田口八重子さん拉致事件の謎7

 ウクライナの隣のモルドバで不審な爆発事件が続いている。

(1日のTBSサンデーモーニングより)

モルドバ東部に「沿ドニエストル共和国」を名乗る地域がある。約30年にわたり露軍が駐留しており、事実上のロシア支配地域だ。
 この地域では最近、不穏な動きが相次ぐ。4月26日、ラジオのロシア語放送に使われていた電波塔2本が何者かに爆破された。25日夜には中心都市チラスポリで、当局の建物にロケット弾が撃ち込まれた。別の場所で治安部隊が襲撃されたとの情報もある。
 モルドバは1991年のソ連崩壊に伴い独立国となった。プーチン露大統領がロシアの勢力圏と見なす国の一つだが、現在の政府は米ハーバード大政治学を学んだマイア・サンドゥ大統領の下、親米欧姿勢が鮮明だ。
 露国営メディアは4月、「沿ドニエストルのロシア語系住民が迫害されている」とする露軍幹部の発言を伝えた。「ロシア語系住民の迫害」は、ロシアが侵略の大義名分に使う常とう句だ。》(読売新聞)

 自作自演の爆破事件を起こして軍隊を出すのはプーチンの得意技だから、危ないな。

モルドバのサンドゥ大統領も危機感をあらわにする)

 プーチンがどんどん戦火を拡大する気配が懸念される。

 

 三度目(みたびめ)の過ちとなる瀬戸際に晒されている大戦と核 (尾道市 森 浩希)
 吐(つ)いた嘘無かったように新たなる嘘をまた吐く嘘吐きの嘘 (川崎市 西村健児)
 朝日歌壇24日の入選歌より。

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 さて、3月で途絶えていた連載を再開したい。(えーと、どこまで書いたっけ?)

 田口八重子さんは1歳と3歳の子どもを抱え、池袋のキャバレー「ハリウッド」に「千登世(ちとせ)」という源氏名で勤務していた。そんな八重子さんの「日常に忍び寄った一人の男」、「宮本」という名の中年男がいた

《『宮本』は『ハリウッド』の常連客で、頻繁に田口さんを指名していました。黒縁の眼鏡をかけ、背が高くて、がっちりとした体格で、関西弁を話していました」(店の関係者)
 ある日、田口さんは男と一緒に車で東京・高田馬場ベビーホテルに突然乗り付け、「子どもを2,3日預かって欲しい」と言い残して、どこかに消えた。ベビーホテルに提出した用紙には、田口さんの勤務先の電話番号と、名前の欄には乱暴な文字で「ミヤモト」と走り書きされていた。》

 というわけで、今回は、八重子さん失踪のカギを握るとみられるこの男について書いていく。

 この男の本名は李京雨(リ・ギョンウ)という。

(李京雨)

 李京雨の存在が初めて浮上するのは、1971年の北朝鮮スパイ事件「足立事件」のときだった。島根県から上陸し、東京足立区を拠点に、多数の在日朝鮮人を補助工作員に抱えた工作員朴某が、訪日した韓国空軍将官北朝鮮亡命を画策した事件だ。李京雨は事情聴取を受けたが、容疑不十分で逮捕にはいたらなかった。朴は懲役6月、猶予2年の判決で、翌年、北朝鮮へ自費出国している。

 その14年後、李京雨は、最大の北朝鮮スパイ事件といわれる「西新井事件」に登場する。主人公は、秋田県男鹿半島から上陸した、別の朴を名乗る工作員。朴は東京山谷の路上で倒れていた小熊和也さんに近づき、彼の運転免許証と旅券を取得して「小熊」に成りすました。小熊さんが病死したためいったん北朝鮮に戻るが、4年後に再び東京に現れ、今度は北海道から出稼ぎに上京していた小住健蔵さんに成りすました

 警察用語で他人に成りすますことを「背乗り(はいのり)」という。朴は「小熊」名義の旅券で、フランス、ソ連などに3回、「小住」名義の旅券で、マレーシア、タイ、香港、韓国、西ドイツなどに6回、海外渡航を繰り返し、対南工作を行っていた。

 小住さんの戸籍が函館から東京に移されたことに姉妹が不審を感じたことから捜査が始まり、83年2月、危険を察知した朴は15年潜伏していた日本からクアラルンプールに出国、そのまま行方不明となっている。

 朴は通称チェ・スンチョルといい、後に、78年7月の蓮池薫さん、奥土祐木子さん拉致の実行犯として指名手配されることになる

(チェ・スンチョル、警察の手配写真より)

 朴を見失なった警視庁は、朴が社長だった西新井本町の会社に住み込んでいた補助工作員在日韓国人、金某の張り込みを続ける。そして捜査線上に浮かんだもう一人の不審人物が李京雨だった。李京雨は朴がアパートを借りる際の連帯保証人になっただけでなく、自らが経営する会社役員にも就任させた。

 朴が出国して半年後、李京雨が動き出す。

 朝鮮人バタヤ街で知り合った蜂谷真一氏を呼び出し、旅券申請を代行。さらに翌84年8月から約1カ月間、蜂谷氏をバンコク、マニラへの接待旅行に連れ出した。

 蜂谷真一といえば、後の1987年11月の「大韓航空機爆破事件」の実行犯で、逮捕直前に自決した工作員金勝一が所持していたのが「蜂谷真一」の偽造旅券だった。金賢姫はその娘役で「蜂谷真由美」の偽造旅券を所持していた。二人は日本人の父と娘を装っていた。

 接待旅行中の蜂谷氏がマニラに滞在していた84年9月21日から26日までの6日間、金勝一は偽造「蜂谷」旅券でソウルに滞在していた。李京雨は金勝一の韓国滞在を安全にするために蜂谷氏を旅行に連れ出したことになる。

 年が明けた85年3月、警視庁は内偵していた金某を逮捕し、朴を指名手配した。その時、李京雨の姿はなく、自宅から暗号解読用の要領書や薬品が押収されただけだった。実は李はその2週間前、事件の舞台となった西新井本町からわずか300mの総連系の西新井病院に入院していた。そして4月に退院すると、忽然と姿を消したのだった。

 李京雨の名がメディアに大きく登場するのは、2年後の大韓航空機爆破事件で「蜂谷」旅券が使われたからだった。

 李京雨は、西新井事件、大韓機事件そして八重子さん拉致事件のすべてに関与していたことになる。
(つづく)

注)李京雨に関して、裵淵弘「北朝鮮大物スパイ『李京雨』という人生」(新潮45 03年6月号)を参照、引用した。