山形の食用菊が食べたくなるころだ。
黄色の花もあるが、私は紫の「もってのほか」がうまいと思う。
母がほしいというので、中央線西国分寺駅南口の「しむら青果」で求めた。
「しむら」は一見ふつうの小さな八百屋の店構えなのだが、季節ごとに「あれが食べたいな」と思う野菜、果物ならスーパーに置いていないものも並べていて感心させられる。一昨年、去年と連続して「国分寺お店大賞グランプリ」を受賞している名店だ。
こういう地元の商店が、各地でコロナ禍で店をたたんでいるという。なんとかがんばってほしい。
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中国の王毅外相が訪日し、茂木外相や菅首相に会った。
菅首相からは、注文として、《尖閣諸島の周辺海域などの、東シナ海をはじめとする、海洋・安全保障の問題のほか、日本産食品の輸入規制の早期撤廃や牛肉の輸出再開、コメの輸出拡大について、中国側の前向きな対応を改めて強く求めました。また、香港情勢に関して日本側の懸念を伝えたほか、拉致問題を含む北朝鮮への対応について協力を求めました。》(NHK)
香港情勢には「懸念」どまり。しかし、中国の人権抑圧には具体的に例えば「国安法を撤廃していただきたい」「香港の議席剥奪された4人の立法会議員を復職させるよう要求します」と迫ってほしい。
香港は現地での活動がほぼ封じられ、中国に抗議できるのは国際社会しかない。
圧力を受けているのは、立法会だけではない。去年11月25日の民主派が地滑り的勝利をおさめた区議会選挙で当選した区議たちも公権力から活動を烈しく妨害されているという。
24日『国際報道2020』(NHKBS1)は、民主派区議の伍健偉さん(25)の現状をリポートしていた。
伍さんは当選から1年が経つが、議員活動継続もままならない事態になっている。
まず、議員活動費が支払われない。それはかつて「光復香港」「時代革命」のスローガンを使ったためだという。それを理由に、政府に議員活動に必要な費用の請求にまったく応えないという。親中派の議員の請求にはすぐに支払われてるいると伍さんは言う。
議員活動費が政府から下りないので、伍さんはこれまで、オフィス家賃や光熱費、電話代、郵送費など700万円を立て替えた。
「あとどれぐらい持つかって?正直もうそんなに持たないですよ」と伍さんは困り果てている。
さらには脅迫まがいのことも。ある晩、車を運転していて異変に気付き、タイヤを見ると何者かに穴をあけられていた。同じようなことが声を上げる多くの人におきていると伍さんは言う。
「1年前、私たちは選挙を通じ、平和なやり方で香港の政治を変えようとしました。しかし1年経って目にしているのは、議会が香港市民のためのものではなくなっていることです。香港政府は何も決められず、中国政府の意向に沿うだけのものになっています」(伍さん)
中国全人代幹部は、立法会議員だけでなく、区議会議員についても政府の方針を支持する必要があり、場合によっては資格を取り消すと発言している。民主派の区議らも、「次はわれわれ区議が狙われるだろう」と懸念する。
1年前、民主派は区議会全452議席の8割を超える385議席を獲得したが、この1年ですでに54人が逮捕または起訴された。伍さんたち民主派区議は、明日議員資格が取り消されても不思議ではないと危機感を募らせている。
中国共産党が、香港の代議機関まで機能不全にして香港市民の声を一切聞こうとしない以上、より強力な国際社会からの声を発信する必要がある。
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さて、北朝鮮工作員の日本侵入の話。(拉致はなぜ見過ごされてきたのかに改題しました)
北朝鮮工作員が日本で摘発されたケースは50件を越える。(11月18日ブログを参照)
その中で、日本の海岸または海岸近くで摘発された事例、つまり工作船を使って密入国または密出国しようとして捕まった事例は、公表されただけで温海事件以外、以下がある。
1957年12月、「新光丸」事件(京都府伊根港)=密出国しようとした金某(30)を逮捕。
1959年7月、滝事件(石川県滝港)=密入国した趙某(42)を逮捕。
1960年9月、浜坂事件(兵庫県浜坂港)=密出国直前に金某(44)を逮捕。
1962年9月、村上(解放号)事件(新潟県村上市)=密出国直前に金某(40)、もう一人の金某(40)、李某(31)を逮捕。
1963年5月、酒田事件(山形県酒田市)=密出国直前に馬某(42)を逮捕。
1969年11月、岩崎・能代事件(青森県岩崎村)=密入国直後に金某(26)を逮捕。
1971年7月、篠原新町事件(石川県加賀市)=海岸に3人が乗ったゴムボートが着き、警戒中の警官と格闘になり、金某(29)一人を逮捕。
1974年9月、切浜事件(兵庫県切浜海岸)=在日韓国人、李某と北朝鮮から派遣された威某(28)を逮捕。
1975年7月、濁川事件(青森県つがる市)=密出国直前に李某(54)を逮捕。
1977年9月、宇出津事件(石川県宇出津海岸)=在日朝鮮人の李某は久米裕さんを海岸で迎えに来た工作員に引き渡した。直後、李を逮捕。久米さんは政府認定拉致被害者。
1980年6月、磯の松島事件(兵庫県磯の松原海岸)=工作船を待っていた工作員2人を逮捕。
1981年3月、伏木国分事件(富山県高岡市)=越中国分駅で酒を飲んでいる男を警察官が職務質問をしたところ、要領を得ず、男を高岡駅前のホテルに泊めたところ、男は7階から「金日成主席万歳」と叫んで投身自殺した。
1981年7月、日向事件(宮崎県日向市)=密出国直前に黄某(62)を海岸で逮捕。
1981年8月、男鹿脇本事件(秋田県男鹿市脇本海岸)=上陸したばかりの3人組を警察官が摘発し、1人逮捕。2人はゴムボートで逃走した。
1990年10月、美浜事件(福井県美浜海岸)=海岸に2体の遺体と工作子船が打ち上げられた。死亡した2人を県警は書類送検。
これらの事件の代表として山形県の温海事件を11月21日のブログで紹介したのだが、その結末はどうなったのか。
山形県検察は、日本に上陸して逮捕された崔と金の二人を出入国管理令違反で起訴した。
山形地裁で二人は懲役1年、執行猶予3年の判決を受ける。身柄は仙台入管事務所に移され、国外退去になるが、「ゴムボートと無線機は金日成閣下のものである」と返還を主張した。
第三者の所有物なら官報に没収する旨14日間公告すべきながらそれをしていなかったため裁判所は証拠品を崔・金に返すよう命じる。
崔と金は、意気揚々、新潟港から定期船『万景峰号』に乗って、ゴムボート、無線機、乱数表などとともに、北朝鮮に帰国していったという。
どうしてこんなことになってしまうのか。