あらゆる命が満ちていく時期、太陽を浴び、万物がすくすくと育つ季節、だそうだ。
21日から初候「蚕起食桑(かいこおきて、くわをはむ)」、26日から次候「紅花栄(べにはな、さく)」。末候「麦秋至(むぎのとき、いたる)」。麦の実りの季節は「麦秋」という。
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ジャニーズ事務所の創業者、ジャニー喜多川氏(享年87)による性加害問題。
藤島ジュリー景子社長がサイトで謝罪動画とQ&Aを発表。ジュリー社長は性加害について「知りませんでした」と弁明。第三者委員会による調査もしないという。
これに近藤真彦が「知ってたでしょ」と批判。被害者たちの証言によれば、ジャニー氏がとっかえひっかえ指名する少年たちをホテルに届けセッティングするシステムが長年築かれており、いわば事務所ぐるみの「犯行」だった。ジャニーズ事務所の副社長をしていたジュリー氏が知らないはずがない。
この性加害は、個人的な「性癖」ではなく犯罪である。被害者の多くは当時未成年で、今なおトラウマを抱える人も多いという。これが会社内でシステム化されていたのだから悪質極まりない。
問題は半世紀も前から一部で報じられ、裁判で事実が認められても、マスメディアとくにテレビが取り上げてこなかったことだ。今回及び腰ながら報道がなされたのはBBCのドキュメンタリーが公開されたから。情けないていたらくに、ちまたでは「マスコミってほんとのこと報じてないんでしょ」と当り前のように言い交される。
社会を覆うマスコミ不信を克服するには、タブーなき報道への不断の努力しかない。
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金賢姫「実在」証明スクープの続き。
韓国で猖獗する「謀略」説のなか、四面楚歌でメディアに追い回され、夜逃げを強いられた金賢姫一家だったが、彼女は私たちが制作した二夜連続の特集に勇気づけられたと述懐している。
「2004年3月下旬、日本のテレビ局、日本テレビ系列の『ニュースプラス1』がKAL機事件に関連して、特集番組「金賢姫17年間の真実」を二夜連続で放送しました。番組では担当捜査官が明かした極秘資料として、拉致された日本語の先生李恩恵とともに生活していた招待所の内部や周辺の様子など、私が作成した詳細な図表が公開されました。」(ママ、『金賢姫からの手紙』P129、金賢姫が手紙を書いた相手は李東馥(イ・ドンボク)氏。12日のブログで紹介した、彼女がかつて花束を渡した人物である)
国情院(国家情報院、安企部の後継機関)は、「大韓航空機爆破事件再調査委員会」をつくって、あらためて調査を行った。金賢姫は謀略説を裏でそそのかしているのは国情院だと信じ、度重なる調査要請には一度も応じていない。
その「最終報告書」が07年に出された。「これまで『遺族会』をはじめ、市民団体、マスコミ、書籍などを通じて、320件余りの疑惑が提起された」といい、結論としては―
「事件の犯人である金賢姫を直接調査できなかったが、萩原遼氏が1972年11月2日に撮影した『花束を渡す少女』の写真をすべて入手して分析。金賢姫が北朝鮮出身であることを確認し、事件の背後に北朝鮮の対南工作組織があり、当該組織の工作員である金勝一と金賢姫によってなされた事件であることを立証しうる状況と根拠などを確認した。
委員会は、今回の調査を通じて『KAL858機爆破事件』の実体が、北朝鮮工作員によって起こされたものであることを確認した。したがって、以後、この事件の実体と関連してこれ以上、不毛な論議が続かないよう、根拠のない疑惑の提起を中断する一方、関係機関も法的な争いをやめ、関連記録の早急な公開等を通じて、この間の対立と葛藤を終息させ、真に国民和合の軸ができることを希望する。(略)」(P236-238)
ここでも読売新聞による写真を萩原さんの撮影とする誤解が見られるが、少女時代の金賢姫が北朝鮮にいたことを示す「花束少女」の写真を決定的な「証拠」として「根拠のない疑惑」を封じたことがわかる。
それにしても、この「最終報告書」からは、「謀略」説がいかに大規模に流布され、韓国社会を分断したかをうかがい知ることができる。日本ではとても想像できない異常事態だった。それが、1987年の事件から20年も過ぎた廬武鉉政権末期にようやく「決着」したのである。
私たちが制作した特集では使用しなかったある取材テープがある。謀略説を牽引した小説『背後―金賢姫の真実』(邦訳は幻冬舎より)の作者、徐鉉佑(ソ・ヒョンウ)氏へのインタビューだ。
『背後』は「犯人は金賢姫ではなかった!?115人が死亡した大韓航空機爆破事件から17年。国家安全企画部が事件に関与している様を描き、韓国政界に激震が走った問題小説。今、全貌が明らかに。」(出版社による内容紹介)という内容の、2003年に韓国で出版された本で、著者の徐鉉佑氏は、「KAL858機真相究明対策委員会」所属調査委員長も務めた人物。
はじめ徐氏はインタビューで「謀略」説を滔々と得意げに語っていた。ひとしきり語り終えた徐氏に、ディレクターが、読売新聞のライブラリーで発見された「花束少女」の写真を見せ、これをどう思うか尋ねる。すると徐氏の表情がみるみる変わり、あわてたように「こんな写真について、私が語る必要はない」といい、「撮影はやめてくれ」とカメラに怒鳴る。つづけて「きょうのインタビューを使ってはならない。もし使ったら訴える」と捨て台詞を残して去っていった。
先日、このインタビューを日本語に訳してくれたSさんと話す機会があり、花束写真「発掘」スクープをめぐる一連のエピソードを懐かしく思いだしたのだった。