長井健司さんのビデオカメラが戻ってきた

 2007年にミャンマーで取材中に亡くなったジャーナリストの長井健司さんのビデオカメラが、26日、16年ぶりに遺族のもとに戻った。

 長井さんは当時の軍事政権に反対する抗議デモの取材中に銃撃され、警視庁は遺体の司法解剖から「1メートル以内の至近距離から撃たれた」とした。長井さんが倒れる瞬間を撮った映像からも、兵士がすぐそばから狙い撃ちしたように見えた。だが、当時の軍政は陳謝しながらも「数十メートル先で発射された流れ弾による事故」と説明した。

 長井さんが亡くなる時手に持っていたビデオカメラが所在不明となり、ミャンマー政府はカメラは発見できていないとしてきた。

 今回、ミャンマーの独立系メディア「ビルマ民主の声」がビデオカメラを入手し、長井さんの妹の小川典子さんにタイのバンコクで手渡した。「ビルマ民主の声」がどのようにしてカメラを入手したかは明らかになっていない。

遺されていたビデオテープには5分ほどの映像があり、長井さんの自撮りリポートも映っていた(テレビ朝日ニュースより)

民衆のデモに治安部隊がやってくる様子も(テレビ朝日ニュースより)

バンコクで妹の典子さんは「ビルマ民主の声」編集長からビデオカメラを受けとった

手渡されたビデオカメラ(テレビ朝日ニュース)

会見する小川典子さん(テレビ朝日ニュース)

 07年の事件後、私は「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」の呼びかけ人として、長井さんのカメラの返却と真相解明を求めて署名を集め、ミャンマー大使館に抗議文を渡しにいったり、妹の小川典子さんと一緒に外務省に要請に行ったりという活動をしていたので、カメラが戻ったことは感慨深い。

takase.hatenablog.jp

 

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 小川さんは「兄が最後に手にしていたものがやっと戻ってきたという安ど感と喜びがありますが、当時殺害された状況が思い出されて、胸が行き詰まる思いもあります」と複雑な心境を明かし、今後も長井さんの死の真相をミャンマー政府に求めていくという。また、ミャンマーで起きていることを忘れないでほしいとも語った。

 ミャンマーでは2年前にクーデターで実権を握った軍に対して民主派勢力や少数民族武装勢力が抵抗を続けている。地方では激しい戦闘が行われているが、国軍は戦闘機やヘリコプターで空から無差別に攻撃を行い、家々を焼き払うなど住民への弾圧を強めている。

 今月11日には北西部のザガイン管区の村を空爆し、5歳以下の子ども6人を含む168人が死亡した。これは

 また18日には民主派勢力のメンバーが潜伏しているとして中部マグウェ管区の村を攻撃し、日本政府の支援で建設された保健施設が被害を受けた。

 ミャンマーの人権団体は、軍の攻撃や弾圧により、クーデター以降26日までに3440人が死亡したとしいる。

 長井さんのカメラが戻ったこの機に、ミャンマーで人々が人道にもとる残虐な攻撃を受け続けていることにあらためて思いをいたし、日本政府にはこの圧政に対する断固たる行動を起こすよう要求する。


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 節季は穀雨(こくう)。種まきに大事な春の雨が降る時節ということだそうだ。
初候「葭始生(あし、はじめてしょうず)」が4月20日から。25日からが次候「霜止出苗(しもやみて、なえいずる)。30日から末候「牡丹華(ぼたん、はなさく)」。田植えの準備が始まって春も本番。西表島では先々週すでに田植えが済んだ田んぼを見た。

西表島祖納(そない)の田んぼの夕暮れ(4月14日)

 

 その田んぼの近くの山で、これまででもっともたくさんの蛍をみた。

 森の木々が無数の点滅する光で満ち、まるでクリスマスツリーのように見える。ヤエヤマヒメボタルという種類の蛍で、本土のヘイケボタルより点滅の間隔がはるかに短い。頭上も木の枝が張り出しているから、群舞する蛍にぐるりとかこまれ、夢のような時間を過ごした。

 宿に帰ると、玄関の植え込みの地面が点滅している。ライトをつけて正体を確かめると、脚の短いゲジゲジのような虫がいた。ヤエヤママドボタルの幼虫らしい。数十匹の幼虫が葉っぱの陰からかぼそい光を出していた。

 こんなに早くホタル狩りができるとは。いい夜だった。

マドボタルの幼虫(4月14日)