熊本の文芸を辿る(坂口恭平×渡辺京二)

 地方を元気に、という掛け声は、主に経済を念頭においているイメージだが、ほんとうに地方の独自性をもちながら活性化するには、文化を重視すべきだと思う。

 熊本では、石牟礼道子渡辺京二坂口恭平伊藤比呂美ら、ユニークで一目置かれる作家たちが地元に住みながら作品を生み続けてきた。

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元気なころの石牟礼道子(左)と渡辺京二

 熊本はなぜ文芸活動が盛んなのかを、坂口恭平渡辺京二が『ブルータス』(去年1月1日/15日号)で対談していて、これは地方文化の活性化にとって参考になるのではと思った。ごく一部を抜粋する。

 坂口恭平は、熊本生まれだが幼くして福岡に引っ越し、また9歳から高校卒業まで熊本にいた。
 以前、坂口恭平石牟礼道子の詩に曲をつけて彼女と歌う動画を載せたが、3.11のあと熊本に帰ってきたときには、石牟礼道子渡辺京二も知らなかったという。

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坂口:京二さんはどうやって熊本で文芸の活動をしていたんですか。

渡辺:僕は1947年に中国の大連から熊本に引き揚げてきた。左翼系の文学運動を10代からずっとやっていて、文芸の雑誌をいくつも出しては潰していた。でもいわゆる熊本の文壇とは全く関係がない。というのも、地方の文壇の文学者は東京でものにならなくて帰ってくると、地元の政界や財界に顔が利くような郷土文化人になるんだ。漱石ラフカディオ・ハーンの話ばかりしているような世界。僕らはそういう地方文壇とは全く関係のないサークル運動をやっていたわけ。その中から石牟礼さんも僕も出てきたわけよ。これは谷川雁の存在が大きい。雁は水俣で療養していて石牟礼さんと知り合った。石牟礼さんは天才だから、雁と接触しなくても作家になっていたと思うけれど、ああいう日本の近代に対して独自のアプローチを持った作家にはならなかったと思う。だから熊本が今、全国的に見て文芸活動が盛んに見えるのであれば、谷川雁がいたことは非常に大きいんだよ。僕も影響を受けたしね。
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渡辺:1970年前後になると中央ジャーナリズムが才能のある人を地方に探しに来るように変化してきた。だから僕も熊本にいても原稿が売れるように成っただけどね。中央が地方を把握するように状況が変わってきて、地方がだんだんと東京化した。それで熊本にいても全日本、全世界レベルのことを発現する流れになってきたんだ。

坂口:なるほど。熊本の文芸は今もかなりユニークですよね。

渡辺:大きいのはやっぱり文芸誌『アルテリ』(橙書店発行、筆者注)が出ていること。それと、恭平さん伊藤比呂美ちゃんがいることだと思う。これが活性化の理由。でもなぜ2人が熊本に居着いたのか。個人的な事情はあると思うけれど、やっぱり石牟礼道子がいたからじゃないかな。

坂口:京二さんもですよ。

渡辺:もちろん、この〈橙書店〉があるのも影響している。最初〈橙書店〉は比呂美ちゃんが熊本文学隊という活動を始めてその本拠になったのがこうなる発端だけど、それだけではこんなふうにならなかったと思う。もっと言うと、道子さんが亡くなった後、比呂美ちゃんと恭平と俺の、この三者同盟があるからなんだよ。

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熊本市の橙書店。一昨年、熊本に取材に行く機会があり、早朝「橙書店」まで歩いて行った。

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渡辺:(略)僕が『熊本風土記』という雑誌を出して、石牟礼さんはそれに『苦界浄土』の初稿を連載していた。(略)1966年ね。僕も『熊本風土記』とかいろんな雑誌を始めては潰した、という話をさっきしたけど、1973年に石牟礼さんたちと『暗河』という季刊の文芸思想誌を出したのも大きかった。僕が長くやってきたのは、いろんな雑誌を作って自分の仲間というか、一緒にやる人を集めて広げたいと思っていたのが、『アルテリ』につながっている。恭平さんや比呂美ちゃんにしても僕らがやっていた文学とは全く違うところから出てきたけど、2人とも仲良くなれた。

坂口:京二さんと最初の関わりの話をすると、喫茶店で偶然に会った後、熊本日日新聞熊日)の記者の浪床敬子さんの企画で京二さんと対談したんです。2013年のことでした。浪床さんは東京にいた僕に熊日新聞で連載をしないかと依頼してくれた人。それは結局3.11を挟んでの連載になりました。(略)

渡辺;そうすると、熊本のユニークな文芸活動は熊日新聞の功績もある気がしてくる。県紙の中だと熊日の文化部はレベルが高い。熊日には光岡明という記者がいて、彼は『機雷』という作品で直木賞を受賞した。熊本で直木賞を受賞した初めての作家。

坂口:それは新聞記者をしながら?

渡辺:そうそう。(略)その下に久野啓介というのがいて、(略)線の細い文学青年だったんだけど、なんと編集局長になって、俺たちはびっくりして。文化部みたいな傍流の記者が編集局長になるなんて、普通の新聞社ではないことなんだ。その後、何代か文化部出身の局長が続いた。だから熊日の文化部は伝統的に熊本独自の文学界を支えてきたと思うよ。
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渡辺:(略)地方で文芸活動をしている人は大きな視点を持って、地方からでも世界基準で考え発言してほしいと思っている。(略)
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 私は故郷をある意味捨てた人間なので、地方の活性化を語る資格はないが、そういう活動をしている人を陰ながら応援している。

 渡辺京二は、坂口恭平を高く評価し、彼の『幻年時代』を読んだ印象をこう書いている。

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《(略)これを書いた人間は天才だと私は確信した。そういうことは前に一度だけあった。石牟礼道子さんから『苦界浄土』の前身『海と空のあいだに』を、私が出していた雑誌にいただいたときである。
 私は天才という言葉を、常人とは質のことなる異能という意味で用いている。天才のほかに賢者もいる。とても大きな才能の持ち主もいる。飛び抜けて頭のよい人もいる。文学に限っても、大きな才能、豊かな才能というものは、むろんざらにではないが見出すのに苦労はせぬ。しかし表現の才能の大小とはまた違って、こんなふうに表現するのか、いや表現以前に発想するのかと、驚きを感じさせる才能にはめったにお眼にかかれるものではない。

 編集者としてそんな天才には一人だけ出会った。それが石牟礼道子さんだった。恭平さんと私は編集者として出会った訳ではない。しかし、『幻年時代』を読んだとき、私は紛れもなく編集者の感覚になっていた。他の才能とどこが違うのか。恭平は道子とおなじく、自分だけの言葉で語るのである。道子語があり恭平語があるのだ。ということは、実在=現実の感受において、ひととは違う自分だけのものがあるのだ。私が天才と呼びたいのは、このようなその人だけがもつ独特の感受力、ひいては言葉の遣いかたである。(略)》(『幻年時代』幻冬舎文庫解説より)

 尊敬する渡辺京二が「天才」と断言するからには読まなくては、と本を買って読んだ。
 「おもしろい!」とどんどん読み進める小説ではないが、不思議な読後感を味わった。世の中をこんなふうに眺める視点もあるのか・・と。たしかに普通じゃないと思う。
 熊本はおもしろい。