米軍基地を「引き取る」

 またまた沖縄で米軍機のトラブルが起きた。

 《23日午後8時ごろ、沖縄県渡名喜村渡名喜島の村営ヘリポートで米軍の普天間飛行場(同県宜野湾市)所属のAH1攻撃ヘリコプターが不時着した。乗員2人にけがはないという。県内での米軍ヘリの不時着は今年に入って3回目。(略)県内では今月6日にうるま市伊計島の海岸、8日に読谷村の廃棄物処分場に米軍ヘリが相次いで不時着しており、県民の反発はさらに強まりそうだ。》(産経23日)

 沖縄復帰45年というのに、米軍専用施設の70%が沖縄に集中している。
 《「米軍基地のない平和な島」を願った復帰から45年。だが、今も沖縄には1万8609ヘクタールと広大な米軍専用施設が横たわる。全国の米軍専用施設の実に70・6%。復帰後の専用施設返還面積は9283ヘクタール、約3割にとどまっているのが現状だ。沖縄県によると1月時点で県内には31の米軍専用施設があり、その面積は本島の約15%を占める。
 日米両政府は1996年、日米特別行動委員会(SACO)で普天間飛行場を含む11施設、5002ヘクタールの返還で合意した。だが、21年を経て全面返還が実現したのは5施設。昨年は北部訓練場約4千ヘクタールが返還されたが、六つの新たなヘリパッドの提供が条件となるなど、「県内移設」が前提の返還計画に県民からの反発は根強い。
 一方、遅々として返還が進まない沖縄とは逆に日本本土では次々と返還がなされた。サンフランシスコ講和条約が発効した52年に本土に13万5千ヘクタールあった米軍基地は、62年に3万ヘクタール、沖縄が復帰した72年には1万9699ヘクタールまで縮小した。
 本土で返還が進んだ結果、復帰時に沖縄6割、本土4割だった米軍専用施設面積の割合はさらに広がり、今年1月時点で沖縄7割、本土3割となっている。復帰後、沖縄に負担が偏る実態が数字で如実に表れている。》沖縄タイムス2017年5月15日)http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/97464

 沖縄県民が、本土の人間は負担を沖縄に押し付けていると思うのも無理はない。実際、北朝鮮の核ミサイルの脅威といっても、「米軍基地を狙うのだから、落ちるとしたら、遠い沖縄でしょ」と、つまり自分たちは被害を受けないから「大丈夫」と思っている本土の人間は多いはずだ。これは、「近くになければいい」として都会が原発を田舎に押し付ける構図に重なる。

 地元の名護市や沖縄県普天間基地辺野古への移設反対を表明するなか、本土のいくつもの自治体議会が「辺野古での早期建設」を決議している。(「沖縄の米軍普天間飛行場代替施設の早期実現、沖縄米軍基地の整理縮小及び負担軽減を求める意見書」の採択)
 一方、辺野古での基地建設反対を採択した自治体は、東京都武蔵野市議会と長野・中川村だけだという。本土は沖縄への「押し付け」を常態化させており、それを意識すらしないところまでいっているようだ。
 日米安保体制を維持することを圧倒的多数の日本人が合意しており、米軍基地の存在を容認するのであれば、基地問題は日本全体の問題であり、沖縄だけの問題ではない。では、米軍基地を沖縄に押し付けるのはやめて、「うちの町で引き取ろう!」。こんな運動が福岡、大阪、新潟の三カ所で同時発生的に立ち上がった。

 これまでの左翼活動家では考えつかない、しかし、ある意味まっとうな運動ではないか。いったいどんな運動なのか。
(つづく)
*ジャーナリスト樫田秀樹さんの『望星』(5月号)記事を引用・参照しています。