渡辺京二さんが亡くなった。お歳だからいつ亡くなってもおかしくないと思いつつ、訃報を聞いて心ががっくりと萎れる感じがした。
私にとっては、尊敬し仰ぎ見る偉人だった。「巨星墜つ」という表現があるが、この人ほどの知の巨人はもう日本には現れないのではないか。心を病んでしまったようなこの日本がこれからどう歩んでいけばいいのか、もっとお聞きしたかった。
数年前、お会いできるチャンスがあったのだが、急な仕事ができて逃してしまったことが残念でならない。多くのことをご教示いただいたことに感謝するとともに、心よりご冥福をお祈りします。
西日本新聞の訃報記事
《熊本市在住の評論家で「逝きし世の面影」などの著書で日本近代を問い続けた渡辺京二さんが25日午前10時15分、老衰のため熊本市の自宅で死去した。92歳。京都市出身。葬儀・告別式は27日午後1時、熊本市東区健軍4の17の45、真宗寺で。喪主は長女・山田梨佐さん。
渡辺さんは中国・大連で育ち、旧制第五高等学校を経て法政大社会学部卒。日本読書新聞を経て、熊本市で著述活動に入った。宮崎滔天や北一輝の評伝をはじめ「神風連とその時代」「日本コミューン主義の系譜」などの著作で大アジア主義や戦争、ナショナリズムなど日本が近代化の過程で抱えこまねばならなかった難題を考察した。
1998年には、幕末維新に来日した外国人の滞在記などから日本近代が滅亡させた前近代の豊穣な文明を描く「逝きし世の面影」を刊行。和辻哲郎文化賞を受賞した。2010年には、ペリー来航の100年以上前から北方の蝦夷地で繰り広げられたロシア、アイヌ、日本のダイナミックな異文化接触を描いた「黒船前夜」で大仏次郎賞。
編集者としても、詩人で小説家の故石牟礼道子さんの才能にいち早く注目し、水俣病に苦しむ患者の世界を描いた「苦海浄土」の初稿を自身が編集する雑誌「熊本風土記」に掲載。生涯の思想的・文学的盟友として創作活動を支え、水俣病闘争にも共に参画した。河合塾福岡校講師や熊本大客員教授も務めた。
本紙には1999年に随筆「江戸という幻景」を連載。「西日本文学展望」も担当したほか、大型コラム「提論」も執筆した。》
追悼記事には―
《死去した渡辺京二さんは、熊本の野にあって日本近代を問い続けた評論家だった。その思想的フィールドは広大にして射程深く、切れ味は抜群に鋭かった。それ故、ステレオタイプの見方や表層の解釈を嫌い、人物的には時に気難しくもあった。》(西日本新聞)とある。
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このブログでも、読者があきれるほど頻繁に取り上げた。例えば―
いまアフガニスタン取材のまとめでせわしくしているので、渡辺さんについてはいずれまた書こう。三浦小太郎さんが渡辺さんについておもしろい論説を書いていたので、紹介しよう。
三浦さんには渡辺さんの全著作を読み込んで彼の思想の全貌にせまる『渡辺京二』(2016)という著作がある。こんな偉大な思想家によくもまあ、正面から挑んだものだなあと感心した。出版後、三浦さんと飲んで渡辺京二論を話し合うのが楽しみだった。
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渡辺京二氏を追悼する番組や記事などが出ているのはうれしいし、また新たな読者が増えてほしいと思うのですが、一点、ちょっとどうしても違和感があるのは「水俣病闘争の支援者だった」的な解説が結構あること。
いや、それはその通りで、この方は水俣病患者たちとともに最も激しく戦った人ではあるんですよ。ただ、これまで水俣を報じる最近の記事の中では、むしろ無視されてきたような気がする。それはある時期から運動から離れただけではなく、運動の最も高揚期にも次のような文章をはっきり書いていたからで、今更なくなったからって持ち上げるなら、以下のような文章をきちんと評価してほしい。
「チッソを特別に悪質な資本であるかのように考える必要はない。したがって(患者と会社との)対立を資本の倫理的な悪と民衆の倫理的な善との対立とみなすこともできない。」
「(水俣を訪れる知識人が)水俣を自分たちの(精神的な)病に合わせて聖地のように賛美するのは、ほとほと滑稽な眺めであった。のみならず、そのような水俣礼賛を、今はやり文明終末論的考察の端切れや、聞きかじりのエコロジーや、ナロードニキ(民衆礼賛)趣味の辺境論議で思想めかすような言辞を見聞きするたびに、私は心中、暗い嘲笑のごときものが突き上げてくるのを抑えることができなかった」(死民と日常)
「水俣病闘争の当事者は、患者とその家族たちである。それ以外のものは、絶対に当事者ではない。(中略)支援という言葉はよくない、我々は自分のこととして、水俣病闘争にかかわるものである、というものがある。気持ちはわかる。だが、君は水俣病患者ではなく、水俣病がわがことであるはずはない。」
「水俣病患者を見過ごすことは、自分の人間的責任の問題だというものがいる。しかし、およしになったがいい。水俣病は人類の唯一の悲惨事ではないのだし、人類はそのような過剰な責任を負うことはできない。」
「(人間が何らかの運動にかかわる理由は)思想的なものではなく、あくまで個々人の人事的偶然であろう。日本の諺は言う『袖ふれあうも他生の縁』と。水俣病と自分がかかわるというのも、まさに他生の縁にほかならない。その袖は何によって触れ合うのか。(中略)それは人におのずから備わる惻隠の情による。」
「水俣病闘争の中では、患者に対する同情に終わってはならないということが繰り返し言われてきた。そのことの意味は分かるので、私はいつも黙っていたが、心中では同情で何が悪いと叫んできた。(中略)水俣病患者はかわいそうだ、という活動家たちが最も唾棄する心情も、それが徹底して貫かれた場合は、おそらく活動家たちが夢想もできないような地点まで到達する。」(現実と幻のはざまで)
渡辺氏は石牟礼道子氏の名作「苦界浄土」にも編集としてかかわりましたが、この本を、いわゆる反公害運動のルポのように読まれることには一貫して反論し、むしろこれは言葉の最も正しい意味で文学作品であることを強調し続けました。
ここで引用した言葉も、「水俣病は階級闘争であり日本資本主義との戦いだ」「美しい水俣の自然が汚されている」「チッソは悪魔企業」のような運動家たちの言説に対し、何もわかっていないと批判したものです。運動のさなかにこれだけのことをかけるのは正直すごいことで、この人がオルグとしても活動家としても一流の才能を持っていたことを逆に表していると思います。(三浦さんのFBより)