関東大震災の虐殺100年によせて3

 きのう10日(日)のNHKBS1『ボクと自由と国安法と〜香港600時間の映像記録』はすばらしいドキュメンタリーだった。

 香港で遺伝子研究を志していたクレ・カオルさんは、民主化運動のなかで報道カメラマンに転じ、「国安法」による弾圧から逃れて故郷を離れた。向かったのはウクライナ。そこで自由を求めて戦う人々に自らの香港での戦いを重ねる。「自由は闘わなくては守れない」というメッセージが、600時間の闘いの記録から説得力をもって迫ってくる。

クレ・カオルさん(NHKBS1

ウクライナの人々の自由を求める戦いはカオルさんにとって他人事ではなかった。

 カオルさんと初めて会った時のことは― 

takase.hatenablog.jp


 今年6月に再会し、彼が撮った一枚の写真を購入した。いま机の横に飾ってある。

ペレモハ(勝利)と負傷した腕を上げる兵士(クレ・カオル撮影)

 キャプションは《(2022年)5月上旬、ドニプロ。イジューム戦線で、タンク攻撃で負傷した兵士。「あなたにとって平和とは何か」を聞くと、負傷した腕をあげて、перемога!!(勝利!)と答えた》

 この番組はお勧めです。ぜひご覧ください。日本のアニメが好きで独学で学んだ日本語の流暢さにもビックリしますよ。

 再放送はNHK BS1で9月14日(木)午後11:20 〜 午前0:10/9月16日(土)
午前8:00 〜 午前8:50
・・・・・・・

 関東大震災時の朝鮮人虐殺の被害者数については、100年たった今もまだ確定していない

 内閣府のHPでは「殺傷事件による犠牲者の正確な数は掴めないが、震災による死者数の1~数パーセントにあた」るとされているから、数千人に及ぶのは間違いないが、これだけの殺人であるにもかかわらず、未だに人数も名前も判明していないということ自体尋常ではない。そもそも朝鮮人を人間扱いしておらず、「殺傷事件」については意図的で組織的な隠蔽がなされたからだ。

 「殺傷事件」のあと、内務省は「朝鮮人被殺人員」を約248名とし、その後、朝鮮総督府が震災による朝鮮人の死者・行方不明者を832名としたが、いずれもごくごく一部にすぎない。

takase.hatenablog.jp

 まず、おさらいとして、大震災の規模と「殺傷事件」による犠牲者数について、関東大震災政府陸海軍関係史料Ⅰ巻』日本経済評論社1997)の巻頭論文関東大震災史研究の成果と課題」(筆者は日本近代史研究者、松尾章一氏)から引用する。

  震災による被害は、死者9万9331名、負傷者10万3733名、行方不明者4万3746名、罹災者数約340万人とされる

 「殺傷事件」では、1997年現在まで判明しているだけでも、6千名以上の在日韓国・朝鮮人と7百名以上の在日中国人に対する大虐殺と亀戸事件・大杉(甘粕)事件と呼ばれている日本人社会主義者無政府主義者共産主義者・労働運動・青年運動の指導者13名の殺害がある。これらは「三大テロ」事件とよばれる。

 政府や軍の側の史料には隠蔽工作のため、削除、廃棄されたものも多いが、残されたものを見ていくだけでも、あまりの酷さに愕然とする。

 例えば、「震災警備ノ為兵器ヲ使用セル事件調査表」なる史料。部隊名(隊号)、日時、場所、兵器使用者などの報告が記されている。その一例-

「野重一及騎十四」(野戦重砲兵第1連隊と騎兵第14連隊)、
「九月三日午後三時頃、大島町東京府 南葛飾郡)八丁目付近」、
関係した兵士は計八十名、「兵器使用者」は「騎兵卒三名」、「被兵器使用者」は「鮮人二百名(氏名不詳)」、
「処置」は「殴打」という事件がある。

 その「行動概況」はこうだ。

大島町付近人民が鮮人より危害を受けんとせる際、救援隊として野重1の2 I少尉来著(ママ)し、騎14のM少尉と偶々会合し、共に朝鮮人を包囲せんとせるに群衆および警官4、50名約2百名の鮮人団を率い来たり、その始末協議中、騎兵卒3名が鮮人首領3名を銃把をもって殴打せるを動機とし、鮮人は群衆および警官と争闘を起し、軍隊はこれを防止せんとしが、鮮人は全部殺害せられたり(読みやすくするため現代仮名使いにした)

「震災警備ノ為兵器ヲ使用セル事件調査表」より

 これを信じるならば、朝鮮人から危害を受けそうだというので軍隊が「救援」に駆けつけたところ、群衆と警官40~50名が200名の朝鮮人を引き立ててきた、兵士3人が朝鮮人リーダー3人を銃把で殴ったことがきっかけで騒乱になって朝鮮人200名は全員殴り殺された、というのである。

 「備考」に「本鮮人団は支那労働者なりとの説あるも軍隊側は鮮人と確信し居たるものなり」とある。殺した200人が中国人労働者だという説もあるが、軍としては朝鮮人だと確信している。要は朝鮮人か中国人かもわからず、もちろん名前も不明のまま、全員殺害されたというのだ。状況を想像するだにぞっとする。

 この1件だけで200人を殺害している。内務省の248人という数字がいかに過小か分かる。

 こうした事件の真相を突き止めていくのはきわめて困難だが、民間の研究者や市民が、それぞれの地域で、歴史の闇に光を当てる努力を重ねてきた。

 70年代に入って、埼玉県では畑和知事を名誉実行委員長とする朝鮮人犠牲者調査追悼事業実行委員会の調査で、これまで隠されてきた4件の事件が明るみに出た。また、千葉県では歴史教育者協議会の聞き取り調査で、軍に「保護」された朝鮮人が、周辺の村に引き渡されて、村民の手で殺され、埋葬されたという新たな類型の殺害事件が発掘されている。

 最近も神奈川県で新たな記録が見つかったという。

 「1923年の関東大震災での朝鮮人虐殺について、神奈川県が事件をまとめたとみられる資料が見つかったと虐殺の歴史を調べる地元団体が4日、明らかにした。県内で起きた朝鮮人への殺傷事件59件の概要のほか、殺害された計145人のうち14人の名前も記載している。」(朝日新聞9月6日付記事)

朝日新聞記事(6日付)


 冒頭の論文の筆者、松尾章一氏は、

 「まったく事実無根の流言蜚語を信じて自警団を組織させられた日本の民衆が、軍隊・警察とともに韓国・朝鮮人をはじめ中国人にたいする言語に絶する大量殺戮行為を白昼公然と行ったという歴史的事実は、今後絶対に繰り返してはならない日本歴史上の最大の汚点の一つである。この時いわれなく無残に殺されていった人々にとっては、関東大震災はまさに人災であったというべきである」と記している。

 同感だ。民間の調査が続いていることは多としつつも、本来は日本政府が過去の隠蔽と責任回避を反省し、国家プロジェクトとして真相を解明し、謝罪と慰霊、補償をすべきである。

 ところが一方で、虐殺否定論が近年跋扈している。

takase.hatenablog.jp


 同じ日本人として恥ずかしい。これは学問上の「異論」ではなく犯罪的であり、徹底して闘わなくてはならない。

(つづく)