私の後継者は用水路(中村哲)

 中村哲医師が銃撃されて亡くなって4日で4年がたった。

 中村さんの行いと言葉は、今も生きる、いや今こそ生かさねばという意図で中村哲という希望』(旬報社が出版されるので、本屋で手に取ってご覧ください。今月下旬に配本される予定です。

 12月のペシャワール会カレンダーは後継者に関する中村哲さんのことばを載せている。

 私はそんなに心配してないです。

 というのは、ほんとに大切な生命線なら、

 かれらはなんとしても守るはずです。

ペシャワール会カレンダー12月

 これは大澤真幸『THINKING 「O」』創刊号(2010年)の対談からの引用だが、中村哲さんは生前、後継者について聞かれ、「私の後継者は用水路です」と答えたそうだ。

 人々が必要とするものを造り、人々が守っていく。それが"後継者“だという。中村さんらしいと思う。

 「己が何のために生きているかと問うことは徒労である。人は人のために働いて支え合い、人のために死ぬ」という中村さんの人生訓にひびき合う。

takase.hatenablog.jp

 先日の天声人語で中村さんを偲ぶ。

 静岡県島田市に住む医師、レシャード・カレッドさん(73)が日本に留学に来たのは、1969年のことだった。故郷アフガニスタンの友人たちは不思議がったという。フランス留学の試験にも受かったのに、なぜ、日本に行くのかと
▼「私はね。この目で見て、感じたかったんですよ」。レシャードさんは振り返る。戦後、わずか20年で先進国となった地には、どんな努力家がいるのか。二度と戦争を起こさないと誓った国とはいかなるものか。19歳の若者は知りたかったそうだ
▼それから半世紀。京大で医学を学び、島田を第二の古里と定めた白髪の医師はいま、少し心配に思っている。日本は、頑張って、頑張って、歯を食いしばって、豊かさを手にした。でも、平和の有り難さを忘れつつありはしないか
▼そう思うのは、アフガンの惨状を目にしているからだ。現地に診療所を開き、医療に取り組んできたが、一昨年の米軍の撤退後、多くの国際支援の動きが止まってしまった。送金さえままならない
▼技術者らは海外に逃れ、飢餓が急速に深刻化している。「平和は当たり前ではない」。レシャードさんは訴える。日本の人々にも「関心を持ってほしい。まずはそこから」
▼きのうで、かの地の復興に尽くした中村哲さんの死から、4年。「私は『カネさえあれば何でもできて幸せになる』という迷信、『武力さえあれば身が守られる』という妄信から自由である」。著書『天、共に在り』で断じた言葉が遠く、遠く聞こえる。
2023・12・5

(レシャード医院はwww.reshad-clinic.com)

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 最後にお知らせです。

 12月23日(土)午後2時から、冒険する人のネットワーク「地平線会議」で報告します。会場は東京・新宿区榎町センター4F多目的ホール。501回目の報告会です。この場は特別なので、他では触れない内容もお話しします。

 当日は『中村哲という希望』を希望者にお分けします。ご関心あればどうぞ。