香港デモ こんどは4人に1人が街頭へ

 アスファルトの隙間にたくましく咲く黄色い花。

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 調べると、アラゲハンゴンソウ「荒毛反魂草」というごつい名前(別名キヌガサギク)の雑草だ。すさまじい繁殖力らしい。
 空き地に群生していると華やかで園芸品種のようだ。それもそのはずで、日本へは大正時代に観賞用として渡来し、その後野生化したという。要するに人が栽培しなくなると雑草とされるわけだ。人の都合である。
 きょうは満月。いい月だ。6月の満月をストローベリームーンというのがここ1、2年で流行りだした。アメリカ先住民は各月の満月に季節の名前をつけたそうで、6月がいちごの収穫時期であったことから、この名前がついたという。
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 香港では16日、なんと200万人が参加するデモがあった。香港人の4人に1人。

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 《香港の民主派団体は16日、「逃亡犯条例」改正案の完全撤回や林鄭月娥行政長官の辞任を求める大規模デモを実施した。主催者は200万人近くが参加したと発表した。前回9日の103万人を大幅に上回り、1997年の中国への返還以降で最大のデモとなった。林鄭氏は15日に改正を延期すると表明したものの撤回には応じず、市民の反発が強まった。林鄭氏は市民に陳謝したが、事態が収束するかは見通せない。(略)
 条例改正に反対するデモは4回目。中心部の道路が数時間にわたって大勢の人で埋め尽くされた。前回9日は主催者発表で103万人(警察発表は24万人)が参加し、政府は条例の改正延期に追い込まれた。今回、市民は完全撤回を求めて反発を強め、前週を上回る規模のデモとなった。計算上、香港市民の4人に1人以上が参加したことになる。警察発表では33万8000人だった。》(日経)
 「逃亡犯条例」改正案で香港の人が連想したのが、2015年の「銅鑼湾書店」の事件だったという。中国当局に批判的な本を並べた香港の書店の創設者や店主など関係者5人が次々に行方不明になった。いずれも中国で身柄を拘束されて尋問を受けていたことが後にわかる。1国2制度を露骨に否定する、怖い事件だった。
 中国当局に対する不信、恐怖が蓄積していたところに火がついた。民衆は9日のデモで条例改正の無期延期という譲歩を政府から勝ち取った。自分たちの力で政治を変えたという自信が、「延期」ではなく「撤回」をとさらに踏み込んだ目標に駆り立てたのだろう。この一連の運動は、参加した民衆の心に深く刻まれて、今後の運動に生きていくのではないか。
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 香港の事態は、若者の政治参加について考えさせるが、『東洋経済』に載った「ドイツの小学生が『デモの手順』を学ぶ理由」(高松平藏=ドイツ在住ジャーナリスト)という記事を紹介しよう。ドイツでは、子どものうちから政治に参加する意識を育成しているという。https://toyokeizai.net/articles/-/193857?page=3


 《若者による政治参加が活発な国として挙げられるのがドイツだ。言論の自由をおびやかすようなことがあると集会などがすぐに起こり、デモクラシー(民主主義)の健全性に敏感なお国柄である。日本との差は何によって生まれているのか。その1つに幼少期から受けている政治教育がある。》
 《政治に限らず、ドイツの教育はとにかく「喋る」ことに小学校から重点をおく。発言の有無が成績にもつながるため、堂々と意見を表明することが「ごく普通」に身に付いている。喋る中身は玉石混交だが、何でも発言できること、そしてそれが排除されないことが徹底されている。デモクラシーの基本は他者との自由な議論だが、その土壌が小学校から作られる。
 また、小学校で「抗議から社会運動までの手順」を学ぶ機会もある。たとえばマンホールから異臭がするという問題があれば、「まず市役所に言う。それで解決しない場合は地元紙の『読者の手紙』へ投稿する。それでもだめなら、社会運動を行う」といった内容だ。
 子供向けチャンネルのテレビ番組でも、町の公園に問題があると、子供たちが市長や行政の担当部署に掛け合うというようなことをドキュメンタリー番組で放送している。番組では最終的に改善される場合も、できない場合も紹介される。
 さらに、日本でいう中学校・高校にあたるギムナジウムでも政治教育は行われている。(略)ギムナジウムで学ぶ倫理やドイツ語、歴史、経済、社会といった科目は、現在世界で起こっていることと関連付けて学ぶカリキュラムとなっている。
 そのため、中学生に相当する学年の授業でも、教員が各政党の政策をコンパクトにまとめた雑誌の記事のコピーを前もって配布し、それを参考にしながらどの政党を選ぶか考える授業もある。これは歴史の教科での話だ。
 また、各自治体で大々的に行われているのが投票権を持たない18歳未満の「子供・若者選挙」だ。「18歳未満の子供と若者の選挙イニシアティブ」が行うもので、若者や子供の市民教育と政治参加の促進のために1996年から始まった。各自治体が同組織に登録して、各自の学校やスポーツクラブ、図書館などで投票を行う。9月の連邦議会選挙では21万人の「18歳未満の市民」が投票した。(略)
 若者が政治を身近なものと感じるきっかけとして、広場や歩行者ゾーンも重要な役割を果たしている。たとえば選挙期間中の週末には、各政党が市街地の歩行者天国になった道路や広場で情報ブースを設置し、党員や候補者が道行く人に政策を直接紹介し、対話を行っている。そこには過剰な握手やアピールはなく極めて自然体で、一見すると世間話をしているような雰囲気だ。また、選挙期間かどうかは別に、デモや集会もよく見かける光景だ。
 いうなれば公共空間が政治的な言論空間になっているのだ。日本では公共空間での政治活動といえば、選挙カーや右翼の街宣カー、昔の学生運動の過激な映像を想像するのか、拒否感をおぼえる人も少なくない。しかし、ドイツでのそれは拡声器でがなりたてるようなことはほとんどないし、暴動のような様相にもならない。》

 以上は抜粋だが、小さいころから政治教育に力が注がれている背景には、ナチス時代の反省が大きいという。わが国も戦後、言論の自由を奪ったうえで「お上」に従わせる以前の世の中を反省したはずである。ドイツの実践の一部でも、日本の教育の現場で採り入れられないものだろうか。