萩原遼さん逝く

takase222017-12-25

 突然の訃報だった。
 萩原遼氏、天国へ。北朝鮮に旅立った親友と再会していることを祈ります」―友人の三浦小太郎さん(評論家)のメールにこう書いてあって驚いた。http://miura.trycomp.net/?p=4548

 萩原遼氏 80歳(はぎわら・りょう、本名・坂本孝夫=さかもと・たかお=ノンフィクション作家)22日、東京都内の自宅で亡くなっているのが見つかった。
 告別式は近親者で営む。喪主は、兄で古典芸能評論家の木津川計(きづがわ・けい)氏。
 高知県出身。1999年に「北朝鮮に消えた友と私の物語」で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。著書に「朝鮮戦争」「金正日 隠された戦争」など。》https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171225-00050118-yom-ent

 萩原さんには大変お世話になった。3年前には胃がんを宣告されながら『拉致と真実』という雑誌を創刊し、捨て身の闘いに乗り出していた。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20140311
 手術はうまくいき、去年には「朝鮮総連本部をさら地にする会」を結成するなど、元気で活動を続けていたと思っていた。心不全による突然死だという。
 かつて平壌日本共産党の「赤旗」特派員として駐在し、115人が犠牲になった1987年の大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫の正体をめぐって時の人になった。
 金賢姫などわが国の人間ではない」とシラを切る北朝鮮に対して、萩原さんは、少女時代の彼女はこれだ!と北朝鮮で撮った写真を発表した。ところが、結果的にそれは勘違いで、金賢姫は萩原さんがポイントした少女の隣で陰になっていた。別角度から撮影していた読売新聞の写真があることを知り、新聞社のライブラリーを調べてもらうと、大当たり!子ども時代の金賢姫が写っていたのだ。金賢姫北朝鮮の人間であることの有無を言わせぬ証拠だった。自慢するわけではなく、これは世界的なスクープだったと思う。
 当時のことを以下で振り返っているので、関心のある方はお読みください。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20100726
 萩原さんについては他にも思い出は多い。ロマンチストで、好きな詩を朗々と暗唱する姿もよみがえるし、一緒に飲んでからまれたこともあるが、子どものような無邪気な人だった。物欲がなく、「私は独り者だから、誰かが葬式をあげてくれるための100万円だけあればいいんだ」とも言っていた。
 心よりご冥福をお祈りします。