)のインタビューで、まず「国際報道」で報じられた。

takase.hatenablog.jp

 さらにこのインタビューを14日の「クロ現」で取り上げたが、ここで興味深かったのは、日朝首脳会談が米国につぶされないよう、日本の外務省が手を打っていた事実だ。

田中均氏 NHK

 02年1月29日、ブッシュ大統領北朝鮮を「悪の枢軸」の一員として激しく敵対する姿勢を明らかにしていた。そして政権中枢にはチェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官らネオコンの右派強硬派がいた。そんなところに「これから首相が訪朝して金正日と首脳会談します」などと言ったら「ならず者国家」は締め上げるしかない、と反対されるだろう。そこで、強硬派と一線を画すパウエル国務長官のラインを利用することを考えた。

 そこで田中氏は、ちょうど来日していたアーミテージ国務副長官ホテルオークラで会い、首脳会談を知らせた。同席したのはケリー国務次官補、国家安全保障会議マイケル・グリーン日本担当部長、ベーカー駐日大使の面々だった。結果は、強硬派には通知されないまま、米国の「了解」を取り付けることに成功したという。

アーミテージ氏 NHK

 放送ではこれ以上のディテールは明かされなかったが、インタビューしたNHKの国際放送局の増田剛記者によれば、田中氏は米側とのやり取りはこうだったという。

 「日朝平壌宣言のドラフト(草案)も含めて全て話をした。彼らはじっと聞いていました。物音ひとつせず、じーっと聞いていた。日本がアメリカから驚くような内容のブリーフを受けることはあることなんですが、その逆はあんまりないんです 」

話し終わると、アーミテージがすくっと立ち上がって、『俺に任せろ』と。『自分は今からアメリカ大使館に戻って暗号電話でパウエル(国務長官)に直接話をする』と。『ついては、その次の日、小泉総理からブッシュ大統領に電話をしろ』と言ってくれた」

 日朝首脳会談の開催は8月30日に発表された。

 その前に、田中氏の秘密交渉の報告を受けて知っていたのは、首相官邸小泉首相福田康夫官房長官古川貞二郎官房副長官の3人で外務省でも川口順子外相と竹内行夫外務事務次官、交渉担当者に限られた。官房副長官の一人だった安倍晋三氏には伝えられていなかった。)

 アーミテージ氏らへの説明は発表3日前の8月27日のことだった。

 まるでドラマのような展開だが、ここは日朝首脳会談が土壇場で潰されるかもしれない、一つの大きな山場だっただろう。結果としては、日本の外務省は賢い行動をとったと思う。

 脱線してちょっと雑談。

 私はアーミテージ氏に2回インタビューしたことがある。とてもフレンドリーで、政治的立場は別として私の印象は「いいやつ」である。尋常でない胸板の厚さはウエイトリフティングで鍛えたという。
 机に飾ってあった家族写真に、肌の色や目鼻立ちが違うたくさんの子どもが写っていて不思議だったが、聞くと、三男一女の自分の子の他に、ベトナム人やアフリカ系などの養子がいるそうだ。大きな包容力を感じさせる人物である。

 竹内行夫によれば、アーミテージ氏らへ説明した翌朝、米大使公邸で朝食会に出席した。アーミテージ氏はワシントンのパウエル国務長官から電話を受けた際、「ユキオ、一緒に聞いてくれ」と、長官との会話を聞かせた。長官は「ワシントンは大丈夫だ。ブッシュ大統領も問題ない」との反応だったという。(14日朝日新聞夕刊「拉致 北朝鮮と向き合う」③)

 竹内氏は4月出版の共著『外交証言録 高度成長期からポスト冷戦期の外交・安全保障』(岩波書店)で以上の話を明らかにした。

 上に紹介した記事は、朝日新聞の北野隆一編集委員が夕刊に5回連載した「拉致 北朝鮮と向き合う」だ。この連載はプロレスのアントニオ猪木氏はじめ北朝鮮との交渉にかかわるさまざまな人々の体験が紹介されていて興味深い。

