「日本の宝」石牟礼道子さんを送る


 きょう午後、有楽町朝日ホールで「石牟礼道子さんを送る会」(水俣フォーラム主催)に参加してきた。
 黙祷のあと、やさしい笑顔の大きな遺影に見守られながら、縁のあった人たちが悼む言葉を述べた。私はとくに、父親を水俣病で亡くし自らも発症した漁師の緒方正人さん(65)の話に聴き入った。
 緒方さんは患者組織のリーダーの一人として闘いの先頭に立っていたが、「制度社会」を前提にした責任追及に限界を感じ、精神的に追い詰められた。自分がチッソの社員だったとしたら、同じように行動したはずだということに思い至った。求めるのはお金ではない、何なんだ、と悩んだ末、闘争から離れ、一人になって、人間とは何か、自分とは何かをゼロから考え直そうとした。2歳から父の船に乗せられ、親しんだ海の豊かな生き物たちに思いをはせたとき、足元の「生命世界」にはじめて気がついた。生き物の世界こそ自分の生国(しょうごく)だ、その世界観の転換に救われた。石牟礼さんにそれを語ると、「よう命の世界に帰ってきたですね」とうれしそうに言ったという。「制度社会」からこぼれ落ちた人々を救う慈愛の人だったと緒方さんは石牟礼さんを偲んだ。
 意外な方も会場を訪れていた。
 《会に先立ち、交流があった皇后さまも会場を弔問に訪れた。石牟礼さんの遺影を見つめ、白い花一輪を捧げて深く一礼した。長男の道生(みちお)さんに「お悲しみが癒えないでしょうね。慈しみのお心が深い方でした。日本の宝を失いました」と声をかけたという。
 さらに皇后さまは、社会学者の鶴見和子さんの名をあげ、石牟礼さんと初めて会ったのが、2013年7月の鶴見さんを追悼する催しだったことに触れた。同年10月、天皇陛下とともに熊本県水俣市を訪れた際、胎児性患者2人にひそかに面会したのは、石牟礼さんから「胎児性患者に会ってやって下さいませ」との手紙を受け取ったことがきっかけだった。
 道生さんは皇后さまに「患者さんに会ってくださり、母が感激していました」と伝えたという。》朝日新聞
 皇后が患者と会ったエピソードについては以前ここに書いた。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20160824
 「日本の宝を失いました」という表現には同感だ。1000人を超える参加者で、会場に入りきれない人のために、モニタースクリーンのある三つの部屋が用意された。私もあぶれた口だったが、こんなにも多くの人から悼まれるのを目の当たりにして感慨を覚えた。まさに「日本の宝」だったのだな。
 渡辺京二池澤夏樹伊藤比呂美など交流の深かった人がいなかったのは残念だが、多くのことを考えさせられた会だった。
 
 実は、別件の用事もあり、余裕を持って家を出たのに開会にちょっと遅刻してしまった。家を出て駅に着くと人身事故の直後だった。ビニールシートが線路に置かれて、遺体の撤去作業が行なわれていた。投身自殺だろうか。つらかっただろうな、生きにくい世の中だな、などと思いつつ会場に向かったからか、会で配られた小冊子に載っていた石牟礼さんの新作能「不知火」の一節がリアルに感じられた。
 いずれ生類の世に悪しき変動おとずれん。生命の命脈に衰滅の時期来るはあらがひ難く、ことにもヒトはその魂を己が身命より抜きとられ、残れる身の、生きてはをれどただうつろなる亡骸たるを知らず。