朝鮮人を殺した自警団は「被害者」なのか?

 きょうは某新聞社に用事があって都心に出た。

 その帰り、六本木で梁丞佑(ヤンスンウー)さんの写真展「The Last Cabaret」を観に行った。

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梁さん。お子さんが2歳で、かわいい盛りだという

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写真展会場の「禅フォトギャラリー」はピラミデというモールの2階。たしかにピラミッドがある

 2016年にの写真集『新宿迷子』で第36回土門拳賞を受賞した梁さん。歌舞伎町の伝説的なキャバレー「ロータリー」のオーナーの知遇を得て、店が閉店するまで約1年、そこに集まっては散っていく老若男女の姿を記録した写真集を「ゼンフォトギャラリー」より刊行した。
Https://zen-foto.jp/jp/exhibition/yang-seung-woo-the-last-cabaret

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展示の写真。万札でなくみな千円札、時代を感じる。

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こういう世界がなくなるということですね

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ドアマンの高橋さん。閉店のあとみなさんどうするのか、気がかりになる

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夫婦かと思ったら右はホステス。ホステスの最年長は72歳で、その人がナンバーワンだったそうだ。いい話だな

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いろんな人間模様があったんだろう。左下が伝説のオーナー吉田さん

 「ロータリー」はここ数年、売り上げが低迷していたところにコロナ禍で閉店することになったという。私はキャバレーというところに入ったことがないのだが、写真からは華やかで人間臭い、ザ昭和、という雰囲気が漂ってくる。一連の写真は、滅びるものへの挽歌だ。写真集には、閉店した店の調度が運び去られるまでをおさめてある。

 キャバレーも大変だけど、コロナで私の生活も大変ですと梁さん。彼はバイトでテキ屋をやっているのだが、お祭りがどこも中止になって上がったりだ。きょうは夕方から久しぶりの撮影の仕事です、とちょっと嬉しそうだった。
 写真展は明日まで。
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 日経新聞世論調査菅内閣の支持率が74%!と出た。
 政権発足時の歴代内閣支持率の1位が2001年小泉内閣の80%、2位が09年鳩山内閣の75%で菅内閣はこれに続く3位だった。

 うーむ・・・「少数派」の私としては、ちょっと驚いてしまいました。

 6月下旬の世論調査で、安倍内閣支持率33.7%と出たとき、河井前法相夫婦の逮捕は「総理に責任」があると72%が答えていて、世の人々はちゃんと見ているなと思ったのだが。安倍政権の「悪事」を大番頭として支えてきた菅氏の「安倍なき安倍内閣」が、これほどの支持をうけるとは。

 こういう結果を見ると、政府と人民は区別しなければいけないと思う一方、悪政の責任の一端は人民にもあると考えざるを得ない。
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 上のことと関連させつつ、関東大震災のさいの虐殺について、佐藤卓己『流言のメディア史』岩波新書2019)に大いに啓発されたので、引用しつつ考えてみたい。

 多くの虐殺を、市民による自警団が行ったことをどうみるか。これには様々な見方がある。
 市民らはパニックのなか流言蜚語に騙された「被害者」だとする見方がある。民衆に罪はないというわけである。

 『昭和史(新版)』(遠山茂樹今井清一藤原彰 岩波新書1959)では―
 《政府は戒厳令をしいたが、このもとで、三千人にのぼる朝鮮人が一般市民の組織する自警団などの手で虐殺された。これは警察から出たと見られる「不逞鮮人」襲撃のデマにのせられて、不安におびえた市民が、理性を失って、排外主義的な感情にかられたからであった

 こういう見方は次の吉野作造東京帝国大学教授)の総括がベースになったのかもしれない。

 《震災地の市民は、震災のために極度の不安に襲はれつゝある矢先きに、戦慄すべき流言蜚語に脅かされた。之がために市民は全く度を失ひ、各自武装的自警団を組織して、諸処に呪ふべき不祥事を続出するに至った。此の流言蜚語が何等根底を有しないことは勿論であるが、それが当時、如何にも真(まこと)しやかに然(し)かも迅速に伝へられ、一時的にも其れが全市民の確信となったことは、実に驚くべき奇怪事と云はねばならぬ》(1924年の報告書「朝鮮人虐殺事件」)

 しかし、「全く度を失」い、パニックになった人々が自主的に自警団を組織できるのだろうか。無知な大衆を国家権力が操作して狂わせただけだったのか?

 吉野と同じ東京帝大教授の寺田寅彦は、大震災調査を実施し、その翌年に新設された東京帝国大学地震研究所の所員も兼務していた。寺田の防災論「天災は忘れた頃に来る」はよく知られているが、彼は「流言の責任の9割以上は市民にある」とも言っていた。
 《もし、ある機会に、東京市中に、ある流言蜚語の現象が行われたとすれば、その責任の少なくとも半分は市民自身が負わなければならない。事によるとその九割以上も負わなければならないかもしれない。(略)もし市民自身が伝播の媒質とならなければ流言は決して有効に成立し得ないのだから》(「東京日日新聞」大震災1周年記念号に寄せた「流言蜚語」)

 さらにすすんで、大衆が主体的に朝鮮人を虐殺した、と考える学説もある。

 原宏之『大正大震災―忘却された断層』(2012)では、朝鮮人を保護しようとした巡査にも向けられた自警団の攻撃性を、「自治精神の芽生え」として論じる。

 《地方参政権すら持っていない下層民が、完全に誤認とはいえ「敵」と戦い、日頃自分たちを抑圧しておきながらこの期に及んで「敵」を保護する警察権力を粉砕したのは、いかにも愚かな行為であれ政治参加の一種だった。虐殺事件は、その意味で、「自治精神の芽生え」の持つ巨大な熱量の仕業でもある。だから、人情や相互扶助と完全に無関係なものではない》

 あらゆる事件は、時代背景のなかで見なければならない。

 男子普通選挙を認める選挙法改正は大震災があった1923年の2年後、25年だった。参政権のない労働者や青年が、共同体への過剰な参加意識から自警活動にのめり込んだ可能性もある。

 藤野裕子『都市と暴動の民衆史』(2015)は、朝鮮人を虐殺した民衆が米騒動の主体と階層を同じくしている点を軽視してきた従来の民衆運動史を批判し、「権力に対抗する民衆と朝鮮人を虐殺する民衆とを歴史叙述のうえで分裂させていては、リアリティのある歴史像・民衆像を描くことはできない」と指摘する。

 米騒動とは、第一次大戦中の1918年、シベリア出兵による米価高騰を予想して商人が買い占めを行っているとの風説で、富山県で民衆が起こした暴動。

 大衆化・民主化の意識が進むことで、民衆が主体的に行動するようになったことの表れとして朝鮮人虐殺も捉えようというのだろう。

 大衆社会の表裏両面を見つめる複眼的思考は、歴史研究においてだけでなく、今の日本をよりよく理解し、変えていくうえでも必要だと思った。
(つづく)