小泉悠氏「ウクライナ戦争をめぐる『が』について」2

 ウクライナの海軍の司令官が、欧米諸国が供与する射程の長いミサイルをロシア領内に向けた攻撃に使うことができれば、軍事侵攻を続けるロシアとの戦いに早期に勝利できると述べ、柔軟な運用を認めるよう訴えた

ウクライナ海軍のネイジュパパ司令官がイギリスのテレビ局、スカイニュースとのインタビューで述べた(NHK国際報道より)

 これだけだと意味が分からないだろう。

 ウクライナは連日、ミサイルや無人機で全土を攻撃されているが、それらはロシア本土の基地から発射される。だからロシアにある基地を叩く(敵基地攻撃)ことが必要になるのだが、それができない

 欧米からロシア本土への攻撃を止められているからだ欧米は、核戦争あるいは第三次世界大戦になるから「ロシアを刺激するな」ウクライナに言い渡し、長距離ミサイルなど本当に効果的な兵器を供与しないできた。つまりウクライナは相手を殴れないボクサーの如く、手足を縛られたままロシアと戦っているのだ。

 しかし、発射基地、または兵站基地などロシア本土の軍事施設を攻撃できなければ、防衛一方の不利な戦いを強いられ、兵士と市民の犠牲が増えるばかりだ。

 去年からようやくアメリカが射程の長い地対地ミサイルATACMSを供与しているが、供与されたのは最大射程が半分近く(モスクワにはとうてい届かない程度)に抑えられたものだった。

 司令官は、欧米諸国が供与する射程の長いミサイルを使った攻撃についての質問に軍が必要な戦闘能力を持ち、敵のインフラ施設を破壊する能力を持つほど、勝利は近くなる」と答え、ロシア領内の拠点を攻撃できれば早期に勝利できると主張し、柔軟な運用を認めるよう訴えた。手足を縛らないでくれとアピールしたのだ。

 去年6月に開始されたウクライナの反転攻勢が「不成功」に終わったとされているが、ウクライナの人々は、その責任はタイムリーに必要な兵器をウクライナに供与することを渋った欧米にあるととらえている。私も同意見で、現地を取材して、欧米はウクライナを勝たせようとしていないと感じた。「核を使うぞ」とロシアは脅すが、それにおびえることがむしろロシアをつけあがらせることになる。

Don't escalate. Time was lost and the lives of our most experienced warriors was lost 欧米の「ロシアを刺激するな」「戦闘をエスカレートさせるな」が大きな足枷になって、ウクライナの犠牲を増やしているとゼレンスキー大統領(国際報道1月17日放送より)。これはウクライナ国民の共通の思いだ。

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 類型2冷戦後の歴史に関する「複雑さ」について。

 ここでは「安全保障屋」、「軍事屋」としての小泉悠氏の面目躍如といった感じで論が進んでいく。

《仮に筆者がロシア軍参謀本部に勤務する軍人であるなら、NATOの東方拡大は到底受け入れ難いと考えるだろう。ことにウクライナはロシアと長大な国境を接し、しかもモスクワまでの最短地点は450キロメートルほどでしかない。開戦当時、プーチン大統領はこのような地政学的観点から「ウクライナアメリカの極超音速ミサイルが配備されればモスクワまで数分で届いてしまう」と訴えた。だが、それでも予防攻撃は許されないというのが現在の世界の秩序を基礎づけるルール、人類の叡智が産んだ秩序である。

 ならばアメリカのイラク戦争はどうだったのだ、という反論もあろうが、筆者はこのアメリカによる戦争にも明確に反対である。たとえイラク大量破壊兵器開発計画が事実であったとしても許されないものであったと考えるし、そもそも大量破壊兵器自体が存在していなかった。またイランや北朝鮮はほぼ間違いなく大量破壊兵器保有ないしその前段階にあるが、これに対して米国やイスラエル予防攻撃を仕掛けることには反対である。ロシアとの原子力協定で核分裂物質の生産を増強している中国は、今後10年ほどで核弾頭の配備数を2倍(中国の自己申告)から3倍(アメリカの見積もり)に増やそうとしているが、これも先手を打って中国を叩くべしという論拠にはならない。

 もちろん、この種の軍事的な論理はわからないではない。というよりも、筆者は基本的に「そちら側」の人間ではあるのだが、実力行使に至るまでには何段階もの手段を講じうる。核兵器が問題であるというならば核軍備管理を模索できないのか。それもダメならば抑止の信憑性を高めるように自国の軍事態勢を改善したり同盟を強化したりすることはできないか。せめて危機事態において核使用を回避しうるホットラインを設けられないか。こうした手を尽くした上で自国が真に存亡の危機に立ったとき、初めて軍事力を用いるという選択肢が真剣に考慮されるべきである。ロシア自身も、イラク、イラン、北朝鮮等の大量破壊兵器開発問題に関しては対話による解決策を訴えてきた側であった。

 ところが、今回の戦争において、ロシアはこのような努力を払っていない。ウクライナ周辺に軍隊を集結させて圧力をかける一方、開戦前年の12月になって「NATO旧ソ連諸国には拡大させない」との要求を米国に突きつけたが、拒絶にあったという経緯である。それからおよそわずか2カ月でロシアはウクライナへの侵略に及んだのであって、戦争回避のためにあらゆる努力を払ったとは到底言い難い。

 また、ウクライナが第二次ミンスク合意(ドンバス紛争解決のために2015年に結ばれた合意)を履行しようとしないことにロシアが不満を持っていたことも事実ではあるが、それではロシアが合意履行のための交渉に真摯に取り組んでいたかと言えばやはりそうでもない。開戦直前には、ウクライナのゼレンスキー政権が第二次ミンスク合意履行に向けた妥協姿勢をドイツのショルツ首相に伝達し、ロシアのラヴロフ外相も交渉継続の余地ありと主張したにもかかわらず、プーチンが一顧だにしなかったことからもこの点は明らかであろう。

 一人の安全保障屋として言わせていただくならば、ロシアは自国の安全を保障するための手を尽くさず、いきなり暴力を振るうという「手抜き」で今回の戦争に及んだというふうに見えるのである。》

 小泉氏の専門分野だけに、極力抑えた筆致で書いている。実力行使の前に対話などの手を尽くせという指摘は、日本の安全保障論議のときにも重要な点である。