21日の『北朝鮮 拉致問題 極秘文書から見える真実』の出版記者会見の動画がアップされたのでご案内しよう。
「拉致問題がどうなっているのかが見えず悶々としていたが、今回の出版でよくわかった」との声がたくさん寄せられている。
メディアが伝えるのは、「全ての拉致被害者の即時一括帰国」を求める拉致家族の声と首相や閣僚の「最重要課題として」努力するとの決意表明、それにもかかわらず何年も進展が見られない現実だけだ。これでは何がどうなっているのか分からないのは当たり前。
「救う会」、「家族会」、内閣の三位一体のもたれあいが政府に不作為=外交努力をサボらせることを招いている構造に切り込まないメディアの責任は大きい。
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さてきのう、西岡力「救う会」会長による有田芳生『北朝鮮拉致問題~極秘文書から見える真実』(集英社新書)への批判を紹介したが、きょうは、これがいかに事実を誤認しているかを指摘したい。
まず、「看過できない」という三つのポイントのうち、①極秘文書を公開していいのか、②拉致被害者5人に了解を取っていない、については本書を読めばすむのでパス。
付け足すと、2002年の帰国直後に行われた聞き取りの際は、まだ家族が「人質」になっており、「聞き取り」が漏れると北朝鮮に遺してきた家族の奪還に影響が出る可能性があるので、内容を公開しないよう強く要求していた。
拉致被害者の家族のうち最後まで北朝鮮に残っていた曽我ひとみさんの夫ジェンキンスさんと二人の娘が来日したのは04年7月。そしてそもそも拉致被害者から「聞き取り」が行われたのは、拉致問題を進展させる交渉に使うためだった。そこから18年間も経ったがいまだに「外交」が不在のまま、「極秘文書」は宝の持ち腐れになっている。そこで有田さんは、機密文書を公に分析する方が公共の利益になるという判断にいたったわけだ。
西岡氏がもっとも強調していたのは、横田滋さん、早紀江さんが2014年3月にモンゴルで孫娘のウンギョンさんと会ったときの写真を有田さんが公開したことの不当性だった。
まず、根本的に間違っているのは、モンゴルの面会時の写真が2種類あると西岡氏が認識していることだ。つまり横田夫妻が撮影した写真のセットと有田さんが持っている写真のセットがあると。
この認識を前提に、「横田さんたちが(有田さんが持っている)その写真を見たら、滋さんが撮った写真ではなくて、北朝鮮側が撮った写真だったんです。アングルが違う。有田先生は横田家からもらわないで、(北朝鮮から)もらった写真だということが明らかになったんです」と言っている。前提から間違っている。
まず横田滋さんはモンゴルで写真を撮っていない。つまり、「滋さんが撮った写真」などないのだ。横田夫妻が持っている一連の写真は、有田さんが持っている写真と全く同一のコピーである。
だから、横田夫妻が持っている写真が有田さんの写真と「アングルが違う」(!)わけがない。だいたい西岡氏は、「(写真を)私も見てないです」と言っていたではないか。見ていないのに「アングル」が違うと断定できるとは・・。
こういうのを「見てきたようなウソ」という。
有田さんの持っている写真と横田夫妻の持っている写真が同一のものである(つまり同一のモンゴルの写真が2セットある)ことは、私もかつて当ブログで何度も指摘してきた。
イロハのイの事実であって、ここを誤認しているから立論全部が間違いとなる。
次に、西岡氏は横田夫妻がモンゴルの写真を絶対に公開しないと言っていると主張するが、以前当ブログで紹介したように、いま新潟市と川崎市のバスが、堂々とモンゴルでの写真を展示しながら走っている。これは早紀江さんがどうぞ使ってくださいと許可したからだ。早紀江さんは、モンゴルで幸せな時間を過ごしたことを多くの人に知ってほしいのである。
「虎ノ門ニュース」で読み上げられた2016年6月8日の横田夫妻のコメントは、写真を公開したことを糾弾され、強い圧力によって追い詰められて出させられたものだ。横田夫妻は、写真を公開したのは自分たちの意志ではなく、有田さんが勝手にやったことで、今後は有田さんと縁を切りますと言わざるをえなくなったのだ。
それは1回目、2回目(6月8日付)、3回目のコメント(6月10日付)とより強く「救う会」の意に沿った内容になっていることで一目瞭然である。
西岡氏の発言を追っていくと、モンゴルでの横田夫妻の孫娘一家との面会を喜んでいない本音が露骨に現れている。
「北朝鮮側はこの写真を有田先生に渡して、何らかの意図があるわけですね。それを公開してもらう。横田家は満足してると、こんなにニコニコしてると、良かったねと。(百田氏の「プロパガンダに使われたんやね」との発言を受けて)という風に思われるんじゃないか」。
ウンギョンさんやひ孫と会って「ニコニコ」したら「(北朝鮮の)プロパガンダ」になる(!)というのだ。どうやら西岡氏らからすれば、横田夫妻は孫娘一家と初めて面会しても喜んではいけないらしい。
