拉致はなぜ見過ごされてきたのか6

 7日から節季は大雪(だいせつ)。暦の上では真冬だ。
 初候「閉塞成冬」(そらさむく、ふゆとなる)。
 12月11日から次候「熊蟄穴」(くま、 あなにこもる)。
 16日から末候「鱖魚群」(さけのうお、むらがる)。
 熊が冬ごもりをし、鮭が産卵のため遡上する。いよいよ寒くなる。

 一つ宣伝です。
 12月26日(土)よる9時から、「焚き火のある講演会」で宇宙史を語ります
 題して「気づきの宇宙史138億年」。880円です。
 ライブ配信以外に、後日のオンデマンド配信もありますので、よろしくお願いします。

bonfire-place.stores.jp

 おいおい、ついにアタマおかしくなったのか、と言われそうだが、実は私、ここ十数年、宇宙史を学んでいる。それはコスモロジーの創造のためだ。

takase.hatenablog.jp


 いままでは宇宙史を私的な場で語るだけだったが、多くの人に説得力があるかどうか評価してもらいたいと表に出ることにした。
 関心のある方はぜひお聞きください。
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 3日(木)の『神奈川新聞』に拉致問題についての私のコメントがかなり大きく出た。

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 政府や今の運動体を批判する内容で、一部の人たちからは反発を買うだろう。以前は経営していた会社への影響を考えて、多少遠慮してコメントしていたが、今はもう背負うものがない。
 「拉致問題の解決に少しでもお役に立ちたい。何か私にやれることを教えて下さい」という多くの市民の声に応える運動になっていないことがとても残念だ。「日本会議」が牛耳る「救う会」では大きな国民運動をつくるのは無理だ。それをシフトチェンジすべきだとコメントしている。
 有田芳生参院議員のコメントと一緒に掲載された。
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 拉致の連載、長くなりそうな気配。
  こないだ引用した「温海事件」に関する佐々惇行氏の文章にこうあった。
 
 《警察庁外事課長だった私は、この「温海事件」には、さほど関心を払っていなかった。
 証拠は十分。日本海沿岸でしばしば起こる潜入事件と大同小異の、ごくありふれた北朝鮮スパイ事件の一つにすぎない。いずれの事件も判決は、執行猶予つきの懲役一年。今回もどうせ懲役一年にきまっている。(略) 
 同年11月2日、山形地方裁判所で「温海事件」の2名にそれぞれ懲役1年、執行猶予3年の判決が言い渡され、身柄は直ちに法務省仙台入国管理事務所に移された。
 とここまでは想定通り、いつものことだったが、異変が起きた。》

拉致はなぜ見過ごされてきたのか5 - 高世仁の「諸悪莫作」日記

  こんな潜入事件は《ごくありふれた北朝鮮スパイ事件の一つにすぎない》し、《どうせ懲役一年にきまっている》との表現に、はじめ私はちょっと面食らった。
 あれだけの大捕り物をやって海岸に潜入したスパイを捕まえておいて、こういう言い方はないだろうと。

 過去の密出入国の直前直後に摘発された事件を見てみると―

拉致はなぜ見過ごされてきたのか4 - 高世仁の「諸悪莫作」日記

1957年12月、「新光丸」事件では、出入国管理令・外国人登録法・電波法違反で懲役1年。
1959年7月、滝事件では、出入国管理令・外為法関税法違反、公文書偽造で懲役2年。
1960年9月、浜坂事件では、出入国管理令・外為法関税法違反で工作員は懲役1年、一緒に北朝鮮に渡ろうとした在日朝鮮人は懲役6月、執行猶予2年。
1962年9月、村上(解放号)事件では3人が起訴され、出入国管理令・外国人登録法等違反でそれぞれ懲役1年・執行猶予3年、懲役1月・執行猶予3年、懲役8月・執行猶予3年。
1963年5月、酒田事件では、出入国管理令・外国人登録法違反で懲役1年4月。
1969年11月、岩崎・能代事件では出入国管理令・外国人登録法違反で懲役1年、執行猶予2年。
1971年7月、篠原新町事件では出入国管理令違反で起訴猶予
1974年9月、切浜事件では、出入国管理令違反で北朝鮮に渡ろうとした在日韓国人は懲役1年2月、工作員は懲役1年、執行猶予2年。
1975年7月、濁川事件では、出入国管理令・外国人登録法違反、有印公文書偽造で懲役2年、執行猶予3年。
1977年9月、宇出津事件で拉致被害者久米裕さんを海岸で工作員に引き渡した在日朝鮮人出入国管理令違反で送致されたのち起訴猶予
1980年6月、磯の松島事件では、二人の在日朝鮮人出入国管理令・外国人登録法違反でともに懲役6月、執行猶予3年。
1981年3月、伏木国分事件では、男が自殺。
1981年7月、日向事件では、工作員外国人登録法・出入国管理令違反、有印公文書偽造で懲役1年6月。元朝鮮籍の映画監督が出入国管理令違反(幇助)で懲役4月、執行猶予2年。他に2人が犯人蔵匿で罰金4万円の略式命令。
1981年8月、男鹿脇本事件では出入国管理令違反で懲役10月、執行猶予2年。
1990年10月、美浜事件では、工作員と見られる死亡した2人を書類送検

