ウクライナはなぜ降伏しないのか(その2)

 きょう、国葬をめぐって国会で質疑があったが、岸田首相の「説明」はこれまでと同じにすぎない。それでは納得できないと追及されると―

 今後、丁寧な説明を続けていく・・というだけ。

MBSニュースより

 「丁寧」とは「同じ文言を繰り返すこと」と国語辞典を書き換えなくては。
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今頃になって五輪が盛り上がり (宮城県 猪又義記)

 きょうの「朝日川柳」だが、東京五輪パラリンピックをめぐる汚職事件で、AOKIの5000万円に続いて、KADOKAWAが7600万円の賄賂との報道。広告大手の「大広」も家宅捜索。

 次はどこ?と大きな関心を集めている。

 五輪をめぐってはスキャンダラスな汚い話が誘致運動からはじまって次々に発覚、大会が終わって1年経ってクライマックスを迎えている感じだ。
 金と欲と嘘で汚れちまった五輪。

 ここまで来ても誰も責任をとらないのだろうか。
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 ウクライナから避難民を日本に受け入れる、新たなNPOの立ち上げについて相談するため関西に泊りがけで行ってきた

 NPOの登記はすでに済んで、活動スケジュールを具体化する段階に入っている。
 来週、記者会見で発表するので、詳しくはその後に報告しよう。

 ウクライナに関心をもつ人々が各地で行動を起こしていることに励まされる。

 空いた時間、観光に誘われ、伊勢神宮に初めて行った。皇室と特別な関係にある神社のためか、正宮全体が撮影禁止、入場禁止になっている。(知らなかった)

平日だがけっこうな人出だった

内宮の広い森

赤福本店で

 それでも森のすがすがしい空気を吸い、巨木を見上げて英気を養った。名物の赤福も味わった。
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前回のつづき

2日藤沢市役所での片岡ソフィヤさんの講演

 いまロシア軍の占領下に置かれているウクライナの東部や南部の地域では、道路標識までロシア語に変えられるなど「ロシア化」が急速に進むが、深刻なのは教育の「ロシア化」だ。

 この9月から新学期で、ロシアは自軍占領下の地域に高額報酬でロシア人教師を送り込んでいる。プーチンは、子どもを通わせれば1万ルーブル家庭に支払うと約束した。逆に子どもを通わせないと、14万8000ルーブル(約34万円)の罰金を科し家からの立ち退き命令を出すと警告。さらには子どもを学校に登録しない場合、孤児院に送るとも脅迫している。

NHKニュースより

 さらに、ロシア軍占領地では「ジェノサイド」と表現してもよい事態が進行している片岡ソフィアさんは危機感をあらわにする。

 ジェノサイドとは、ナチスユダヤ人の大量虐殺から生まれた言葉で、「特定のグループ全体、もしくはその一部を破壊する目的で行われる集団殺害、およびそれに準ずる行為」のことで国際法上の重大犯罪だ。

 「ジェノサイド条約」の第2条にはジェノサイドの行為として「 集団の児童を他の集団に強制的に移すこと」が含まれる。

 ロシア軍の占領地域では、30万人ものウクライナの子どもたちがロシアに連れ去られたとみられる。親が死んだ孤児や家族とはぐれて迷子になった子、親から無理やり引き離された子どももいる。その子どもたちをロシア人家庭の養子などにしてロシア人にしてしまおうというのだ。

 一方、占領下の大人は厳しく尋問され、少しでも軍に関係していたり、ロシアに反発しているとみなされた者、ウクライナ語しか話さない者などは強制的にバスでロシアのキャンプに送られる。占領地域で行方不明になった者は数えきれず、その中には殺害されたケースが相当数あると推定されている。

 住民虐殺はブチャなどロシア軍が撤退した何カ所かでしか明らかになっていない。しかし、ウクライナには何百というブチャの惨劇があり、いまロシア軍占領下にあるいくつの町でブチャのような非人道的な状況が続いているかわからない。

 ソフィヤさんは「ウクライナ国民の命が助かっても平和は保証されない」という。

片岡ソフィヤさん(筆者撮影)

 なぜかというと、ウクライナ人にとって一番怖いのは爆弾でもミサイルでもなく「ロシア軍に捕まること」だから。そして、ロシア軍の占領下にあるということは、捕まっていることと同じで、アイデンティティを奪われながら、ブチャでの惨劇のように、何をされるかわからない状態に置かれることなのだ。

ウクライナの古い教会などの歴史的建造物や貴重な文化財も数多く破壊されている。東部ドネツク州のウクライナ正教会生神女就寝スビャトヒルスク大修道院」が6月ロシア軍の攻撃で木造聖堂が全焼した。ウクライナの三大「大修道院」の一つで、多くの民間人が避難していた(ゼレンスキー大統領のFacebook動画より)

 日本人は敗戦後、多くが「負けて良かった」と思った、まれな体験をした国民だ。連合軍の統制された占領は、住民の集団虐殺などの破壊的な惨事を引き起こさず、食糧の配給により飢餓を防いだ。

 今読んでいる井上ひさしの『下駄の上の卵』は、戦後間もない山形の田舎を舞台にした自伝的小説だが、この中に「配給小麦粉(別名・マッカーサーのプレゼント)」(P59)などという表現がある。

 その日本人が、長引くウクライナでの戦争について、命が大事だから殺されるより降伏したほうがよい、一部の国土が占領されてもすぐに停戦することを選ぶべきだ、などと思ってしまうのは無理もないことなのだろう。

 しかし、ソフィヤさんの話を聴いて、日本人の特殊な感覚をウクライナの人々にあてはめることは厳に慎まなければならないと思った。

 講演のあと、日本人が「国のために戦う」ことに拒否感をもつことについてどう思うかとソフィヤさんに質問してみた。

 ソフィアさんはこう答えた。

 「ウクライナ人は『国』のために戦っているのでも、誰かに強制されて戦っているのでもありません。自分たちの幸せと子どもたちの未来のためにロシアを追い出さなくてはならないのです。もし降伏したら、ウクライナは無くなります。いまゼレンスキー大統領が、国土の2割を占領された状態で「停戦する」と言ったら、多くの国民は納得しないでしょう。」

 ウクライナの人々の状況は、冬を迎えればいっそうきびしくなるだろう。一日でも早くロシアに軍を退かせるため、抵抗を続けるウクライナへの支援を続けたいと思う。