 北朝鮮との神経戦のなかでもっとも緊迫した場面の一つは04年5月の2回目の小泉訪朝時。02年に帰国した5人の拉致被害者の夫や子どもなど家族を連れ帰る手はずだったが、北朝鮮はぎりぎりまで粘った。

 《曽我ひとみさんの夫で元米兵のジェンキンスさんは「日本に行けば脱走兵として米軍に裁かれる」と同行を固辞した。蓮池薫さんと祐木子さん、地村保志さんと富貴恵さん夫妻の子どもたち5人の所在も伝わってこない。

 政府専用機に乗るためバスで空港へ移動中、山本氏は北東アジア課の担当者に電話し「どうなっているんだ。5人の身柄は確保したんだろうな」と聞いた。だが、「それどころじゃありません。居場所も確認できません」という。藪中三十二(みとじ)アジア大洋州局長が金永日(キムヨンイル)外務次官に「5人を専用機に乗せないと、総理は出発しないぞ」と迫ると、ようやく5人が空港建物から出てきた。」(13日夕刊、連載②)

(「山本氏」とは、当時北東アジア課首席事務官だった山本栄二氏で、今年3月に出版された氏の『北朝鮮外交回顧録』(ちくま新書)のP252以下により詳しく記されている。)

 対北朝鮮外交が一筋縄ではいかないことがよくわかるエピソードである。
 
 北野さんは最後を有田芳生さんの活動で締めくくっている。備忘として引用しておこう。

《ジャーナリストの有田芳生氏(70)が拉致問題にかかわるきっかけは02年。寄付を募り、米ニューヨーク。タイムズ紙など4カ国の新聞に拉致被害者救出を訴える意見広告を載せた。
 10年に参院議員に当選。横田滋さん、早紀江さん(86)夫妻から話を聞いた。北朝鮮に拉致されためぐみさんの娘で、夫妻の孫にあたるキム・ウンギョンさん(35)の消息を知りたがっていることがわかった。
 北朝鮮で、金正日総書記の側近の中に「横田さん夫妻の人生に大変なことをした。申し訳ない」と考える人がいることも聞いていた。有田氏は関係者につてを求め、ウンギョンさんの結婚写真を夫妻に届けた。夫妻とウンギョンさんのメッセージのやりとりも仲介したという。
 有田氏によると、夫妻は13年秋、当時の安倍晋三首相と岸田文雄外相(65)に手紙を書き、「自分たちも年を重ね、この時期を逃したら会えないかもしれない。ぜひ会いたい」などと訴えた。政府が北朝鮮と交渉し、14年3月、夫妻はモンゴルのウランバートルでウンギョンさんと家族に初めて面会した。
 日朝両国は同年5月、ストックホルム合意を結んだ。北朝鮮は特別委員会を設けて拉致被害者や日本人遺骨、残留日本人などを調査することとした。
 北朝鮮は、拉致被害者の田中実さんと行方不明者の金田龍光さんが平壌で生存していると日本政府に伝えたとみられる。伝達したのは14年秋と15年の交渉の場だったと有田氏はいう。
 20年6月、有田氏は参院本会議で質問した。「私が何度も首相に問うてきた問題があります。田中さんと金田さんが生存していると北朝鮮から14年に通告されたものの、その事実さえいまだ認めないことです」。安倍首相は「今後の対応は、支障を来す恐れがあることから答えは差し控えます」と答弁した。
 国会での12年間の取り組みをもとに今年6月、「北朝鮮拉致問題 極秘文書から見える真実」を出版。記者会見してこう述べた。「拉致問題はこの20年、事態が動いていない。何とかしなきゃいけないという思いで本を書いた」》(16日夕刊、連載⑤)

 小泉訪朝20年を迎え、田中氏はじめ外務官僚が本を書いたり、当時の話を語ったりしている。小泉内閣時代の対北朝鮮外交をより深く知る機会が訪れている。証言を聞く限り、日本の外務官僚の士気も実力も相当なものという印象を持つ。

 要はリーダーが責任をとると覚悟を決め、彼らの能力のすべてを使うことではないだろうか。