中村哲医師が長生きの意味を問う

 きのうは東京・東大和市の市民会館で映画『医師中村哲の仕事・はたらくということ』の上映会があった。

 主催は労働者協同組合ワーカーズコープ・センター事業団で、午後2時からという暑い盛りに参加者は五百名近くにのぼった。私が上映後、講演したのだが、熱心に聴いていただき、その後の懇親会でも質問攻めにあって刺激を受けた。

東大和市ハミングホール(大ホール)

上映後の講演

中村哲という希望』をたくさんお買い上げいただき、サイン会も

 やはり中村哲という名前の吸引力はすごい。いま、中村さんを日本人が「発見」するプロセスが続いているように思われる。生前から知る人ぞ知る存在ではあったが、2019年12月の殺害のニュースで初めて中村哲という人の存在を知った人の方が多かっただろう。そしてそれ以降、「日本にこんなにすごい人がいたのか!」と驚きのなかで中村さんに学ぼうという気運が大きくなっているのではないか。中村さんを支援する「ペシャワール会」の会員と支援者が、中村さんが亡くなった時点の1万6千人からその後1万人増えているという事実がそれを示していると思う。

 無法な侵略や虐殺がやまず、日本を含む世界が軍拡に向かう世相が中村さんの思想を求めていることも与っているだろう。時代は「いまこそ中村哲」である。

 私は1時間近く映画では触れられなかったエピソードを話したのだが、なかでもおもしろがられたのが、まずは中村さんの微笑ましい素顔。

 長女の秋子さん〈私が見た素顔の中村哲という談話(『ペシャワール会報』で、No.160 (6月26日発行)から連載が始まった)でこんなエピソードを語っている。

「好きだったのはカツカレー。献立に困った母が尋ねると、三日連続でカツカレーと答えたのには呆れました」

「意外なのは漫画好きだったこと。漫画を持ってトイレに入ると出てこないタイプでした(笑)。手塚治虫白土三平を好んでいましたが、新しいものでは『クレヨンしんちゃん』が大好きでした。ただ、自分で買えばいいのに私を古本屋におつかいに出すんです。父のために少しづつ買い集めたんですが、やっと探し当てた最後の三、四巻は渡せないままでした」

「映画では「寅さん」が大好き。女優では吉永小百合さんのファンで、ある時吉永さんが父のことを「九州男児と言えば中村哲先生」と言ってくださったことを喜んでいました。そのことを父に伝えた日本電波ニュース社の谷津さんは、その話を何度もせがまれたそうですよ(笑)」

 映画の中村さんは眼光鋭く、決然とした表情で登場するが、娘さんが語るなんともかわいい素顔の落差に会場から笑いが起きた。

 また、中村哲さんが、現代の日本人が生きる意味を見失っているのではないかと警鐘を鳴らしていたことを紹介したが、参加者にシニアの方が多かったこともあり、自分事として受け止めてもらったようだ。

 以下、中村哲『わたしはセロ弾きのゴーシュより。

「人が生きて、死ぬということの意味を、日本人は忘れているんじゃないかという気がときどきするんですね」

「長生きするというのもいいことですが、その長生きさせてもらったこの命をどう使うかについては、何も言わない。タイプライターの打ち方を勉強したけれども何を打っていいかわからないというのに似ている。そういうもどかしさとかを感じますね」

「わたしが最近思いますのは、特に、進歩だとか、豊かさだとか、それを追いかけてきて、特に戦後ですね、さらに遡っていきますと明治維新以後ですね、わたしたちが、「こうすれば幸せになる」「こうすれば豊かになる」というものが、一つの結果が出てきておるという感じがするんですね。話があんまり大風呂敷になるかもしれませんが、それの結果がいろんなところで、もう、崩れて、出てきておるという気がしてならない」

「逆に、だからペシャワールに惹かれるわけでして、人々の、本当にシンプルな生き方を見て、どっちが豊かかわからないということもあるんです。先に生死の問題を話しましたが、その生き死にの問題にしても、長生きはするようになったけれども、なんのために生きていいるのかわからないと。こういうのを一つ取ってみても、われわれが考えてきた、進歩だとか、近代化というのが、本当に幸せに繋がるかどうかわからないなという感じが、このごろしてならないんです」

 テレビでも「アンチエイジング」、どうやったら長生きできるかという情報をさかんに流し、世間では人生100年時代などと浮かれている。そこに中村さんは「長生きもいいけど、何のために長生きするの?」と問いかけている。

 高齢者である私自身も、この問いに、あらためて自分の生き方を考えさせられる。

(以下は以前、長生き、命について触れたもの)

takase.hatenablog.jp

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