消えゆく鷹匠という生き方

 先日(19日)日本唯一の鷹匠松原英俊さん山形県天童市の自宅を訪ねた話を書いた。https://takase.hatenablog.jp/entry/20221019

 日経新聞の今月7日付朝刊の文化欄に松原さんの寄稿した文章が載っている。松原さんを知らない人もいると思うので、ここに紹介しておきたい。

10月7日日経朝刊

 青森市に生まれた松原さんは、生き物が大好きな少年だった。鷹匠を知ったのは老鷹匠と若タカの友愛を描いた「爪王」(戸川幸夫)という小説からだった。中学で当時「東北最後の鷹匠」とされた真室川町在住の沓沢(くつざわ)朝治さんのドキュメンタリー「老人と鷹」を見て憧れた。これが松原さんが沓沢さんへの弟子入りへとつながる。(テレビの影響力はすごいな)

 沓沢さんは「鷹匠で食える時代は終わった」と松原さんの弟子入りにはじめは首を縦に振らなかった。東北のタカ狩りは冬場に農家が小動物の毛皮を売るための副業だったが、弟子入りを希望した73年ごろは毛皮の需要が激減。ウサギ1羽約100円にしかならなかったのだ。しかし、松原さんは近くで野宿しながら沓沢さん宅に通い、7度目の訪問でやっと認められた。

 だが、師との関係は良好にいかず、1年で独立。電気も水道もない人里離れた小屋でタカと二人きりで暮らし始めた。獲物を捕ることができない苦しい日々。また狩りの前にはタカの狩猟本能を高めるため絶食させるが、その度が過ぎて死なせてしまった痛恨の失敗もあった。

 初めての狩りの成功は独立から3年半後の2月中旬だった。その時の様子を松原さんはこう書いている。

「約20メートル先のノウサギに飛びかかったタカは、勢い余ってウサギもろとも急斜面を滑り落ちた。私も雪の中を転がりながら駆け寄ると、獲物を押さえ込むタカの姿が見えた。この日のために生きてきた。喜びに涙があふれ、自分は世界一幸せだと断言できる瞬間だった。」

天童市の山沿いの集落に松原さんは住んでいる(9月30日に訪ねたさいに撮影)

松原さんが飼っているイヌワシ。4羽の猛きん類のなかでは最も大きい

 松原さんはクマタカなど4羽の猛きん類を飼育する。

鷹匠を取り巻く状況は年々厳しさを増すため弟子は取ってこなかったが、人鳥一体の生き方を目指す方が現れれば培った知識と経験を全て伝えたい。体力が続く限り、私自身もタカとともに歩き続ける。」と結んでいる。

 鷹匠という生き方が、松原さんを最後に消えていくのはとても残念だ。日本の価値ある文化、技能として守り育てることはできないのだろうか。

 家庭や企業の電気代の負担軽減策や財政投融資なども含めた「財政支出の総額は39兆円」などというニュースに、私たちが守るべき大事なものは何かを考えてしまう。

 タカ狩りは真冬に行う。松原さんはそろそろその準備の訓練に入るだろう。これがとても興味深いので、またいずれ紹介したい。
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 ロシア軍によるウクライナのインフラ、特に電力関連施設への攻撃が激しさを増し、4割の電源関連施設が破壊されたという。各地で停電が起き、ウクライナ政府は厳しい節電要請を出した。

《ベレシチューク副首相も25日、国外に逃れた市民に対し、春まで帰国しないよう求めた。エネルギーがひっ迫する国内の電力需要を最小限に抑えるのが狙い。現地の越冬は綱渡りの状況で、ろうそくと植木鉢を組み合わせた「キャンドル暖房」の作り方をメディアが紹介するほどだ。

 ロシアがエネルギー施設への攻撃を強化したきっかけは、8日に起きたクリミア橋の崩落。プーチン大統領は崩落を引き起こした爆発をウクライナ特務機関の工作と断定し「テロリストと同レベルのウクライナ政府に報復する」と宣言した。与党議員らも「ウクライナの生活を18世紀に戻せ」と主張し、インフラ攻撃は市民生活を狙った「兵糧攻め」と認めている。》

 その一方、ロシアはまた気持ちの悪いプロパガンダを流し始めた。

《ロシア国防省は10月に入り「ウクライナ『汚い爆弾』を使用する恐れがある」と盛んに喧伝している。一方、ウクライナ側はロシアが核攻撃を実行する前の「偽旗作戦」と反論。国際原子力機関IAEA)に対し、査察官を派遣して、ロシアの主張に根拠がないことを第三者の目で確認するよう求めている。》(東京新聞27日)

NHK「国際報道」より

 「汚い爆弾」とは放射性物質をばらまく爆弾だが、このプロパガンダの喧伝とならんで、プーチン大統領がリモートで見守るなか、ロシア軍が大規模な核演習を実施した。すでにプーチンに近いとされるチェチェンのカディロフ首長などの強硬派が戦術核の使用を提言するなど、核の使用が現実的可能性として浮かび上がってきている。

 ニュースで連日、核兵器使用の可能性が報じられるなか、私はと言えば、この事態にあまり危機感を感じなくなっていた。「核」に対する感覚がマヒしてしまったのかもしれない。

 そのことに気づかせてくれたのは、先日、酒田市土門拳記念館で開催されていた企画展「2つのまなざし 江成常夫と土門拳ヒロシマナガサキだった。
(つづく)