 実刑判決も見られるが、最長でも1959年の滝事件の懲役2年どまり。この工作員は61年、いわゆる帰還船で北朝鮮に戻った。在日朝鮮人の帰還事業で1959年12月以降、新潟から北朝鮮行きの船が出るようになった。日本で摘発された工作員はほとんどが帰還船に乗って帰っている。 

 海岸近く以外で摘発されたケースを含めると、工作員への罪名は多くが出入国管理令と出入国管理令違反で、偽造した外国人登録証を所持している場合には有印公文書偽装、日本円の所持で外為法、無線機所持で電波法など。
 武器などを所持していればより重い刑罰もありえただろうが、当時、日本の警察、海上保安庁は銃撃してこないことがわかっていたので、日本に潜入する工作員は原則として武装していなかった。執行猶予つき判決が多く、1971年の篠原新町事件では起訴猶予、ケースによっては罰金刑もあった。たしかにこれでは軽すぎる。

 温海事件の場合、タカをくくったつけで、工作員らがゴムボートから無線機、乱数表まで携えて「万景峰号」で帰国するという「戦後日本の外事警察の最大の敗北」(警察庁警備局長)を喫したのだが、これを佐々氏はどう見ているのか。

 まず《これがスパイが罪にならない日本の現実である》という文章がある。いわゆるスパイ防止法がないことが取り締まり上で大きなネックになっているという。(80年代に地方議会で賛否の議論が沸き起こった)

 さらに、《初期の段階で、北のスパイを下手に泳がすのではなく、徹底的に取り締まっておけば、拉致の悲劇も起こらず、北の核開発のスピードも遅らせることになったのではないか。無念でならない》とも書いている。
 これは公安警察の「泳がせ」を問題にしている。麻薬捜査などで使われる、わざと摘発しないでおいて、より大物、より核心に迫っていくという捜査手法だ。

 どこまで「泳がせ」が実行されていたのかは不明だが、警察や海保が発表しない情報が相当あることはたしかだ。 

 そして、2002年9月の小泉首相の訪朝直後から北朝鮮工作員関連で非公開だった情報がメディアに出てくる。その一つが「宿根木事件」だった。

 《昭和五十三年に新潟県佐渡島で起きた曽我ひとみさん拉致事件の六年前、現場から約二十キロの海岸で北朝鮮工作員が逮捕されていたことが二十日分かった。(略)
 北朝鮮工作員が捕まったのは昭和四十七年三月十三日の夜。佐渡島小木町宿根木(しゅくねぎ)の岩場に潜み、迎えの工作船を待っていたところを外国人登録法違反の現行犯で逮捕された。新潟県警は当時、この事件を報道発表せず、逮捕後の処分も明らかにされていない。警察庁が公表している北朝鮮工作員事件のリストにも掲載されていないが、公安関係者の間で「宿根木事件」と呼ばれている。》(産経2002年9月21日)

 《曽我さん親子が行方不明になった6年前の72年3月13日夜。真野町から約20キロ離れた島南端に位置する小木町宿根木の岩場で朝鮮籍の2人の男が潜んでいるのが発見された。うち1人は外国人登録証を所持していなかったため、相川署に外国人登録法違反の疑いで逮捕された。地元では、北朝鮮に戻ろうと工作船が迎えに来るのを待っていたのではないかと推測された。小木町の別の入り江は、北朝鮮関係者が「工作船の基地」と証言したことがある。》(毎日02年9月22日) 

 工作員が海から密出入国しているとなれば、住民の身の安全のためにも公表すべきではないかと思うのだが、警察の判断は違っていたようだ。
(つづく)