田口八重子さん拉致事件の謎8

 ウクライナでは2月24日の国民総動員令で、18歳から60歳までの男性は原則として国外に出られなくなっている。

 誰も死にたくはないから、銃を取って戦うことに拒否感を持つ人がたくさんいるのは当然だ。

 NHK国際報道で、ロシアの侵攻時、たまたまギリシャにいて今も国に戻らないウクライナ男性エフゲニーさんの苦悩を報じていた。

 ウクライナに帰国したら、もう外には出られない。ポーランドに留まって戦争が終わるのを待つという。

(エフゲニーさんは、「戦場で死にたくありません。それは思い描いた人生ではありません」と語る  NHK国際報道より)

(ロシアが侵攻する前の2月上旬だが、「戦う」は3分の1強だけ)

 悩んだすえ、自分も何かしら貢献したいと、カメラマンの彼は、ウクライナから非難してきた人々のドキュメントを撮影しはじめた。

ポーランドで避難してくるウクライナ人を撮影するエフゲニーさん)

 戦闘には参加したくないが、祖国の勝利を祈っていると語る。

(エフゲニーさんは、国を愛する気持ちは強く持っているのだが、と葛藤を続ける)

 多くの若者がこういう葛藤を抱えているだろう。早くロシアの侵攻を終わらせなければ。
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 前回、田口八重子さんに近づいてきた男、「宮本」こと李京雨(リ・ギョンウ)について書いたが、彼の存在は国会答弁にも出てくる。

 1988年3月の参院予算委員会で、大韓航空機爆破事件の実行犯の工作員が、蜂谷真一、真由美名義の旅券を使っていたことについて質疑がなされていた。

橋本敦議員(共産)

 「蜂谷真一、蜂谷真由美名義の偽造旅券、この旅券は偽造された場所はどこだとお考えですか」

城内康光警察庁警備局長

 「お答えいたします。本件の偽造旅券は蜂谷真一という実在の人の名前を使っておるわけでございます。その関係について調べましたところ、その偽造旅券の作製に、北朝鮮の秘密工作員であることが明らかな宮本明こと李京雨が関係していたということがわかっております。」(後略)

 李京雨は大韓航空機事件の実行犯の偽造旅券作製といういわばバックアップを行い、さらに金賢姫を教育した八重子さんの拉致に関わっていた、かなり「大物」の工作員だったとみられる。

 田口八重子さんが拉致された状況は分からないことが多いが、そこに李京雨はどう関与していたのか。

 謎のポイントは大きく二つ。

 一つは、新潟と九州という遠く離れた場所が事件に登場すること。八重子さんが北朝鮮に運ばれたルートは、九州から南浦であろうと私が推測していることはすでに書いた。だが、八重子さんは失踪前に「新潟に行く」と言っていたのだ。

 八重子さんは失踪の直前、友人に「好きな人ができたの。その人と新潟に旅行に行くのよ。景色も良いし、思い出があるところだから楽しみにしているの」と語っていたという。

 一方、八重子さんは北朝鮮で一時同居した地村富貴恵さんに「知り合いの男性に九州に連れて行かれた。工作員に引き渡され、(工作船で)北朝鮮に連れてこられた」「(その男は)リムジンのような外車に乗っていた知り合い」だと話している。
 八重子さんはまた、「騙すつもりが騙された」とも語っていたという。

takase.hatenablog.jp

 この「知り合いの男性」が李京雨だった可能性は高いと思われる。警察もそう見ていた。

 友納尚子さんの記事によると―

 《実は、田口さんの拉致を警察庁が認定した平成3年以降、埼玉県警は「宮本」から諜報接触という形で話を聴いている。そのとき「宮本」は、事情聴取にすんなり応じてこう語った。

「確かに失踪したと言われる直前に、彼女と二人で新潟にいきましたよ」

 だが、肝心な部分になると、実に奇妙な供述を始めたのだった。

「ところが、旅行の途中で突然、彼女が『行きたい場所があるので行ってきます』と、言う。仕方がないので、何時間か後に、待ち合わせの場所を決めて、しばらく別行動したのです。しかし、約束の時間になって、その場所に行って見ると、彼女はいない。何時間たっても現れなかったので、一人で東京に帰ってきたのです。それからも店の方に何度も連絡を入れたのですが、彼女と連絡をとることはできませんでした」

 この時点で、警察は「宮本」が彼女を拉致したことは間違いないと確信を持ったという。しかし、逮捕するだけの証拠が揃わなかったため、警察がこれ以上の追及をしたという記録はない。》(文藝春秋2002年12月号)

 「宮本」こと北朝鮮工作員・李京雨は、八重子さんと新潟旅行に出かけた上で、途中で八重子さんとはぐれてしまったと警察に供述したという。不自然な話である。

 

 もう一つ謎なのが日本から出た日にちだ。

 北朝鮮からの説明では、八重子さんは1978年6月29日に、「宮崎県宮崎市青島海岸で本人が共和国に3日程度なら観光がてら行きたいという意向を示したことから、特殊工作員が身分を偽装するのに利用するため連れてきた」とされている。

 八重子さんは2人の幼い子どもを託児所に預けており、「観光がてら」北朝鮮に行きたいなどと言うはずがないから、ここは作り話として、問題は6月29日という日付けである。

 実は、八重子さんが東京から失踪したのはそれよりずっと前だった。

《78年6月12日の夕方、繁雄さんに「お宅の妹さんが、お店を2,3日無断欠勤していて、子どももベビーホテルに置いたまま引き取りに来ないそうだ」との電話がハリウッドからかかってきた。》そして、《飯塚繁雄さんは、八重子さんを待ちつづけるが何の消息もなく、7月2日に警察に家出人捜索願いを出している。》

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 となると、東京から失踪したのは6月8日か9日と見られる。

 拉致実行日については、北朝鮮はウソをつく理由がない。また、他の拉致被害者の拉致の日付はおおむね正確なようだ。

 この3週間のギャップをどう見たらいいのか。

(つづく)