世界が平和になりますように

 元旦にカレンダーをかけかえる。

ペシャワール会カレンダー1月。

 ペシャワール会のカレンダー1月は、白雪を戴くケシュマンド山系をバックに、カマⅡ堰の写真だ。中村医師らのプロジェクトではこれまで十以上の堰を建設しているが、このカマⅡ堰は、その後の標準形となった、山田堰に酷似した堰である。

山田堰

カマⅡ堰

 カレンダーには中村哲医師の言葉が添えてある。

人は自然の懐の中で

身を寄せ合って

生きている

人間もまた

自然の一部なのだ

 なんだ、当たり前じゃないかと思うかもしれないが、この基本を忘れるから、人と自然、そして人と人の関係が崩れて、人類は気候変動と戦争という二大害悪を招いてきた。あらためて何度でも心に刻むべき言葉である。

 中村医師は、政治的な意味での、例えば憲法9条に関連付けての平和主義者と思われがちだが、実は彼が最前線で闘ったのは戦争ではなく、干ばつだった。実際、アフガニスタンでは戦闘よりもはるかに多くの人が干ばつによって命を落していた。また、人が飢えて食えなくなることが治安悪化と戦闘を誘発してきた。人と自然との共存こそが平和の基礎だというのが中村さんの哲学だったと私は解釈している。

 近年、「平和」とは何かという問題を考えさせられることが多い。

 ウクライナの抵抗を取材して、日本人の平和と戦争についての価値観を問いたいと書いたのが年末に出たウクライナはなぜ戦い続けたのか~ジャーナリストが戦場で見た市民と愛国』旬報社)だ。同胞の命とこれから生まれてくる命のために自分の命を捧げても良いと抵抗を続けるウクライナの人々の姿から、私たちが安易にもっている「日本人は平和を愛するやさしい国民」という自己イメージが覆されたからだ。

 日本に住む私たちが世界でも突出して自分のことしか考えない「冷たい」国民になっていることについては、本ブログで何度も指摘してきた。

takase.hatenablog.jp

 

takase.hatenablog.jp

 私は新著の中でこう指摘している。

《(日本人の場合)優先されるのは「私」の損得だけで、同胞の不幸を救おうと思わなければ、世の中を良くしようと選挙の投票に行く気も起こるまい。ましてや生死にかかわる戦争となれば、とっとと逃げるにかぎる、となるのは当然だ。だって、私には関係ない、私の得にはならない、のだから。

 アフガニスタンで、干ばつに苦しむ農村に水路を作って灌漑で人々を食べられるようにし、凶弾に斃れた中村哲医師は、自分のことしか考えない近年の日本の風潮をこう嘆いていた。「『自分の身は針でつつかれても飛び上がるが、他人の体は槍で突いても平気』という人々が急増している」と。

 日本では、「命より大事なものはこの世にない」という言葉をよく聞く。そこから侵略されても戦うな、逃げろ、となるのだが、では、ウクライナ人は命を粗末にしているのだろうか。

 日本人が「命が大事」と言うときの「命」は、「私」だけの、あるいは自分の家族など狭い「私たち」だけの「命」を意味しているように思われる。要は「私が死にたくない」と言っているだけではないのか。》

 今年も「平和」について考えていきたい。

 新年にあたり、世界がほんとうの平和に向かいますように。