先週の新聞の全面広告に中島みゆきが・・。BOSSの宣伝だという。
久しぶりにマスコミに出るのを見て、まだ元気なんだなと安心した。
最近は近所のカラオケ会では、1曲目はウクライナに思いを寄せて、彼女の「離卿の歌」か、小麦の収穫期にちなんで「麦の唱」(これは大麦だけど)を歌っている。
不世出の人なので長生きして、良い歌をさらに作りつづけてほしい。
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ウクライナの首都キーウ近郊のブチャは住民虐殺で世界に知られるようになった。
キーウからチョルノービリ原発に向かう途中にある町だ。私はチョリノービリ原発を2回取材しているが、キーウに宿をとっていたので、この町かまたはその近くを毎日のように通ったはずだ。
ロシア軍は2月24日にウクライナに侵攻、その直後の3月初めにはブチャを占領した。
ウクライナ側の反撃もあってロシア軍は約1か月後に撤退したが、撤退後の4月2日、何体もの遺体が通りに放置されている様子が動画で発信され、世界に衝撃を与えた。
5万人以上のブチャ市民のうち、3500人ほどが占領下も避難できずに残ったという。確認された犠牲者は420人にのぼる。強姦され殺害された女性の遺体も見つかっている。
(2日の講演会ではウクライナ大使館提供の遺体がはっきり写ったブチャの写真も展示された)
93%の犠牲者は頭部か胸部を撃たれていた。最初から殺すつもりでロシア兵は撃っていた。意図的な殺人だったのです」とブチャ市長のフェドルク氏は朝日新聞に語っている。また、「両手を背後で縛られた遺体もあり、拷問や処刑だった可能性がある」と記事は伝えている。(9月5日付朝日新聞)
多くの犠牲者を出しながら、ウクライナでは、兵士だけでなく、子どもから高齢者までが自分のできることでロシアとの戦いに参加している。戦場以外でも、多くの人たちが負傷者を介護したり、避難民に食糧を配ったりするなどボランティアに参加し、勝利するまで戦い続ける覚悟をしているという。
ウクライナの人々のそこまで強い戦う覚悟は、いったいどこからくるのか。
9月2日、それを日本人に分かってほしいと願うある在日ウクライナ人の話を聴く機会があった。在日ウクライナ人、片岡ソフィヤさんの講演で、演題は「なぜウクライナに『降伏する』という選択肢はないのか」。
(片岡ソフィヤさん講演(9月2日、平塚市役所にて) 筆者撮影)
ソフィヤさんは、ロシア侵攻で始まった今回の戦争について、日本で次のような意見を耳にしたと言う。
〇戦争をする両者が悪い
〇戦って死ぬより生きている方が良い
〇一般市民の命を救うために、ウクライナは戦いをやめるべき
〇大統領はウクライナ国民を闘わせるべきではない
日本で聞かれるこうした声は、ウクライナについての「誤解」から来るものだとソフィヤさんは言う。
まずはウクライナとロシアが『兄弟国家』だという誤解。
ウクライナはロシアに侵略され抑圧され続けた歴史をもち、特にこの100年間はそのために非常に多くの犠牲者を出している。
とりわけ悲惨なのが、スターリン治世下の1932-33年には、急激な農業集団化と食糧の強制徴発によりウクライナに大規模な飢餓が引き起こされ、死者は数百万人に及んだとされるが、いまだ正確な犠牲者数は不明なままだ。ウクライナ語で「ホロドモール」(飢餓による殺害)と呼ばれる、ナチスドイツの「ホロコースト」にならぶ世界史上まれにみる大惨事である。
ロシアはウクライナの「兄弟」などではなくずっと侵略者であり続けてきたとソフィヤさんはいう。
ロシアのプーチン大統領はかねてより、「ロシアとウクライナは一つの民族」と主張している。
今年6月には、ロシアの安全保障会議副議長を務めるメドベージェフ前大統領が、自身のSNS に「ウクライナが2年後に世界地図上に存在していると誰が言ったのか」と書き込んだことが注目された。
一つの国と民族を抹殺せよとの主張をロシアのトップリーダーが公言するとは驚きだが、ソフィヤさんに言わせれば、今起きていることは、ロシアが昔からウクライナに対してやってきたことを繰り返しているに過ぎないという。
ウクライナの文化がロシアに取り込まれた例としてソフィヤさんが挙げたいくつかを紹介すると―赤いスープのボルシチ、コサックダンス、民話の『おおきなかぶ』などなど。
会場からは「えっ、これもウクライナのものなの」とざわめきが聞こえた。
(「おおきなかぶ」は紆余曲折を経てトルストイ原作になって世界に広まっている『おおきなかぶ』(内田莉莎子再話、佐藤忠良画、福音館書店)より)
言語に対する抑圧も厳しく、ウクライナ人作家のゴーゴリ(ウクライナ語で彼の名前はホーホリと発音するそうだ)はロシア語でしか書くことができなかったため、ロシア文学の中に位置づけられている。
ウクライナ語とロシア語は、英語とオランダ語ほどの違いがあり、完全に別言語だ。
「アイデンティティを奪われることがどんなに苦しいか、想像してみてください」とソフィアさん。
民族のアイデンティティの問題は、おそらく日本人にとって理解が難しいことの一つだ。
海外から帰国して空港に着いたとき、ほっとした気持ちになりませんか、日本食を食べながら日本に生まれて良かったと思うこともあるのでは、とソフィアさんは分かりやすい例を挙げながら話を続ける。
海外で「ゴミを拾った立派な行為」を日本人が褒められているとニュースで知れば誇りに思い、ノーベル賞の受賞で日本の科学は進んでいるなとうれしくなったり・・・。
こうしたものをすべて否定されたらどうだろうか。
ソフィアさんは「アイデンティティは生きる意味であり、幸せです。これを失うと心がからっぽになります」と訴える。
後日、近代ウクライナ文学の創始者とされる詩人、シェフチェンコの詩集を読んでみた。
彼の「遺言」という詩は次のように終わる。
わたしを埋めたら
くさりを切って 立ち上がれ
暴虐な 敵の血潮と ひきかえに
ウクライナの自由を
かちとってくれ
そしてわたしを 偉大な 自由な
あたらしい家族の ひとりとして
忘れないでくれ
やさしい ことばをかけてくれ
(つづく)