知られざる北朝鮮工作活動の闇

 先月27日に日本を発って、ヨルダンに出張し、おととい5日に帰国した。
 小松由佳さんの取材に同行させてもらったのだが、すばらしい出会いがあって感動した。その話はおいおいすることにして。

 子どもの日。公園には鯉のぼりがはためいている。日本は緑がきれいだなとあらためて感動。卯の花も咲いて、初夏の陽気だ。

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 きのう、TBS「報道特集」で、「北朝鮮工作活動の闇」と題して、富山県における北朝鮮の工作活動に関する突っ込んだ特集をやっていた。いま、拉致問題を地道に報道しつづけているのはこの番組くらいで、エールを送りたい。取材は富山の「チューリップテレビ」。スタジオで報告した槇谷茂博記者とは去年ご挨拶したが、さすがに地元局だけあっていい取材をしていた。

 特集の入り口は、1978年8月15日の富山県高岡市の雨晴(あまはらし)海岸で起きた「アベック拉致未遂事件」。
 1978年夏に蓮池さん、地村さん、鹿児島県の市川さんたち3件の「アベック拉致」が発生したが、これらが、普通の行方不明事件ではなく、北朝鮮による拉致事件だと露見したのは、この未遂事件があったから。重要な事件である。

 夕暮れ時、海岸でカップルが数人の男たちに襲われ、がんじがらめにされて地面に転がされていた。犬を散歩させる人が近づいてきたため、男たちがその場を去り、あやうく拉致をまぬがれたケースである。残されたサルグツワや手錠などが日本の物ではない粗悪な材料で、警察は北朝鮮による仕業と推測することになる。

 この事件は私も注目し、現地で取材したことがあるが、今回の番組ではこれに関連して興味深い事実を発掘していた。
 雨晴海岸は、朝鮮総連の幹部だった韓光熙氏が北朝鮮工作員の侵入ポイントとして構築したと暴露した場所の一つであり、この時期、いくつもの不可解なことが起きていた。番組では、朝鮮語らしい言葉を話す男たちが見かけられたり、他にも追いかけられたアベックもいたという証言をひろっている。

 重要なのは、「未遂事件」の翌年、1979年12月。雨晴海岸に隣接する伏木国分海岸にキーのついたままの車が放置され、乗っていた山田建治さん(30歳)が失踪していることだ。免許証まで車に残されていたという。
 それから1年3か月後の1981年3月、また事件が起きる。山田さんの車が放置されていた場所のすぐそばにある越中国分駅の待合室で、夜9時ごろ、酒を飲んでいる男を警察官が職務質問したところ、在日韓国人外国人登録証と日本円190万円を所持していた。話に要領を得なかったため、翌日取り調べようと、警察が男を高岡駅前のホテルに泊めたところ、翌朝、男は7階から飛び降り自殺した。(伏木国分事件)

 この年1981年は、北朝鮮工作員の検挙があいつぐ。
 7月、宮崎県日向市の金ヶ浜海岸で、暗号メモなどを持って北朝鮮に帰還しようとした工作員が逮捕されたが、この男が所持していた外国人登録証の番号は、伏木国分事件で使われたものと2番違いで住所は同じだった。(日向事件)
 また、同じころ東京都大田区六郷で、前年に山口県の海岸から密入国していた北朝鮮工作員が逮捕された。(六郷事件) 男が所持していた外国人登録証は、伏木国分事件と26番違いで住所は同じだった。
 この事件を担当した警察官の証言によると、押収された外国人登録証は、紙質が日本のものと異なり、写真の同じ部位に傷があることなどから、北朝鮮の同じ場所で偽造されたものと結論づけたという。

 これらは、北朝鮮拉致問題を専門にやった人でないと知らないと思うが、工作活動の実相に迫る上で欠かせない事件である。関心のある方は、私の『拉致―北朝鮮の国家犯罪』(講談社文庫)の巻末に、日本で摘発された北朝鮮スパイ事件を60件近くリストアップしてあるので、参照されたい。

 ここにあげた3件は、たまたま発覚したもので、まさに氷山の一角。この背後には数知れない北朝鮮工作員の暗躍があったことは確実である。偽造された外国人登録証は実在の在日韓国人のものを原本につくられていた。また、日向事件、六郷事件ともに工作員はその前の年1980年に入国して日本に長期に滞在しており、いわゆる「土台人」と呼ばれる協力者のネットワークがあってはじめて工作活動が可能になっていたことも指摘しておきたい。

 さて、話のついでに、こうして逮捕された工作員はどうなったと思いますか。
 伏木国分事件は被疑者死亡で不起訴。日向事件では、出入国管理令、外国人登録法違反、有印公文書偽造で懲役4ヵ月、執行猶予2年。六郷事件では、出入国管理令、外国人登録法違反で、懲役1年6ヵ月、執行猶予4年。日本で摘発された工作員たちはほとんどが執行猶予つきで万景峰号に乗って北朝鮮に帰っていったのだ。実態がこれだから、日本にはスパイに対する法律がないと指摘されるのももっともである。
 韓国人の登録証をもって日本に滞在していた工作員は、韓国人に「背(はい)のり」したわけだが、番組はここから日本人、原 敕晁(はらただあき)さんを拉致して「背のり」した辛光洙シン・グァンス)の話になる。去年7月に朝鮮中央テレビが報じた公式行事の映像に映っていて、まだ存命であることが確認された。現在87歳だ。
 彼は静岡の生まれで、9歳のとき引っ越して富山県高岡市に住むようになった。ここでまた富山つながりになる。日本名は立山富蔵。小学6年当時の同級生二人に思い出話を聞いていた。辛光洙北朝鮮との出入りに富山県の海岸も使っていた。
 最近、北朝鮮拉致問題の特集がめっきり少なくなっているなか、きのうの報道特集では、富山のチューリップテレビが地の利を生かして、これまで知られなかった事実を掘り起こしており見ごたえがあった。工作員の侵入ポイントがあったり、拉致事件が起きた地方のメディアに期待したい。
 一つ、補足しておくと、雨晴海岸の拉致未遂事件に辛光洙が関与した可能性がある。襲われたカップルのうち女性の方が、辛光洙の写真を見て「見覚えがある」と言っているのだ。まだまだ分からないことは多い。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20141117