ウクライナの懸念は核戦争ではない

 きょうは2月にウクライナで取材した大手メディアの記者による報告会に参加した。大手主要メディア社員は前線取材が抑制され、彼もキーウでの取材だったというが、近況を聞くことができた。

 報告後に「この戦争の落としどころは、どの辺になると思いますか?」という、必ず出るだろうと思った質問が出た。

 この会に参加していた武隈武一さん—元テレ朝の報道局長でいまもよくテレ朝でウクライナ問題を解説している—がこう語った。

 プーチン自ら停戦するつもりがないどころか、ウクライナに停戦させないようにしている。フランスのマクロン大統領などが言っている欧州の平和維持部隊の派遣などぜったいに認めない。「最終的目標を達するまで戦う」とプーチンは言っている。最終的な目標とは、独立したウクライナの消滅、ロシアの属国化なのだから、ここで戦争を止めることはありえない。そしてトランプは全面的にプーチンに肩入れしている。一方で、欧州がアメリカ抜きではロシアに対抗できない。そもそもNATOはロシアと正面から事を構えたくない。このままロシアが優勢のまま侵略を続けるとなると、考えたくはないが、ウクライナにとっては、ここからが本当に大変な時期になる可能性がある」

 残念だが、武隈さんの見立てはその通りで、

この最悪のケースもありうるだろう。そうならぬよう声をあげなくてはと思う。

 ウクライナがどうなるのか懸念が募るが、キーウ在住のジャーナリスト、平野高志さんのリポートからは多くの気づきを得ている。

「これ多分、まだ十分に理解されていないところで、ゼレンシキーが国民を引っ張っているのではなく、ゼレンシキーが国民感情に近い行動を取るから支持が「保たれている」だけ。ウクライナは不満が蓄積すると、爆発して感情的で非合理的な判断が下される可能性がある社会なので」(平野さんのX投稿より)

 私はゼレンスキーのポスターを一枚も見なかったと拙著『ウクライナはなぜ戦うのか』に書いたが、平野さんによれば―

 「ウクライナでは、政治家というのは罵られたり嫌われたりすることはあっても、崇められるような対象には滅多にならないので、そういう大統領崇拝的な商品(ぬいぐるみやカレンダーなど)はウクライナでは流行らないだろうと思いますし、作ろうと考える人もそうそう現れないんじゃないかと思います。そのあたり、ロシアと決定的に違うところですね」(平野高志『キーウで観たロシア・ウクライナ戦争~戦争のある日常を生きる』(星海社新書)P83~84)

平野高志さんの本

 ウクライナの国民は、大統領や政府に命令されていやいやロシアに抵抗しているわけではない。ここが分っていないと、過去の戦争末期の日本に重ねて、勝ち目のない戦争なのだから、ゼレンスキーは早く武器を置いて国民の惨禍を止めるべきだ、と「説教」する自称「平和主義者」が出てくるのだろう。ロシアや軍国主義時代の日本とは全く違うのだ。

 なぜウクライナが圧倒的に強大なロシアに抵抗しつづけるのか。

 ウクライナの人々は、ロシアがウクライナに対して核兵器を使用する可能性については、全く考えていないとは言わないまでも、まずないだろうと高を括っていると思います。大切なのは、ウクライナの人々にとっての最大の懸念事項は核戦争が勃発することではなく、この戦争の結末としてウクライナ自体が消滅・破滅する、主権や独立を失う、強制的にロシアの支配下に入れられることだということです

 ロシアがウクライナに対して核兵器を使う可能性は、ウクライナにとってももちろん脅威ではあるのですが、ウクライナという国を失うことの方がはるかに大きな脅威なわけです。ですから、ロシアがいくら核兵器による脅迫を行なっても、(略)現在の戦争の当事者でない外国の人々ほど怯えることはありません」(前掲P110)

 つまり、ロシアはウクライナをつぶすまで侵略を続けるつもりでいる。ウクライナは国を失うことは断固拒否する。簡単に停戦などできない構図である。

 とにかく核戦争にしないことが大事だ、だから「即時停戦を!」と訴える日本の自称平和主義者には、ウクライナ戦争のリアルな姿が見えていないのだろう。


 手前味噌ですみませんが、拙著『ウクライナはなぜ戦い続けるのか』(旬報社)をお勧めします。