しかし、多くの人々は反対に、モンゴルでの面会から帰国しての会見で横田夫妻の見せた笑顔に感動し、辛いばかりの二人の人生にキラ星のように輝く時間が持てたことを祝福した。むしろ求められているのは、限られた時間を生きる家族たちに、できるかぎりの人道的な配慮をすることではないだろうか。
モンゴルでの面会が2か月後の14年5月の「ストックホルム合意」への伏線となり、拉致問題をむしろ進展させる結果になったこともあらためて付け加えたい。
さらに、西岡氏の「この写真を(有田氏が)持ってることは横田さんたちと近いとされる恐れがある」とのコメントには、横田家をふくむ被害者家族を自らの「なわばり」と見なす心象が露呈しているように思われる。「家族会」は「救う会」が囲い込み、有田さんなど「よそ者」には近づかせてはならない、と。
本来、「家族会」は「救う会」のあやつり人形になってはならないのだが。
「救う会」はじめ拉致問題にかかわる人々には、今回のことで早紀江さんにまた残酷な圧力をかけて苦しめることのないよう望みたい。モンゴルでの時間を早紀江さんの心の中に美しい思い出のまま留まるようにしてほしい。
横田夫妻とウンギョンさん一家との写真の問題については6年前の「週刊文春」事件のときに私も当ブログで連載したが、今回、あらためて有田さんがFBとツイッターで当時を振り返っているので、以下引用する。
【横田夫妻とウンギョンさんの写真公開の真実】
2016年6月9日。モンゴルでの写真と私の原稿を掲載した「週刊文春」が出る前日。見本誌が出回り報道各社から問い合わせが殺到した。写真を欲しいというのが目的だが、週刊誌が発売になれば渡すと回答。横田夫妻にコメントを出してもらう。早紀江さんから電話があり、発表コメントを確認された。一か所だけ削除してもらった。写真の管理は有田に任せているという部分だ。私と横田夫妻の距離を明らかにすれば、お互いが攻撃対象になると判断したからだ。
私は間違っていた。「週刊文春」発売前夜、横田早紀江さんに異常な電話が殺到する。私を攻撃することが目的だ。面々は「救う会」幹部、拉致対策本部の幹部、女性評論家、女性国会議員(当時)、「政府の偉い人」である。評論家は2度も電話をしている。「早紀江さん、あんな写真を公開したら、めぐみさんも他の被害者も殺されてしまいますよ!」。女性評論家の声はいつもの柔和な声でなく、まったく別人のようにきつい言い方だったという。のちに横田早紀江さんはある知人にそのときの声色を真似ている。
しかし、そのときすでに滋さんと早紀江さんのコメントは公表されていた。そこにはウンギョンさんから写真公開の承諾があったと書かれている。写真を公開したい。横田夫妻が逡巡したのは、ウンギョンさんとモンゴルで次のような会話があったからだ。日本に戻って写真を公開していいかと聞くと、「出さないでほしい」。それから2年。横田夫妻は兄や知人にも見せなかった「うれしい時間の写真」を多くの人に知ってもらいたいと思い続けた。しかも拉致問題は動かないままだ。
私はつてを辿ってウンギョンさんに横田夫妻の意思を届けた。そして2016年4月に本人直筆の公開を了承する手紙が届く。夫妻は喜び、私が持参した写真から選んだ6枚を「週刊文春」掲載した。これが経過のあらましだ。そして圧力が早紀江さんに殺到した。早紀江さんは強い要求に屈し、私が勝手に写真を公開したかのような事実でないコメントを出した。参議院選挙の前だったが、当時の私は耐えるしかなかった。不条理だとは思ったが早紀江さんではなく、圧力を加える者たちに非があったからだ。
早紀江さんのコメントには、写真は横田家から一枚も出していないとある。それはそうだ。私が持参したものを夫妻と相談して6枚出そうとなったのだ。さらに「救う会」ニュースが早紀江さんコメントを恣意的に利用して私を批判した。そこでは早紀江さんの言葉として「有田先生」という表現があるが、横田夫妻はこの20年間、1回も私を「先生」と呼んだことはない。「救う会」による作文だ。
早紀江さんの2回目のコメントには写真を「今後も出しません」とある。だが日本テレビは横田家にある写真を複写した。川崎市のバス(22年6月まで)、新潟市のバス(同10月)にはモンゴルでの写真が掲示されている。いずれも横田早紀江さんが提供した。5月の国民集会で早紀江さんはモンゴルでのウンギョンさんとの出会いを「物語のような時間」で「幸せ」だったと語っている。ある知人には「あのモンゴルがなかったら、滋さんにはいいことが何もなかった」と饒舌に語った。だが再会を阻んだ勢力がいる。
『北朝鮮 拉致問題 極秘文書から見える真実』(集英社新書)の「おわりに」で事情の一端書いた。モンゴルでの写真問題について最小限のことを書いたのは、関係者による6年前の圧力で、横田滋さん、早紀江さんがあまりにもお気の毒だったからだ。「救う会」も「家族会」も、そして周辺の政治家たちも、横田夫妻の心の奥にある本音を知ろうとしない。私は人道問題から日朝交渉をこじ開けることができると思っている。それを閉ざしている者たちとはこれからも闘っていく。(2022/6/22 参議院選挙の公示日に)