難民申請者を送還する入管法改正案

 きのう5日は、茨城県龍ヶ崎市で『医師中村哲 仕事・働くということ』の自主上映会があり、アフタートークに呼ばれた。

『医師中村哲の仕事・働くということ』

 50人の会場から質問がいくつも寄せられ、ある大学生からは将来の進路を考えるヒントをと求められる。通常20分のアフタートークが延々1時間半におよび、最後は人生相談みたいに。一人も退席することなく熱心に聴いていただいたことに感謝。

・・・・・・・・・

 友人のジャーナリスト、樫田秀樹さん入管法改正法案をきびしく批判している。同意。

樫田さんのツイート

 入管法改正法案 への反対の声が強まっている。反対理由で最も多いのは、難民申請中の当事者を迫害が待つ出身国に送還することだ。私はその実例を知っている。

 2019年1月から川口市に住むクルド人Hさんを何度も取材。そのHさんが突然収容された。東京入管に家族が面接に来た時、2歳の息子は、父の抱っこを求め、面会室のアクリル板を窓と思い込み、あるはずの取っ手を何度も探したが「窓」は開かなかった。 その仕草が辛く、このまま父親不在で妻と2人の子どもだけで生きていけるのかと思ったら、泣く泣く入管の勧めに応じ自費帰国した。

 その後、Hさんの知人で日本人Nさんがトルコを訪ねHさんに会ったが、Hさんは都会に紛れトルコ側治安組織に見つからぬよう生きていた。日本生まれの小学生の長男はトルコ語を話せず不登校。そしてNさんの帰国後、Hさんは2020年、遂に居場所を突き止められ、トルコ警察の対テロ対策課に逮捕された。Nさん情報によれば、罪状は「PKK(クルディスタン労働者党)等テロ組織のプロパガンダ」。

 Hさんは2014年11月に東京でシリアのクルド人地域へのISの攻撃を非難する演説を行った。その演説の記事と映像がネットに残っていた。テロ対策課はそれを証拠にした。IS攻撃の非難がテロ組織のプロパガンダとされるのは、ISと戦っていたのはクルド人の防衛隊で、それがPKKの関係組織だったから。Hさんは裁判にかけられ刑務所での収監は間違いない。子どもたちのため、敢えて入管の退去強制令を受け入れトルコに帰国したが、入管の長期収容以上の拘束を強いられることになる。

 こういう結果をもたらすのが入管の仕事なのか。家族に胸を張って誇れる仕事なのか。現行法の下でもこういうことが起きる。さらに、入管法改正法案では3回目の難民認定申請で特別な事情がない限り、本国送還か、それを拒めば刑事罰(裁判を経ての刑務所収監)が待つ。もちろん難民性がない人はご帰国いただいてもけっこうだが、Hさんのように本国の弾圧から逃れようと、トルコ国籍であれば観光ビザ取得が不要の日本行きは安全な逃避のはずだった。トルコ国籍クルド人は世界各地で難民認定されているが、日本では現時点で認められたのはわずかに一人しかいない…
・・・・・・・・・

 1987年5月3日の赤報隊」による朝日新聞阪神支局襲撃事件についての記事から。最近の報道に関して指摘する二人のジャーナリストの意見が興味深かった。

国谷裕子さん(元「クロ現」キャスター)

クローズアップ現代のキャスターになったのはバブル崩壊後の1993年。辞めるまでの23年間で何が一番変わったかというと、経済的価値が優先され、人間がコストとして見られるようになったということです。」

「目の前のことに精いっぱいで、自己責任だからと声を上げられない人が増えている。一方で声を上げる人、助けてと言う人にイライラしてしまう。本当はそのいら立ちは社会に向けられるべきなのに、隣の人に向かってしまう。

 もう一つの変化は効率性の広がりです。コスパにタイパ。物事は複雑なのに、時間がないから深く考えることをやめてしまい、多数派にくみしてしまう。」

「最近の報道には、政策的に重要な課題は国の方針が決まった後で取り上げる傾向を感じます。社会的リスクを可視化して、よりよい方向に対話を促すのが報道の役割のはずなのに、受け身の姿勢になっているように見えます。」

「客観報道の要請が強まっているといっても、どの視点から見た客観なのかが問題です。世界から見た客観なのか。日本国内で作られた狭い方向性のなかだけでの客観なのか。安易に『客観』に逃げ込んではいけません。」

大谷昭宏さん(ジャーナリスト)
「2002年に時効となり、20年が経ちました。この間、メディアは確実に弱体化しています。集会などで『事件は時効を迎えても、言論の危機に時効はない』と訴えてきましたが、言論の自由はどんどん奪われているように感じます。犯人の思うつぼです。

 例えば『世界平和統一家庭連合(旧統一教会)』や宗教2世の問題をもっと前から報道していれば、どうなっていたでしょうか。統一地方選のたび、無投票当選が多く『民主主義の危機だ』と訴えますが、高額な供託金制度などの是非を議論してきたでしょうか。

 自由な報道がなく、誰も不条理を暴いてくれない。憤りや不満をどこにも吸収してもらえない人たちが、直接行動に出ている気がしてなりません。

 もちろん暴力はいけない。でも私たちがきちんと問題を報じていれば、首相や元首相が襲われるような事件は起きなかったかもしれない。テロは我々メディアと遠く離れたところで勝手に起きているんですよと、言い切れますか。」(朝日新聞4月30日朝刊より)

 いずれも的確な指摘で、考えさせられる。

・・・・・・・・・

西国分寺駅近くの喫茶店クルミドコーヒー」。胡桃と胡桃割りが置いてある。窓からの緑にほっとする。

エンドウマメが鈴なりだ。30度を超えたところもあったという。まだ5月あたまなのに。