憲法記念日ということで、いろいろ思うことがある。
一昨日の5月1日(月)、沖縄で「普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会」の活動を取材した。
普天間基地は、世界でもっとも危険な軍事基地とも言われていて、この基地の移転問題から辺野古移設へとつながっていった。
基地を見晴らすことができる嘉数(かかず)高台で撮影。戦闘機が上空を通過するときの爆音がすさまじかった。沖縄在住の友人に聞くと、深夜2時、3時に爆音で目を覚ますことがよくあるという。基地の近くにいる人たちはたまらないだろうな。
日米の騒音防止協定では、夜10時から朝6時までは飛行を制限することになっているが、米軍は守っていない。
「ゴスペルを歌う会」は、県民の反対を無視して普天間基地にオスプレイが配備された11年前から、雨の日も風の日も、毎週月曜夕方に行われてきた。会をはじめた神谷武宏牧師に聞くと―
「米軍は私たち沖縄人をヒトではなくサルと思ってふるまっているようだ。ゴスペルを歌うのは、神の前にみな同じ人間だよと訴えるため。米軍の中にキリスト者は多いから、そこで通じ合えるのではないかと思う。コブシを振り上げて抗議するより、私たちキリスト者の得意な、力によらない抗議の方法がいいのではないかと始めた。今は、東京や岡山はじめ全国に広まってきている。」
ちなみに東京では首相官邸の前で毎月、ゴスペルを歌う活動があるという。
1日はおよそ20人が集まり、祈りを捧げゴスペルや“We Shall Overcome”などを歌い、1時間の抗議を行った。
いま岸田政権が、米国の要請によって軍備の大拡張と敵基地攻撃能力の保有を進めるなか、石垣島など八重山諸島や宮古島へのミサイル配備をめぐって沖縄は揺れている。参加者からは、本土と大きな温度差を感じるとの声が聞かれた。
日本国民の圧倒的多数、8割は日米安保は必要との立場。ならば、米軍基地を本土も引き受けるのが当然だ。本土の人は沖縄に米軍基地があるのを当たり前に思っているが、負担を沖縄にだけ押し付けている加害者性をはっきり自覚すべきだろう。
現憲法では戦力を保持できない。自衛隊を合憲(自衛隊は「戦力」ではないとして)と認めたとしても、専守防衛しか許されないのは当然だ。敵基地攻撃能力をもつことになれば「戦力」としか解釈できなくなり、明らかに違憲状態となる。
憲法に違反する行為で、沖縄を再び戦争の捨て駒にするのか・・・現地の怒りに返す言葉がない。
そして入管法改正だ。先月28日、衆議院法務委員会で可決された。
与野党4党が協議して修正したとして、いかにも改正案の「欠点」が正されたかのように見せているが、単なるポーズで、基本的な問題点はまったく変わっていない。こんな協議に応じる野党も野党だ。国民民主党は当初は反対の立場だったはずが、賛成に回った。
連休明けに衆院で採択する予定だという。米軍が沖縄人を、日本は外国人をサル扱いするというわけか。根本的で大幅な修正(とくに難民審査を独立機関が行うことと収容など身体の拘束に司法の関与を義務付けることなど)がないかぎり廃案しかない。
どんどん憲法が内実を失っていく。